「FILM RED」の映画連動エピソードについて感想を求められることが多かったので、遅ればせながらアマプラで見てみました。
結論、中身なさすぎ・無駄な間やシーンが多すぎて退屈極まりなく、アマプラに倍速機能がないことがめちゃめちゃしんどかったです。
特に前編(第1029話)がひどかった。誰に向けた何のためのエピソードなのかまるでわからない無駄なシーンのオンパレード。「中身のないエピソードで2週分作らなきゃいけないから尺を埋めるのに必死」という制作側の苦悩を感じてしまうほど、尺埋めのためにキャラ達が不自然な「間」をとってゆっくりと意味不明なセリフを口にするばかりの、まごうことなき駄作でした。
このエピソードを見て面白いと感じられた人は、ぜひ具体的にどのシーンが面白いと感じたのかを教えていただきたいです。
以下、具体的な酷さを指摘していきます。
(アフィリエイト広告を利用しています)
目次
1029話「淡い記憶 ルフィと赤髪の娘ウタ」が酷すぎる理由
オープニング後ただ「新時代」を垂れ流すだけのシーンに2分以上
サニー号で「新時代」を垂れ流していて各々がのんびりとした時間を過ごす麦わらの一味。
ただの尺稼ぎとしか思えないほど、無意味な「間」たっぷりで、無意味な表情を描き、みんなほぼ動かず、ほぼしゃべらず、スローライフでのんびりした雰囲気の中「新時代」をただ垂れ流しているだけのシーンに2分14秒を消費します。
こんなに時間をかけてこんな退屈なシーンを描くのなら、麦わらの一味(特にルフィ)がウタのライブに興味を持つ過程について、もっと丁寧に描けばいいのにと思わずにはいられません。
せっかく映画とは別に計40分もの尺をかけてシーンや描写を追加できるのですから、映画の厚みや深みを増すための補助線部分や、本編では尺の都合上入れられなかった(整合性を取るための)補足説明を描いてくれればいいのに。
本編との連動で言えば、そもそも私はルフィはウタのライブであると認識した上でエレジアに向かうように描くべきだったと思っているので、ルフィとウタが幼馴染であることがここで明かされ、一味が驚くシーンを入れてもいいくらいです。
具体的には、以下のようなシーンです。
「新時代」を流しながらサニー号で航海を続ける麦わらの一味。
ウソップ、ナミ、サンジあたりが新聞でウタの初ライブが開催されるニュースを見て盛り上がり、ルフィにエレジアに行こうと提案する。新聞を見せられたルフィは、そこに載っている写真を見てウタのことを思い出す。
ルフィ:あれ? こいつウタじゃねェか?
サンジ:ルフィ お前ウタちゃんのこと知ってんのか!?
ルフィ:ああ、ウタはシャンクスの娘で、おれの幼馴染だ 懐かしいな〜
一同:えーーッ!!?
(いつもはこのリアクションに否定的ですが、シーンやその場のノリにマッチする使い方であれば何の問題もありません)
ブルック:ルフィさんが世界の歌姫と幼馴染!!?
ナミ:ルフィに女の子の幼馴染がいたなんて…!!
ウソップ:お前プリンセス・ウタとどんな関係なんだよ!!!
ゾロ:Zzz…
ルフィ:いや〜もうずっと会ってないからな〜 あいつ歌手になってたんだな!
(ルフィが懐かしみながら回想に入る)
タヌキやロボや暗黒女のセリフは割愛しましたが、入れようと思えば全然入れられます。
何を描きたいのかわからないルフィ幼少期のシーン
回想に入ってからも意味のわからないシーンが続きます。
「バキューン!! バキューン!!!」と叫んで、走りながらパンチの練習をするルフィ。
すると目の前に村長が現れ、村長は驚いてバランスを崩し、果物屋にぶつかって果物を落としてしまいます。
村長:またお前か
ルフィ:ごめん村長
村長:バカモン!!!
ルフィ:……(凹んだ様子)
尊重:くだらんことしとらんで……少しは…村の仕事を…手伝ったらどうだ
ルフィ:………(不自然な間)ひひひひひ〜…….しない!!!
村長:ニコニコ言うな!!!
ルフィ:シャリ….(りんごを齧る)
村長:食うな!
