1053話も、話のトピックとしては面白いと言えますが、ツッコミどころが多く、賛否両論巻き起こる1話となりました。
主なトピックとしては以下の5つでしょう。
- 3船長の懸賞金
- 手配書のルフィがギア5(ニカ)
- 緑牛のキャラクターについて
- プルトンの在処について
- 新四皇の顔ブレについて
以下、その他のツッコミどころも交えて、触れていこうと思います。
目次
1053話のもったいない点
五老星の「Dも外せ」というセリフ
今回も五老星は人並はずれた無能さを披露します。
目を通していない写真(手配書)が世に出てしまったことは仕方ないとしても、「“D”も外せと伝えた筈だ!!」がいりません。
これ、おそらくロジャーが海賊王になった後に「ゴールド・ロジャー」という通称を広めて、「D」を隠した動きと重ねた発言で、「ルフィもついにロジャークラスの要注意人物になったのか…!!」という読者のリアクションを期待してわざわざ入れたのだろうと思いますが、絶対にいらないセリフです。
なぜなら、これを言わせることで初期設定との矛盾や五老星の無能さを際立たせる効果しか生んでいないからです。
ロジャー処刑後の海賊達の手配書から全員「D」を抜くように徹底していたのであればまだしも、これまで「モンキー・D・ルフィ」として手配し続け、15億ベリーで「5番目の皇帝」となった時でさえ「D」を残していたというのに、今さら外して何の意味があるというのでしょうか。
むしろ急に外したほうが目立ってしまい、「世界政府はなぜ“D”を外したのか?」「“D”の意味とは何なんだ?」と世間が関心を抱くきっかけとなる可能性のほうが高いでしょう。
「5番目の皇帝」のタイミングでは外す必要はなかったけど、「四皇」まで上り詰めたとなれば、世間の注目度が桁違いになるから外さなければならない、ということでしょうか?
それなら先に四皇入りを果たした黒ひげの「D」も外しとけって話です。まぁ原作では、ロジャーの手配書も黒ひげの手配書も名前の部分が描かれておらず、「D」を含めたフルネームが書かれているかはわからないので、今後、もし黒ひげの手配書から「D」が外されていたことがわかったら、まだギリギリ許容しましょう。(五老星が無能であることは変わりませんが)
※ちなみにアニメでは黒ひげの手配書には「D」が記されていました。
もし黒ひげには「D」の名前が入ったままだとしたら、今回ルフィの「D」を外せと命じたのは、四皇クラスの海賊になったことが理由ではなく、ニカ(「ゴムゴムの実」の覚醒)だけが関係していることになります。
つまり「D」の名前そのものを世間から隠したいわけではなく、ニカの実を覚醒させたルフィだから「D」を外せと命じたということです。
しかし世間はニカのことなんて知らないわけで、手配書にニカの名が載ってるわけでも、「ゴムゴムの実」の本当の名前がバレたわけでもありません。なぜこのタイミングで、ルフィの「D」だけ抜く必要があるのでしょうか。
そんなことをしたら、ルフィだけが特別扱いされていることになり、より世間の注目を集める結果になることくらいわからないのでしょうか。
もしかしたら15億ベリーの手配書までは五老星は関わっておらず、四皇を堕としたこのタイミングで、ようやく危機感を覚えて手配書の作成に意見をした、ということなのかもしれません。
いずれにせよ、今更外したところで逆にその不自然さが際立ち、「D」に注目してくださいと言っているようなものになるので、その判断は「無能」としか言いようがない。
だから五老星のこの発言は、ファンや考察者たちに「ルフィもロジャー同様、“D”を隠される存在になったのか…!!」というリアクションをさせたいがために、過去の設定との整合性を考えずに安易に言わせたセリフにしか思えないわけです。
「ワノ国編」後半に入ってから、五老星の無能具合が際立ちすぎではないでしょうか。
もっというと、手配書に目が写ってない(顔がはっきりと写っていない)写真を採用するというのもありえません。何のための「手配書」なんでしょうか。
手配書の写真と全く姿形が異なる、デマロ・ブラックという偽物にも騙される世界線で、
トレードマークの麦わら帽子もなく、目が隠れた写真など採用したら世界中の人間を手配対象にしているようなものです。
これをルフィだと認識できるのは、ルフィの姿を見慣れている人だけでしょう。
つまりこれは「ルフィを捕まえるための手配書」ではなく、「ルフィを知っている人物へのブロマイド写真の提供」にしかなっていないということです。
もしかしたら、誰かの思惑によってあえてこの写真を使ったのかもしれませんが、それでも目が隠れている写真を「手配書」に採用するのは現実的にありえない。
ニカルフィの写真にするなら、ちゃんと目が写ってる写真を使えよ、目が写ってる写真がないのなら無理にニカの姿の写真を使うなよと思わずにいられません。
手配書ではなく、新聞記事にこの写真を載せるのであれば問題ありませんが、政府発行の手配書の写真で目が隠れていたら、手配書の意味を成さないでしょう。
もはや誰に向けた「手配書」なのか意味がわからない、設定崩壊だらけでリアリティ皆無の世界線となってしまいました。
こうしたツッコミを見越してからか、一応手の下から少しだけ目が見える絵になっているわけですが、いやいや、手配書の写真を撮ったはずの1044話のシーンでは目隠れてたやん。。
いずれにせよ、顔がはっきりと写っていない写真を手配書に採用することの意味を、尾田先生も編集者ももっと考えていただきたいものです。リアリティのない設定や展開ばかり描かれると、余計なツッコミばかり浮かんでしまって、感情移入が阻害されるんですよ。
「手配書」として利用するなら、こちらのシーンの写真を採用すべきだったと思いませんか。
CPの最後の通信の言葉
その後のモルガンズのセリフも、不自然すぎて意味がわかりません。
読者への「匂わせ」のためにセリフを決めようとするから、こういうおかしなセリフになるんです。
カギカッコで括られているところが「CP0の最後の言葉」なので、CP0が通信の最後に「ビッグ・マムの船だ!!」と叫んだということです。
おそらくCP0が政府の船で通信していたところ、ビッグ・マムの船が現れた(もしくは発見した)のでそう叫んだということでしょう。
うん。
…で?
だから何?
CP0が最後に「ビッグ・マムの船だ!!」と叫んだことと、ルフィの手配書や「情報操作」に何の関係があるのでしょうか?
モルガンズが文脈を無視してしゃべっているため、このセリフの意味が全く理解できません。
誰に向かって、何のためにこの「意味のわからないセリフ」を発しているのでしょうか?
はい、もちろん読者への「匂わせ」のためですね。
いい加減、匂わせのためだけにキャラクターに不自然な説明セリフを言わせるのをやめてほしい。。
匂わせたいなら、きちんとキャラクターの自然なセリフとして言わせてくださいよ。。
CP0のその後として考えられるのは、ビッグ・マム海賊団(の残党?)に襲われて殺されたか、脅されたかして、情報操作ができなくなった、ということでしょう。つまり(理由はわかりませんが)ビッグ・マム海賊団の介入によって、五老星の想定とは異なる手配書が世に出てしまったということです。
もしくは手配書とビッグ・マム海賊団の話は全く関係なく、単にビッグ・マムが生きていることか、ワノ国に来てなかったカタクリ等残りのメンバーが向かってきていることを匂わせたかっただけかもしれません。
いずれにせよ、このセリフだけでは何もわからない。文脈もおかしいし、意図も意味もわからない。
「匂わせ」のためにあえてわかりづらくしているのだと思いますが、セリフとしてあまりに不自然な上、何を表しているのか意味不明なため、完全に「匂わせ」のためだけのセリフを「言わせてる」だけとなります。
モルガンズは尾田先生にとって都合のいい、ただの「匂わせマシーン」と化してしまいました。
3人の船長が30億ベリーで横並び
四皇2人を陥とした3船長達は、懸賞金が一律30億ベリーとなりました。
この点は賛否両論あるでしょう。
普通に考えて、ビッグ・マムを2人がかりで倒したキッド&ローと、(一応最終的には)サシの戦いでカイドウを倒したルフィが同じ金額というのはおかしいと感じる人がほとんどだと思います。
ルフィには傘下の海賊が総勢約5,600人もいる上、ドラゴンの息子だったり、サボと義兄弟だったりと話題性も抜群で、そこに「ゴムゴムの実」の覚醒や「ニカ」の話ものっかってくるわけですから、明らかに3人の中では「政府に及ぼす危険度」が飛び抜けており、キッド・ローと同列に並べられるのはおかしい。
さらにいうと、このあと新四皇が明かされるのですが、同じ懸賞金額にしておいて、ルフィだけがそこに名を連ねているんです。
30億で横並びの評価のはずなのに、なぜかルフィだけ四皇入りを果たしている。
つまり一連の設定に整合性が取れているように思えないのが、賛否両論が巻き起こる理由と言えそうです。
しかしこの点は、以下のように考えれば一応の整合性が取れます。
五老星は「ニカ」の存在を世に知られないよう(ルフィの存在を目立たせすぎないよう)、3船長を同列に扱うことに決め、あえてルフィの懸賞金額を抑えて、以下のように指示をしていた。
- 3船長を横並びの30億にする
- 写真はこれまで通り
- 「D」を隠す
しかし誰かの介入ないし伝達ミスによって、その指示が伝わらなかった。
一方、「四皇」の顔ぶれというのは世界政府が決めているわけではなく、メディア(ここでは世界経済新聞)が決めていて、モルガンズは(どこからかの情報網で)ルフィがサシでカイドウを倒したことを知っているため、以下のような結果になった。
- 3船長の懸賞金は横並びの30億ベリー
- 写真はギア5(ニカ)の姿に
- 「D」もそのまま
- カイドウを倒したルフィは1人評価が抜きん出て「四皇」に
つまり、「3船長を横並びの30億ベリー」にしたことは五老星の思惑ですが、「ルフィの手配書がニカになったこと」「ルフィが“D”の名を残したまま“新四皇”として新聞に載ったこと」は他の人物の判断である、ということです。
まぁ尾田先生も、さすがにこうしたツッコミがくることはわかった上であえてこの金額にしたはずなので、今後、その意図がもっとわかりやすく描かれるはずです。
私としては、多くの読者と同様、ルフィにはキッド・ローよりも高い懸賞金額になって欲しかったという思いはあるものの、「五老星の作意によってあえて低く抑えられた」という体裁があるのであれば、この時点で横並びになることはまぁ納得できます。(その五老星の判断に意味があるのかというツッコミはあるにせよ)
少なくとも現時点では、安易にカイドウやビッグ・マム以上の懸賞金にしなかったことを支持したいと思います。
ジンベエ1人のシーンいる?
