以前から繰り返し述べているように、私は「ワンピースがつまらなくなってしまった原因」は、「新世界編」以降の担当編集達にあると考えています。
その理由は、大きく以下の2つです。
- 尾田先生がたとえ「天才漫画家」だとしても、1人の人間が「週刊連載」で何十年も世間とのズレを生む事なく、面白い作品を描き続ける事など不可能であり、そのズレを修正するのが「編集者」の役割だというのに、全く機能していないどころか、原作以外の仕事を振りまくり、尾田先生からネームや作画の時間を奪い続け、クオリティ低下に歯止めが利かない状況を作り出している上、それを改善することなく、むしろ加速させる動きばかりしているから。
- そもそも『ワンピース』は漫画家・尾田栄一郎による「個人出版」作品ではなく、「集英社(出版社)発行の出版物」であり、そのクオリティの担保ないし維持の責任は出版社側にあるから。
以下、詳しく解説していきます。
目次
ワンピースの劣化原因は「編集者」にあると考える理由
①第三者の目なくして、作品の質を維持し続けることは不可能
この点は「嫌なら読むな」は最も無価値で有害な主張である理由でも結構触れたため、重複する部分もあるのですが、編集者という「第三者」の客観的意見なく、「作者1人」が「週刊連載」で「何十年」も世間(何百万人もの読者)との感覚をズラさずに作品の質を維持し続けることは不可能です。
尾田先生も人間である以上、「自分以外の何か」が心理面・精神面へもたらす影響から逃れることはできません。
娘さんが「おそまつさん」にハマっていたので、「娘に愛されたい一心で(ヴィンスモーク家)の四つ子設定を考えた」という例からも分かるように、「世の中に存在する自分以外の何か」は、それが人であれ情報であれ、簡単に人間の心理や思考に影響を与え、それは作品にまで及ぶ可能性があります。
エロ描写を喜ぶファンレターばかり届けばエロ描写を増やそうと思うかもしれませんし、ギャグや変顔を絶賛するコメントが多ければ同様の描写を多用したくなるかもしれません。
ミステリー漫画の作者と対談をしたらミステリー要素を追加したくなるかもしれませんし、他作品で幼女キャラが話題になっていたら、負けじと幼女キャラに媚びさせる描写や新たな幼女キャラを追加したくなったりするかもしれません。
考察系YouTuberたちに元ネタを暴露させれて先の展開を予想され尽くしてしまったら、当初の構想から大きく内容を変更したり、これ以上予想されないように脈絡のない「何でもアリ」の設定や展開をぶち込みたくなったりするかもしれません。
何を描いても読者や編集者から絶賛され、常にアンケート1位で、毎巻200万部も売れる状況が十何年も続けば、何が支持されているのかわからなくなったり、やりがいや張り合いがなくなって「もっと面白くなるように頑張ろう」という気持ちが薄れてしまったりするかもしれません。
逆にアンケート回答数や販売部数が下がり、「つまらない」という声が増え、人気や話題性が落ちてきていると実感すれば、話題作りのために唐突に大物キャラを登場させたり、読者が喜んでくれる(であろう)描写や展開を安易に取り入れたりして、目先の注目を集めに行くこともあるかもしれません。
それが作者にとって良い影響か悪い影響かは別として、人間である以上、そうした外部要因がもたらす影響から逃れることは絶対にできません。
編集者の力なく「作者1人」で何十年も漫画を描き続けるということは、そうした外部からの影響に伴う想定外のズレが発生する可能性が「常に」あるということなのです。
「常に」何かから影響される可能性があり、それが良い方にいくか悪い方に行くかはわからない状況で作者1人で漫画を描くということは、毎週「ズレるかズレないか」の博打をしながら連載をしているようなものです。
「ウケるかウケないか」の博打であれば、どの漫画家でも多かれ少なかれ打たざるを得ない部分があるでしょうが、「ズレるかズレないか」の博打というのは完全にリスクしかなく、打つ必要のない無意味なものです。
この「ハイリスク・ノーリターンの博打」を作者1人に打たせ続けている状況(=作者1人に丸投げして、作者1人の感覚に頼りっきりの状況)で、作品の品質を一定以上に保つことなどできるはずがありません。
そして、一度ズレが生じてもそれを矯正してくれる役割が存在せず、信者と呼んで差し支えない編集者や読者から何を描いても絶賛されてしまう状況では、尾田先生もそのズレに気づくことができないため、一般読者とのズレは果てしなく広がっていき、作品は着実に破壊されていきます。
作家本人が自分自身を完全に客観視することが「原理的に」不可能な以上、作品のクオリティを安定させるためには「客観的目線」で意見やフィードバックをしてくれる第三者の存在が必要不可欠であり、それが「編集者」の存在意義なわけです。
しかしその第三者まで「すべてを肯定するイエスマン」となり、ネームを見た瞬間「面白い」の一言で即OKを出し、質問や修正等の指示は一切なしという存在になってしまっては、作者は(自分は望んでいないとしても)「裸の王様」同然となってしまいます。
その上さらに原作以外の仕事を大量に振りまくって尾田先生の時間を奪い続けているんですから、作品が劣化していくのは当然としか言いようがありません。
ここでもう1つ問題なのが、そうして編集者による推敲や修正指示を経ていない原稿であっても、世に出したら「信者と呼んで差し支えない読者達」からは絶賛コメントの嵐となってしまうことです。
こうした読者の姿勢は作品の劣化を加速させ、多くの場合、作品の寿命を縮めることになります。この点については、「嫌なら読むな」は最も無価値で有害な主張である理由でも指摘しました。
編集者が仕事をせず、尾田先生が描いたものをそのまま掲載するだけで、盲目で従順な読者達はその出来を絶賛してくれるんですから、編集者はなおさら尾田先生1人に任せっきりになり、丸投げすることが正解だと勘違いし、自分が口を挟むことをしなくなっていくでしょう。
たとえ編集者視点で「直すべき」と思った部分があったとしても、「どうせ読者は絶賛してくれるのだから、下手に手は加えず、尾田先生の感覚を信じてそのまま世に出した方がいい」という思考になってもおかしくありません。
こうして客観的視点を失った作品は、一般読者とのズレを見極められる人間がいなくなるため、劣化が止まらなくなり、人気や話題性はみるみるうちに低迷していきます。
その成れの果てが「ワノ国編」であり、「エッグヘッド編」なわけです。
もちろん読者には何の罪もありません。今のワンピースを心から楽しめているのであれば、それはそれで何の問題もない。問題なのは、編集者が客観目線で作品を評価することや、改善点を見極めて作品のクオリティを維持する仕事を放棄してしまった(ようにしか見えない)ことです。
大半の読者が納得しない展開や、受け入れられない後付け設定、説明不足で理解できない不自然な描写に対して、SBSや作者コメントを通して後から「言い訳」を加えて正当化するか、触れることなく雑にスルーするばかりで、これまでのワンピースの魅力はほぼ全て壊滅してしまいました。
「ワノ国編」を通して、ワンピースは大量の「一般読者」を失い、それはこれからのコミックス販売部数に顕著に現れてくるでしょう。
②『ワンピース』は「集英社(出版社)発行の出版物」であり、そのクオリティ担保ないし維持の責任は出版社側にある
多くの人は、「漫画がつまらなくなったのは漫画家の責任である」と考えると思います。
もちろんキャラクターやストーリーを考えて実際に描いているのは漫画家本人なので、その内容や面白さについて作者に責任があるのは当然です。
しかしながら、集英社発行の「週刊少年ジャンプ」という「商業誌」へ掲載している以上、その作品の「最終的な品質」の担保、ないし維持の責任は作者ではなく、集英社側にあります。
われわれ読者が購入しているのは「週刊少年ジャンプ」や「ジャンプコミックス」であり、それらは集英社が発行しているものであって、尾田先生の個人出版、自費出版によるものではないからです。
掲載可否の判断や、連載の継続(or打ち切り)の裁量権が出版社にあり、編集者が最終的にOKを出したものが掲載される(OKを出さなければ掲載されない)以上、同誌に掲載されている作品のクオリティは、編集部の責任によって維持・向上されるべきであり、最終的に掲載された作品の質に関しては出版社が責任を負わなければなりません。
それは、たとえば作品の内容にクレームが入った場合に、作者が直接クレーム対応や謝罪をするのではなく、原則として出版社や編集部が対応をすることからもわかります。
あるいは『ハンター×ハンター』でほぼ下書き状態の原稿が掲載されたことに対して批判が起こった場合も、冨樫先生ではなく、ジャンプ編集部が責任を負わなければなりません。最終的に「下書き状態でも掲載すべき」だと判断したのは編集部だからです。
同様に、今のワンピースは「このクオリティで掲載しても問題ない(掲載するに足るクオリティである)」と編集部が判断しているから掲載されているわけですから、その判断に対する責任は、編集部が負うべきものです。
漫画家には「漫画を自由に描く権利」はあっても、「それをジャンプに掲載するかどうか」の裁量権はありません。
だからこそ、編集者は常に客観的視点から作品の内容や面白さを見極め、「週刊少年ジャンプに掲載するにふさわしい(読者が満足してくれる)作品」であるかどうかを判断し、クオリティが落ちていると感じたり、販売部数や人気が下降気味だったりしたら、それを改善するべく対処しなければならず、それは編集者として一番重要かつ基本的な仕事のはずです。
果たして「新世界編」以降のワンピース編集者たちは、そうした仕事をきちんと全うしているのでしょうか。
私には到底そうは思えません。「前半の海」を通して培ってきたワンピースの魅力がほぼ破壊し尽くされ、ここまで明確な「劣化」を遂げている惨状を見て、「新世界編」以降の編集者達の仕事ぶりを評価することなどできるでしょうか。
「一度人気が出たら全てを漫画家1人に丸投げし、そのクオリティに関する責任も漫画家任せにする」というのは、単なる職務怠慢・責任放棄であり、編集者・出版社の価値を提供していない(状況に甘んじている)ことと同じです。
それも「原作に専念できるような環境を整えた上で、作品のクオリティ維持を作者に一任する」のならまだしも、原作以外の仕事を大量に振りまくって原作の時間を奪い、クオリティ低下をもたらしておきながら、改善の手を打つことなく、それを加速させるような動きばかりしているんですから、もう救いようがありません。
ワンピースは何を描いてもアンケート1位が取れて、コミックスの発行部数も300万部以上を維持し、200万部は安定して売れる国民的作品だから、内容の良し悪しやクオリティを客観目線で精査することをせず、作者の自由に描かせているのだとしたら、編集者の存在意義など皆無です。
そして、尾田先生一人におんぶだっこの状態で、(編集者が何もしなくても)毎年何十億円もの売上が生まれる状況になれば、尾田先生自身が「編集者をあてにせず、全て自分で考える(打ち合わせは電話のみ)」というスタイルを希望したり、尾田先生の発言権が(本人は意図せずとも)増してしまい、編集者が口出しできなく(口出ししづらく)なったりするのも当然でしょう。
編集者もプロなんですから、今のワンピースの作画やストーリー、セリフ周りの劣化には当然気づいているはずですし、販売部数の低下等の数字面については確実に把握しているはずです。
それを野放しにした上で、(コミックスの売上減をグッズや関連コンテンツで補填するかのように)他の仕事を増やしまくって、最も重視すべき原作のクオリティ維持や改善に手を打とうとしないことが私は許せない。
編集部は依然として(尾田先生にとって有意義な意見などできないであろう、経験浅く未熟な)新人を担当に就け続けるという判断をしています。
その結果ワンピースは、もはやキャラもストーリーも修正のしようがないレベルまで破壊し尽されてしまいました。
「前半の海」の貯金だけでなんとか読者をつなぎとめてきた「新世界編」も、ワノ国編を通していよいよ貯金を食い潰しきり、エッグヘッド編は本当に出涸らしのように何もないカラッぽなワンピースが描かれ続けています。
大好きだったワンピースがここまで酷い作品になってしまうなんて、「前半の海」の頃は本当に1ミリたりとも想像していませんでした。
23巻の時点で「ワンピースは100巻は続くだろう」と予想し、どれだけ長く続いても絶対にファンでい続けられる自信があり、むしろ無理に終わらせようとせず永遠に連載を続けてほしいと願い、それでもずっとファンでいられると確信していた私は、今の状況が本当に信じられない。
「大人になったから見る目が変わった」わけでは決してなく、子どもの目で見ても大人の目で見ても「前半の海」は最高に面白い漫画ですし、「新世界編」は別作品かのような劣化を遂げていることは疑いありません。(その具体的な指摘をしているのがこのブログです)
そのような劣化を遂げさせてしまったのは、間違いなく編集部に責任があると私は思います。
尾田先生に問題はないのか?
