1103話は、結論から言うと「悪いのは全部…こいつだ!!!」で回想を終えて戻ってくるところと、ラストの見開きだけはよかったです。
それ以外は、ただ作者都合で全キャラを「バカ」化することでくま到着までの尺合わせをしているだけの茶番なので読む価値がありません。要するにラストの見開きをくま登場シーンにするためだけの時間稼ぎのため、完全に間延びしています。
不要な部分をカットすればもっとテンポ良く、中身濃く、スリリングな展開にできるだろうに、ほんとにもったいない。久々にここまで明確に中身のない無駄ページを見た気がします。
また繰り返しになりますが、そもそもニカの後付け(くまの奴隷設定)などなく、ボニーとくまが本当の親子であればもっとワンピース史に残る感動シーン、クライマックスシーンになっただろうにと思います。
おそらく当初の構想時点で、
- くまがパシフィスタ化して自我を奪われること
- くまとボニーが親子(ないし近親)
という設定は決まっていただろうと思うので、自我を失ったくまがボロボロになりながらボニーを助けにくる、というシーンは(相手がサターン聖かどうかは別として)描くことを決めていたのではと思うのですが、それだけに当初の構想のままで読みたかったとしか思えませんでした。
せっかくの名シーンも、余計な後付けのせいでくまの言動に矛盾やツッコミどころしかなく、作者都合で振り回されまくっているくまがめちゃめちゃ哀れに見えてしまいます。
以下、「くまの人生」の要約に新たな項目が追加されました。
- 革命軍のためにジニーを捨てる(一番大切な女性だったはずなのに革命軍を優先して助けに行く選択を放棄):革命軍>ジニー
↓ - ボニーのために革命軍を捨てる(自分の実子ではなく、憎き天竜人の子供なのに):ボニー(天竜人の子供)>革命軍>ジニー
↓ - ボニーの病気を治すために「自我」(自らの命)を捨て、「世界政府」の言いなりになると約束し、指令に対し従順すぎる七武海となる。:ボニー>自らの命>革命軍>ジニー
↓ - 「ボニー」を人質に取られている中、海軍の通信を無視して商船の一般人救出を優先し、政府の特命は果たさず、世界政府に宣戦布告した“麦わらの一味”を取り逃す。:麦わらの一味・民間の商船>ボニー(≒政府との約束)>自らの命>革命軍>ジニー
↓ - 天竜人を殴り飛ばした“麦わらの一味”を始末しに来た(くまと五老星の約束を知っている)黄猿に対し、「政府の息のかからない事例では仲良くする義務はない」という的外れな理屈をかざし、何の説明もなく“麦わらの一味”を逃して世界政府に刃向かい続け、ボニーが奴隷に落ちるリスクを高め続ける。:麦わらの一味>民間の商船>ボニー(≒政府との約束)>自らの命>革命軍>ジニー
↓ - 「政府の言いなりになる」という約束を反故にし、政府の命令に背きまくって“麦わらの一味”を守りながら、なぜか「ボニーに会わずに自我を捨てる」という約束だけは従順に守り続け、最後の任務に「麦わらの一味の船を守る」ことを選んでボニーとの約束やその後のボニーの(政府から追われる)人生は放置したまま自我を失う。麦わらの一味(サニー号)>民間の商船>ボニー(≒政府との約束)>自らの命>革命軍>ジニー
↓ - 自我を失ったままマリージョアで天竜人の奴隷として生きる。(目と鼻の先にいるボニーには気づかない)
↓ - 革命軍によって救出されてカマバッカ王国へ戻るも、急に「本能のカケラ」が反応して、さっきまでいたマリージョアを経由してエッグヘッドまで飛んでいき、ボニーを助けに行く。(なぜボニーの居場所がわかったのかは不明)
いやもう意味わからんでしょ、くまの行動。。
要するに、ボニーを助けるために自我を捨てて「政府の言いなりになる」「ボニーと二度と会わない」という条件を飲んだ上で、政府との約束は反故にしまくる一方、ボニーと会わない約束だけは守り続けて、最終的には自我を失った状態でボニーに会いに来る(=約束を破る)のです。
本能で危機や居場所を察知してまで助けにくるほど大切なら、なんで最後の任務でサニー号を守ることを優先するんだよって話ですし、最終的に(無意識とはいえ)約束を破ってボニーに会いに来た上で、サターン聖に手を出すのなら、尚更最初からボニーと一緒に逃げればよかっただろうと思わずにいられません。
まぁ自我を失って本能で助けに来たというテイなので、くまは約束を破るつもりはなかったのでしょうが、最終的に破ることになるのなら(破らないとボニーを救えないのなら)、「自我がある内に一緒に逃げる(か戦う)」以外の最適解などないはずなんですけどね。そんなことにも頭が回らない(予想できない)くまがバカにしか見えません。
ジニーを助けに行かずに静観する(見捨てる)判断も、ボニーと逃げずに自我と再会の機会の放棄を優先する判断も意味不明すぎて全く共感できない。
設定に穴がありすぎて、最低限の感情移入ができないんですよね。。
どうせなら「サターン聖が先に約束を破った場合(=ボニーに手を出した場合)は、政府に従うプログラムがリセットされるようにベガパンクが仕込んでいた(ボニーを政府の手から命がけで守ることがくまの最後の任務だった)」という設定の方がまだ納得がいきます。いくら病気が治ろうとも、その後政府の手からボニーを守る未来が果たされないのであれば、政府の言いなりになる必要などないはずだからです。
サターン聖も科学者だからウソはつけないという理屈でしたが、こちとら悪魔の実の能力者で世界最大の頭脳を持つ男なんですから、それくらいの抜け道は実装できてもなんら不思議ではありません。