ジンベエが城内で一人ぼっちで宴を開くこのシーン、必要でしょうか?
今回の宴は、ジンベエの歓迎会も兼ねていたはずなのに、本人を放置して一味全員祭りに繰り出すってどんな神経してるのでしょうか…
ジンベエは大人で落ち着きがあるから、祭りが始まってもせっかくのおもてなしが無駄にならないよう会場に残り、ルフィたちは待ちきれずに子供のようにはしゃいで祭りに繰り出した、という「麦わらの一味」の面々の個性を描いたつもりかもしれませんが、全く効果的に描けていません。
ただただ歓迎会を忘れられて放置される哀れで可哀想なキャラクター、“麦わらの一味”のメンバーから大切にされていない、祭りよりも重要度が低くて存在を忘れられる程度の惨めなキャラにしか見えないからです。
一方、ルフィ含め麦わらの一味は全員、新たに入ったメンバーの歓迎会をすっ飛ばして放置する薄情者という印象になります。どちらにとってもネガティブイメージしか得られないシーンをなぜ描く必要があるのでしょうか。
もっというと、ルフィ達が宴会料理を待ちきれないのはまだわかりますが、配膳を指示したはずのモモの助や錦えもんもいないというのはどういうことでしょうか。
何がどうなってこの席にジンベエしかいない状況になったのか全く読み取れません。というか不自然すぎてあり得ないシーンです。
そもそも、ルフィが目を覚ましたその日に「宴をする」って言ってたのに、なぜ城で食事することになってるのかも意味不明です。
城内での食事が(モモの助が用意した)「宴」だったけど、外で祭りが行われていたから放置してそちらに駆けつけた、ということでしょうか?
「国をあげて宴をやる事にしておる!!」って言ってたんだから、どう考えても外の祭りのほうがモモの助が用意していた「宴」ですよね。
じゃあ城内の食事は何のために用意したのでしょうか。。祭りまでのつなぎとして用意したのに、祭りよりも開始が遅くなったということでしょうか?
いずれにせよ説明足らずで意味がわかりません。なんでこういう「普通に読むだけでは理解できない」ような無意味なシーンばかり描くのでしょうかね。。
編集者は読者からこのシーンについて質問されて、きちんと答えられる(理解した上でOKを出した)のでしょうか?
セリフの適当さがひどい
「今日は全部タダ!!」
「タダ〜〜〜」
「射的ー!!」
「金魚すくい」
「チョコバナナ〜〜〜!!」
「焼きそば─!! たこ焼き──!!」
「焼きイカ リンゴ飴〜〜〜!!」
「わたあめ〜〜〜!!」
「お祭り初めて!! 楽し〜!!」
もう酷すぎる…
これ本当にプロの漫画家が書いたセリフですか?
「セリフ」とは言えないただの単語の羅列で、伸ばし棒付きで叫ぶだけ。こだわりのかけらもない低レベルすぎるセリフチョイスです。お祭りでこんなセリフを吐く人間などこの世に絶対存在しません。
なぜもっと、心を持った人間が自分の口で吐くであろう自然なセリフにしてくれないのでしょうか。
またその後のブルックの演奏シーンも、
絵が潰れすぎていて全くブルックだと認識できません。
「おー!! ブルックやれー!!」という説明と、ブルック本人のセリフによってブルックであることを「説明」しているだけです。
もっとちゃんと「絵」でその場の状況を伝えてくださいよ。。
プルトンがワノ国にある設定はじめから?
もう一つ議論を呼ぶのが、プルトンがワノ国にあるというネタバラシでしょう。
アラバスタにあると言われていたプルトンが、本当はワノ国にあるということが明かされました。
ここで「アラバスタ編」での、プルトンに関する各キャラのセリフを振り返ってみましょう。
- クロコダイル
「“神”の名を持つ世界最悪の『古代兵器』!! この国のどこかに眠っているハズだ…」 - クロコダイル
「おれの目的は最初からそれさ そいつがあれば この地に最高の“軍事国家”を築く事ができる…!!!」 - ビビ
「兵器…!? そんなものが この国に…!!?」 - チャカ
「王位と共に継承される秘密か…」 - クロコダイル
「おれがこの地で王となりゃあ そこいらの海賊共を傘下につける事など容易い事だ…!! 勢力を増し いずれは政府をも凌ぐ力を得る…夢の様な国だ!!」 - コブラ
「そのありかは私にもわからんし この国のどこかにそんな物が実在するのかどうかすら定かではない」 - クロコダイル
「…成程 その可能性もあるとは思っていた 確かに…存在すら疑わしい代物であることはおれも承知だ」 - クロコダイル
「この国の歴史なんざ知ったこっちゃねェ!!! この土地に眠る 世界最悪の“軍事力”のありかをさっさと教えろ!!!」 - クロコダイル
「『プルトン』が実在することはコブラの反応でもわかってきた “歴史の本文”に頼らずとも自力で探すさ…この国が手に入りゃあ時間の問題だ…!!!」 - クロコダイル
「この正殿の崩壊と広場の大爆発で 邪魔者共は全て…一瞬にして消し飛ぶ!!! その瞬間からこの地は…おれの国となるのだ!!!」 - コブラ
「その石にはこの国の歴史など刻まれていない….!! お前達の欲しがる“兵器”の全てが記してあったハズだ…!! そのありかも…」 - コブラ
「クロコダイルにそれを教えていれば あの時点で国はあの男のものになっていた 違うか?」
以上のセリフからわかるのは、
- クロコダイルは、アラバスタにプルトンの情報が記された“歴史の本文(ポーネグリフ)”と、プルトンそのものがあると思っていた。だからアラバスタ王国ごと乗っ取る計画を考え、実行した。
- とはいえプルトンは「存在すら疑わしい代物」であり、実在するのかどうかも定かではないことは承知していた。
- ようやく“歴史の本文”にありつき、ロビンにそれを読ませたが、クロコダイルに情報を渡すつもりがなかったロビンは、そこにプルトンの情報は書かれていないと嘘をついた。
- コブラは、“歴史の本文”にプルトンのことが(そのありかも含め)書かれていることを知っていたため、ロビンが嘘をついた事に気づいた。
- コブラは、ロビンがポーネグリフの情報を正しくクロコダイルに伝えていれば、「その時点でアラバスタ王国はクロコダイルのものになっていたはずだ」と考えていた。
ということです。
ここに新たに明かされた事実、「アラバスタの“歴史の本文”には、プルトンはワノ国にあると記されていた」という設定が加わった場合、当時のやりとりとの整合性は取れるのでしょうか。
コブラは、“歴史の本文”にプルトンの情報がそのありかと共に記されていることは知っていた(その事実だけは代々受け継がれてきた)。
しかし“歴史の本文”を読めるわけではないので、そのありかが「ワノ国」であることは知らず、アラバスタにあるものだと思っていた。
だからその内容をクロコダイルに伝えれば、「その時点でアラバスタ王国はクロコダイルのものになっていたはずだ」と考えた。
一方、ロビンは“歴史の本文”を読み、プルトンはこの国にはない(ワノ国にある)ことを知ったが、クロコダイルに情報を渡すつもりはなかったので、適当に嘘をついた。
ロビン自身はプルトンや古代兵器には興味がなく、その場で死ぬつもりだったので、コブラとの会話の中でも、プルトンがアラバスタにはないことをわざわざ伝えなかった。
つまり、クロコダイルとコブラはプルトンはアラバスタにあるものと勘違いをしており、ロビンだけが“歴史の本文”を読んで真実を知ったが、それをクロコダイルにもコブラにも伝えなかったと考えれば、一応整合性の取れる説明も可能です。
そのため「アラバスタ編」の時からプルトンはワノ国にあるものとして描いていた可能性もゼロではありません。
しかしながら、さすがにその種明かしが遅すぎました。
アラバスタ編が描かれた2002年の時点では、コブラとクロコダイルのセリフから、プルトンはアラバスタにあるように思わせていた(その前提で描かれていた)というのに、「実はプルトンはアラバスタにはなく、ワノ国にあって、ロビンはそれを知っていた」と20年後に明かされても、ほとんどの読者は納得できないでしょう。
なぜなら、それだとクロコダイルは最初からウソ情報に踊らされて舞い上がった哀れでマヌケなただの阿呆だったことになってしまうからです。
あれだけ賢く周到で、緻密な戦略を立てる悪役キャラとして描かれていたクロコダイルが、実は最初に掴んだ情報から間違ってたなんて、彼の個性や魅力に泥をぶっかけるような展開です。
せっかくなので、嘘情報に踊らされ、間違った国を乗っとるべく4年もの歳月をかけて周到な計画を立ててきたクロコダイルさんのマヌケっぷりを、イラスト付きで振り返ってみましょう。
→眠ってない。
→できない。
→ならない。
→この土地に眠ってない。
→この国を自力で探しても一生見つからないし、時間の問題でもない。
→「この地」を「おれの国」にすることにこだわっているが、それを果たしたところでプルトンは手に入らない。
なんというマヌケっぷりでしょう。。
全部的外れで、可哀想なほどに一人勘違いしてカラ回っていたことがよくわかります。
プルトンはアラバスタにはない(カイドウが支配するワノ国にある)ということを知った上で「アラバスタ編」を読み直すと、クロコダイルがただの哀れなおっさんにしか見えなくなってしまうのだから酷いものです。
せめて当時、ロビンがコブラに対して「それに兵器はこの国にはない クロコダイルの侵略は最初から無意味だったのよ」とでも言わせておくか、コブラに「クロコダイルにそれを教えていれば あの時点で国はあの男のものになっていた 違うか?」というセリフを吐かせないでおけば、後付けではなく最初から決められていた筋書きだったと思えました。
しかしクロコダイルとコブラは「プルトンはアラバスタにあると思っていて、そうした発言を繰り返していたのに、真実を知るロビンは何も語らない」という描き方では、後付けでプルトンのある場所をワノ国に変更したと思われても仕方ないでしょう。
実際その可能性もゼロではなく、全読者がすっきりと納得できるようなネタバラシになっていません。
結局、アラバスタにあったのは“歴史の本文”だけで、肝心のプルトンが「ワノ国」にあるのなら、クロコダイルはアラバスタを乗っ取る意味などなかったわけですから。
また、それならロビンはわざわざ嘘をつく必要があったのかとも思ってしまいます。
最初から“兵器”に関する情報は何一つ与えるつもりはなかった、ということなのでしょうけど、ワノ国にプルトンがあると記されていたのであれば、ワノ国にも“歴史の本文”がある可能性は高く、歴史の真実を知りたいのであれば、ここで諦めずにワノ国までクロコダイルと手を組み続けたほうがいいという判断になりそうなものです。
「20年…探し続けてこれ以上の“歴史の本文”の情報はない ここが最後の希望だった」というのなら尚更です。
このセリフがあることからも、この時点でアラバスタの“歴史の本文”にワノ国のことが記されていた設定はなかった可能性が高い。つまり後付けで変更した可能性が高くなります。
またクロコダイルを倒した後のコブラとの会話で、
「もとよりクロコダイルに“兵器”を渡す気もなかった」と言わせてますが、プルトンがこの国にはないと知っていたのであれば、「“兵器”を渡す」なんて表現をするでしょうか。この国にはないんですよ?