こういう話をすると、
- 「尾田先生が編集者にアイデアを出すなと言っているんだから仕方ないだろう」
- 「尾田先生が天狗になって傲慢な態度をとっているから編集者が口出しできなくなってしまったのでは?」
といった意見が飛んでくるかもしれません。
尾田先生自身、「人のアイデアだと描く気がなくなる」「自分の作品だから自分のアイデアで描きたい」といった理由で、「アイデアは出し過ぎないでほしい」と担当編集者に伝えているそうです。
しかしながら、これは「自分の描いているものに一切口出しするな、疑問を持つな、感想を言うな、質問をするな、意見をするな」という意味では絶対ないはずです。
事実、尾田先生は、担当編集とは対等な立場で常に漫画作りをしたいから、「先生」ではなく「さん」付けで呼んでくれとも伝えているようですし、「素直に感想を言ってくれ」とも言われているそうです。(もちろん実態がどうかはわかりませんが…)
なので尾田先生が描いたものを見て、尾田先生が描きたいものを理解した上で、それがきちんと伝わるセリフやコマ割りや構図になっているか、読者がわかりやすい、読みやすい描写や構成になっているか、あるいは作品やキャラを破壊させる描写や展開になっていないか、辻褄の合わない無理な設定や展開になっていないかなどについて、客観視点から意見やフィードバックをすることは問題なくできるはずですし、それは当然行うべき「通常業務」のはずです。
編集者に必要なのは、尾田先生に真正面から「つまらない」と伝えることではありません。
尾田先生に「もっと面白いアイデア」を提供することでもありません。
尾田先生が描こうとしていること、描きたいことを理解した上で、それが読者目線からして「面白い」と感じるかどうかを判断し、面白いと感じないのだとすれば、それは何故なのか原因を分析してフィードバックをして、チューニングを行っていくことです。
それも、きちんと「伝え方」にも配慮した上で、「(作家の性格に合わせた)コミュニケーションの取り方」をしていけば、いくら相手が大御所で日本一の漫画家だろうが、編集者として必要最低限の仕事は絶対にできるはずなのです。
たとえばわかりづらいと感じたセリフや描写があったら、「ここわかりづらいですね」と指摘するのではなく、「ここはこういう理解で間違ってないですか?」と質問(確認)をする。
「その理解であっているよ(orそうではなく、こういう意味だよ)」と言われたら、「そうなのですね! この表現だとこういう誤った解釈をされてしまう可能性があって、尾田先生の意図がきちんと伝わらない恐れがあるので、こういう表現にしたほうが伝わりやすくなりませんか?」のように提案(あるいは質問)をする。
あるいは「(私の理解力の問題でもありますが)最初に読んだ時に〜という印象を受けてしまったので、たとえばこういう表現にしたほうがよりわかりやすくなりませんか?」のような提案をする。
その言い方すら難しいようなら、「最初に読んだ時に〜と解釈してしまったので(表現を変えたほうが伝わりやすくなるお思うので)すが、この表現は、今後の展開のためにも絶対に変えられない重要なセリフだったりしますか?」のように質問(確認)をしてみる。
「いや、そういうわけではないよ」と言われたら、「では、こういう表現に変えるのはどうか」と確認し、「このセリフは今後こういう意味を持ってくるから変えるわけにはいかないんだよね」と言われたら、それを加味した上でその表現やセリフが妥当かどうかを判断する。
つまり、ダメ出しをするのではなく、一読者として、客観的に感じたことを素直に伝えつつ、「質問」や「確認」という形で作家の意図を引き出していくなかで、よりよい表現に至るように(よりよい表現が見つけられるよう)導く役割を担うということです。
尾田先生がその質問すらさせてくれないような人間性だとは私には思えませんし、こうしたコミュニケーションすら拒絶したり、即不機嫌になって壁を作ったりするような人間が、25年も第一線で連載を続けられるはずがありませんから、普通に答えてもらえるでしょう。
むしろ尾田先生なら、その質問をされた時点で「そうかこの表現だと伝わらないか…じゃあこういう表現に変えるべきかな」と前向きに考えて、すぐに別案を出してくれるかもしれません。
もしその表現を採用することに「確固たる意志」や「そうすべき妥当な理由」があったり、尾田先生ののっぴりならないこだわりがあったりすれば、あえてその表現にしたほうがいいという判断になるかもしれません。
しかし単純に「日本語としておかしい・わかりづらい」「セリフが不自然でキャラクターが生きているように感じない」「作者の作意が出過ぎていて感情移入ができない」といった問題は、編集者としてきちんと指摘した上で、改善案を出して対処すべき最低限の業務だと思うのです。
そして「新世界編」はとにかくのこの手のセリフが多すぎるため、作品の説得力やリアリティが失われ、締めるべきシーンも締まらなくなり、感情移入できる余地がほとんどなくなってしまいました。
最近で言えば、ステューシーの「眠らせただけよ あなたもそうして」なんて、日本語として意味不明であることに誰もが気づきそうなものです。
こうした明らかにおかしいセリフは、きちんと指摘して修正してもらうべきですし、そもそも尾田先生も、そうした指摘や提案があれば修正しようと思うはずです。
編集者に「素直な感想」を求めていながら、その声を一切受け入れず、完全無視して自分の考えたセリフを押し通しているとはとても思えません。
質問をしたら答えてもらえる(コミュニケーションを完全に拒絶されているわけではない)のであれば、それだけで、まず編集者としての基本的な業務は絶対にできるはずなのです。
「毎週ネームの提出がギリギリなので、そんなに時間をかけたコミュニケーションや、ブラッシュアップを行っている時間などない」というのであれば、その時間をとれるよう原作以外の仕事量を調整すべきですし、「そんなことをせずとも毎週アンケート1位でファンはずっと絶賛してくれているのだから問題ない」と考えているのであれば、読者を舐めてることと同義であり、編集者としての存在価値はありません。
仮に「尾田先生に全任せして丸投げし、編集者は一切口を挟まない(尾田先生もそのやり方を望んでいる)」という場合であっても、客観的目線で「作品が劣化している・つまらなくなっている」と感じれば、その原因を考え、改善策を見出し、実行するのが編集者(や編集部)の仕事だろうと思うわけです。
それはジャンプの掲載作品を守るということです。ワンピースほどの国民的人気作品であれば、多くの読者の生きがいの1つとも言えるわけですから、ジャンプ編集部としては、他の作品とは比にならないリソースを割いてでも、その作品を守る責任があると私は思います。
たとえばこの先、尾田先生が「ルフィの最後のライバルとして“クソクソの実”のうんこ人間を出そうと思っています。もちろん、読者からは『こんな考え方はつまらない』と批判されるかもしれませんが、それはそれで、いちエンターテインメントだなって。一つの作品が“大変なことになったぞ”っていう話題も面白いんじゃないかなって」と言い出したとして、それに編集部がOKを出したとしたら、それは尾田先生ではなく、編集部が作品を破壊したようなものです。
どれだけ大御所の作家だろうと、大ヒット作品を生み出した天才作家だろうと、商業誌に掲載される作品である以上、作家に好き勝手自由に描かせることだけが絶対的な正解ではありません。
その「考え方」や「エンターテインメント」はその作品にとって本当に正しいか、面白いのか、読者が求めているものなのかを読者目線できちんと見極め、作品を守ることこそ編集者の役割なはずです。
こんな言い方をすると、
- 「内部の情報を知らないのに外部の人間が偉そうなこと言うな」
- 「集英社が採用した優秀な編集者達が担当している上、さらに優秀な人間が編集長にいるのだから、お前程度の考えてることなど当たり前にわかっていて、その上で、今の状態なんだろう」
と言いたくなる人もいると思います。
もちろん内部の人間にしかわからない事情や、今の状態にならざるを得ない都合もあるのでしょう。私が外野から好き勝手言っているだけの立場であることは確かです。
私が考えていることなど、優秀な人材がそろう集英社では当たり前に考えられていて、すでに万策尽きている状況か、編集部はワンピースをもはや「金儲けの道具」としか考えておらず、お金になれば作品の質など関係ないという考えのもと、まだ人気を維持できている今のうちに作品を消費し尽くす方策をあえて取っている可能性もあります。
しかし尾田先生や編集者達の発言や、メディア出演時の様子を見る限り、そんな地獄のような状況とは到底思えず、「尾田先生の人間性に問題があって編集部が諦めている」と考えるよりも、「編集者が勝手に尾田先生を神格化して、率直な意見や改善のためのフィードバックをしなくなった」とか、「尾田栄一郎の名前や描き下ろしを使うだけで関連商品がバカ売れするため、それに味をしめて尾田先生に外部仕事を依頼しまくり、原作の時間を奪うようになった」と考えた方が、ずっと納得できるわけです。
たとえば以下のような状況であれば、編集者以上に尾田先生側に問題があると言えるかもしれません。
- 何より尾田先生自身が、原作以外の仕事をしたがっており、編集者が原作に集中できるよう他の仕事を減らそうとすると、「それでは描かない(描けない)」と言われてしまうため、やむを得ず、原作以外の仕事もたくさん入れるようにしている(=原作以外の仕事をいれているからこそ、連載を継続できている)
- 編集者が作品に対する意見やフィードバックをしても、尾田先生は一切聞く耳を持たず、「打ち合わせは電話のみ」「原稿に対する質問や提案はNG」を頑なに貫き、明らかな日本語的間違いの指摘でさえそのまま掲載せざるを得ないくらいパワーバランスが逆転しており、もはや誰にも止められない暴君と化している(=編集部は作品の劣化や改善点に気づいているし、それを解決するために最大限の努力をしているが、尾田先生が聞く耳を持たないため、手の打ちようがない)
しかし私には、尾田先生がそんな人間性だとはとても思えませんし、万が一上記のような状況だとしても、雑誌・コミックスの発行をおこなっているのが出版社側である以上、その状況を改善するために動くのが仕事だろうと思ってしまいます。
編集者に求める2つのこと
では具体的に、担当編集者は何をすればいいのでしょうか。
私が望むのは以下の2点だけです。
- 尾田先生が原作の創作に集中できる「時間」と「環境」の確保。
- ネームに対する「客観的視点」によるフィードバック(「伝え方」まで配慮したコミュニケーション)
何も難しいことではなく、編集者としてあまりにも当たり前すぎる通常業務だと思います。