というか人類の500年先の科学力を有しているというのに、サターンごとき一般科学者1人の監視の目をかいくぐれない方が不自然でしょう。
くまの意志としては、ボニーが助かれば自分の身はどうなってもいいから、反逆の意志があることがバレた時のリスクを考えて何も仕込まないで欲しいと願うのも分かりますが、ベガパンクが、サターン聖が約束を守るとは限らないとか、病気が治ってもボニーが平和に暮らせるとは限らないといった点を懸念し、約束を破られた場合は(くまが約束を守る理由もなくなるのだから)プログラムを破棄するよう仕込んでおくのは、ごくごく自然な判断だと思います。
そもそも、病気だけ治してもらえればその後12歳の娘を放置することになっても問題ないというくまの発想も理解不能です。その後サターン聖や政府側が約束を守るとも限らないのによくそんな大博打打てたなと。
以下、1103話のツッコミどころ(カット対象)です。
- くまからの誕生日プレゼントのシーン(このネックレスが何らかの伏線になっていない限り不要)
- サターンのセリフ「海賊ジュエリー・ボニー お前の父…くまは 死んだ」(誰もが知ってる情報を何を今更そんなもったいぶって驚愕の事実の如く発表してんだ。無駄なセリフでしかない)
- 助ける気にもならんキモ主人公。(もう酷すぎて言葉失いますね…主人公をこんな雑な描き方して何がしたいのか…)
- 戦桃丸とボニーを心配する黄猿(戦桃丸にトドメ刺したのはお前だろうが)
- 世界のリアクションやドラゴン、イワンコフのやりとり(何の意味もない情報である上、これを差し込むことが何の効果も発揮していない)
- サターンのアホ丸出しの説明「(こいつの中でまだ“ニカ”と“麦わら”の白い姿は繋がっていない様だ…)」
- サターンの無能丸出しの後手後手ぶり(「おい誰だそいつに食糧を与えたのは!! すぐに海楼石の手錠をかけろ!!!」)と地蔵化した無能海兵共(「え!?」)。さすがに海軍側が無能ムーブすぎるわ…お前ら何しに現場入りしたんだよ。仮にも「小将」以上の立場だろ?
- 直接“実”を食えぬ赤子に“エキス”で能力を与えられるかの“実験”をしておきながら、能力が発動する様を見届けることなく「成功した」とわかる謎。(くまがボニーを拾ったのはまだ生まれたての赤子の時期だが、この時点で能力者になったことを知る術などあるのか? よりによって「いかなる未来にも変身できるが 現実を知る度に選べる未来が狭くなっていく」なんてややこしい能力、まだ世界を認識さえできていない赤子に与えても何の力も発現し得ないだろ。能力者になったかどうかだけ、海にでも沈めて確認したんか?)
- 「成功した」という事実だけで満足し「不要な実」として母親と共に捨てる謎。(普通もっと経過観察しないか? 速攻で手放すメリットなど一つもないだろうに、どこまでも無能ムーブしかできない連中だよ)
- ニカと同じゴムの能力を持つルフィに会い、くまがルフィのことを(ニカの文脈で)「この海を大きく変えるヒーロー」になると信じている過去を覗いたというのに、なぜか「ニカはない」と思い込み始め、弱体化する謎。これだけ状況が揃ってたらむしろ「いる」(ルフィがニカなのかもしれない)と確信を強めるほうが自然で、「いない」思考が強まる理由がわからない。
- サターンのセリフがことごとく小物「おい…私の身にもなってみろ “虫ケラ”の気持ちを理解しろと言うのか? 不可能だ…」(こいつわざわざ虫ケラの住む地までおりてきて、いつまでチンタラとその虫ケラを掴みながら虫ケラ達と会話してんの? 誰も「虫ケラの気持ちを理解しろ」なんて言ってないし。頭悪過ぎんだろこのオイボレ。もっとマシなセリフ言わせてあげられなかったのか…)
- あれだけ「お父さん」と会うことにこだわってたくせに、「バーソロミュー・くまが現れました!!」という通信が都合よく耳に入らないボニー。サターンにもベガパンクにも聞こえてるのにボニーにだけ聞こえない謎。それも「ムリだ もう怖くて…」と超不自然なタイミングでガラにもない理由でガタガタし始めるシマツ。むしろ怒りや悔しさに震えろよ。なんで今更怖がってんだこいつ。
- 号泣する“虫ケラ”に対し「あァ….うるさくてかなわん クソガキめが…」と扱いを昇格させる謎。「虫ケラ」なんだからそのまま握り潰せばいいのに、「やかましいクソガキ」として頭を撃ち抜けと命令する(くまが助けに来るのを待ってあげてるとしか思えない)無能ムーブ。ルフィに海楼石の手錠をかけることも食料補給を止めることもできず、ただ傍観するだけの観客役の無能海兵共に未だに頼ろうとする判断力の無さ。結果、くまのビームに阻まれるオチ。
- 虫ケラを握りつぶすには握力が足りなかったのか、「ミシミシ…!!」と力を込めていたのに、なぜか手放して串刺しに切り替え(くまが助けに入る絶好の)アシストを披露する無能ムーブの極致。
- お父さんが来た途端に能力を解いて幼児化し、「ええええん」と泣き喚くボニー。
私の中で「ワンピース」は「史上最も好きな漫画」であり、まだ「前半の海」での評価の貯金が残っているからです。
ワンピースが大好きだったからこそ、この先改善されることを(いつまでも)期待して読み続けてしまっているわけです。その期待や熱量がゼロになったら読まなくなると思います。
実際「エッグヘッド編」以降、つまらなさが許容量を超えてきており、熱量は急速に冷めてきています。コミックスも104巻からついに購入をやめました。
ジャンプは購読して読み続けていますが、これもお金の無駄だと感じるようになったら卒業するかもしれません。
ニーズがあるからです。