「“兵器”の情報を渡す気もなかった」ならまだ整合性が取れますが、ワノ国にあることを教えたところで、すぐに兵器にありつけるわけでもないんですから、“兵器”を渡すことにはならないでしょう。
おそらく尾田先生は、読者のこうしたツッコミも想定した上で描いているはずですが、このネタバラシの背後は以下2つの可能性があると思っています。
- 最初からプルトンはワノ国にあるものとして描いていたが、想像よりも連載が長期化し、ネタバラシに20年もかかってしまったため、その間に新たな設定や描写が追加されて、読者の納得感が失われてしまうことは自覚している。(しかし最初からそのつもりだったんだから、当然その通りに描く)
- 後付けで変更を加えたので、アラバスタの時点の会話との整合性が取れなくなっているが、もはやそんな細かいことはどうでもいいと思っている。
私としては前者であると祈りたい一方、そうするとクロコダイルがマヌケにしか見えなくなり、完成度の高い名シリーズとして評価していた「アラバスタ編」が茶番だったことになってしまうので、受け入れ難いというのが正直なところです。
本当に最初からワノ国にあるものとして描いていたのであれば、少なくとも「プルトンはアラバスタにあるとは断定できない」と捉えられる仕掛けを描いておくべきでした。
以下のコブラのセリフに関しては、
「“兵器”の全てが記してあったハズだ…!!」「…そのありかも…」と非常に意味深に述べているため、このセリフだけで終わらせておけば、プルトンがアラバスタにはない可能性を示唆しているともとれるため、見事な伏線回収として受け入れられていたかもしれません。
しかし、その後の一言でその可能性は消えてなくなります。
「あの時点で国は あの男のものになっていた」と言わせてしまっては、コブラは「プルトンはアラバスタにある」と思っていることになってしまいます。
これで「実はワノ国にある」と言われると、コブラも勘違いしていた(“歴史の本文”の詳細は知らなかった)ことになるため、後付けで「ワノ国」に変更するために「コブラとクロコダイルが勘違いしていたことにした」可能性が残ってしまい、綺麗な伏線回収にはなりません。
このセリフを吐かせない、もしくは「クロコダイルにそれを教えたところで今のヤツには何もできなかっただろう…自分の命を危険にさらしてまで なぜ嘘をつく必要があった」といったセリフにしていれば、綺麗な伏線回収になったんですけどね。。
まぁ、その場合もクロコダイルが勘違いしてアラバスタ乗っ取り計画を立てたマヌケになることは変わらないし、コブラもそれを知っていながらクロコダイルに教えない(教えれば乗っ取りをやめてくれるかもしれないのに)という不自然な話になるので、いずれにせよ「綺麗な」伏線回収とは言えませんね…
考えれば考えるほど、後付けで変更を加えたとしか思えなくなってしまいます。
まだ「アラバスタでの事件」やプルトンの正体が明かされたわけではないので、アラバスタにも当時プルトンと呼べる何か(片割れなど)があった可能性もゼロではありません。
この後、きちんと整合性の取れる形でネタバラシしてくれることを願うばかりです。
ロビンが日本文化のこけしを切り捨てる
ちなみに、このシーンの前のロビンと飛徹のやりとりもひどいです。
こけしコレクションについて「可愛かろう」と共感を求めた飛徹に対し、「別に」と返すロビン。
頭が良くて文化的教養に富み、歴史に詳しいロビンが、日本(ここではワノ国)の文化である「こけし」を尊重せず、こんなにバッサリ切り捨てるなんて違和感しかありません。
もちろん「美少女コレクション」という要素に対してロビンが冷たく反応した、というギャグなんでしょうが、こけしに一切興味を示さず切り捨てるなんてロビンらしくない。
飛徹(というおっさんの)趣味に興味を示さないのはわかりますが、ワノ国の伝統文化であるこけし自体を下げるようなリアクションはさせるべきではないでしょう。
ロビンの「個性」の描き方が雑すぎるんですよ…
「興味のないものはバッサリ切り捨てるドライな女」という側面だけを取り上げて、ロビンの知的で好奇心旺盛な魅力を考えず、安易に描いたとしか思えないシーンです。
緑牛のセリフがみっともない
905話でシルエットのみ登場して以来、ようやくその姿を表した緑牛。
ビジュアルも含め、次はどんなかっこいい大将が描かれるのかと期待していた読者も多いでしょう。
私自身、シルエットのみの時は、またカッコよくて個性的な大将が登場しそうだな、と期待していましたが、キャラデザもさることながら、吐くセリフがダサすぎて今のところ完全に想像と期待を下回っています。ちょっと青キジともカブりますし。
そんなインパクトに欠ける新大将の緑牛に、一瞬でやられるカイドウ軍の残党達。
ゾロとサンジが苦戦した(ことになっている)幹部のキングとクイーンでさえ、手も足も出ずにやられてしまいます。
このように、直前までは「強敵」として描かれていたキャラが、主人公達に敗北した後に登場した新キャラにあっさりやられる、という描写はバトル漫画ではお馴染みではあります。
しかしワンピースでは、これまでそうした描き方はほとんどされてきませんでした。私はそこに尾田先生のこだわりを感じていましたし、意図的にそうした描き方(新キャラの強さを示すために、敗北したキャラをダシに使うこと)を避けているのだと思っていました。
実際、ルフィに敗北したキャラクターを安易に切り捨てず、その後の世界でもしっかりと生き、成長していく姿や、再びルフィの前に現れるといった展開が何度も描かれてきました。
つまり新キャラの強さを示すために、旧強敵キャラを切り捨てることはせず、それによってバトル漫画の宿命である「敵の強さのインフレ」を防ぐこともできてきたわけです。
そこがワンピースの魅力で、私が好きな部分でもありました。
だからこそこのシーンにはすごく違和感があるし、嫌悪感さえ覚えました。
「ニカになったルフィにはもう敵なしだろ、今更大将が出てきたところで何の脅威も感じないわ」という読者の声に反論するために、旧強敵キャラを切り捨てたようにしか見えないからです。
それは、次の緑牛のセリフにも表れています。
「幹部ごときにやられてちゃおれの立つ瀬がねェんだよ!!」
なんてみっともないセリフなんでしょうか。。
ルフィ軍との戦闘によって疲労困憊、満身創痍となったの2人を圧倒した程度で、何をそんなにイキっているのか。
大将なんだから、雑魚を相手にマウントを取るようなイキり発言などさせず、もっと余裕を持ってドシッと構えていてほしいものです。
普通にキングもクイーンも、ルフィ軍との戦闘で致命傷を負い、回復していない状態だったから抵抗できずやられてしまった、という描き方でいいじゃないですか。
実際、その要素は少なからずあるはずです。2人とも回復力がウリの「動物系」能力者で、一週間が経過したとはいえ、何の治療も受けていないのであれば全回復できていなくても普通でしょう。
それで「先の戦争でだいぶ痛手を負わされたようだな 四皇幹部ともあろうものがこのザマとは…」のように、四皇の実力を立てる(しかし自分のほうが実力は上だと思っているので、一切焦りも気負いもないことがわかるような)セリフを吐かせればよかった。
おそらく、「弱りきったキングとクイーンを倒したところで、緑牛の強さの証明にはならない(今更現れてもルフィの脅威にはならない)」という読者の声を恐れたのでしょう。
だからわざわざ「幹部ごときにやられてちゃおれの立つ瀬がねェんだよ!!」と言わせて、四皇幹部よりも圧倒的格上であることを「説明」したわけです。緑牛は(ゾロとサンジが苦戦した)四皇幹部を「幹部ごとき」と呼んで瞬殺できるくらい強いんです、と。
まさに戦闘力のインフレに対応するために、旧強敵キャラをあっさりと使い捨てた事例と言えるでしょう。
絵が潰れていて誰だかわからない
こちらのシーンの1コマ目、中央の台に上がってるのが誰だかわかりますか?