ルフィ:だって落ちてたんだ
果物屋:ルフィ
ルフィ:…….(果物屋に怒られると思ったのか、微妙な表情の不自然な間)
果物屋:……ルフィ腹減ってんだろ 食っていいぞ(大量の果物)
ルフィ:……うはっ
もうツッコミどころ満載で、何を伝えたいのかまるでわからない退屈シーンにしかなっていません。まずセリフがおかしくて全く会話になっていない。
自然な会話というのは以下のようなやりとりではないでしょうか。
村長:またお前か
ルフィ:ごめん村長
村長:くだらんことしとらんで、少しは村の仕事でも手伝ったらどうだ!!!
ルフィ:いやだ!!! おれは今(ピストルのようなパンチを打つための)特訓で忙しいんだ!!!
村長:だったらせめて村の外でやれ!!! こんなところで拳を振り回されたら敵わん
ルフィ:わかった(りんごを齧る)
村長:食うな! お前それお店のりんごだろう!!
ルフィ:わ、落ちてるりんごかと思って食っちまった ごめんおじさん
果物屋:いいさルフィ 腹減ってんだろ? これも持っていっていいぞ!!!
ルフィ:うはっ ありがとう!!!
まず「村の仕事を手伝ったらどうだ」→「しない!!!」は、「手伝う・手伝わない」を「する・しない」に置き換えて返答することの日本語的な不自然さがありますし、その後、村長が「手伝わない」ことよりも「ニコニコ言う」ことについて指摘するのも的外れで違和感があります。怒られても気にしない、いつも笑顔で奔放で怖いもの知らずのルフィを表現したかったのかもしれませんが、その描き方が薄すぎる。
村長は「手伝ったらどうだ」と提案しているのだから、断るのであれば「いやだ」「手伝わない」と返すのが「普通」で「自然」なやりとりであり、「しない!!!」と言わせたいなら「たまには村の手伝いくらいしたらどうだ」と言わせるべきでしょう。
その後の「食うな!」→「だって落ちてたんだ」も意味不明です。「食うな!」だけでは「なぜ食ってはいけないのか」がわからないため、村長の意図が読み取れません。「店のりんごだから食ってはいけないのか」「説教中に食ってることを注意しているのか」、どちらの意図で叱っているのかわからない。
だからその後の「だって落ちてたんだ」というルフィの言い分が正当かどうかの判断がつかず、話が噛み合っていないようにしか見えないわけです。
説教中に食ってることを注意している場合、「だって落ちてたんだ」は理由にならないので、おそらく「店のりんごを勝手に食うな!」→「だって落ちてた(から食べてもいいと思った)んだ」ということなのでしょう。
しかしいずれにせよ、「店のりんごを食うな」と言っているのに「だって落ちてたんだ(だから食ってもいいと思った)」というのは理由になっていません。ルフィが店のりんごだと認識しているのであれば、「落ちていた」ことは勝手に食べていい理由にはならないからです。
「だって落ちてたんだ」という言い分が成立するのは、
- ルフィはお店のりんごだと認識しているけど、道に落ちたからもう店のものではない(もしくはもう売れなくなった)から食べてもいいと思った
- ルフィにお店のりんごという認識はなく、ただ道にりんごが落ちていたので拾って食べただけ(目の前で村長が果物屋にぶつかって果物がこぼれた様子を見ているにも関わらず)
のいずれかの場合ですが、いずれにせよ無理のある行動です。
「食うな! お前それお店のりんごだろう!!」→「わ、落ちてるりんごかと思って食っちまった ごめんおじさん」というセリフであれば、(食いしん坊で腹の減っていたルフィは)目の前に落ちていたりんごを無意識に拾って食べてしまい、それを村長が注意したことで、店のりんごだったことに気づき、謝罪する(店のりんごを食べてはいけないことは理解している)という流れを表現できるので、ずっと自然でわかりやすいやりとりになるはずです。