1つ目については、原作以外の仕事量や負担を減らすことをはじめ、今の連載ペースでは精神的にも体力的にもクオリティを維持することが難しいのであれば、長期休載をとったり、隔週や月1連載に変更することなどして連載ペースを落としたり、といった選択肢も入ってきます。
もちろん連載ペースが落ちることなど読者は求めていないでしょうし、ワンピースが休載することでジャンプの販売部数も大きく落ち込むでしょうから、その決断をすることはなかなか容易ではないでしょう。
しかし大半の読者は、尾田先生の抱える尋常ではない仕事量とその多忙ぶり、命を削って仕事をしている実態を理解しているし、その上で原作の劣化が顕著であることにも気づいているわけですから、「尾田先生の健康のため」「ワンピースを無事完結させるため」「より面白いワンピースを描くため」という理由であれば、長期休載に入ったり、連載ペースを落としたりすることに、理解を示してくれる人のほうが多いはずです。
それによって「前半の海」の頃の最高に面白かったワンピースが戻ってきてくれるのであれば、そのクオリティで最終章を描ききってくれるのであれば、長期休載も連載ペースの低下も読者は受け入れてくるでしょう。(まぁ個人的には「時すでに遅し」で、ニカの設定を追加してしまった時点で、もう今から「前半の海」の面白さを取り戻すのは不可能だと諦めていますが)
また、近い将来ワンピースが最終回を迎え、集英社は「ワンピースの載っていないジャンプ」を売っていかなければならないのですから、ワンピースに代わる新しい作品を育てるという視点からも、最終回を迎える前の時点で長期休載をとる、という判断は現実的に検討しうるだろうと思ってしまいます。
実際、『鬼滅の刃』にせよ『呪術廻戦』にせよ『チェンソーマン』にせよ、ワンピース後にも大ヒット作品は生まれており、後進が育っていない状況でもないのに、何でこの尾田先生1人におんぶだっこの状況を維持し続けようとするのか不思議でなりません。
「ワノ国編」の終盤に4週の休載を挟んだ際は、最終章のクオリティ改善のためにようやく長期休載で時間をとってくれたか…! と喜び、その改善に期待を寄せたものですが、連載再開後に描かれた内容を見て「あぁ、ただの映画の宣伝のための休載だったのね…」と失望してしまいました。
構成を練り直したはずの「エッグヘッド編」も酷い仕上がりで、中身がない上支離滅裂で、大半の読者が期待していない展開ばかりが細切れに描かれているだけのため、明らかに盛り上がりを失っています。
外部仕事を減らすだけで、原作に使える時間は大幅に増えるわけですから、何よりもまずは尾田先生が原作の創作に集中できる「時間」と「環境」を確保することが重要だろうと思います。
その上で必要なのが、ネームに対する「客観的視点」によるフィードバック(「伝え方」まで配慮したコミュニケーション)です。
時間が増えただけでは、必ずしも作品が面白くなるとは限りません。
前述の通り、尾田先生一人の脳と思考に頼りっきりで、「尾田先生がいいネームを描いていくるのをひたすら待つ」だけでは、世間との「ズレ」を埋めることができないからです。その状況では、仮にネームの時間が倍になったとしても、目に見える成果は得られない可能性が高い。
だから編集者が、編集者としての基本的な職務を全うすることが必要なのです。
もし新人編集だと(世代的にワンピースへの思い入れや熱量、ストーリーやキャラクターへの理解が弱く)その責務が全うできないのであれば、それができる人材を配置するべきですし、仮に尾田先生が新人を担当に就けることを希望しているとしても、きちんと編集部の意向や理由を伝えた上で、説得を試みるべきだと思います。
歴代編集者が担当したエピソード
最後に、ワンピースの歴代編集者がそれぞれどのエピソードの期間を担当していたのか、ネットの情報を参考にまとめてみました。
※「担当期間」はWikipediaを参考にしており、正確な情報かどうか裏取りまではしていません。
担当期間 | 担当エピソード |
---|---|
浅田貴典(1996年 – 2001年4月頃) | 第1話〜アラバスタ編(177話〜180話辺り迄) |
土生田高裕(2001年4月頃 – 2005年2月頃) | アラバスタ編〜ウォーターセブン編(355話〜358話辺り迄) |
渡辺大輔(2005年2月頃 – 2006年10月頃) | ウォーターセブン編〜エニエスロビー編(430話〜433話辺り迄) |
川島直樹(2006年10月頃 – 2007年11月頃 | エニエスロビー編〜スリラーバーク編(477話〜480話辺り迄) |
大西恒平(2007年11月頃 – 2008年6月頃) | スリラーバーク編〜シャボンディ諸島編(502話〜505話辺り迄) |
服部ジャン=バティスト哲(2008年6月頃 – 2010年12月頃) | シャボンディ諸島編〜魚人島編(606話〜609話辺り迄) |
井坂尊(2010年12月頃 – 2014年6月頃) | 魚人島編〜ドレスローザ編(749話〜752話辺り迄) |
杉田卓(2014年6月頃 – 2017年1月頃) | ドレスローザ編〜ホールケーキアイランド編(851話〜854話辺り迄) |
内藤拓真(2017年1月頃 – 2019年) | ホールケーキアイランド編〜ワノ国編(929話〜966話辺り迄) |
高野健(2019年 – 2020年) | ワノ国編序盤〜中盤(967話〜999話辺り迄) |
岩崎湧治(2020年 – 2023年2月) | ワノ国編中盤以降〜エッグヘッド編序盤(1000話〜1075話辺り迄) |
穴山(2023年2月〜) | エッグヘッド編〜 |
※「担当期間」が「尾田先生から原稿を受け取っていた期間」を指しているのか、「担当した原稿が掲載された期間」を指しているのかわからないため、担当エピソードには多少のズレが生じている可能性があります。
たとえば2010年12月まで担当していた「服部ジャン=バティスト哲」氏は、2010年12月まで尾田先生と原稿の打ち合わせをしていたのか、自分が担当した原稿が掲載されたのが12月までだったという意味なのかはわかりません。
おそらく前者だと思いますが、その場合は、1月に掲載された原稿(610話「占い師マダム・シャーリー」〜612話「助けたサメに連れられて」辺り)まで服部氏の担当だった可能性があるということです。
なぜこんな細かいことを気にするかというと、「服部ジャン=バティスト哲」氏は、明らかに『バクマン。』で亜城木夢叶を担当していた「服部哲」のモデルとなった編集者であり、同作での服部さんはとても優秀な編集者として描かれていて、私も大好きなキャラクターだったので、この方がワンピースを担当していたのであれば、その期間のクオリティは高いものであってほしい(現実世界でも優秀な編集者であってほしい)という思いがあったからです笑
結論としては、「シャボンディ諸島編〜頂上戦争編」という個人的に最高にワンピースが盛り上がっていたと感じる期間を担当していたため「さすが」だと思った一方、「頂上戦争編」終結後、長期休載が明けて新世界編が始まったのが2010年10月なので、2010年12月まで担当していたとなると、「2年後(新世界編)」の序盤も担当しており、2年後の始まり方についても服部氏のOKを受けたことになってしまうので、にわかには信じがたいというのが正直なところ笑
「シャボンディ諸島編〜頂上戦争編」までの描き方や面白さと、2年後のそれとは明らかに別物であり、同じ編集者が担当しているとはどうしても思えないんですよね…。
そのため、実際はキリよく「前半の海」までを担当して、「新世界編」からはメイン担当が井坂尊氏に切り替わり、服部氏は引き継ぎなりサポートなりの立場で関わっていただけなのではないか、と勝手に思っています笑
この点、もし内情に詳しい方がいたらぜひ教えていただきたい。
もし新世界編以降もしばらく服部氏がメインで担当していた(服部氏のOKを得て世に出ていた)のだとしたら、井坂氏には丁重に謝罪させていただきたいと思います。
ネットの情報によると、井坂氏は入社1年目の12月頃から担当したことになります。おそらくジャンプ編集部が新人編集者を育てるために、(すでに不動の人気と確固たる地位を確立したワンピースなら、新人を就けても崩れることはないと判断してか、はたまた尾田先生の意向からか)「新世界編」以降のタイミングで体制を一新し、新人編集を就けることにしたのではないでしょうか。
しかし新卒で会社員になった経験のある方ならわかると思いますが、1年目の12月なんてまだ仕事を覚え始めた段階であり、自分の仕事ぶりや考え方、判断基準に明確な自信を持てるような状況ではありません。先輩に教えを乞い、サポートをしてもらいながら1つずつ仕事を形にして、経験を積んでいるような時期でしょう。
そんな状況で、果たして「日本一売れている漫画家」に対して忌憚のない意見など言えるでしょうか。尾田先生から感想を求められた場合のみ、忖度しながら回答するくらいがせいぜいで、基本は「尾田先生が描くことに間違いはない」と考えて全肯定しながら、原稿を受け取るだけのスタンスとなっても何ら不思議ではありません。(もちろんこれはただの憶測であり、何の根拠もないのですが)
さて、その後の以下の3名に関しては、テレビ番組やYouTubeチャンネルなど、メディアに出演する機会も多く、その仕事ぶりや考え方をメディアで披露する機会も多かったため、お名前もお顔も認識しています。
- 杉田卓氏(2014年6月頃 – 2017年1月頃) ドレスローザ編〜ホールケーキアイランド編(851〜854話辺り)
- 内藤拓真氏(2017年1月頃 – 2019年) ホールケーキアイランド編〜ワノ国編前半(929〜966話辺り)
- 高野健氏(2019年 – 2020年) ワノ国編前半〜中盤(967〜999話辺り)
私はこの人達が「ワンピース担当編集者」としてメディアに出て、その仕事ぶりや考え方を披露している姿を見て、「あぁ…これはワンピースはつまらなくなってしまうのも当然だな…」と感じていました。
私が「ワンピースがつまらなくなった」と感じ、編集者に対する怒りの感情を抱くようになったのは「パンクハザード編」の終盤から「ドレスローザ編」にかけてですが、実際にその思いをブログを書き始めるきっかけとなったのは、「ホールケーキアイランド編」の844話「ルフィvsサンジ」です。
ここで「お前が『海賊王』になれるかどうかも…疑わしいってのが本音だよ」というセリフをサンジに言わせたことがどうしても許せなかった。このセリフをOKとして原稿を通してしまった編集者に心底腹が立った。
上記のWikipediaの情報に間違いがなければ、844話を担当したのは杉田卓氏です。なぜこのセリフOKとしたのか、小6時間くらい問い詰めたい。それくらい私にとってはあり得ない、絶対に許容できないセリフでした。