上記の通り、最初は「史上最も好きな漫画」であったことから、(この先つまらないワンピースとして残りのエピソードが削られていくことに耐えられず)改善されることを願って批判をしてきましたが、もはや作品は崩壊し切ってしまったため、今は改善を期待しているわけではありません。
ただ、ワンピースという作品は、日本一売れている漫画だからこそ、熱量の高い(高かった)読者も多く、私と同様に「つまらなくなってしまった」と感じ、それを無念に思い、不満や釈然としない気持ちを抱えている読者の数も多いのです。
そういう方達にとっては、自分の気持ちを代弁してくれる記事や、自分の本音の感想をコメントして、同様の感想を抱いている方達と共有できる場には一定の価値があり、そうしたニーズに応えることにもまた一定の価値があると思っているため、運営を継続しています。
ニーズがあるからです。
ブログのようにテキスト情報だけ(それも超長文)だと、文章を読み慣れていない人にはハードルが高かったり、読む気にならなかったりする(実際、そのような声やリクエストがあった)ため、記事を動画化してYouTubeに投稿することにしました。
もっと批判や誹謗中傷コメントで溢れるかと思っていましたが、(ブログ読者の方に限らず、新規の方でも)共感し、更新を楽しみにしてくださっている方が相当数いて、ここにもニーズがあることがわかったため、運営を継続しています。
余計なお世話としか言いようがありません。
自分の人生の時間の使い方は自分で決めます。
あなたこそ、見ず知らずの他人の人生に意見するような無駄な行為に時間を使うのはやめたほうがいいのではないでしょうか?
他人の人生に口を出す前に、どうぞ自分の人生の心配をしてください。
論理が破綻しており、全く筋違いな言い分です。
プロの作家が商業作品として世に販売している時点で、それを購入した側が評価したり、感想を述べたりするのは当然に許された権利です。
私は読者(消費者)であって、漫画家ではありません。漫画を描きたいわけではなく、面白い漫画を読みたいからお金を払って購入している立場であり、購入した作品の内容に不満があるから、批判的な感想を述べているわけです。
あなたはお金を払って観に行った映画が酷い仕上がりでも、「自分に映画は作れないから文句は言えない」と考えて口をつぐむタイプですか?
購入したゲームがクソゲーでも、「自分では作れないから文句を言う資格はない」と考えるタイプですか?
お金を払って観に行った音楽ライブで、アーティストが音を外したり声が出てなかったり歌詞を間違えまくったりして全く感動できないパフォーマンスを披露しても、「自分のほうが歌が下手だから批判すべきじゃない」と思うのでしょうか?
飲食店でマズい料理を出されても、「自分で作れないんだから(店を開いてないんだから)文句を言う権利はない」とか、「文句を言えるように、まずは自分で作れるようになろう(店を出せるようになろう)」と思うのでしょうか?
市場に商品として投下されている時点で、それを購入した消費者からの評価は避けられません。作り手はそれを分かった上で、自らの意志で作り手側(買い手から評価される立場)を選んでいるのです。
一方の消費者は、自分ではできないからこそお金を払って人に任せているのであり、そこで期待したクオリティに達していなかった場合に、低評価を下したり、批判したりするのは当然に許された権利です。
「購入した商品について批判するためには、自分がその商品以上のクオリティのものを作れなければならない(文句を言うなら自分で作れ)」なんてあまりにも本末転倒で筋違いな暴論です。
頭の悪い人だとバレてしまうので、金輪際そうしたコメントはしない方がいいですよ。
尚、私がこのブログで批判しているのは、基本的に尾田先生(漫画家)ではなく、担当編集者です。編集者視点で、「なぜこの部分を直さないのか」「なぜこの内容でOKを出してしまうのか」という批判をしているのです。
その意味でも「文句言うなら、自分で描いてみては?」という主張は的外れですが、もし「文句言うならお前が編集者をしてみろ」と言われ、実際に依頼をしていただけるのであれば、私は喜んでお受けします。
そして、私が編集者になった後のワンピースがつまらなければ、当然批判も受けとめます。
その覚悟を持って(編集者を)批判していることをご理解いただければと思います。
心配しています。
このブログでは、基本的に尾田先生ではなく、担当編集者を批判するスタンスをとっており、尾田先生の健康や多忙を心配するコメントを過去に何度もしています。
なんなら長期休載に入ることや、連載ペースを落とすことを推奨している立場であり、そうした対応をせずに原作以外の仕事を次から次へと振りまくって尾田先生に負担をかけ、作品の劣化を放置し続ける編集者を批判しているのです。
なぜなら、1人の人間が週刊連載で何十年も面白い作品を(世間とのズレを生む事なく)描き続けることなど、そもそも不可能だからです。肉体的に困難なのはもちろん、作者1人の感覚で何百万人という読者の感覚とズレることなく、質の高い作品を描き続けることなどできるはずがないのです。
そのズレを正すのが編集者の役割であり、作品の質を維持するためには編集者の客観的視点が不可欠だというのに、全く機能していないことが露骨に作品に出てしまっており、にもかかわらず原作以外の大量の仕事を振って尾田先生からネームや作画の時間を奪い続け、作品の劣化に歯止めがきかない状況を進行させているため、その点を指摘して批判をしているわけです。