この辺りのセリフの雑さというか薄っぺらさというか、意図が読み取れない一言セリフばかりで、キャラの言い分にいちいちツッコミどころが浮かんでしまうあたり、作り手側の仕事の雑さが感じられます。
その後の果物屋も、変な「間」だけ作って何の説明もなく「ルフィ腹減ってんだろ 食っていいぞ」と言い出すので、まるで考えが理解できません。落ちた商品はもう売れないからルフィに分け与えたのか、ルフィが腹減ってそうだったから落ちてない果物も含めて無償の親切心で分け与えたのか。
前者であれば「ごめんおじさん」→「いいさルフィ 腹減ってんだろ? どうせこれはもう売れねェから全部持っていっていいぞ」のようにすれば、果物屋がルフィに果物を大量に分け与えた理由もわかります。
後者の場合、なんでこの果物屋は店の商品をこぼされた上、金も払わず勝手に食べられたというのに、その点に一切触れずに何の説明もなく大量の果物を分け与えるのか不思議でなりません。普通、許すにせよ怒るにせよ、店の商品を勝手に食われたことについて一言触れませんかね。
もっというと、腹が減ってるのにあげるのが「果物」というのも(制作者側の話の作り方として)中途半端すぎてしっくりこない。「腹が減ってるルフィに村人が食べ物をあげるシーン」を描きたいのなら、もっと腹を満たせる食材(肉・魚・野菜など)を渡すシーンにすればいいのに。
ルフィは果物で腹が満たされるキャラではないでしょうに、なぜあえて果物にする必要があったのか。しかも「腹が減っていたらから」もらったその果物を、この後ゴリラとの勝負に全賭けするんです。
ゴリラとの無意味な戦闘シーン
ルフィ:お前も……これ欲しいのか?
……お前相手に特訓だ
おれに勝ったら全部やる!!!
(クソおもんないゴリラとの戦闘で、なぜかゴリラの作画だけめちゃめちゃ力が入ってる)
ルフィ:よっしゃ!! 勝った!!!
(寂しそうにその場を去ろうとするゴリラ)
ルフィ:……半分やるよ
(嬉しそうに果物を食べるゴリラ)
ルフィ:もっと食っていいんだぞ
(ルフィに種を飛ばすゴリラ)
ルフィ:飛ばすな!!! あはははは
まず、誰よりも食い意地の張っているルフィが「腹が減っている」状況だというのに、「おれに勝ったら全部やる!!!」なんて言いますかね。。食べ物を賭けるという行為がルフィっぽくなくて不自然です。
不自然な行動ゆえ、より一層「なんでこんな無意味なシーンを描く必要があるのか」と思ってしまう。わざわざ描くほどでもない退屈なシーンを、ルフィっぽくない形で描くのですから無駄でしかありません。
ルフィの幼少期の修行シーンを描きたいのであれば、素直にガープと特訓するシーンを描いてくれた方がよっぽどファンが喜ぶシーンとなり、有意義な特別アニメになったことでしょう。
また、種を飛ばしてきたゴリラに対して変な間を置いて「飛ばすな!!!」とだけ返すのも不自然です。普通飛ばされた瞬間に「わーやめろお前!! (種を)飛ばすなって!!!」といったセリフが出てきませんかね。ルフィなら自分もやり返すくらいしそうです。顔面にスイカの種を大量にかけられて、かけ終わった後に一拍置いて「飛ばすな!!!」とだけ返すなんて人のリアクションとして違和感しかありません。
その後、イノシシが登場して「うわぁぁぁぁぁ」と叫びながら逃げ回るルフィ。崖から海に落下して、溺れているところをガープに助けられます。
ガープとの不自然なやりとり
このシーンも違和感たっぷりで、まずガープの声のトーンが何故かめちゃめちゃ低く、身内に死人が出たのかというレベルでテンションが低い。なんかセンゴクとローの会話のようなテンションなんですよね。。
ガープ:相変わらずのカナヅチじゃな……それじゃ立派な海兵にはなれん
ルフィ:おれ……海兵にはならねェ
ガープ:お前は最強の海兵になるんじゃ
ルフィ:いやだ……
ガープ:?
ルフィ:おれは……もっと自由に生きるんだ!!!