その考えは未だに変わっていません。あのセリフを吐いて以降、サンジがルフィの仲間に見えなくなってしまったのですから。
次の担当の内藤氏は、「ORICON NEWS」のインタビュー記事(2019年11月14日)で、以下のように語っています。
【内藤】ぼくが尾田さんから今後の構想を聞いた限りでは「これ5年で終わるか?」と正直、思わなくもない。でも尾田さんが5年と言い切ったなら、きっちり5年で終わらせるとも思うんです。
今の「ワノ国編」の怒涛の展開を見る限り、確かに5年で終わらせる事ができるテンポ感に実際なってきています。
そう言ったという事は、尾田さんが考える「こんな島にも行きたい」とか、作中に張られてきた様々な伏線とか、読者の皆さんが知ってるだけでも山ほどあるのに、そういう全部がここからの5年間ものすごい密度で描かれていくという事です。
https://www.oricon.co.jp/news/2148735/full/
これは2019年夏頃に尾田先生が「あと5年で終わる」と発言したことを受けてのコメントかと思いますが、このインタビューを読んで、こりゃダメだと思いました。
まず「尾田さんが5年と言い切ったなら、きっちり5年で終わらせるとも思うんです」というセリフが、いかに普段から思考停止状態で尾田先生と向き合っているか、ただ原稿を受け取るだけの受け身の仕事をしているかを如実に物語っています。
自分が能動的に制作に関わり、毎週作家と二人三脚で限界まで思考し、血反吐を吐きながら作り上げている自負があれば、こんなセリフは絶対に出てきません。
全て尾田先生任せで自分は制作に関わっておらず、作家を一切ハンドリングできていないと言っているようなものです。
たとえばドラゴンボールの初代編集をしていた鳥嶋氏が、「鳥山さんが5年と言い切ったなら、きっちり5年で終わらせるとも思うんです」なんて無責任な発言をする様が想像できるでしょうか。絶対にありえないでしょう。
また、「今の『ワノ国編』の怒涛の展開を見る限り、確かに5年で終わらせる事ができるテンポ感に実際なってきています」というセリフも、一体何を見ているのかとツッコみたくなるレベルで的外れなことを言っています。
このインタビューを受けた時期から察するに、おそらく光月おでんの過去を通してロジャーの冒険について描いていた頃だと思います。(内容的には、コミックス発売時に「全伏線、回収開始」と銘打って過剰表現のプロモーションを行ったあたりでしょう)
たしかに、ロジャーの冒険のダイジェスト展開(早送り感)を見れば、テンポが良くなっていると感じるのもわからなくはありません。しかし内情を知らない1読者の印象としてそう感じるならまだしも、担当編集がそのわずか数話の描き方を見て、「確かに5年で終わらせる事ができるテンポ感に実際なってきている」と解釈するのは、あまりにも安直すぎないでしょうか。
「実際に5年で終わらせることを一つの指針として、日々制作に向き合っています」のような発言であれば、5年完結を目指して二人三脚で取り組んでいることが伝わってきますが、「尾田さんが5年と言い切ったなら、きっちり5年で終わらせるとも思う」「確かに5年で終わらせる事ができるテンポ感に実際なってきている」という言葉からは、尾田先生に丸投げで自分は制作にはノータッチだと言っているようにしか聞こえません。
実際、鬼ヶ島上陸後、百獣海賊団との全面戦争はグダグダで、「雷ぞうvs福ロクジュ」の対面から決着までに合計32話もかかり、ただ睨めっこしてるだけの茶番対決に5話も使ったシマツでした。
どこが「怒涛の展開」で、「確かに5年で終わらせる事ができるテンポ感に実際なってきて」いると言えるのでしょうか。
むしろ無駄なことを描きすぎて間延びしていて、話数合わせのために引き伸ばしているとしか思えないと感じる読者のほうが多かったはずです。
この時は担当が変わっているとしても、「ロジャーの冒険のダイジェスト展開」だけを見て「確かに5年で終わらせる事ができるテンポ感に実際なってきている」と安易に受け取っている時点で、ワノ国編の全体像すらまるで見えていなかったことが露呈してしまってます。
また、
尾田さんは一昨年のイベントで、「あの頂上戦争編がかわいく見えてくる」ほどのストーリーがこの先待っていると言っています。その言葉通りの5年間に間違いなくなるでしょう。
https://www.oricon.co.jp/news/2148735/full/
という発言も、「尾田先生が言うんだから間違いない」と妄信しきっているだけで、自分の頭で考え、仕事することを放棄しているとしか思えない発言です。
こうした考え方や仕事の仕方をしている人が編集者をやっている限り、残念ながらワンピースが勢いを取り戻すことはないでしょう。
尾田先生一人におんぶ抱っこのまま、好き勝手描かせるだけでは、世間とのズレはどんどん広がっていくばかりです。
コミックス97巻のSBSで、尾田先生は次のように述べています。
今「ワノ国」盛り上がってますけども、ルフィが無事ここを出航できたなら、世界的展開、誰も読んだ事ないような大興奮の物語、OP史上〝最も巨大な戦い〟を描く事になります。面白いです!!
『ワンピース』コミックス97巻のSBS
このコメントも、今見るともはや空回りした痛々しい発言にしか見えないので切なくなってきます。当時はまだ尾田先生の「面白いです!!」という言葉に期待や信頼を寄せることができましたが、今はもうその信頼感は皆無となりました。
今のような描き方をしていたら、OP史上〝最も巨大な戦い〟も大して盛り上がらぬまま終わってしまうことは間違いありません。
少しずつコミックスの販売部数が減っていき、話題にならなくなり、勢いを失い、しりすぼみとなって、一部の「信者と呼んで差し支えない妄信的なファン達」だけから絶賛され、世間的な評価は「終盤に向かって大幅に劣化が進み、勢いを失った残念な漫画」となってしまうでしょう。
次の担当の高野氏は、あるテレビ番組でワンピースの担当編集者に密着するという企画をやっていた際に登場した方かと思います。
この件は、「ワノ国編前半がつまらない理由」の記事で触れたので、そちらを引用します。
以前、あるテレビ番組でワンピース編集者の仕事ぶりに密着していたのですが、そこでは尾田先生の電話の話し相手になるのが仕事(打ち合わせ)で、いつでも電話に出られるようにしている、といったことを(得意げに)語っていました。
電話では尾田先生が一方的にアイデアを話し、編集者のリアクションを見ながら面白い面白くないを判断している(のではないか)といったコメントもありました。
その後、ネームの締切を何日も過ぎているのに連絡が取れない状況に陥り、「やばいやばい」「まじでやばい」と頭を抱えながら、「電話出てくれ〜」とひたすらデスクの固定電話から尾田先生に電話をかけ続ける様子が放送されました。(ロボットにもできる仕事です)
作画の時間が(たしか)残り1日ちょっとしかなく、「やばい、マジで原稿落ちるかも…」という状況でようやくFAXで送られてきたネーム。
それを読んだ編集者は、「超おもしろい!!」の一言で即OK。
内容に対する確認も質問も追及も、修正箇所の指摘も一切なく、諸手を挙げて賞賛します。
もちろんあくまで放送された部分だけの話なので、裏では別のやりとりもあったのかもしれません。しかし、もし修正点があれば「ちょっとだけ修正が必要ですがそれ以外は大丈夫!! 最高に面白いです!! よかった間に合いそうで」のようなコメントをすると思うんですよね。
修正があること自体は作品を批判するコメントではないし、むしろ「既にギリギリなのにさらにここから修正が入るのか…!」と視聴者に伝わったほうが、編集者の作品に対する思い入れや作り込みの苦労が表せて、番組としてもより面白くなるじゃないですか。
つまりこの編集者は、ネームに修正指示を入れることなく、即OKを出した可能性が高いわけです。
まぁそもそも、作画の時間が1日しかないのにネームの修正など入れられるはずもありません。
こうして何の「編集」も「手直し」もなされていない、尾田先生の初稿ネームがそのまま作画されていくわけです。
このシーンを見た時、「あぁ…こんなやり方してるからワンピースはここまで劣化してしまったんだな…」と絶望しました。こんな尾田先生一人におんぶ抱っこのやり方で、作品が良くなっていくはずがありません。
具体的に何話目のネームだったかはわかりませんが、放送された時期やチラっと映ったページを見るに、おそらく「ワノ国編」の鬼ヶ島上陸前だと思います。
私からすれば、鬼ヶ島上陸前に修正が1つもないほど完璧なエピソードなんて1つもありません。むしろ修正すべき点が大量にあるまま掲載されていることに憤りを抱くものばかり。
だからネームを見て即OKを出したこの編集者には、開いた口がふさがりませんでした。
もしネームを見て、「決していい出来とはいえないが、もう時間がない…」「週刊作家は一週間という限られた時間で作れる最良のものを描くしかないんだ 今回はもう限界だ これでいこう」という(『バクマン。』の服部さんの)スタンスでOKを出したのであれば、まだ今後の改善に期待を持てたんです。
もちろんそんな発言をテレビで流せるわけないので、そうしたスタンスを持っていることが感じられる発言や仕事ぶりがわかればよかった。
しかしこの編集者は、デスクで延々頭を抱えながら電話を繰り返すばかりで、ようやく届いたネームを見て「超おもしろい!!」と大満足の表情で一発OKを出しました。
これを見て「あぁこの人ダメだわ。この人が担当についている限り、ワンピースが面白くなることはないわ」と思いました。完全に『バクマン。』の港浦タイプです。
もしかしたら、尾田先生自身が今のようなスタイルを希望して、(編集部の反対を押し切って)強行しているのかもしれません。
でもね、尾田先生だって、打ち合わせする意義のある編集者が相手だったら、こんなやり方してないと思うんですよ。
打ち合わせしても作品のクオリティを上げることにつながらない無駄な時間だから、会うこともせず、電話で話すことを打ち合わせにしてしまったのではないでしょうか。
要は有益な意見や指摘をしてこない、毒にも薬にもならない編集者だから見切りをつけられており、その結果、誰も口を出さない(出せない)状況になってしまったのではないかと思うのです。
果たして、編集者に見切りをつけた尾田先生と、無能すぎて頼られなくなってしまった編集者、どちらが悪いのでしょうか。
【ワンピース】「ワノ国編」前半がつまらない理由
上記で指摘した内容について、改善すべき本質的な問題とはどこか。
それは「ネームの受け取りが遅すぎる」という点です。
作画の時間が1〜2日しかないタイミングでネームが送られてきても、編集者としては修正指示など入れられるはずがありません。
では、「修正すべき箇所があると感じていても、時間がないから仕方ないと諦めてOKを出す」のが正しいのでしょうか?