尾田先生の健康面の心配はしていますし、「作品への批判」と「健康面への心配」は両立するものです。
思いません。
「少年漫画」だから大人の観賞に耐え得るクオリティになっていなくて当然(あるいはそれでも問題ない)という考え方は、「少年」の読解力や感性を「(自称)大人」の勝手な思い込みと偏見で侮り、間接的に「少年漫画」を見下していることと変わりません。レッテルに囚われた思考停止人間の典型です。
少年を侮り、少年漫画を見下し、少年漫画のファンとして感想を述べ合う大人達を「異常」だと言ってのける人間のほうが、よっぽど異常だと私は思います。
読者アンケートの順位は相対的なものなので、「1位のままだからワンピースは劣化していない」という論理は成り立ちません。
ワンピースがどれだけつまらなくなっても、他の作品が抱えているファン数がワンピースよりも少なければ、ワンピースは永遠に1位のままです。「アンケート回答するファンの数=作品の絶対的な面白さ」ではありません。
ワンピースは「前半の海」で蓄積した熱狂的ファンがあまりにも多いので、ジャンプのアンケート回答においては、今度もほとんど1位をとり続けるでしょう。
私の中で「信者」の定義は、「何を描かれても無条件に絶賛し、全て肯定的に解釈して作者を持ち上げる読者」を指しています。
そのため「つまらない部分やおかしいと思う部分は多少あれど、普通に面白いし楽しめている」とか、「前半の海よりも面白さが失われたとは思うけど、新世界編も総じて楽しめている」といった読者は、私の言う「信者」には含まれません。
作者にとって有害かどうかは作者が決めることですので、本人に聞いてみてください。
ただ「つまらない」「くだらない」「ゴミ」「読む価値がない」「お金の無駄」「オワコン」「資源の無駄」といった捨て台詞で、作品を貶めるだけの(ほとんど誹謗中傷でしかない)批判は「有害」だと思いますが、きちんと作品を読み込んだ上で、「なぜつまらないのか」「何が問題なのか」を考え、「どうすれば改善されるのか」まで提示した上で行う「論理的な批判」は、(作者個人は求めていないにせよ)私は「有害」とは思いません。
というより、そうした批判を行う権利は誰にでもあるので、それが有害かどうか議論すること自体がナンセンスです。
それこそ「嫌なら読まなければいい」のです。
煽り体制が低いのは事実ですが、勘違いコメントや難癖コメントを放置すると、それを見た方に誤解を与えたり、場が荒れたりしやすく、早々に対処しておく必要があるため、説明なり反論なりをしています。
えてしてそういうコメントをする人ほど、放置するとそれを「肯定」と見做して、さらに誤解を強めて暴走しやすい傾向にあるからです。
たとえば「煽りコメントにだけ返信してねェw 効いてる効いてるww」とか「図星だから反論できねェんだw」とか「何も言い返せないから逃げやがったww 悔しかったら反論してみろやww」のような言い分です。(そうなると対処にさらに時間がかかるので、早めに処理しています)
また、私への直接的な質問系のコメントやうれしいお言葉にも、できるだけ早めに答えるようにしています。
記事への感想や建設的なコメントについては、読者さん同士でコメントやリアクションをしていただけているので、慌てて私がコメントせずにおまかせしている部分もあります。私がコメントするとそこでやりとりが終わってしまい、読者さん同士の会話が生まれづらくなったりもするので。
色々状況を観察しながら、よいコメント欄になるよう運営していきたいと思っています。
そもそもサターン聖がいきなりべらべらとやらかしたことを白状しだすのが納得いかない
読者にヘイトを向けさせるために言わせたとしか思えないし、そんな重要なことなら普通どこかのシーンに入れるよねという話。なんかサターン聖が可愛そうな奴に思えた。
ボニーはメンタリティがまだ幼子だからと思えばまあ…え?もう12歳?それはそう
んーなんだろう
管理人さんの理詰めが的確だから
いかに破綻しているのか分かってしまう
特にルフィに食事与えたのは誰だという
シーン、またアニメで補足のシーン書かれそう
前に59巻SBSでルフィがゴムゴム(5656)チョッパーがヒトヒト(110110)、ロビンがハナハナ(8787)、ブルックがヨミヨミ(4343)でニキュニキュの実(2929)を食べたバーソロミュー・くまが仲間になるかという質問に尾田先生が驚いていたので、これはくまが仲間になるということを意味していると思います。
麦わらの一味は悲惨な過去を持つ人が多いのでくまの過去が悲惨に描かれていたのもくまが仲間になるからではないでしょうか。それでくまをヒーローのように描いているのだと思います。
なべおつさんやコメント欄の方が再三にわたり指摘している『感情の簡略化』について、持論ですが書きます。
まず、この現象の背景には「1コマに台詞と絵を詰め込んでいる問題」があると思いました。
絵を小さくするせいで表情をしっかり描けず、感情の表現を台詞のフォントや吹き出し内の『怒りマーク💢』『汗(焦り)マーク💦』に頼ってしまう。
会話をそのコマに収めたいがあまり、感情が変遷していく流れが不必要にスピードアップし、結果的に「感情移入しづらい」というのもあると思います。もちろん、キャラに共感できない根本的な理由はストーリーそのものにありますが…。
前半の海を見れば分かりますが、キャラが激昂して叫ぶようなコマは
1コマにキャラの顔をアップにしているので、
陰影や血管の浮き出る様、見開いた目を丁寧に描き込めます。💢マークは必要ありません。
額や頬に汗を流せば、💦も必要ありません。