私は最初見た時、いつものようにウソップが立って音頭をとってるのかと思いました。
しかしその後、キッドとの絡みのシーンによって
立っていたのはルフィだったことが判明します。
もう描き方が酷すぎますよ。。
1コマ目の絵は潰れていて誰だかわからず、2コマ目のルフィはアップの絵で背景がないため位置関係がわかりません。つまり、その後のコマでキッドが飛びかかってくるまで、読者は誰が音頭をとっているのかわからないわけです。
このシーンの描き方としては、まず1コマ目の人物が誰であるかをわかるように描いてから、その後アップの絵を描いたり、引きのアングルで省略した絵を描いたりすべきでしょう。
なぜ1コマ目から誰を描いているのかわからない潰れ絵にして、2コマ目でもそれが誰なのか判断できないような描き方をするのでしょうか。
この描き方にOKが出せる意味がわかりません。
ワノ国を救ったのがジョイボーイとなっていた理由
前回、ワノ国を救ったのがジョイボーイという事になっていた点について、おそらくお決まりの「海賊が支配していた国を海賊が救ったといっても、国民達は不安が解けない」とか、ワノ国にとって「ジョイボーイ」が重要な存在であることを国民に印象づけておく、といった理由でしょう、と予想しました。
しかし実際は、
「ヒーローになっちまう」から、というもっと薄っぺらい理由でした…。
この理由も「魚人島」の時と重複していてしつこい上、ワノ国においてはほとんどヒーローの立場を自覚しながら戦ってたくせに、今更何言ってんだと思ってしまいます。
おこぼれ町では水や食料を無料で分け与え、「おれはルフィ太郎!! 誰かに聞かれたらそう言え!!!」なんて自己紹介までして、町民から感謝されたら「いい事したなー」と喜んでましたよね。
囚人採掘場では、「おれが他の国から来てて何が悪い!! 他所者がこの国守っちゃいけねェのか!!?」と完全に正義のヒーロー面で囚人達に演説し、ワノ国を「腹いっぱいメシの食える国」にするために「カイドウに勝ちに来た」と宣言して心を掴んだというのに…
人助けしてヒーローになりたくてしょうがないヤツが、人助けを完了した後に「ヒーローになっちまうから自分のことは話すな」と言う。
「自分の手柄を一切ひけらかそうとしないルフィの器のデカさ」を描きたい魂胆が見え見えで、逆効果にしかなっていません。
こんな薄っぺらい描写で読者が共感できると思ってるのでしょうか。
キッドの雑魚感が増す
また、祭り中にルフィの首を取ろうと殴りかかってくるキッドも酷い。
迫力もスピード感も一切ない絵で、本気でルフィを倒しにきているとは到底思えないシーンです。
つまり「キッドらしさ」を描くためのだたの茶番でしかありません。
しかし「キッドらしさ」って、「自分が敵わなかったカイドウをサシで倒し(自分よりも明らかに)格上となったルフィが油断している隙に、人目を憚らず攻撃してその立場を奪いにかかること」なんでしょうか?
ダサすぎません?
むしろ、今は素直に負けを認めて(宴には参加せず)、いつか見返すために自分を追い込んで修行するとか、勝負を挑むにしても不意打ちなどせずに正々堂々と立ち向かい、自分のほうが実力が上であることを証明しようとするほうがしっくりくるのですが、これは私のキッドというキャラクターの受け取り方(読解)が間違っていたのでしょうか。。
祭り中に乱入するというみっともない姿を晒した上、ルフィに取り込まれてしまったので、「あぁこいつはもうここで切り捨てられて、この先の海では役に立たないモブキャラ扱いになったんだな」と思ってしまいました。
「今までで一番でっけェ宴」がただの祭り
ヒョウ五郎の「派手な人達だぜ海賊ってのは こんなバカデケェ宴 聞いたこともねェ…!!」というセリフもひどい。
つい一週間前に行われた毎年恒例の「火祭り」の様子を見てみましょう。
同じセット使って、同じくらいの人数で、同じように騒いでるじゃないですか笑 なんならテッペンに矢倉がある分、火祭りのセットの方が豪華なんですが…
違いは花火があるかどうかだけ。そしてその花火はルフィ達の私物ではなく、おそらくワノ国で作られたものでしょう。
この「宴」を見て、ワノ国の人間に「こんなバカデケェ宴 聞いたこともねェ…!!」なんて言われても、読者は「は? どこが?」としか思えません。
977話のこのシーンで、
「今までで一番でっけェ宴をやろう!!!」と言っていたので、カイドウ撃破後には一体どんな宴のシーンが描かれるのか楽しみにしていたんです。
それがフタを開けてみれば火祭りと何ら変わらない描き方で、「こんなバカデケェ宴 聞いたこともねェ…!!」というセリフによって「今までで一番でっけェ宴」であることを「説明」するという最低な描き方で済まされてしまいました。
ココヤシ村や空島、ウォーターセブン、魚人島での宴のほうがよっぽどでっかくてハデな宴だったと思うのは私だけでしょうか。
しかもこの中にジンベエはおらず、一人城内で酒を飲んでいて、ロビンは地下で美少女こけしコレクターのおっさんと会話してるんです。
で、宴の中心にいるのはルフィとキッド。“麦わらの一味”など全員蚊帳の外です。
これまで宴のシーンでは乾杯の音頭や盛り上げ隊長として描かれ、ルフィと一緒に中心にいることが多かったウソップが、今回どこにいるかと言えば、ここです。
酷すぎません…?
セリフ一つなく、こんな小さい絵で、こんな隅に追いやられて、顔半分切れちゃってるんですよ?
もうほんとに麦わらの一味は切り捨てられてしまったんですね。。描き方が酷すぎます。
ちなみに、ルフィの飛び出る目のギャグ描写はまだ終わっていませんでした。
これってニカになったからあのクソサムいギャグ描写になったわけではなく、普通に尾田先生流の新しいギャグ表現として描いたってことなんですかね。
今後もちょくちょく出てくるのだとしたらもう想像するだけでため息が出てきます。
大体、憧れの海賊であるシャンクスと同じ四皇まで上り詰め、新聞に名前が載ったというのに、このくだらないリアクションは何なんでしょうか…
もうワンピースはギャグ漫画路線を突き進むことにしたんでしょうね。ガッカリです。
四皇にバギー
さて、今回一番物議を醸したのは、やはりバギーの四皇入りでしょう。
初期からルフィよりも明らかに格下の雑魚キャラ、ギャグキャラとして描かれてきたバギー。
その後インペルダウンから脱獄し、「頂上戦争編」で自分より格上の海賊達を従えたことがきっかけで、ハッタリと統率力を活かし、“七武海”まで上り詰めました。
ここまではまだいい。
ミホークやクロコダイル、くま、ドフラミンゴのような圧倒的強者揃いの“七武海”のイメージからすれば、個人の戦闘力として明らかに劣っているバギーの“七武海”入りを疑問に思う人もいたかもしれません。
しかし“七武海”もルフィにバタバタとやられて人手不足だったでしょうし、個人の実力が飛び抜けていなくても、他の海賊達への威嚇になれば問題ないと考えれば、「海賊派遣組織の総帥」となったバギーの“七武海”入りにも一応の納得はできます。
ただ、これが「四皇」までくると話が変わってきます。
バギーが四皇になったことで、四皇の格が落ちたと感じる人もいるでしょう。どう考えても、白ひげ、カイドウ、ビッグ・マムが長年君臨してきた立場に居座れるほどの実力や器を備えているとは思えないからです。
一方で、25巻の表紙から以前より「このメンバーが将来の四皇になる」と予想されていたことも事実です。
尾田先生が当時から本当にこの4人を将来の四皇にするつもりだったのか、ただこの巻に登場する重要キャラ達を描いただけだったけど、「伏線すげェ」と言われたいがために無理やりその展開を採用してきたかはわかりません。
私としては、初期から構想していたほうに一票を入れたいところです。
そもそも尾田先生も、25巻の時点ではここまで長期連載になるとは思っていなかったでしょうから、この時はこの4人が最終的に四皇になることを構想していたとしてもおかしくありません。
しかしその後、連載が長期化したことで次々と新たな強者を描くことになり、今更バギーなど相手にならない次元となってしまった結果、四皇入りを果たすことに納得感が得られなくなってしまったわけです。(プルトンのありかのネタバラシと同じで、この展開に至るまでに時間をかけすぎたことが原因です)
しかしながら、今の時点ではまだバギーの四皇を入りを批判するのは早いと言えます。なぜなら、これまでにバギーが何を経験し、成長してきて、今どんな状況になっているのかはまだ描かれていないからです。
バギーの「バラバラの実」というのは、「覚醒」すれば脅威的な強さを見せることも十分考えられます。
自分がバラバラになるだけではなく、相手までバラバラに切り刻めるようになれば、本人の実力的にも四皇クラスに入ってもおかしくはありません。
なので今後、バギーが再登場した際に、きちんと「ルフィやシャンクスとも対等に渡り合えるような超強敵キャラ」として成長した姿描いてくれれば、四皇入りにも納得ができます。
しかしもし再登場した時に、これまで通りギャグキャラとして描かれ、本当は実力はないのに、ハッタリと強力な部下たちのおかげで四皇まで上り詰めたように描かれたら、もうワンピースは終わりだと思います。
個人の実力が伴わない、部下達が強力なだけの「四皇」など四皇の名折れも甚だしい。
そんな茶番展開を読みたくて長年愛読してきたわけではありません。
たとえば七武海制度の廃止に伴い、元七武海たちの多くがバギーの傘下に入ったことで、グループとしての戦力が大幅に増強され、世界政府の脅威となっていたとしても、それだけでは「四皇」と呼ばれるには物足らない。
「四皇」と呼ばれるからには、個人の実力も飛び抜けていなければ(少なくとも部下達の誰よりも強い立場にいなければ)その威厳は表せず、バギーの四皇入りに納得できる読者は少ないのではないでしょうか。
まとめ
今回の1053話をもって、1ヶ月の長期休載に入ります。
尾田先生は休載期間に「構成組み直したい」と述べており、その発表がなされた時は、ゆっくり休んで構成を練り直し、残りのエピソードのクオリティを上げてくれるであろうことを喜び、期待していました。
しかし休載直前の2話を読んで、正直私は不安になりました。
明らかに、物語を早く終わらせるためだけに「駆け足」の描き方をしており、描くべきことを省略しまくって丁寧に描かない道を突き進んでいるからです。
カイドウ戦では無意味な引き延ばしばかりして来たのに、ここ数話の駆け足具合は一体何なのでしょうか。
描く必要のないことばかりたくさん描いて間延びさせておいて、引き延ばしを批判されたからか、本来丁寧に描くべきところを省いて、駆け足で雑に済ませるようになってしまった。
四皇を2人も倒した後の、ジンベエの歓迎会を兼ねた「今までで一番でっけェ宴」は、もっとページ数を割いて、一味一人一人にスポットを当てながら、激戦を振り返るように丁寧に描くべきだったでしょう。
「今までで一番でっけェ宴」と言ってるのにただの火祭りの焼き直しで、空島の宴シーンよりページ数が少ないんですよ?