ゴンッ!!!(ガープのゲンコツ)
ガープってもっと明るくてやかましくて、孫に好かれたいかわいい「じいちゃん」キャラでしたよね。「息子が革命家になった!! キチショー」とか言ってたノリの人間がこんなシリアスなテンションで孫に諭しますかね。
子供ルフィとガープの会話がこんなにも暗くてシリアスなテンションでなされていることに、違和感しかありませんでした。
セリフも雑すぎて(言葉を省きすぎていて)、なぜルフィが「海兵=不自由」と考えているのかもわかりませんし、ルフィが海兵になりたくない理由も、自由に生きたい理由もまるで読み取れません。
自然な会話にするのなら、以下のようなやりとりが妥当ではないでしょうか。
ガープ:相変わらずのカナヅチじゃのう それじゃ立派な海兵にはなれんぞ
ルフィ:だからおれ海兵にはならねェって!
ガープ:まだそんなこと言っておるのか! わしはお前を最強の海兵にするために鍛えてやっとるんじゃぞ! 世の中の人々の生活を守る立派な仕事じゃ!!
ルフィ:いやだ!! 海兵になんて窮屈だ!! おれはもっと自由に生きるんだ!!!
ガープ:わからん奴め!!!
ゴンッ!!!(ゲンコツ)
ルフィ:痛ェ!!!
このような会話であれば、
- 以前からルフィはガープから海兵になるよう言われていたことや、そのために鍛えてもらってきたこと
- しかしルフィは海兵になる気はなく、それを何度もガープに伝えていること
- ガープはなぜルフィを海兵にさせたがっているのか(海兵とはどんな仕事なのか)
- ルフィがなぜ海兵を嫌がるのか(人を守るために正義を掲げる組織に属する生き方を窮屈だと思っていて、もっと自由に生きたいと思っている)
などが表現できます。それも原作に影響を与えるほど説明しすぎなわけでもなく、原作の情報をなぞりながら、適度な曖昧さをもって見る人の解釈や想像に委ねるように描くことができます。
もちろん、ガープとの特訓シーンは今後原作で描かれるかもしれないから、アニメで勝手に触れるべきではないと判断したのかもしれませんが、そんなものルフィとシャンクスの過去にウタという異物をねじ込む所業に比べたらさしたる問題ではありませんし、何より「総合プロデューサー」として作者本人が参加しているのですから、その連動アニメにおいて原作と連動するシーンを(尾田先生の許可を得た上で)入れることなど普通にできることでしょう。
「海兵にはならねェ」とか「もっと自由に生きるんだ」とか、原作のエッセンスだけ(考察者達へのエサまきのように)中途半端に入れ込もうとするからセリフの違和感が際立ってしまい、キャラ達の心が失われてしまうのです。
シャンクスの海賊船・ウタ登場
赤髪海賊団の船上でのやりとりも不自然な間が多すぎて、全員コミュ障なのかと思ってしまうくらい、気まずくてシンとしたシュールな雰囲気が漂っています。
シャンクス:ウタ!!!
(財宝を見せる)
ウタ:……(超絶不自然な間を挟んでゆっくりと振り向く)あぁ可愛い!!! ありがとう….シャンクス
シャンクス:フッ……
ウタ:どう?
(シャンクス無視)
船員:ウタ 一曲歌ってくれ
船員:それでは歌っていただきましょう 世界を魅了する歌姫 ウ〜タ〜!!!
ウタ:ここは、世界中から有名なアーティストを集めた、ライブ会場 そこで私は、トリを務めるの 会場は、すごく盛り上がっている
船員:しーん
ウタ:(ムッ)会場は、すごく盛り上がってて!!!
船員達:おぉぉぉぉぉ!!!!
ウタ:もういいわ 私が悪かった
(これだけ煽っておいて、結局歌わずに終了…笑)
ウタ:シャン……クス? シャンクス……何やってるの? それもくれるの?
シャンクス:いや……
ウタ:ん…?
シャンクス:娘といえども、これだけはやれねェ
ウタ:ケチィ……
シャンクス:そう言うな……ほら……ゴア王国だ……しばらく……あそこを拠点にする
ウタ:ふ〜ん…….