やむを得ない事情により、何度かそういうことが起こってしまうのは仕方ないかもしれません。しかしこれが常態化することを許容するのは、明らかに編集部側の怠慢です。
「ネームの提出が遅れてしまう原因は何か」を考え、「どうすればネームを早く提出してもらい、内容を精査した上で作画に入る体制にできるか」を考えて、改善策を実行するのが編集者の役割であり、何よりも優先してやるべき本質的な仕事でしょう。
それをやらずに、「尾田先生に任せていけば大丈夫」「尾田先生の描くものが絶対的な正解であり、自分は意見など挟むべきではない」「どうせ何を描いても読者は絶賛してくれるんだから、原稿が落ちさえしなけれ問題ない」と言わんばかりに丸投げし続けてきたのだとしたら、ワンピースを破壊したのは編集者達の責任と言っても過言ではありません。
一読者として外部から見る限り、あれだけ原作と無関係の企画に描き下ろしや直筆コメントを求められ、監修やらプロデューサーやらをやらせまくったりしていたら、ネームが間に合わないのも、作画に時間が取れないもの、結果として作品が劣化してしまうのも当然としか思えません。
その後の、担当編集岩崎湧治氏(2020年 – )に至っては、(ネットの情報によると)1996年生まれの2019年に入社であり、ワンピース連載開始の時は1歳です。「前半の海」をルフィと一緒に冒険をして仲間を増やし、仲間達と共に毎週少しずつ海を進んできた感覚などないでしょうから、尾田先生から「ニカ」のアイデアを聞かされた時に、それを止めることも異議を唱えることもしなかっただろうと想像してしまいます。
そして最近、1075話が掲載されたジャンプの巻末コメントで、編集者が穴山氏に変わったことが報告されました。
一瞬、「もしや今の劣化具合や販売部数の低下に編集部がいよいよ危機感を覚え、映画も終わってひと段落したタイミングで、ベテラン編集者に変えて最終章の立て直しを図り出したか…!?」と淡い期待を寄せたのですが、調べてみたところこの方も2022年入社の新人さんだったため、その期待はあっさり打ち砕かれました。
もちろん入社年次だけで判断すべきではないので、今後数話でどのくらい内容に変化が生まれるのかはチェックしたいところではありますが、編集部が「尾田先生には新人編集者をつける」というスタンスを変えないということは、変化や改善が必要とは考えていない(可能性が高い)ということですから、このまま何も変わらず、劣化したクオリティのまま最終話まで突き進むことになりそうだな…と落胆した次第です。
これがもし「担当は新人をつけてくれ」という尾田先生の強い要望や、「新人をつけてくれないと描かない」というワガママによって編集部がそれを受け入れている、という状況なのであればまだ話は変わってきますが、それでも私は、それが原因で作品が劣化していることに気づけば、編集部はそのワガママを放置せずに何らかの行動に移すべきだと思います。
たとえ尾田先生個人に問題があったとしても、そこも含めて管理し、良質な作品を世に届けるべく身を削るのが編集者の仕事であり、責務であるはずだからです。
ワンピースほどの国民的人気作品なら尚更、いや、国民的人気作品だからこそ、ジャンプ編集部にはクオリティ維持のために細心の注意を払い、最大限のリソースをかけた上で、最終回まで描き切るサポートや作品を守り抜く努力をして欲しいものです。
それをせず、「FILM RED」なんてカラっぽの映画の興行収入を釣り上げるためだけに、尾田先生に描き下ろしをさせまくって原作の時間を奪いまくる編集部には怒りの感情しか湧いてきません。
だから私は、ワンピースの劣化原因は「編集者」にある、と言いたいのです。
400万部発行し、300万部も売れていた国民的作品が、「ワノ国編」のクライマックスで190万部しか売れない作品にしてしまったのは、確実に編集者・編集部に大きな責任があります。
日本一面白い漫画が破壊されていく様子を傍観し、私含め100万人規模の読者の「一週間の楽しみ」や「生きがい」を奪ったといっても過言ではありません。
私の中で「ワンピース」は「史上最も好きな漫画」であり、まだ「前半の海」での評価の貯金が残っているからです。
ワンピースが大好きだったからこそ、この先改善されることを(いつまでも)期待して読み続けてしまっているわけです。その期待や熱量がゼロになったら読まなくなると思います。
実際「エッグヘッド編」以降、つまらなさが許容量を超えてきており、熱量は急速に冷めてきています。コミックスも104巻からついに購入をやめました。
ジャンプは購読して読み続けていますが、これもお金の無駄だと感じるようになったら卒業するかもしれません。
ニーズがあるからです。
上記の通り、最初は「史上最も好きな漫画」であったことから、(この先つまらないワンピースとして残りのエピソードが削られていくことに耐えられず)改善されることを願って批判をしてきましたが、もはや作品は崩壊し切ってしまったため、今は改善を期待しているわけではありません。
ただ、ワンピースという作品は、日本一売れている漫画だからこそ、熱量の高い(高かった)読者も多く、私と同様に「つまらなくなってしまった」と感じ、それを無念に思い、不満や釈然としない気持ちを抱えている読者の数も多いのです。
そういう方達にとっては、自分の気持ちを代弁してくれる記事や、自分の本音の感想をコメントして、同様の感想を抱いている方達と共有できる場には一定の価値があり、そうしたニーズに応えることにもまた一定の価値があると思っているため、運営を継続しています。
ニーズがあるからです。
ブログのようにテキスト情報だけ(それも超長文)だと、文章を読み慣れていない人にはハードルが高かったり、読む気にならなかったりする(実際、そのような声やリクエストがあった)ため、記事を動画化してYouTubeに投稿することにしました。
もっと批判や誹謗中傷コメントで溢れるかと思っていましたが、(ブログ読者の方に限らず、新規の方でも)共感し、更新を楽しみにしてくださっている方が相当数いて、ここにもニーズがあることがわかったため、運営を継続しています。
余計なお世話としか言いようがありません。
自分の人生の時間の使い方は自分で決めます。
あなたこそ、見ず知らずの他人の人生に意見するような無駄な行為に時間を使うのはやめたほうがいいのではないでしょうか?
他人の人生に口を出す前に、どうぞ自分の人生の心配をしてください。
論理が破綻しており、全く筋違いな言い分です。
プロの作家が商業作品として世に販売している時点で、それを購入した側が評価したり、感想を述べたりするのは当然に許された権利です。
私は読者(消費者)であって、漫画家ではありません。漫画を描きたいわけではなく、面白い漫画を読みたいからお金を払って購入している立場であり、購入した作品の内容に不満があるから、批判的な感想を述べているわけです。
あなたはお金を払って観に行った映画が酷い仕上がりでも、「自分に映画は作れないから文句は言えない」と考えて口をつぐむタイプですか?
購入したゲームがクソゲーでも、「自分では作れないから文句を言う資格はない」と考えるタイプですか?
お金を払って観に行った音楽ライブで、アーティストが音を外したり声が出てなかったり歌詞を間違えまくったりして全く感動できないパフォーマンスを披露しても、「自分のほうが歌が下手だから批判すべきじゃない」と思うのでしょうか?
飲食店でマズい料理を出されても、「自分で作れないんだから(店を開いてないんだから)文句を言う権利はない」とか、「文句を言えるように、まずは自分で作れるようになろう(店を出せるようになろう)」と思うのでしょうか?
市場に商品として投下されている時点で、それを購入した消費者からの評価は避けられません。作り手はそれを分かった上で、自らの意志で作り手側(買い手から評価される立場)を選んでいるのです。
一方の消費者は、自分ではできないからこそお金を払って人に任せているのであり、そこで期待したクオリティに達していなかった場合に、低評価を下したり、批判したりするのは当然に許された権利です。
「購入した商品について批判するためには、自分がその商品以上のクオリティのものを作れなければならない(文句を言うなら自分で作れ)」なんてあまりにも本末転倒で筋違いな暴論です。
頭の悪い人だとバレてしまうので、金輪際そうしたコメントはしない方がいいですよ。
尚、私がこのブログで批判しているのは、基本的に尾田先生(漫画家)ではなく、担当編集者です。編集者視点で、「なぜこの部分を直さないのか」「なぜこの内容でOKを出してしまうのか」という批判をしているのです。
その意味でも「文句言うなら、自分で描いてみては?」という主張は的外れですが、もし「文句言うならお前が編集者をしてみろ」と言われ、実際に依頼をしていただけるのであれば、私は喜んでお受けします。
そして、私が編集者になった後のワンピースがつまらなければ、当然批判も受けとめます。
その覚悟を持って(編集者を)批判していることをご理解いただければと思います。
心配しています。
このブログでは、基本的に尾田先生ではなく、担当編集者を批判するスタンスをとっており、尾田先生の健康や多忙を心配するコメントを過去に何度もしています。
なんなら長期休載に入ることや、連載ペースを落とすことを推奨している立場であり、そうした対応をせずに原作以外の仕事を次から次へと振りまくって尾田先生に負担をかけ、作品の劣化を放置し続ける編集者を批判しているのです。
なぜなら、1人の人間が週刊連載で何十年も面白い作品を(世間とのズレを生む事なく)描き続けることなど、そもそも不可能だからです。肉体的に困難なのはもちろん、作者1人の感覚で何百万人という読者の感覚とズレることなく、質の高い作品を描き続けることなどできるはずがないのです。
そのズレを正すのが編集者の役割であり、作品の質を維持するためには編集者の客観的視点が不可欠だというのに、全く機能していないことが露骨に作品に出てしまっており、にもかかわらず原作以外の大量の仕事を振って尾田先生からネームや作画の時間を奪い続け、作品の劣化に歯止めがきかない状況を進行させているため、その点を指摘して批判をしているわけです。
尾田先生の健康面の心配はしていますし、「作品への批判」と「健康面への心配」は両立するものです。
思いません。
「少年漫画」だから大人の観賞に耐え得るクオリティになっていなくて当然(あるいはそれでも問題ない)という考え方は、「少年」の読解力や感性を「(自称)大人」の勝手な思い込みと偏見で侮り、間接的に「少年漫画」を見下していることと変わりません。レッテルに囚われた思考停止人間の典型です。
少年を侮り、少年漫画を見下し、少年漫画のファンとして感想を述べ合う大人達を「異常」だと言ってのける人間のほうが、よっぽど異常だと私は思います。
読者アンケートの順位は相対的なものなので、「1位のままだからワンピースは劣化していない」という論理は成り立ちません。
ワンピースがどれだけつまらなくなっても、他の作品が抱えているファン数がワンピースよりも少なければ、ワンピースは永遠に1位のままです。「アンケート回答するファンの数=作品の絶対的な面白さ」ではありません。
ワンピースは「前半の海」で蓄積した熱狂的ファンがあまりにも多いので、ジャンプのアンケート回答においては、今度もほとんど1位をとり続けるでしょう。
私の中で「信者」の定義は、「何を描かれても無条件に絶賛し、全て肯定的に解釈して作者を持ち上げる読者」を指しています。
そのため「つまらない部分やおかしいと思う部分は多少あれど、普通に面白いし楽しめている」とか、「前半の海よりも面白さが失われたとは思うけど、新世界編も総じて楽しめている」といった読者は、私の言う「信者」には含まれません。
作者にとって有害かどうかは作者が決めることですので、本人に聞いてみてください。
ただ「つまらない」「くだらない」「ゴミ」「読む価値がない」「お金の無駄」「オワコン」「資源の無駄」といった捨て台詞で、作品を貶めるだけの(ほとんど誹謗中傷でしかない)批判は「有害」だと思いますが、きちんと作品を読み込んだ上で、「なぜつまらないのか」「何が問題なのか」を考え、「どうすれば改善されるのか」まで提示した上で行う「論理的な批判」は、(作者個人は求めていないにせよ)私は「有害」とは思いません。
というより、そうした批判を行う権利は誰にでもあるので、それが有害かどうか議論すること自体がナンセンスです。
それこそ「嫌なら読まなければいい」のです。
煽り体制が低いのは事実ですが、勘違いコメントや難癖コメントを放置すると、それを見た方に誤解を与えたり、場が荒れたりしやすく、早々に対処しておく必要があるため、説明なり反論なりをしています。
えてしてそういうコメントをする人ほど、放置するとそれを「肯定」と見做して、さらに誤解を強めて暴走しやすい傾向にあるからです。
たとえば「煽りコメントにだけ返信してねェw 効いてる効いてるww」とか「図星だから反論できねェんだw」とか「何も言い返せないから逃げやがったww 悔しかったら反論してみろやww」のような言い分です。(そうなると対処にさらに時間がかかるので、早めに処理しています)
また、私への直接的な質問系のコメントやうれしいお言葉にも、できるだけ早めに答えるようにしています。
記事への感想や建設的なコメントについては、読者さん同士でコメントやリアクションをしていただけているので、慌てて私がコメントせずにおまかせしている部分もあります。私がコメントするとそこでやりとりが終わってしまい、読者さん同士の会話が生まれづらくなったりもするので。
色々状況を観察しながら、よいコメント欄になるよう運営していきたいと思っています。
正直今のワンピースは「漫画作品」というより「金のなる木」としか見られてないと思ってる。
作者からもジャンプ編集からも集英社からも。
ベテラン漫画家に新人編集、新人漫画家にベテラン編集を付けるのは漫画業界の悪しき伝統ですね。その結果、ベテラン漫画家になればなるほど天狗になり、傲慢な態度が目立つ人が増えていると聞いたことがあります。この慣習を脱却しなければ本当の意味で漫画業界は良くならないのではないでしょうか?