なぜ麦わらの一味は誰一人、ルフィの「ギア5」の姿(変身)について触れないのでしょうか。ヤマトの一味入りについてルフィの考えを聞こうとしないのでしょうか。
休載に入る前の展開調整で一時的に駆け足になっただけの可能性もありますが、こんな感じで描くべきことを描かずに進められてしまうのは、読者が求めるところではありません。
そのあたりのバランスも、やはり尾田先生一人の判断に任せてしまうのでは無理がある。編集者の第三の目とクオリティ管理のためのハンドリングが絶対に必要です。
私の不安が杞憂に終わることを祈って、連載再開を待ちたいと思います。
私の中で「ワンピース」は「史上最も好きな漫画」であり、まだ「前半の海」での評価の貯金が残っているからです。
ワンピースが大好きだったからこそ、この先改善されることを(いつまでも)期待して読み続けてしまっているわけです。その期待や熱量がゼロになったら読まなくなると思います。
実際「エッグヘッド編」以降、つまらなさが許容量を超えてきており、熱量は急速に冷めてきています。コミックスも104巻からついに購入をやめました。
ジャンプは購読して読み続けていますが、これもお金の無駄だと感じるようになったら卒業するかもしれません。
ニーズがあるからです。
上記の通り、最初は「史上最も好きな漫画」であったことから、(この先つまらないワンピースとして残りのエピソードが削られていくことに耐えられず)改善されることを願って批判をしてきましたが、もはや作品は崩壊し切ってしまったため、今は改善を期待しているわけではありません。
ただ、ワンピースという作品は、日本一売れている漫画だからこそ、熱量の高い(高かった)読者も多く、私と同様に「つまらなくなってしまった」と感じ、それを無念に思い、不満や釈然としない気持ちを抱えている読者の数も多いのです。
そういう方達にとっては、自分の気持ちを代弁してくれる記事や、自分の本音の感想をコメントして、同様の感想を抱いている方達と共有できる場には一定の価値があり、そうしたニーズに応えることにもまた一定の価値があると思っているため、運営を継続しています。
ニーズがあるからです。
ブログのようにテキスト情報だけ(それも超長文)だと、文章を読み慣れていない人にはハードルが高かったり、読む気にならなかったりする(実際、そのような声やリクエストがあった)ため、記事を動画化してYouTubeに投稿することにしました。
もっと批判や誹謗中傷コメントで溢れるかと思っていましたが、(ブログ読者の方に限らず、新規の方でも)共感し、更新を楽しみにしてくださっている方が相当数いて、ここにもニーズがあることがわかったため、運営を継続しています。
余計なお世話としか言いようがありません。
自分の人生の時間の使い方は自分で決めます。
あなたこそ、見ず知らずの他人の人生に意見するような無駄な行為に時間を使うのはやめたほうがいいのではないでしょうか?
他人の人生に口を出す前に、どうぞ自分の人生の心配をしてください。
論理が破綻しており、全く筋違いな言い分です。
プロの作家が商業作品として世に販売している時点で、それを購入した側が評価したり、感想を述べたりするのは当然に許された権利です。
私は読者(消費者)であって、漫画家ではありません。漫画を描きたいわけではなく、面白い漫画を読みたいからお金を払って購入している立場であり、購入した作品の内容に不満があるから、批判的な感想を述べているわけです。
あなたはお金を払って観に行った映画が酷い仕上がりでも、「自分に映画は作れないから文句は言えない」と考えて口をつぐむタイプですか?
購入したゲームがクソゲーでも、「自分では作れないから文句を言う資格はない」と考えるタイプですか?
お金を払って観に行った音楽ライブで、アーティストが音を外したり声が出てなかったり歌詞を間違えまくったりして全く感動できないパフォーマンスを披露しても、「自分のほうが歌が下手だから批判すべきじゃない」と思うのでしょうか?
飲食店でマズい料理を出されても、「自分で作れないんだから(店を開いてないんだから)文句を言う権利はない」とか、「文句を言えるように、まずは自分で作れるようになろう(店を出せるようになろう)」と思うのでしょうか?
市場に商品として投下されている時点で、それを購入した消費者からの評価は避けられません。作り手はそれを分かった上で、自らの意志で作り手側(買い手から評価される立場)を選んでいるのです。
一方の消費者は、自分ではできないからこそお金を払って人に任せているのであり、そこで期待したクオリティに達していなかった場合に、低評価を下したり、批判したりするのは当然に許された権利です。
「購入した商品について批判するためには、自分がその商品以上のクオリティのものを作れなければならない(文句を言うなら自分で作れ)」なんてあまりにも本末転倒で筋違いな暴論です。
頭の悪い人だとバレてしまうので、金輪際そうしたコメントはしない方がいいですよ。
尚、私がこのブログで批判しているのは、基本的に尾田先生(漫画家)ではなく、担当編集者です。編集者視点で、「なぜこの部分を直さないのか」「なぜこの内容でOKを出してしまうのか」という批判をしているのです。
その意味でも「文句言うなら、自分で描いてみては?」という主張は的外れですが、もし「文句言うならお前が編集者をしてみろ」と言われ、実際に依頼をしていただけるのであれば、私は喜んでお受けします。
そして、私が編集者になった後のワンピースがつまらなければ、当然批判も受けとめます。
その覚悟を持って(編集者を)批判していることをご理解いただければと思います。
心配しています。
このブログでは、基本的に尾田先生ではなく、担当編集者を批判するスタンスをとっており、尾田先生の健康や多忙を心配するコメントを過去に何度もしています。
なんなら長期休載に入ることや、連載ペースを落とすことを推奨している立場であり、そうした対応をせずに原作以外の仕事を次から次へと振りまくって尾田先生に負担をかけ、作品の劣化を放置し続ける編集者を批判しているのです。
なぜなら、1人の人間が週刊連載で何十年も面白い作品を(世間とのズレを生む事なく)描き続けることなど、そもそも不可能だからです。肉体的に困難なのはもちろん、作者1人の感覚で何百万人という読者の感覚とズレることなく、質の高い作品を描き続けることなどできるはずがないのです。
そのズレを正すのが編集者の役割であり、作品の質を維持するためには編集者の客観的視点が不可欠だというのに、全く機能していないことが露骨に作品に出てしまっており、にもかかわらず原作以外の大量の仕事を振って尾田先生からネームや作画の時間を奪い続け、作品の劣化に歯止めがきかない状況を進行させているため、その点を指摘して批判をしているわけです。
尾田先生の健康面の心配はしていますし、「作品への批判」と「健康面への心配」は両立するものです。
思いません。
「少年漫画」だから大人の観賞に耐え得るクオリティになっていなくて当然(あるいはそれでも問題ない)という考え方は、「少年」の読解力や感性を「(自称)大人」の勝手な思い込みと偏見で侮り、間接的に「少年漫画」を見下していることと変わりません。レッテルに囚われた思考停止人間の典型です。
少年を侮り、少年漫画を見下し、少年漫画のファンとして感想を述べ合う大人達を「異常」だと言ってのける人間のほうが、よっぽど異常だと私は思います。
読者アンケートの順位は相対的なものなので、「1位のままだからワンピースは劣化していない」という論理は成り立ちません。
ワンピースがどれだけつまらなくなっても、他の作品が抱えているファン数がワンピースよりも少なければ、ワンピースは永遠に1位のままです。「アンケート回答するファンの数=作品の絶対的な面白さ」ではありません。
ワンピースは「前半の海」で蓄積した熱狂的ファンがあまりにも多いので、ジャンプのアンケート回答においては、今度もほとんど1位をとり続けるでしょう。
私の中で「信者」の定義は、「何を描かれても無条件に絶賛し、全て肯定的に解釈して作者を持ち上げる読者」を指しています。
そのため「つまらない部分やおかしいと思う部分は多少あれど、普通に面白いし楽しめている」とか、「前半の海よりも面白さが失われたとは思うけど、新世界編も総じて楽しめている」といった読者は、私の言う「信者」には含まれません。
作者にとって有害かどうかは作者が決めることですので、本人に聞いてみてください。
ただ「つまらない」「くだらない」「ゴミ」「読む価値がない」「お金の無駄」「オワコン」「資源の無駄」といった捨て台詞で、作品を貶めるだけの(ほとんど誹謗中傷でしかない)批判は「有害」だと思いますが、きちんと作品を読み込んだ上で、「なぜつまらないのか」「何が問題なのか」を考え、「どうすれば改善されるのか」まで提示した上で行う「論理的な批判」は、(作者個人は求めていないにせよ)私は「有害」とは思いません。
というより、そうした批判を行う権利は誰にでもあるので、それが有害かどうか議論すること自体がナンセンスです。
それこそ「嫌なら読まなければいい」のです。
煽り体制が低いのは事実ですが、勘違いコメントや難癖コメントを放置すると、それを見た方に誤解を与えたり、場が荒れたりしやすく、早々に対処しておく必要があるため、説明なり反論なりをしています。
えてしてそういうコメントをする人ほど、放置するとそれを「肯定」と見做して、さらに誤解を強めて暴走しやすい傾向にあるからです。
たとえば「煽りコメントにだけ返信してねェw 効いてる効いてるww」とか「図星だから反論できねェんだw」とか「何も言い返せないから逃げやがったww 悔しかったら反論してみろやww」のような言い分です。(そうなると対処にさらに時間がかかるので、早めに処理しています)
また、私への直接的な質問系のコメントやうれしいお言葉にも、できるだけ早めに答えるようにしています。
記事への感想や建設的なコメントについては、読者さん同士でコメントやリアクションをしていただけているので、慌てて私がコメントせずにおまかせしている部分もあります。私がコメントするとそこでやりとりが終わってしまい、読者さん同士の会話が生まれづらくなったりもするので。
色々状況を観察しながら、よいコメント欄になるよう運営していきたいと思っています。
ギャグシーンにも一個一個ケチつけてるのを見ると考察厨って生き辛そうだなと思いました。
さすがにアニメスタッフも違和感あったのかアニメだとルフィがいきなりヒーローになっちまうだろ…言い出した理由の説明ありました笑
そもそもルフィは和の国を救うために戦ったのに、単体でも七武海程度の強さはあるだろうクイーンとキングをなんで殺さなかったんだっていうね。カイドウいなくても余裕でまた和の国支配できるだろ。キャラを死なせな過ぎてホントリアリティも緊張感もない漫画なんだよな
お祭りのシーンを見て思ったけど、江戸の日本がモチーフの国に綿飴やチョコバナナがあるのはおかしくない?