要らないんですよ。LINEみたいに質素で冷たく見える文字列に感情を足すのとは訳が違う。
本来は全部描けるはずのものなんですよ。
あとは言葉選びですが、この前の「海賊王に俺はなるTV」で、ネーム段階から全く修正されていない事が明らかになりましたね。これも相当深刻な問題ですが、なべおつさんが記事等で指摘なさると思うので、自分は感情面の言及に留めます。
ルフィ、ゾロ、サンジがそれぞれ行動不能でその他のキャラは最早モブも同然の扱いしてまで、くまにヒーローのような登場をさせる意味はあるのだろうかと思った。
これでは完全に麦わらの一味は自分たちの力では五老星相手には何も出来ない雑魚集団のように写ってしまっているし、くまの引き立て役でしかなくなっている。エッグヘッドではずっとボニーとくまの話をメインでやられてるわけだし、いよいよ主人公が誰なのか分からないような漫画になってきていると感じた。
とりあえず絵柄に関してはら老化や病気でもう直らないと思うので別に良い
ストーリーは最終章だけど畳むつもりがあるのか無いのか分からないので何も言えない
ただキャラの台詞、日本語は今すぐにでも直せるし構図もどうとでもなるから、
・誰が誰に話しているのかを明確にする
ただ文頭や文末に相手の名前を付ければ良いわけではない。小説ではないので。
目線や体の向きを考えて、1コマに入れる人数を絞ること
・説明台詞は描けない部分を伝える最後の手段
複雑なアクションは分かりやすく描けなければ挑戦すべきでない。位置関係、力の働き方が直感的に伝わるようにする、それでも情報を付け足したい場合のみ簡潔に説明させる。
・辞書を引く。正しい言葉を選ぶ
読者は常に次のページへと漫画を読み進めたいものであり、違和感はスムーズな読書の妨げとなる。文章が支離滅裂だと、内容を正しく把握出来ないというストレスがかかる。人によっては何度も理解するために読み返し、その読み進められない時間が苦痛になるので特に気を付ける。
漫画を描くうえで、素人が幾万回も指摘される項目。ワンピースは本当に読みにくいのでここら辺の基本は何とかしてくれ。
後付け自体は良いんですよ、それが説得力のあるものか否かだと思います。
否定的な人は皆、そこがグダグダだから憤っているんですよね。
扉絵や表紙での不確定な匂わせよりも、ニカなどが受け入れられるだけの描写をそれまでにキッチリと描いてくれていたら何も思わないんです…。
これを今のファンに言うと、揚げ足取りとか細かいとか読むの向いてないとか言われますが、ストーリーに違和感を抱く自分にとっては「そこに何も思わないなんて、普段どんな読み方してるんだ」と思わずにいられません。
【有名 無実】
ゆうめい-むじつ
名ばかりが立派で、それに見合う実質が伴わないさま。
今のワンピースは正にこれ。
今までは、ストーリーを語る中で一味の自由が保証されている時にギャグや幕間があった。
つまりそうした描写はメインストーリーの二の次であり、テストの問題用紙に落書きをしているような感じだった。
「必要なもの」を描いた隙間に収まっていた。
これは【有名】に足る部分。
しかし今はそのバランスが崩壊している。
毒にも薬にもならないその場かぎりの「不必要」な描写(モブの反応や記号化したキャラの行動)があまりに多い。それなのに
「これからがワンピース」「全伏線回収開始」と宣伝してしまっている。これは、そんなことでもしなければ新しい読者を得られず、もう取り戻せないと言ってるようなものではないか。これこそ【無実】。
今までのつぶさに語らずとも、ありありと伝わってきたストーリーやキャラ達の生き様のように勝負してほしい。最終章なのだから、小手先じゃなく史上最高のクオリティで読者へとぶつけるべきだろう。好きだった物語が、ただの有名無実で長いだけの漫画になることが一番怖い。
意外性を狙いすぎて失敗した作品を多く見てきたけど、今のワンピースもマジでそんな感じ。前後の整合性も無視して考察者への逆張り意識しすぎてどえらいことになってるぞ
ワンピースとナルトは売り上げや人気はワンピースの方が上だけど、構成力や伏線の回収、内容の濃さはナルトの方が上だと思う。また、キャラクターも一貫性があるキャラクターが多く、ぶれていないです。
黄猿や戦桃丸のような、過去編での脇役たちが現時点で何を考えているのか全く分かりません。
海軍としての正義を持っていても社畜の自分は「共に踊り明かした友人」を倒さねばならない…という悲哀はないんですかね?
結局そんな心情を吐露する描写があるどころか「おてやわらかにィ~」でニカと戦って負け、そこら辺に倒れている。
自我を失った友人の姿をした、おびただしい数の兵器の指揮を任される心境はいかにと思いきや、ルッチに倒されて思いをひとつもこぼさずボロボロにされて「まさかりィィ~!!!」と心配される。
何を考えて戦うのか、その本心は何なのか。
これって滅茶苦茶大事だと思うんですが、ちゃんと描かれるんでしょうか。
全く期待出来ません。
別の漫画ですが、ナルトでイタチが木の葉の里を守るために里の二重スパイになり一族を皆殺しにしたという話がありましたが、こちらはイタチの行動に一貫性があったので感情移入できました。
しかし、くまの行動には一貫性がないのでこちらは感情移入できませんでした。くまの優しさは伝わってきましたが。
くまとは関係ないですが穴があるというか突っ込みどころ満載の設定で思い出したのが、ドレスローザでシュガーが気絶したら能力が解けるという設定です。ウソップの驚いた顔を見たくらいで二度も気絶するくらいだからシュガーが気絶したときのことを考えていなかったのでしょうか?