クソクソの実のウンコ人間は微妙にオモロイので却下で
因みにですが2023年度の日本のコミック市場シェアは7割電子書籍、3割単行本で、電子書籍が成長しているデータが出ています
電子書籍のシェアが増え過半数以上を閉めている中、100万本の減少で収まっているという事は全体で見れば寧ろ増えているのでは?
なんだこいつ…って思ってたけど読んでみたらすごく筋が通っていて本当にワンピースが好きなんだなって思った。
おれは漫画よく分からんから今でもめっちゃおもろいって思ってます(たまにアレ?って思うところはあるが)
悲しい、ほんと悲しい
作者のまとまらないストーリーを右から左で掲載して結果読みづらくなるってなると編集さんが仕事してないのが原因?と言うのもわかるし、それも起こっている可能性も高いと思います
ただキャラ崩壊とも言えるセリフのおかしさ、魅力を出そうとする工夫が見られないのは作者の判断によるものだと私は思うので、それがひたすら悲しいです。
これは個人的な要望ですが、この記事を再編集・再構築して動画にすれば
結構な人から反響を得ると思います。編集部が機能していないんじゃないかと
言っている人はXやまとめサイトのコメント欄でも見かけたので、もしかしたら
なべおつさんが動画にして発表したら、隠れ賛同者がかなり居ると思いました。
どうしてこんなことになってしまったのでしょうね。ただただ悲しいの一言に尽きます。魚人島の時は小学生だったのでなんとなくで読んでましたが、今になって読み返すともう魚人島以降は読みたくなくなります。僕の語彙力では伝えきれないほど素晴らしかったワンピースが、二年後になってチープになってしまったのが見るに堪えられません。もうこうなったらマザーフレイム爆発させて麦わらの一味以外を全員消してしまって、それからエルバフ編をしてもらっても全然かまいません。
どうせ今後もナレーション主体で進められていくに違いないでしょうから、無駄を端折ってワンピースやDの意思とは何かを早く見せてもらいたいです。
別の作品を出して何ですが、NARUTOは青年編以降は物語の質はともあれ、画力と構図に関しては(途中おかしなところは確かにありましたが)基本的に一定のレベルで、岸本先生にしか書けない場面が多々あったので読めました。当然ながらキャラの絵は潰れないし、絵は本当に綺麗でしたね。いまのワンピースにはそれもない…。
ワンピースのキャラってワノ国編の緑牛とか的外れなことを言うのは、作者が非論理な人間だからですね。
非論理的とは
1.言いたいことがわかりにくい
・話がダラダラと長くなる
・テーマがコロコロと変わる
・「~かもしれない」「でも…」と曖昧な言い回しをする
・自分の意見がない
このうち「話がダラダラと長くなる」と「『~かもしれない』『でも…』と曖昧な言い回しをするベガパンクに当てはまっています。テーマがコロコロと変わるというのも最初ニカとジョイボーイの話をしていたのに、それも関係なく海面上昇と古代兵器の話になっていました。
2.結論への意識がない
これもベガパンクは結局何が言いたいのか結論の意識がありませんでした。結論の意識とは自分が最も相手に伝えたいこと、つまり「あなたには~をわかってほしい『~を』の部分がそもそも話し手の意識にない可能性があります。結局ベガパンクは話し手を意識せず自分の言いたいことをただ言いたかっただけということでしょうか。
これまでは作者が非論理的でも編集が論理的に軌道修正していたからワンピースに非論理性を感じませんでしたが、今は編集が何も修正していなくて作者の描きたいまま描いているから作者の非論理的な部分が作品ににじみ出ています。
なぜワンピースが新人作家が描いたようなレベルなのに編集が何も言わないのか、集英社もジャンプ編集部も放置しているのか、それがわかればワンピースの劣化原因がわかるのですが。それとも本気で集英社もジャンプ編集部も今のワンピースを面白いと思っているのか。
いずれにせよ会社の体制を変えない限りワンピースは劣化の道をたどっていくでしょう。もちろん今のワンピースを絶賛する信者もいますが、このまま行くとそれ以外の読者はもう読まなくなり離れていくと思います。
10年前のほこたての番組では、服部さんは頂上戦争編を担当と言っていたので、新世界編はその後の編集者さんなのでは?
本ブログの色々な記事を拝見しましたが、この記事がワンピースの現状の問題を正しく捉えていて最も価値がある記事だと思いました。
可能ならこの記事について集英社に意見を聞いてみたいくらいです。
少年ジャンプの編集は非常に狭き門で、高学歴で優秀な方々が多く採用されてると聞きます。それなのにこの現状はどういうことなのか?
私が思うに作品の劣化には気づいているが、どんな内容でも多くの信者は絶賛するし、本誌や単行本の売り上げにもさほど影響がないので、それなら忙しいスケジュールの中で尾田先生の手を止めてまで修正させたり、意見を交換する時間もメリットが少ないからやめておこうという消極的かつビジネス的なスタンスなのではないかと考えてます。
尾田先生には悪いけど,ワンピース制作専門スタジオを作って欲しい。先生には原案,ストーリーの流れだけ作ってもらい,作画や校正は集英社の漫画家やスタッフを集める方式で。月一連載でもいいので,クオリティの高いワンピースが読みたいです。例えそれが,今の尾田先生の絵で無くとも。
2ch時代のころからワンピ関連のスレでも編集は仕事してないと言われてて、ずっと半信半疑だったけど、バオファンの能力が鬼滅のキャラの能力と似てて、編集者は仕事してないんだなと確信した。
額にお札貼って視界を共有する能力の元ネタがあるのかはわからないけど、その時一番人気のある漫画と設定が被るのは、まともな編集者ならパクリだと疑われるリスク犯すより素直に映像電伝虫使かわせるでしょ。
新世界に入ってからコマ割りだったりセリフ回しが明らかにおかしいのにそれについて触れているネットの意見があまりなかったので大変感激しました。
おそらく編集部は尾田先生に何一つ意見も言えなくなっていると思います。
読者にとっては読みにくいコマ割りだったり、変に区切った見開き乗っけたり、無くても良いセリフ、設定、ルフィの言動の矛盾、あげたらキリがないですが、集英社に入れるほどの逸材がこんなことに気付かないわけないですもん。
本当に新世界に入ってからはおかしくなりました。
今のジャンプはワンピースの新世界編の時より看板タイトルがなかなか生まれない状況。おまけに呪術廻戦もヒロアカもワンピースよりずっと完結に近付いている。
ぶっちゃけ今のジャンプは近く未来に完結するワンピースの質を構えていられない。
ビジネスとしては看板タイトルだけ力を注ぐのは危険だし。依存してしまったらなかなか完結させることができない。ワンピースは質が落ちても信者でまだある程度自走できるが。新作の立ち上げは軌道に乗る前は過酷だからどうしても経験のある編集者を新作の立ち上げに回してしまう。
なんで主力の少年ジャンプにいきなり新人を入れるのかも謎。普通主力に入れるとしてもある程度の経験がある人を入れるじゃないの?ナルトもブリーチも終盤おかしくなるのがもはやお決まりのようなものだし
この記事もYouTubeで動画化してください。
絶対に反響があると思います。
今の原作ワンピースの環境を例えるなら鉄オタを大量に入社させた鉄道会社みたいですよね。
まぁ集英社を志望する人で「ワンピース」を読んでいないという人はまずいないと思うので当然と言えば当然と言えます。無意識にワンピースは素晴らしい作品であり、その作者である尾田栄一郎は天才であるという思い込みから逃れられないのだと思います。もはや今の集英社に客観的にワンピースを分析する目はない。
あるいは作品の劣化に気づきつつも、改善を諦め、少しでも消費者から搾り取ろうとしているのかもしれません。
>編集者もプロなんですから、今のワンピースの作画やストーリー、セリフ周りの劣化には当然気づいているはずですし、販売部数の低下等の数字面については確実に把握しているはずです。
どうなんでしょうね。連載会議でタイパラが通ってる時点で編集部はもうダメなのではと思います。読んだ事が無くてお金を払いたくないならジャンプラで3話まで読めます
疑問におもったこと
尾田先生て予想されたら展開変えるんですよね?