アラバスタといえば国旗の太陽と同じものが光月の家紋にもあったのですが、これが「プルトンがワノ国にある」ということの暗示だったんですかね?だとしても話の作り方があまりにも雑すぎですよね
1000年の歴史がある世界有数の文明国に最強の戦艦が眠っている→わかる
世界一の造船所がある街に最強の戦艦の設計図がある→わかる
江戸の日本風の国に最強の戦艦が眠っている→は?
「後付け」ならまだ良いのですが、プルトンの「設定変更」はキツいですね。。
アラバスタ編が全て茶番だったことになり、ただただ悲しいです。
クロコダイルがマヌケでアラバスタ編は全て茶番だったという解釈以外は整合性が取れないです。
「アラバスタにもプルトンがある」という設定にして解決するという方法はありますが、そうすると「唯一の対抗勢力」としてW7に代々伝えられた設計図が矛盾してしまいます。どうやっても詰んでます。
もうダメだこの漫画。。
映画を観に行ったという最初期からのファンが雑で拝金主義な映画だったとブチギレ記事書いてますね。私は観に行っていないですがどんな内容なのかは想像に難くないです。
なべおつさんや私含むここの読者は気が合いそうです。
いつも楽しく拝見させていただいています。
ふと私が最近の話を見ていて感じたのは、キャラの心理描写が皆無だなぁということです。
昔からこの作品は多い方ではなかったと思いますが、ここ最近は戦闘中だろうがとにかく喋りすぎなため、うるさいし漫画ではなく台本を読んでる気分になります。(最早絵がない方が余計な情報がない分読みやすいかも?笑)
このブログでも触れられていますがもう少し初期のような間や緩急を付けてもらいたいです。全コマ「うおー!」な構成、なんとかなりませんかね…。
新世界からの劣化は作者が引き伸ばしをお願いされて、無理に描いてるからという可能性もあると思っているのですが、どう思いますか?
ニカはどうしようもないけど
プルトンは設計図があったから
複数作られて残ったのがアラバスタとワノ国で保管されてたと単行本で修正すればまだなんとかりそう
いつもブログを更新して頂き、本当にありがとうございます。連載が再開され、もしかしたら以前の様な面白いONE PIECEが読めるのではないかとワクワクしていたのですが···。読んでみて正直、私の大好きだったONE PIECEはもう戻って来ないのではないかという何とも言えない虚しさを感じました。
面白かった頃のONE PIECEを読み直してから最近の物語を読むと、まるで違う作品の様に感じます。今のONE PIECEは本当にあの頃読んでいたONE PIECEなのかと疑いたくなる気持ちです。
103巻も購入したのですがこの辺りはとにかく絵が見にくく、場面転換も多すぎて疲れてしまい一度読んだけで終了しています笑
表紙も殺風景な気がして、何だか寂しい印象を受けました。尾田先生ならもっと素敵な絵を描かれると思うのですが、やはり忙し過ぎるのでしょうか😥
なべおつさんの記事を楽しみにしていますが、お仕事がお忙しいという事や、ONE PIECEに対する熱が冷めてしまっている気持ちもとても良く分かりますので、どうぞご無理なさらず···!
コミックス103巻が出ましたね。
表紙に堂々とギア5とニカのネタバレ。。
結構かっこいい表紙なのにニカルフィの絵もダサくて残念です…。
こんな目立つネタバレを堂々と表紙に載せるのはほんと今の編集者のセンスはどうかしてますよね…。
毎回記事を楽しく見させて貰ってます。最近は忙しいとのことですが、無理はなさらず、1ヶ月ごとに掲載された内容をまとめる形でもいいかもしれませんね。
今後の記事も楽しみに待っております。
説明し過ぎで興を削がれて面白くないのは完全に同意できます。
しかし、昨今のYouTubeを例にすると、サムネでカラフルな文字で内容を示したり、字幕で話していることを全部表示したり(テレビのバラエティがよくやってる手法ですが)
最近の娯楽コンテンツはあらゆるものをシンプルにわかりやすく、全部説明するというのが主流になっているように感じます。
恐らくあらゆる世代全般向けに作成すると自ずとそうなってしまうのでしょう
酷い言い方をすれば、どんなバカにも楽しめるように作っているのだと感じてます。
ワンピースは空前の人気マンガとなってから、普段マンガを読まない勢も読むマンガと言われニュースでも話題になったコンテンツです。
恐らく集英社も尾田先生も、そのようなコンテンツになってしまったために、我々のようなマンガを普段から嗜んで目が肥えている層向けではなく、全世代全般向け作品として舵を切り直したのではないかと想像します
ビジネスとしてはそれが正解ですし、より多くの人を楽しませるという意味ではある意味正解なのかもしれないですが、、肥えた目で楽しんでた我々からしたら残念なことになってしまうわけですね。
深夜番組がゴールデンに昇格したらつまらなくなる現象と同じなのだと思います
あくまでも仮定に過ぎないのですが、集英社ともあろうものがこのビッグコンテンツを腐らせるはずがなく、今の展開が実は成功モデルであると考えると、この仮定が自然に思えてくるのです
なので私は面白い作品は人気になりすぎては困ると常々思ってます
残念ながらワンピースは多くの人の注目を集めすぎてしまったのですよ
ワンピースの最終章が始まりましたが、考察記事はいかがでしょうか。
なべおつさんの記事が待ち遠しいです。
いつも楽しく拝見させて頂いております。1054話の更新を楽しみしております。
的確な指摘があるものの、ちょっとそこは重箱の隅をつつくようなことかなと思うこともありますが、概ね同じ意見です!応援してます!!
この記事とはあまり関係のないことを言いますが
ワンピース信者ってワンピースが批判されると嫌なら見るなだの
批判する人は少数派だから、批判する人はどうせ見続けるんだから、批判する人はどうせ手の平返しして絶賛するから批判を聞く必要がないだの楽しんだもん勝ちだの言って批判を封じてくるから不愉快です。
なべおつさんの様につまらない部分を的確に言い当て、
こうした方がいいという的確なアドバイスを出し、
面白い部分があればしっかり称賛するちゃんとしたファンは素晴らしいと思います。
これからもブログの更新を頑張ってください。
ワンピースが面白くなってほしいです。
最終章に向けての尾田さんのコメント読んだんですが、しっかり「えーーー!!笑」って書いてあったので最終章も駄目そうだなと思いました
「面白くなる」という作者の言葉を信じ、100巻くらいまでは継続して購入していました。
ニカが出てからワンピを読むのをやめました。単行本もスルーしています。
その後の展開や他の人の感想が気になりブログを拝見しました。
まさに思っていたことをそのまま代弁してくれている記事ばかりですね。「やはりワンピが好きだからこそ普通はこう思うよな」と強く共感しています。
偉大な漫画を批判することは勇気のいることです。また、批判や賛成の視点は人によっても異なるものです。
真っ当な批判を個人がブログにすることには大変な苦労が伴うでしょう。
アンチが一部の人であるように信者もまた一部の人だけです。
多くの人はどちらでもありません。面白いと感じるものを面白いと言い、つまらないと感じるものをつまらないと言う。ただそれだけです。
私はワノクニ編はつまらなかった。読むのをやめるくらいに。完結後、気が向いたら読もうと思っています。
いつか作者にも切実な思いが届くといいですね。
本当に今更なのですが、休載前の作者コメントがひどい(手書きの「休むー!!」ってヤツです)。
「最終章もなるべく早く締められる様に構成組み直したい」って、”早く終わらせて休みたい”って意味に取れますよね。
“もっと面白くしたいから構成組み直したい”なら、何の違和感もないのですが、逐一無神経と言いますか(ダラダラ続けられるよりはマシなのか?)。
なべおつさんはどう思いますか?