まあ、気を失うほど気絶するというのは滅多にないですが、シュガーが気絶したらおしまいなのだからシュガー1人の能力に頼るというのは悪のカリスマとしてはどうなのかと思います。
ソルベ王国の図鑑ジジイは食べ残した実の形状とか模様のヒントなしに、発現した能力だけでトシトシって確定させてたのか……チートじいさんだなw
「いかなる未来にも変身できるが 現実を知る度に選べる未来が狭くなっていく」能力の意味につき、俺は、
子どもの頃の夢や可能性は無限大ですが、大人になるにつれ、それらは現実を知ることにより狭くまっていく
ことが能力には反映される
という意味で原作のセリフを理解しました。
そういう意味では名台詞だと思います
が、見せ方が悪いです
この様なセリフに、読者に対してきちんと意味を持たせようとするならページめくりの大ゴマでやるのが通例です。
しかしながら、今のワンピースは何が大事なのかを読者に伝える為の画面構成になんのメリハリもない為、本来なら読んでいて鳥肌が立つ様なシーンやセリフもきちんと読者に拾ってもらえなくなっています。
本当にもったいないことです。
というか、くまが記憶を弾き出して保存した理由ってそもそも何だっけ?
ベガパンクもあれだけ拒否してたのに見られてるし「見たのか…」で済ませてるしよく分からん。残してた意味あるの?
自我が消えた後でも「くまの人生が悲惨だった事実」を現代に伝えられるように、都合よく配置されてたようにしか見えん。
しかも記憶を見たはずのボニーが、なぜか父にとって重要だったルフィを全く気にかけてないし。マジで今回のラストありきの無駄なシーンしかない。
チンタラ喋りながら都合良く攻撃方法を変えるサターン。
倒れたルフィの周りに都合良く飯が現れる。
都合良くくまが飛んでくる。
すごいな。納得いくところが1つもないや!!
くまの行動ってわかってるのは読者だけで麦わらの一味からしたらまじで意味わからんのよな
スリラーバークでルフィの首取りに来たと思ったらゾロに試練与えたら消えてシャボンディに現れたら全員吹き飛ばして二年後何故かサニー号を守ってる
謎すぎるでしょ なんかロビンがくまの話出てるときに意味ありげに心のなかでくまとか呟いてるシーンあったけど実際は革命軍で絡みはなく自我も既に失ってる時期な訳で絶対当時は違う展開を想定してたんじゃないかと思うんだよな
名作と言われるアラバスタ編もよく考えればおかしい点があります。ビビと麦わらの一味が戦争を止めようと反乱軍を説得しようとしているのに、ルフィが「反乱軍を説得してもクロコダイルは止まらない、自分たちは海賊だからいない方がいい」と言う理由でクロコダイルをぶっ飛ばしたいと言いますが、確かにクロコダイルを倒せれば解決するかもしれませんが、倒せなかった場合のことを全く考えていません。七武海のレベルを味わっているゾロでさえ反論もしていません。その結果ルフィはクロコダイルに捕まり、バロックワークスの裏工作のせいもありますが、国王軍と反乱軍の衝突は実際に起きたわけですから結果としてはルフィの判断は間違っていたと言わざるを得ません。
また、反乱軍を説得する際に海賊だからいない方がいいという理由もそもそも海賊と名乗らなければいいだけで、あの場合はクロコダイルをぶっ飛ばすよりも普通に反乱軍を説得すれば国王軍と反乱軍の衝突は避けられたかもしれないです。バロックワークスの裏工作があるから実際に説得しただけで避けられたかはわかりませんが、クロコダイルをぶっ飛ばすのは反乱軍を説得してからの方が物語の整合性は取れます。
尾田さんは整合性より物語をどう面白くするかばかり考えているから辻褄が合わなかったり展開が強引だったりストーリーが破綻したりしているのです。つまり初期の頃からその兆しはあったということです。
今のワンピースがジャンプの新人賞に応募されたら、おそらく以下の様な評価となるでしょう。
ア コマ割が見づらい
イ 画面にメリハリがない
ウ セリフで説明し過ぎ。絵で表現する様に
エ 無駄なセリフが多い
オ 話を一話に詰め込み過ぎ
カ 登場人物が多すぎる
キ 誰が主人公かわからない
ク キャラクターが記号でしかない。つまり、活きたキャラクターではない
ケ 今、誰がどこで何をしているのかが伝わらない
コ 話の起承転結がメチャクチャ
【総評】
次回作に期待します。
内容以前に、あの飯食ってるルフィがキモすぎた。
虫みたい。
今回の回は普通に面白いと思いますけどね
あなた何でも否定しますね
そういうのやめた方がいいですよ
ネガティブな気持ちになっていくんで
考察材料やコミュニケーションの話題になる、
キャラ描写や世界の謎などの「情報」か
丁寧なストーリー、テーマの明確な「物語」か
どちらを優先するかは勿論自由なんだけど、
キャラ描写や謎って一過性のものだと思う。
逆に物語として見た時の高評価ってずっと続くし、その土台があればキャラはもっと輝く。
だからビビとの別れは色褪せないし、クロコは名悪役で、アラバスタは名作なんじゃないのかと思う。
最近なんか、名前と見た目だけが判明して以後全くストーリーに関わらない準モブみたいのが多すぎる。必要性が示されていないのよ。
そのキャラや要素が必要でなくちゃならない。例えば空島では物語を運ぶために必要だから、三つ巴になった。神兵長のヤマでさえ、加入時点でミステリアスだったロビンの「性格」を見せるために必要だから描かれた。
無駄を極限まで削ぎ落とせとは言わない。日常のクルー達の会話も魅力だったからね。
ただ今は無駄と必要の天秤が逆に振れており、ノイズが多すぎて没入出来ない。
1話完結のミステリーならまだしも、続きモノとして世界を描いているのだから必要なのは「物語」の方じゃないかと。
それを丁寧に描いてきたからこそワンピースは素晴らしいブランドになったのに、なぜそこが揺らいだのか気になって仕方ない。
編集はもとより、作者や出版社は見返したりしないのだろうか。昔のエピソードはつまらないって思ってるんだろうか。
いや、でもそれなら初期リメイクなんてやらないだろうしなぁ。一番分からないのは名作の基準が既にあり、初期にそれを描いてきて実写化やアニメ化を慣行しているにもかかわらず、今の本誌が酷いこと。本当にこれが分からない。
四皇も五老星も描けば描くほど小物感がすごい
サターン聖なんて胸糞にもならん
尾田さん漫画下手になりすぎ…
自分が描きたいシーン(いわゆる感動シーン)を一番最初に描いて、そこに至るまでのシーンは後から適当に描いてるのかと邪推するくらいには粗がある。
記事の中にあるように、「作者都合で全キャラを「バカ」化」させてるのが個人的には一番痛くて、ここまで徹底してキャラクターを作者の駒にしてしまうと泣ける泣けない以前に感情移入の余地すらなくなってしまう。
私は文字通りの「読者」なので、大きな矛盾であったり、整合性や一貫性のなさというものはかなり気にするタチなのだが、もうそういう人向けには描いてないんだろうなとしか言えない。
みんな金縛りの術みたいなのにかかってるのになんでルフィ動けるの? なんで地面にピザとか骨付き肉とかサンドウィッチとか落ちてんの?