読者に予想された内容を確認するために、読者がどのように反応して予想してるのか先生自身が調べてるはず(間違ってたらごめんなさい)だと思っています。その過程でまったくネガティブな反応を全く一切見ずに読者の予想を調べることは可能なのかと疑問に思っています。
なので編集が意見を出さなくなっても、先生は読者の反応は気にならないのかなと思ってます。
もし読者が反応して予想した内容を、編集が代わりに調べてて読者予想のみを先生に伝え、反応を伝えてないのなら編集が悪いと思います。
1098話が下書き状態になって掲載され、扉絵で謝る作者
去年は目の治療で休載が1か月以上になり、その後も定期的に
休載をはさむくらいになってしまっているのが現状
そのくせ作者にテレビ番組やYoutuberの取材に出させる
映画にも製作総指揮として作者にやらせて、負担が倍増
その割には「ガーランド聖」など誤植の台詞をそのまま
過去には数字の間違いやキャラのベタ塗りも間違えました
そしてコミックスで修正する発言をXで何度も繰り返している
ハッキリ言って編集部が漫画家をちゃんと管理していないんです
本来編集者って全部生原稿読んでからセリフの誤字脱字を指摘し、
自分で直すことも出来るはずです、それが全く出来ていないですね
ただ原稿を受け取ってそのまま印刷工場に渡したら終わりですか?
挙句の果てにはYahooでも作者の代わりにインタビューを受ける
そんなことだから本来の業務である漫画が崩れてしまったんですよ
最新の記事は場違いなのでここに書きますが、某呪いの漫画の作者が
一話でボツになったキャラを出したうえに、掘り下げも無く殺してたんですよね。何のために出したのか全く分からなかった。
ボツにした当時の編集は有能だなって思ったんですけど、もしかして集英社は軌道に乗った漫画家は放置してるんじゃ?と感じました。
なので、別格の地位にあるワンピースとその作者が独断的に見えるのは偶然ではない気がします。SNSが発達してコンテンツの大供給時代が始まり、編集部は首が回っていないのかもしれない…。
野放しになった漫画家は好き放題にやってるんじゃないでしょうか。作者に「つまらない」って言える編集もそう居ないだろうし、尾田さんなんかは性格上「今描いてるものが最上」だと思っていそうだし。
商業漫画は一人じゃ描けないって事がよく分かる現状ですね。
ここ数年のワンピースが面白くなくて同じ意見の人がいないかと「ワンピース 劣化」で調べたところ当ブログを発見。
私がなんとなく感じていたことをここまで言語化していることに感動しました。他の記事も確認してみます。
お初です。
ささやかな”感動”を覚えた。
ONE PIECEを誰よりも愛し、誰よりも評価して”いた”僕が、今の(新世界編以降右肩下がりに)ONE PIECEを酷評している理由が、明確に書かれていた。
ここまで意見が一致することがあるのかと言う程、僕が今まで大したONE PIECEを知らないだろうファン達に説こうとしても無駄だった事が、ほぼ全て書かれていた。
そう、一つピックアップして述べさせて貰うなら、「言葉の重み」ってありますよね。
ONE PIECEの、尾田っちの大好きなところの一つは、言葉運びの巧さや、言葉の無駄のなさ。それが「正直海賊王になれるかも疑わしい」ですもんね。どうしちゃったんだか。もうめちゃくちゃなんすよ、”まともに”作品を読み込める僕や主さんからしたら。
もう、子供向けなんでしょうな。
感動しすぎて文章が独りよがりな自己満みたいになってすんません。続けます。
僕がいっつも言ってた、今のONE PIECEって、まるで「過去の面白さの貯金の切り崩し」のようだって表現を、まさか使う人がいるとは思いもしませんでした。いやぁ、いるもんやなぁ。。。。。。。
そら面白いんすよ、今まで散々大風呂敷広げてきた伏線を回収すりゃぁ。今まで散々神格化してきたキャラを登場させりゃぁ。今まで散々丁寧にキャラ作りしてきたメイン達を戦わせたり死なせたらすりゃぁ。
……”本質”じゃないんすよねぇ。カップラーメンみたいな、ジャンクフードみたいな、味の素みたいな。そりゃ美味いんすよ、脳科学的にも。けど、”質”低いんすよねぇ。
もう無限に書けるんだけど、長くなっても申し訳ないし、多分全部伝わってると思うので。伝わってると言うか、もはや”一緒”なんで、この辺にしておきます。
初めてこういうブログ的なの見たな。コメントも初めてだから、これで主さんに届くのかも分からん。ただ感動したってことだけ、伝えたいな。ここまで”一緒”ってのが、もう泣けるわ。ほな。
周りが絶賛している中、自分はところどころしか読んでないライト層で少年漫画もあんまり読まない女だから魅力がいまいち分かってないんだと思ってたけど、ここで言語化されていて、やっぱり自分と同じように感じていた人がいたんだと思った。
東の海編は何度読んでも飽きないしワクワクするのに。だが、最新刊になるにつれて、どうもページが進まない。
ワンピースの魅力は、一言で語り尽くせないほど大きいものだと思うんだけど、今の自分の語彙力であえて言語化するなら、新しい場所へ冒険する時のワクワク感、世界の秘密、キャラクターの信念やかっこよさ、一味の個性が溢れる掛け合いやギャグ、そして海賊時代のロマン溢れる世界観、その中に現実でも存在する差別など時代が変わっても変わらない人間の本質を上手く織り込んでいる所だと思う。
それらが、冗長なバトルシーンやグダグダな展開で本当に読む気がしない。
初期の伏線が気になるので、早く読み進めて最新号に追いつきたいが、白黒の漫画だと書き込みが多すぎて読むの疲れるんだよね。だから脳死で見れるアニメを倍速で見てるんだけど、闘いが長くて、正直声優さんと作画へのリスペクトだけで何とか見れてる感じ。
それでも、あくまでも少年のための漫画だし、こういうバトルシーンがたくさんある方が少年達にとってはワクワクするのかな。
こういう大人の女読者はハナからターゲットじゃないからどうでもいいのかな。
けれど、自分の中にもある少年心というか、冒険心や好奇心みたいなものをくすぐられるこの漫画が好きなんだけどな。
とにかく、初期の面白さは間違いないと思っていて今との違いは担当編集だと思っていたので、(自分はかなりのにわかで筆者のよつに詳しくもないし熱量もないですが)同じように考えている人がいてすごく共感できました。
編集が仕事してるにしろしてないにしろそもそも初稿の段階であんな幼稚なセリフやリアクションがポンポン出てくること自体がもうおかしい。SBSのノリだって幼稚で寒いし。こんなんが40代の大人で漫画家だなんて信じられない
この記事俺が読解力低いからなのか知らないけど尾田を擁護してるような感じするんだよな。なんか編集に全ての責任があるみたいな言い回しというか
そもそもワンピースの説明セリフの多さとしては今の日本人の読解力の低さも原因になってるんじゃないかと思うわ。ワンピースに限らず最近の漫画は昔と比べて説明セリフ増えた印象あるけどやっぱ編集部も読解力が低下してるんかなって思うわ。鬼滅が説明セリフがかなり多いのは編集の意向と言われてるけど、読者の読解力が低いと思ってるのか、単純に担当編集の絵を読み取る能力が低いのか(それだとなんで編集やってんだよって話だけど)。漫画じゃないけどアニメもここ最近はマジで説明セリフ増えまくってるし作り手が映像で表現する力も見る側の映像で場面を読み取る力が相当低下してるからこういう表現になってるように思えるわ
最近のジャンプ編集部はマジで機能してないも同然の状態だと思う。だからニセコイとかいうクオリティ低い漫画が生まれ、鬼滅などもストーリーはいいのにカットすべきセリフが散見され、本題のワンピースの構成の悪さが全面に出まくってるという現状だからな
ワンピース劣化の原因は編集もそうだけどイナゴが蔓延っていることと、作者および集英社がイナゴに媚び始めたことが原因とも言える。イナゴもそれに媚びている公式もアニメ・漫画を衰退させるだけの害悪な存在でしかない
服部編集(以外バティ編集)については名前だけモデルで、顔や編集者としての描写のモデルは現在副編集長(最新の手塚賞では事務局長)をされている齋藤優氏らしいですよ。なのでバクマンでの服部さんを超優秀と感じるならバティ編集ではなく齋藤編集の方だと思います。
とはいえバティ編集もワートリを立ち上げたりしているし、担当期間を面白くしているところはあるので全く実力がないとは思いませんが…。
何度もなべおつ氏に質問してる人って文章似てるけど同一人物?質問したいなら1つに纏めた方が主も答えやすいと思うよ
ワンピースの劣化原因って編集と作者にもあるけど、1番はここ最近の新規読者の読解力が低下していて、作者と編集はそれに合わせて説明セリフなどを増やしているようにも感じられます。なべおつさんはどうお考えでしょうか?
実はワンピース連載前、鳥嶋氏はワンピースの原稿を3回没にしたと聞いたことがあります。4回目はなんとか通ったものの猛反対されていたらしく、当時は鳥嶋氏も見る目ないのかと思ってしまうかもしれないですが、今の現状見てるとそれも正しかったと言えますね。なべおつさんはどうお考えですか?
この記事主は休載に関して擁護してるけどさ、原作以外の仕事を断ればいいだけだけだろ。新世界入ってからずっとそれで休載しまくってるやん。原作に集中さえすれば休載なんてしなくて良いはずだし、ほとんどの漫画家は原作以外の仕事も休載もほとんどしないぞ?
尾田先生が映画の監修やったのはオマツリ男爵の1件があったからではないかと思っているんですが、なべおつさんはそこをどうお考えでしょうか?
加齢に伴って長期的ストーリーを書く能力が衰えている
アラバスタ~エニエスロビーあたりは少年漫画の完成形とも思える出来だったが
ぶっちゃけ連載初期の頃から、今の状態の片鱗はありましたよね。
パース付け過ぎて奥のキャラが小さ過ぎて何やってるか分からない構図、モブや周辺キャラに台詞で状況説明させるのもクラハドール辺りからすでに気になったし。
バロックワークス辺りからキャラが多いと持て余すのも露呈してますよね。
バギー海賊団のモージやワポルやゲンゾウの風車みたいな「主要キャラじゃないから思い付きでそのまま描きました」みたいな記号的な適当デザインも「自分は子供向け漫画を読んでるんだ」と再確認させられてるようで当時から気になりました。
それでも面白いと思えたのはストーリーがそれを上回るほど面白かったからなんでしょうね。
今はもう考察の裏をかく展開を描こうと必死で、唯一の魅力だったストーリーや積み上げてきた設定がグチャグチャにされていってます。
その「当時のストーリー」が編集の仕事だったとしたら今は編集は完全に仕事投げてるし、すなわち「今のグチャグチャなストーリーのワンピースが尾田栄一郎の本当の実力」ってことなんでしょうね。
編集によって劣化してる部分は否定出来ないですけど、ニカとか物語の中心の設定は編集だけじゃどうしようもないと思うんですよね。ワノ国以降酷くなったキャラデザ、悪魔の実の秘密?なども作者の好みであったり、後付けであっても本人が決めた設定として編集が良くなっても変わらない部分だと思います。
まぁそれを最終的にチェックするのが編集、出版だからどうにかしてほしいってのは理解出来ます
この記事は「編集の怠慢が作品を劣化させた」ことを強調してるけど、作者に口出しできない状況を作ってる集英社の経営体制と尾田栄一郎本人にも重大な責任があると思いますが、なべおつさんはそこらへんどうお考えなのですか?