なんとなく絵が見辛い、なんとなく内容に違和感を感じる。そう思っていた理由が文章に表されていてスッキリできました。これからもちょくちょくここの感想を見に来るとおもいます。笑
それはそうと緑牛にやられるクイーンのセリフでこのシーンはギャグなんだなと割りきっていたのですが結構シリアスな展開なんですかね?
なんか最近別漫画なように感じるんですよね…
ドンクリークとかアーロンと同じ世界線にヤマトがいるのに違和感があるっていうか
和の国の評判が悪く、さらに例の鬼漫画が話題になってしまい、それに影響されてヤマトを登場させたのではないかと思いました。
丁度初登場の時期とも被りますし、見た目も中身も今までになかった浮いたキャラデザですし、あまりにも不自然な登場だったのも言い方は悪いですがテコ入れのために登場させたのではないかと見ています。
いざ登場させたら、思いの外人気が出てしまいローと同じように麦わらの一味よりもヤマトを猛プッシュするようになり「あぁ、また作者のいつもの過度なプッシュが始まったな…」と毎度作者の人気キャラの活躍の匙加減が過剰であることにもゲンナリしています。
人気キャラなので活躍の場面を与えたい、見せ場を作りたいという気持ちはわかります。
ですが、冒険のストーリーの中心と本筋はあくまで「麦わらの一味」であり、ヤマトがまるで麦わらの一味同然に前に出てきて、麦わらの一味以上に目立つ活躍の場を与えるのは本来の趣旨を完全に無視しているのではないかと思いました。
ヤマトばかりに見せ場を与えるせいで、せっかくのジンベエの加入も空気になり、さらには麦わらの一味までもが空気のようになっているのが読者目線ながらひしひしと感じ取っています。
それどころか作者自身、麦わらの一味を描くのが最早億劫になっているのではないかというほど描写も適当なので、今後も人気キャラばかりをプッシュした描写に力を入れていくというスタンスは変わらないような気がしてきて非常に残念でなりません。
初コメ失礼しますー、いつも楽しく拝見しております。
ヤマトに関してですが、私は一味に加入しないと思います。
理由をまとめると、
①作中でルフィ以外の一味と接点がほぼ無い
②メタ的に、同じタイミングで一気に二人も仲間入りさせるのはキャラの焦点がぼやけるのでと展開としては悪手かと
(せっかくのジンベエ加入のインパクトが薄くなる)
②映画レッドで、ヤマトについては全く触れられていないこと
(但し連載再開後ヤマトの仲間入りが決定し、そのタイミングでヤマト映画出演の情報を解禁する可能性は大いに有り得る)
といった所です。
ただ、一味入りはしないが旅には同行するか、麦わら大船団みたいに一味の傘下に入ることになると思います。そういった意味で「船に乗せる」ことになるのかなと。
あるいはなんやかんやヤマト一人で旅に出るとか。その場合は扉絵連載シリーズでやってもらいたいです、長くなりそうなので。
個人的にもヤマトに加入して欲しくないんですけどね。ジンベエはけっこう好きなキャラなのと長年待たされたこともあって加入は素直に喜べたんですが…
ワンピースの連載再開までなべおつさんのブログもお休みでしょうか寂しいです😢
もはやここでのツッコミすらされなくなりましたね
逐一うるさい「え~~~~~~~!!?」リアクション
新四皇発表にまでかぶせてきやがりましたね
ギャグシーンのリアクションがワンパターンなだけならまだしも
ギャグではないシーンまで全部これだからマジでウンザリします
なべおつ不足ですー
新しいブログ楽しみにしてます
前半の海が面白かった理由とか
20年間まともなメシを食えなかった国で遠慮なく宴するのはなんだかなぁって感じがしました
ジャヤにポセイドンの情報がありましたが、ポセイドン(しらほし)が存在したのは魚人島です。なのでプルトンがアラバスタになくてもおかしくないと思います。プラトンに関しては休載明けからも情報が出てくると思うので後付けだと判断するのは早計な気がします。また、ロビンがワノ国がどこにあるのか、どんなところかを知らない以上、情報をクロコダイルに渡さないのは当然のことと思われます。ワノ国は鎖国国家なので情報が少ないことは不思議ではありません。
こけしについてですが、飛徹のコレクションなので、そこまで古い物ではないでしょう。よってロビンがそれに特に歴史的な価値を見出さず、興味を示さなかったことは当然だと思われるのですがどうでしょうか。
最近のワンピースは絵にしても台詞にしても引き算が出来ていない印象です。
空白恐怖症と揶揄されることも多いですが、説明しないと不安なのでしょうね
緑牛の発言についていくつか思うことがあります。
まず、彼は「おれの読み通りお前らは……!!」の後に何を言おうとしたのでしょうか?その前に「海軍は〜戦力がねェ」という台詞が来ていることから考えると、おそらく流れとしては、
緑牛は百獣海賊団残党が未だ存在していると推測していたが、戦力不足のため海軍には残党処理に割く人員が無い。→そこで彼は単身でワノ国に向かったところ、目の前で大看板率いる残党達が兎丼に集まって再起を図っており(単に捕まっていただけの可能性もありますが……)、彼はほぼ全員を拿捕することに成功した。→緑牛がワノ国に来て正解だった。
というのが自然だと考えられます。そうすると彼は「おれの読み通りお前らは……!!」の後に、「残党集めて再起を図ってたんだろ……!?おれが来て正解だったな…」といった感じの発言をしようとしていた、と私は予想しています。
ですが上記の台詞が後に続くとここで仮定したとしても、尾田先生はなぜ、その部分を隠す(=緑牛に言わせない)という様な思わせぶりな書き方をしているのでしょうか?緑牛の台詞の中で物語上重要な台詞があるとすれば、それは前半の「海軍は〜戦力はねェ」の部分でしょう。海軍の状況を彼が発言することで、世界の戦力図や情勢について読者に示唆する効果が生まれるからです。実際に私も「海軍が戦力不足…?ということはワノ国の外で何か大きな事件が起きているのか?革命軍?黒ひげ?」と想像を膨らませました。
その一方で、尾田先生が隠したと思われる部分、「残党集めて再起を図ってたんだろ…!?」という台詞は「……!!」で隠して匂わせるほど重要な台詞だとは思えません。むしろ、「海軍は今戦力に余裕がねェ……どうせお前ら、残党集めてまた戦おうとしてたんだろ!?おれが今来て正解だったぜ」といった感じで隠さない方がスッキリするかと思います。にも関わらず後半部分が隠されているということは、緑牛は何かさらに重要な台詞を続けようとしていたのでしょうか?可能性は0ではないのかもしれませんが、展開の流れを考えると今のところ私にはそうは思えず、この「……!!」は不必要な匂わせのように見えます。
もっとも、このシーンは別に匂わせではなく、ただ単に“喋っていたら電話がかかってきた”だけの場面とも考えられるでしょう。現実でもよくある事です。しかしこれといって特に意味のないシーンなのであれば、電話が鳴る前に「……!!」とわざわざ強調する必要は無いと思います。漫画の中でそのような強調がついた上で台詞がぶった斬られてしまうと、何か大事な内容が後に隠されているかのように思えてしまうのが普通ではないでしょうか。
これは邪推ですが、最近は読者にただ考察させること自体が目的化してしまっているように思えます。そうでなければ今回のような不必要な匂わせ表現は生まれないはずですから。
キッドとローは元々シャボンディ諸島での後付けキャラなので、元々の四皇をだれなのか決めていたのであれば、彼らを四皇にしなかった理由は分かるかもしれません。
しかしバギーが四皇になったら、これはもうハッタリでは許されるレベルではないかと思います。今更バギーの強さを示したとこで、四皇というあの怪物級の強さのこと、読者に納得がいくような描写が果たして出来るのだろうか…。
ルフィが四皇になっておおー!と読者を喜ばせばんばかりに、バギーが四皇となっていてガックリしました。
四皇とはなんなのか…その称号まではメタ的な意味で壊して欲しくないと願うばかりです。
モルガンズの台詞は意味がわからなすぎて、モルガンズ自身が介入してニカの写真に差し替えたのかと思っていました。「隠蔽なんてさせない」みたいなこと言ってるんだもの…
ロビンは、クロコダイルさんにぜひ真実を教えてあげてほしかったです。カイドウ支配地にプルトンがあると知ったらどういう反応をするのかめっちゃ見てみたかったです笑
アラバスタを支配した結果、そこには存在しないプルトンを永遠に探し続けるクロコダイルさんも見てみたい。
これもう実質ガイモンでしょ。
ジンベエぼっち飯シーンはホント謎でしたね。ヤマトと祭りで遊んでいるので、仲間であるジンベエよりもまた仲間ではないヤマトを優先させたように見えます。やっぱ尾田先生のなかで麦わらの一味の優先度下がってそうです。
更新お疲れさまです
ツッコミどころは皆さんの言ってる通りですね
ルフィは負けすぎてカイドウと再戦してもまた勝てるって気がしないんですよね…
四皇ってもっと圧倒的な力を持ってる人がなるもんだと思ってた…
てか七武海と違って制度でもないのに穴埋めする必要あるのかなとも思いました
休載前の盛り上げ演出なのでしょうけど
主人公ばかり活躍して他は雑な扱いなので休載開けたら一味の活躍をしっかり描いてもらいたいです
個人的にカイドウはともかくビックマムが引き下ろされたことに納得いかないんですよね、、、
だって2対1で負けたわけですし。
そんなんしたらルフィだって
カイドウ+キングで戦ってたらおそらく負けていたとおもいます。
③ロビンとコケシについて
>ロビンの「個性」の描き方が雑すぎるんですよ…
そのご批判は理解できます。ロビンの歴史好きを考えると、ワノ国の歴史が詰まった
コケシに多少なりとも興味を示すだろうと。
このシーン意図について、ひとつの意図は、バッサリ切り捨てるというギャクシーンを描くこと。そして、もうひとつのメインの意図としては、伏線回収のアイテムを明示すること。天狗山飛徹の正体が光月スキヤキという伏線は、コケシコレクターだという点で、張られていたと読者に示すためにコケシを会話に使ったのでしょう。
なべおつさんは、ロビンの心情によりそった描写が見たかった。作者は、ギャグシーンと伏線アイテムの明示をしたかった。こういうことだと思います。
①「キッドらしさ」について
宴のシーン。これは、恐らくは、ルフィとキッドが肩を組んで祭りを盛り上げる絵
を描きたいことが一番にあって(頂上戦争に言及されたルフィが周りを巻き込む力)。
このシーンを描くにあたり、キッドの好戦的という性格を記号的に使用した(キッドらしさを描きたいのではなく、この画の為に「キッドらしさ」を利用した)
そこに、なべおつさんは雑さを感じられたのだと思います。
②城内の宴について
城内の料理は、祭りへの繋ぎではなく客人(ルフィ達)へのメインの宴。城外の祭りが、一般庶民の為の物。このシーンの意図は、格式ばった「本膳料理」ではなく、
町民と同じ目線で祭りを楽しみ、庶民によりそったヒーロー像を描きたかった。理由もなく、せっかく用意してもらった料理でなく、祭りを楽しんではおかしいので、理由付けとして、料理を遅らせた。描きたいシーンに対しての道程が雑でシーンが心に響かないのでしょうね。
よく25巻の表紙を四皇の伏線として挙げられるけど、俺は違うと思う。
ちゃんと伏線として描くなら後ろに写ってるおっさんが邪魔すぎる。
当時はそんな事考えずに物語に重要な人物を単に並べただけじゃね?