気になって全然話入ってこなかった。
ふと思った。くまの行動にイマイチ感動出来ないのは、これまでのあらすじをしっかり読んで、筋が通っていない事がわかっているからだ。
なら、今回のシーンで感動するにはどうしたらいいか。これまでのあらすじを適当に読むor読んだ内容を片っ端から忘れればいい。
ワンピースへの興が無くなり、適当にしか把握しておらず、もはやワンピースに質なんて求めない自分がチラッと読んだら素直に「お、感動のシーンじゃん」ってなった。くまの経緯なんてどうでもいい認識でいたから感じられた事。
ワンピースへの愛が完全に失せてから、最近のワンピースが読みやすくなったのは皮肉でしかない。まあ購読はしないし、たまに暇つぶしでしか内容も確認しないが。
これで後付け祭りの役者が全員揃ったので、
次回は
「モンキーDルフィがニカだ」「え~~!?」
みたいな具合にルフィ=ニカという図式を完成させると思いますね。
ほんと、スリラーバークでもシャボンティでも出なかった「神」の要素を既成事実にするため躍起になっているようにしか見えない。
不必要なギャグを取り除いて、お得意の伏線とやらを最初からしっかり散りばめておけば、もう完結してそうなもんですがね。
あと伏線てのは後のために考えられた意味深な描写の事であって、どうとでもなるくまの白紙の過去にぶちこむ事では無い。熱心な読者の方々にも気付いてもらいたいものです。
中身と評価が伴っていないのが何よりも腹立たしい。読者に振り回されすぎておかしくなってませんかね。
ピンチに助けに来るというのは凄く盛り上がる王道の展開なのに…。魅力的だったキャラクター達は血が通ってないただ物語を進めるだけの駒だし、物語は作者の書きたい事を書いてるだけだからごちゃごちゃ。整理も推敲もしてない。これじゃ盛り上がらないよ。
シャボンディでレイリーが黄猿を止めた時はめちゃくちゃ興奮したけどな。
同じ作者とは思えないぐらい。
ドカ食い復活しているルフィ、しわしわの顔に左右の頬が膨れてて完全にキ◯タマですね…
飲食で回復できるならすぐ何回でもなれますし、匙加減で突破できないような絶対ルールを設けたほうが面白い筈なんですが。
短いエッグヘッド編において3回もギア5になるのは多すぎるしルッチの分は要らなかったでしょうと言いたかった所ですが、実質永続できる事が判明しました。つまりこれからは回復中に守ってくれる味方がいる場合には戦闘開始と共に携帯食を装備してギア5になってないほうがおかしいという事になります。変身してもふざけているし、変身しなくても真面目にやっていない(相手を舐めている、仲間を守る気がない)ことになってしまうんですかね。
海兵も、准将以上のはずがモブ海兵と変わらない描写。ルフィに海楼石を付けていないというのは単によくある主人公に都合のいいという範囲では済まないような気がします。邪魔のない状況で倒れてる四皇を然るべき手段で拘束していない指揮官クラスの人々とは…
そしてすぐに消したい、何をしでかすか分からない800年来の宿敵を放置して虫けらにいつまでも話しかける科学防衛神もとい昆虫学者サターン…
その内容も物語序盤から温めておいた世界を統治する敵とは思えないほどの、私はこんなに悪ですよほら皆さん憎いでしょうという教科書通りなセリフ。
ベラベラ喋ってて一向に殺さないと思いきや、突如両隣の海兵がレーザーでやられるという本来動揺する場面においてはものすごい早さでボニー殺害を決行するというギャップに笑ってしまいました。
今回の見た目といい過去編といいニカがあらゆる面で邪魔にしかなってないんだよな
ジョイボーイが帰ってきた!のところとギア5の見た目自体は良かったのになんであんな戦闘方法にしたんだろ
ニカが無かった世界線のワンピースが読みたいなぁ
シリアスなところで吹き出しに怒りマーク書くの本当にやめて欲しい…
今回はベガパンクのセリフだけど、あの状況でベガパンクが激怒してる事なんて誰でも読み取れるのに怒りマークを付けてギャグみたいにするの、漫画の質を下げまくってるし、読者を舐めすぎてるとしか。
なんで編集はこんなことも訂正出来ないんだ…
ボニーの年齢設定はいつ固まったのでしょうかね。トシトシの実であることは当初からの設定で
ボニーの見た目と実年齢が異なることにはできるようにしていたとは思います。しかし、シャボンディ諸島で、ボニーがゾロの行動を止めたのが、10歳の子供の行動には、思えないのですよね。
口紅の塗り方が子供の伏線という声でなるほどとなりかけましたが、ココロばあさんもあの口紅。
2年前(10歳)の行動は、大人の行動に見え、現在(12歳)は子供の言動に思えます。年齢の設定はやはり後付けなのでしょうか。
ホールケーキ編のでサンジがアホムーブかましたのと似てますね
くまの行動に一貫性がなくてどう感情移入すればいいのか全くわからん。
ここまでストーリーやキャラに軸がないのは長く引っ張り過ぎたせいというかその間に設定がコロコロ変わってしまったんだろうなあ。
今回の過去編では後付けに失敗なのが明確でボニー(最悪の世代自体が急遽デザイン&追加された存在)を娘設定にしたりニカを無理矢理混ぜることで辻褄合わせようとやってるうちにどんどんおかしくなったんだと思う。
こんな雑なもの見せられるくらいならくまはスリラー編の得体の知れない存在だった時の方が魅力的だし元革命軍くらいの設定でただの暴君キャラという方がずっとマシだったよ。
なべおつさん、エッグヘッド編を読み返したりしていますでしょうか?