ドラゴンボールは鳥山が編集者の言いなりになった結果とんでもない蛇足編が生まれてんだけど?
365日24時間尾田先生からの電話を待機しているon offが出来ない体制のワンピースの担当者にメリハリのある良い仕事が出来るとは到底思えない。
数年前、ONE PIECE担当の編集者を密着した番組を見たが「作者のモチベーションを上げる」のがどうやら担当者の仕事で、作者の機嫌を損ないようにする事、イイ気分にさせる事に全振りしているようにしか見えなかった。
だから数年で変わる集英社の会社員や作画アシスタントとは別に専属のマネージャーを雇った方が良いように思う。
簡単な英語のスペルミスですら高学歴の担当は気がつかない(か訂正出来ない日程で入稿されるのか)ようだから、ペン入れ前に文字チェックする人はいた方が良い。
集英社もそうだけど東映アニメーションもいつまでワンピースやドラゴンボールにすがるつもりだろうな。集英社はこれからの漫画も色んなのがあるだからいつまでもドラゴンボールやワンピースに縋るなと思うし、東映アニメーションはプリキュアだけじゃとてもやっていけないのは分かるけど、ジャンプアニメは2010年代から駄作連発してるんだし、今後のためにもちゃんとした新しいアニメ作る努力しろよと思うわ。語彙力皆無で申し訳ないんですがなべおつさんはこの現状どうお考えですか?
すいません、細くなってきたので上げます。
「エースの株を下げることなくエースが死ぬ展開」とコメントした者です。
改めて、
エース死亡関連のエピソードの個人的なマイナスポイントはズバリ「無駄死に」だということ。
作者が最初から殺す予定だったキャラなのだから死ぬのはしょうがない。
大事な人を馬鹿にされるのが絶対に許せない性格なのもキャラ設定として納得できます。
しかし、時間も天候もキャラ配置も台詞も含め全てのストーリーを思いのままに操れる「神」である作者が、人気があり重要人物であるエースを「無駄死に」させる展開にしたことにどういう意味が込められていたのか。そこが分からないです。
「性格的にあそこで逃げたらおかしい」のは分かるんです。なんであんな展開にしたのかという話。
「キャラの取った行動には納得できるが、場面設定や展開はもっと何とかできたんじゃないか」という話です。
少年漫画の展開として味方重要キャラを殺す時には、「無駄死に」にならないようにするため、死ぬ前に、できれば直前に必ず「死亡に納得できるだけの活躍」がなければいけません。
それが無い場合でも、その死は「そこから主人公が成長するためのきっかけ」となる必要があります。しかもその死がきっかけだと分かるように死の直後か、なるべく早いタイミングで。
なぜならそれが「少年漫画に求められるもの」だからです。
しかし、そのどちらも明確にあったとは言えません。
だからこそ当時「無駄死に」だと炎上した訳ですし、今このコメント欄に来るファンでも少なからずこういう感想を持っている訳です。
当時アンチがエースをネタにしてはしゃいでる事にムカつきましたが、あながち間違いでもないので反論しづらく悔しかったのを覚えています。
あの展開に対して「現実はこんなもんだよ」「全てが報われるとは限らないんだよ」という擁護もありますがゴムの体の主人公なんていう少年向けの王道冒険漫画にそんなもの求めてないです。
ジャンプの、しかも大人気王道冒険漫画が人気キャラを「無駄死に」させた意味は何なんでしょうね。
本当に元からこういう無駄死にが描きたかったのか(それで何を伝えたかったのか)、週単位で区切りながら描くため上手く着地できなかったのか、そもそも描きながらストーリーを考えてるのでこうなったのか。
皆さんがあの展開をどう思ってるか感想聞きたいです。
長文失礼しました。
ワンピースの編集の密着取材に関してはまずなんで作画から1日しかない状況で取材なんかしてんだよって思うわ
>今「ワノ国」盛り上がってますけども、ルフィが無事ここを出航できたなら、世界的展開、誰も読んだ事ないような大興奮の物語、OP史上〝最も巨大な戦い〟を描く事になります。面白いです!!
確かに最終章は「誰も読んだ事ないような物語」になっていますね。
世界的な場面転換、キャラクターの劣化、ガバガバの設定…
予想を遥かに凌いでいました…
OP史上〝最も巨大な戦い〟に関しては、色々な意味で〝頂上戦争〟を超えそうな気がします(笑)
貴方は新世界編からワンピースは劣化したと言いましたが、実際はそれより前の頂上戦争からおかしくなっています。簡単に罠にかかったスクワード、挑発に乗って亡くなったエースなど頂上戦争は本当にひどかったです。なべおつさんは頂上戦争を持ち上げてるようですが、その辺どう思っていますか?
昨日のいろんな方のコメントの見ていて
思い出したことといいますか
私が魚人島から見なくなった原因の一つ、ターニングポイントに【しらほし】がいるんですね
※しらほし、及びそれ以降でてくる女キャラの個人的意見です。嫌な方は無視してください😞
↓↓↓
私はジャンプにでてくる女キャラ、だいたい大好きで、前半のナミやロビン、ハンコック、他作品の腐女子に嫌われてそうな女キャラも魅力を感じていて結構好きなんですが
しらほしがでてきたときに、「作者の女の趣味が変わったのかな」と思いました。
覚えてないだけかもしれませんがしらほしはこれまででてきた女キャラと違う、巨大さで誤魔化せないレベルの作者の幼女趣味を感じてしまい、作者がまだ20代とかなら許せる範囲ですが、これを当時アラフォーの作者が描いてるかと思うと、嫌いとかまでいかず【少し不快】を感じてしまい、追うのをやめたんですね。
それ以降の女キャラやストーリーについてはなべおつさんの記事やネット情報のみになりますが、知ってる範囲で魅力的な女キャラはでてきてないし、前半の女キャラも魅力がさがっている様子。
なべおつさんも嫌われている光月日和などは男性でさえ、魅力的どころか不快さを感じている
呪術の東堂葵もいっています
「女の趣味がつまらない男はソイツ自身もつまらない」
下の方が言った「劣化の原因は長期連載」説に同意です。
「まだ終わってない物語」で延々と商売するからこういう現象が起きるんですよね。
漫画の他にも、なろう系小説とか海外ドラマとか、客の反応を見ながら続きを変えていく事ができるスタイルだから起きる問題。
個人的には、そもそも「まだ終わってない物語」を「作品」と呼んでいいのか?といつも思ってます。
長くやってたら誰でも考え方が変わるし、人気が落ちると不安でキャラ殺したり新キャラ出したりテコ入れしたくなるけど、それで連載開始の時と「作者の伝えたい事」が変わってしまうともう同じ作品とは呼べない気がするんですよね。
あとで思い付いた事は次の作品でやってくれよと。
対策として「最初の企画から何も変更してはいけない」「長くても10巻で完結させる」とか決めれば解決だけど。
金儲けだからそうはいかないんでしょうね。
思えば、one-pieceの良さは「男子校ノリ」だった気がする。空島でルフィ、サンジ、ウソップが試練を受けるくだりや、キャンプファイヤーをやりたがるくだりなど。ルフィが悪ふざけをして、ナミに叱られる、その構図が面白かった。鬼滅の刃と比較してone-pieceは本筋がまとまってないと批判する人がいるけど、高校の授業カリキュラムを大事にしている高校生ってほとんどいないですよね。3年間のスケジュール通りに生活するけど、本当に楽しくて大切なのは、そこから脱線した日常の悪ふざけだったりするでしょう。one-pieceだってラフテルに向かって進んでいくけど、それはあくまで建前で、本当のところはサルベージしてるときのくだらないやり取りや、空島ではしゃぐ一味の様子が面白かったんじゃないか。そこが受けたから、one-pieceは人気作品になったんだと思う。だから、one-pieceには無駄が多すぎるって批判は的外れだろう。その無駄が面白かったんじゃないか。尾田先生は40を過ぎて、もう男子校のノリは面白いと思わなくなったんじゃないだろうか。one-pieceが面白くなくなった理由は、一味の会話が面白くなくなったこと、すなわち尾田先生が年をとったからだろう。人は嫌でも変わるものだから、長期連載はしてはいけないと思う。
そもそも、一味のやりとりにひかれてone-pieceを読んでいた私にとっては、人つなぎの大秘宝がどこにあるかとか、海賊王がどんな人かとか、けっこうどうでもいい。ただ、バトルが嫌いだったわけじゃない。アーロン編の「お前に勝てる」のくだりや、「こんな部屋があるからいけねえんだ」などのセリフは感動した。こんな決めるときは決めるルフィのセリフは大好きだった。
また、尾田先生は「心意気」や「信念」をテーマにしなくなった。バラティエの「心に据えた一本の槍」や、ジャヤでベラミーを相手にしなかった理由など、あとはドラムでの「ドクロは信念の象徴」のくだりとか。またはティーチの「笑われていこうじゃねえか 高みを目指せば、出す拳の見つからねえ喧嘩もあるもんだ」のセリフも最高だった。こういった「かっこいい男」「粋な大人」を書いていたから、「普通の人間」である私は最高にひかれていたのに。これもおそらく、尾田先生が年を重ねて、若者特有の理想主義、「粋な大人へのあこがれ」が薄れたことが原因じゃないか。信念と覚悟をなにより重く捉えていたころは、それぞれのバトルの勝敗は問題にされてなかった。ゼフが「少なくともあの小僧にためらいはない」「この勝負どちらが勝っても、おれはああいうやつが好きだがね」など。己の心に誓った絶対のルールにのみ従うこと、それ以外はどうでもいい、そういう描写だった。だから好きだったのに、最近のワンピは真逆じゃないか。覚悟や信念なんかなくとも、社会的に称賛されること、勝負に勝つことを第一にしている。これは尾田先生本人の振る舞いにもいえる。年を重ね、反骨精神をもった若者ではなくなり、地位も金を手に入れて変わってしまった。漫画がつまらなくなったのは、作者が変わってしまったからだ。
ワンピースは『原作者による原作レ○プ』を間近で見られる作品じゃ。
昔から好きだったあの子がだんだん父親からレ○プされるようになり壊れていく様を見ているようで、悔しいような嘆かわしいような感情に駆られ、でもそんなNTRもののような何かを見て興奮してしまうような歪んだ性癖を持つ者にとってはうってつけの漫画ぞい。