伏線ってのはファンが勝手に騒いでるだけだと思う。
食事できなかったのがもったいないと寝ながら食ったり
王宮で厳格な食事なのにひどいマナー…と言われつつもなんだかんだ最後は巻き込んで楽しく宴をしたり
町全体が宴で生ハムメロンを探しに行ったりナンパにいったり
とわりとおもしろいことを描いてたのにどうしてこうなってしまったのか…
乾杯のシーンなんか完全に
ウソップが幹部を倒したぞ!みたいなハッタリ言いつつおまえらよくやったーかんぱーい!みたいなシーンだと思いましたよ
ルフィがサシでカイドウを倒したという時点でおかしいよ
赤鞘や他の最悪や、ヤマトも戦ってカイドウのHPを削っている
麦わらの一味が「四皇を倒してついにここまで来たか…」と感慨に耽るような描写が全然ないのも問題だと思うんですが、百獣海賊団だって、言ってみたら一番海賊王に近いような存在だったわけで、それなのに倒されたのだから「ここまできて負けてしまった…」と喪失感を感じるようなとこは見せてほしかったなと思いました。なんか外野がわーわー騒いでるだけで全然大勝負が終わった感がないなあと…。ギンがクリーク抱えて去るみたいな名シーン、キングがやってくれそうなのに。笑
つまりこうゆうことですよね?
・コブラもクロコダイルもアラバスタにプラトンはあると思っていた。
・ロビンはポーネグリフを読んで和の国にあることを知った。
・しかしロビンは2人にその事を話さなかった
・そのせいで戦いは終わらずに最終的にクロコダイルもルフィにやられてルフィも大怪我をした。
・その後しれっと入ってくる
・しかも一味の誰にもプルトンのありかを教えなかった。
ロビンかなりのクズじゃないですか?
既出過ぎる感想で申し訳ないですが、ヒーローになっちまう、は終わってますね…。描き方のせいで寒くなっているのかと思って色々な漫画の主人公が言っている所を想像してみましたが、誰がどんなシチュエーションで言っても寒い台詞です。
他の漫画なら3枚目がカッコつけるギャグシーンでしか出てこないわこんなの。
でもギャグシーンじゃないですよね…。もう怖いわ
毎度お疲れ様です
別に後付けでも設定変更でも何でもして良いんですよ、キャラが状況を説明したって良いんですよ、自然に、面白く、えがけるなら。
要らないシーンを過剰に描き、必要な事は描かない
キャラのセリフには心がこもっておらず、
絵も何をやってるのか分からない引きの絵かごちゃごちゃしたうるさい絵面しかない
もうほんと、端的に言うと「漫画が下手」でしょうがない。
あと下の方で別の方がおっしゃっていますが
ルフィの他人へのあだ名、私も気持ち悪く感じてました
初期や一部のキャラは良いんですよね、長い名前の相手や特徴的なキャラにあだ名をつけてたので。
でも後期になると(これも新世界おなじみですが)「ルフィは他人をあだ名で呼ぶキャラ」っていう、形骸化した特徴だけを押し付けてきてて不自然で気持ち悪いです
プルトンに関しては、場所以前にそもそもアラバスタの時点では正体が戦艦ではなかったのではないかと思います。戦艦が砂漠の国にあるのは違和感がありますし。戦艦ならば、海底にある方がしっくりくる。
プルトンは、ギリシャ神話のハデスであり、冥府の神(地下の神)。砂漠の地下にあるイメージ。原子力燃料のプルトニウムの語源でもある。元々は、戦艦ではなく、
核兵器を想定していたと思っています。それをW7で戦艦に設定変更した。物が変わったので、場所も変わったということ。
緑牛はシルエットで登場した時のセリフと、アニメで声を藤原啓治さんが演じられていたので、勝手に「凄い人だけど気さくで陽気なおっさん」を想像してたのですが、赤犬派の割と嫌な感じのキャラに感じて少し萎えました
ヒーローになっちまう発言は、ドレスローザでの偉くなりたい訳じゃない発言に通ずる気持ち悪さがありますね。どちらも地位や名声に興味のないルフィを描きたいのが透けて見えてます。
話は全く変わるのですが、古代兵器プルトンって言ってるロビンがブスすぎるw
ルフィの「ヒーローになっちまう」と言う発言は正直がっかりでした。
ワンピースの初期はコビーとの別れの時にあえて悪役を演じたり、
ガイモンに宝の正体についてあえて嘘をついたり、
アラバスタの最後でも何も言わず仲間の印を見せたり
“言わないけどみんな分かってる” と言う美学を大切にしてると思ってたのに、今回そういう発言しちゃうんだって思いました。
じゃあどうするかと言われると難しいですが、
逆にルフィの手柄と言ってしまって、
ルフィに「今日の祭りのお代は全部タダにする!!お前らみんな腹いっぱい食っていいぞ!!」「モモの助には宝払いで返すことにする」みたいな感じなら英雄でありつつ海賊っぽさも残しつつルフィの自由さも表せられそうです。
プルトンは完全に後付けが酷すぎて…アラバスタ編って何なんだったんですかね?クロコダイルが10年かけて立てた計画も、それを阻止する為に命を賭けたビビ達も、争いに巻き込まれた民や兵士達も、全てに泥をかけて台無しにしてしまいました。今後アラバスタ編を神回だと賞賛することも無いでしょう。だって全てが茶番だったんですから。アラバスタにプルトンは無かったんです。争う理由も初めから無かったんです。……何だこれ。
いくらアラバスタ編が完成度の高い作品として多くの読者たちに評価されているとはいえ、色々と万引きしすぎではないでしょうか。薄いカルピスどころではありません。ご自身で50倍面白いと断言したワノ国の評価を上げるために、プルトンの設定すら変更し利用したとしか思えないです。あまりにひどすぎる。
キングやクイーンの扱いを見る限り、今後は過去キャラも容赦なく切り捨てて行くのでしょうか。クロコダイルもここまで乏しめられた以上、その辺の雑魚に雑死させられてしまいそうでなりません。正直、バギーの傘下に七武海が集まる展開はキャラ達の性格を考えると無いと思いますが、整合性を無理やり合わせるためにそのような展開にしてきたら、きっと僕はもうそこでリタイアしてしまうでしょう。格下げも甚だしいのでやめて頂きたい…
ホント必要な描写の取捨選択が尾田先生も編集者も出来ていないので、読者が何を読みたいのか?この休載期間で今一度しっかり考えて貰いたいです。こんな事すら分からない今の担当さんは、ワンピースを読んでいないのではないでしょうか?そんな担当さんなら今すぐ外して古参読者である人を付けるべきです。きっとその人の方が的確な指示は出せるでしょう。
今回の話でワンピースという作品よりも作者さんが嫌いになって来ました。新世界前は使い捨てのようなキャラでさえ大事にする素晴らしい作者さんだったのに…何故こんな事に……
モルガンズのセリフは
CP0がビッグ・マム海賊団に襲われたので「ビッグ・マムの船だ!!」と言って消息を絶ったか、
CP0が世界政府を裏切ってビッグ・マム海賊団と手を組むことにして、「(俺が今いるのは)ビッグ・マムの船だ」と言って消息を絶ったか
みたいなどっちとも取れる書き方をしたかったんですかね?
どっちにしても唐突すぎて今言う意味なさそうですが。
この2話くらいは休載前の調整のためかペースが早くて雑な印象を受けましたね。
ギャグマンガ日和のソードマスターヤマトの最終話の伏線回収の仕方みたいでした。
(突然の連載打ち切りのため、たった3ページで最終回を描く という設定)