「カイドウを倒す」という消化ゴールが分かりきってるのに一生停滞と迷走と閉塞を繰り返していたワノ国が史上最低編で、エッグヘッドはそれに比べればまだ本筋に関わる動きや新しい要素や進捗が見られるのでどう足掻いてもワノ国を下回ることはあり得ない。と思っていたのですが、今改めて読み返そうとすると自分でも信じられないほど止まってしまい読み進められないのです。
単純に構成とセリフがワノ国より更に悪化してしまっていて読み物として難しいものになっているという印象です。
結構ショックだったのでなべおつさんはどうかと思いコメントさせて頂きました。
もう誰がいつ、どこにでも助けに来れる何でもアリ展開やめようよ…。ルフィが動けない時に限ってワノ国ではシャンクス、今回はくま。
サターンに自分の悪事を細かに説明させて「コイツは最低の悪者ですよ~」するのもダサい。
実は黒幕でした、じゃなくてくまの過去編の時にもっと絵で描けよっていう。
案の定、展開に必要なキャラ以外は棒立ちだしルフィはヨボヨボで飯要求してるし。
今、世界のトップが自分達を抹殺しに来てんだから少しは真剣になれよ。
何でもアリのご都合主義、キャラのアホ化、展開のためにボニーがいきなり泣き崩れ「えーん、えーん」して、パパ登場。
ロクな心情描写出来てないのに、泣かせようとする魂胆が透けて見える。読者が馬鹿にされてるように感じるわ。
すみません。これまではなべおつさんがもったいないと評価していたものは確かにと納得していたのですが、今回はもったいないという評価すらもったいないと、脳内でコビーが叫んでしまいましたw
もうやめましょうよ!
これ以上ニカと無駄なセリフ!
キャラクターたちが…、まるで、馬鹿でしかないじゃないですか!!!
とまあ、そんな冗談が出てくるほどに酷いとしか言えませんでした。
ご指摘にもあった通りですが、
①ギア4の代償で動けない姿がヨボヨボでキモい
②食糧どっから出てきた?
→その前に海兵は数十億の首が無抵抗で転がってるんだからさっさと捕まえておけよ
③無能星のセリフ回し
④ボニーのいちいちお涙頂戴と反応とか思考の酷さ
⑤指摘にもありましたが、実験の素体なんで放り出したん?
→というか、この設定出したならなんでCPの監視にその要素入れなかったの?そこらへんで描写できてたならワンチャンリカバーできたのに
⑥クマの行動
→グランドライン、新世界の行き来もそうだし、そもそもなんでエッグヘッドにおんねんw
いろいろもう話が成立してなくて過去最悪を更新し続ける漫画と化してる気がします。
個人的にはモモノスケ=ボニーくらい不快なキャラになりつつありますね
くまの行動の意味のわからなさは過去回想でずっと感じていたのですが、今回はボニーの行動について納得がいかないというか、すっと入って来ないのですが……。
悪いのは全部こいつだ!殺されるくらいならお前を…!で始まったのに、サターン聖が自らの所業の補強をする説明をしただけで、復讐心から怖くてもう無理死んだ方がマシ…と心情が変化するのがイマイチ納得できません。
復讐心を強めるけれど歯が立たずギリギリでくまが助けに来る…みたいな描写の方が説得力ありませんか?
追加のもっと心が折れそうな情報がサターン聖から告げられたなら分かるのですが、そもそもボニーは既にくまの凄惨な過去を見ているので、完全に心を折られる描写を入れるにしては、病気はサターン聖による実験のせいだった…は少し弱く感じるのですが……
ネックレスのマークは空島や侍コスインペル組にワノ国とちょこちょこ出てきてて九曜が元ネタっぽいですね。だからという話ではありますが…
今回のカラー扉絵で、ブルックの頬にまでピンクが塗られてることに初めて気付いて驚きました
これツッコミ待ちなんでしょうか……?
ソシャゲの方でもまだキッドローやヤマト推してるし作者も公式も一味描くのは正直飽きてそう
エッグヘッド編のメディアミックスもくまやボニーをガッツリ売り出しそうだし
ボニーとくまの過去編だけで9話、エッグヘッド篇は43話で50話は超えるのはほぼ確定ですね…
人魚島で離脱し最終章ということで見返しましたが、史上最大の戦い、空白の100年、ラフテルや水星島エルバフマリージョアの話はあと何年かかるのやら…最終章と釘打つならもっと後でも良かったのでは?