まず、財宝を見せられただけですぐに「ありがとうシャンクス」とお礼を言うのが意味不明です。「あげる」と言われたわけでも渡されたわけでもないのに、見せられただけでお礼を言うっておかしくないですか? これでは「綺麗な宝石を見せられたこと」に対してお礼を言っているようにも取れてしまいます。
「ウタ!!! 見ろ」
「わ〜!!!(目を輝かせる)これ、もらっていいの!!?」
「もちろんだ」
「ありがとうシャンクス!!!」
くらいが自然な会話ではないでしょうか。
もしくは、
「これ、もらっていいの!!?」
「もちろんだ お前は歌姫 みんなに夢を与える存在だからな!!! うんとオシャレしてくれ!!!」
「ありがとうシャンクス!!!」
としておけば、この後「オシャレ」や「歌姫」について語られるシーンとのつながりも太くなります。
なぜ「これ、もらっていいの!!?」をカットする判断になるのかが理解できません。
もちろんこれまでもシャンクスはウタに財宝をあげてきたから(財宝はいつもウタがもらっているから)、「ウタに財宝を見せる=あげる」とウタが理解して(コミュニケーションを省略して)お礼を言ったというのはわかります。
しかしそうして「いつももらっていること」を表現するのであれば、「わ〜!!! 今回の宝石はいつにも増して綺麗ね!!!」「そうだろう 今回はちょっと大仕事だったからな」「これもらっていいの!!?」「もちろんだ」のようにすればいい話で、この方がよっぽど「自然な会話」になると思うのです。
自分が子どもの頃、親からプレゼントを見せられただけで、受け取る前に「ありがとう」とお礼をいうことなんてあったでしょうか。自分が親だとして、子どもにプレゼントを渡す前にありがとうと言われたらどう感じるでしょうか。
何でこんなに言葉足らずの単発言い切り型セリフばかり言わせて、言葉のキャッチボールをさせずに、不自然な「間」ばかり詰め込んで尺を稼ごうとするのか不思議でなりません。その「間」を入れる時間があるのなら、もう一言加えられるだろうと思うシーンが多すぎる。
もしかして、予算の都合上声優さんたちのセリフ量(文字数)を抑えなければならなかったんですかね…? 文字数に応じたギャラの支払い方をしているとは思えませんが、そう疑いたくなるほど言葉足らずの不自然なセリフと「間」が多い。
その後、クルーたちがウタに「一曲歌ってくれ」とリクエストし、ウタはそれに応えるために甲板を「世界中から有名なアーティストを集めたライブ会場」に見立て、「そこで私はトリを務める」と痛々しい妄想をして「会場はすごく盛り上がっている」と散々煽っておきながら、結局歌わずに終了するのも意味不明です。それに対して(歌をリクエストした)クルー達が一切ツッコまない(すんなり受け入れる)のはもっと意味がわからない。この茶番シーン、一体何のために描いたのでしょうか。。
シャンクスが一人(ゴムゴムの実が入った)宝箱を見ている描写も、(何の説明もないため)原作を読んでいない人には理解できないので邪魔でしかありません。このシーンを描いて一体何を伝えたかったのか。こういう考察者へのエサ撒きのような匂わせシーンを入れるくらいなら、もっと映画本編のエピソードに関わる重要シーンを丁寧に描けばいいのにと思わずにいられません。
「FILM RED」においても「連動アニメ」においても、「フーシャ村に到着する前にシャンクスが宝箱のゴムゴムの実をこっそりのぞいていたこと」などシナリオに一切関係ないのですから。
ルフィとウタ(+シャンクス)の初対面
その後シャンクスの船がフーシャ村に到着し、ルフィとウタ(+シャンクス)が対面します。
ルフィ:なんでじいちゃんのゲンコツこんなに痛ェんだ
おれは海兵になんてなんねェぞ!! この村を出て すっげェことすんだ!!!
ん? あれは……海賊船(船のヘリをバランスをとりながらゆっくり歩くウタ)
ウタ:素敵なところね……何もなくて
シャンクス:フーシャ村はゴア王国の中でも辺境だからな
(船のヘリをバランスをとりながら歩き続けるウタ)
(ルフィが港に走って登場)
ルフィ:お前ら……海賊か?
ウタ:そうよ……なんか文句でもあるの? だったら聞くよ? 船長シャンクスの娘 このウタが
ルフィ:海賊なら、出てけ!!!
ウタ:何よ、やるっての?
シャンクス:やめとけウタ おれたちは喧嘩しに来たわけじゃない この村には 手強そうな保安官がいるんだな
ルフィ:
シャンクス:おれはシャンクス この船の船長だ
(既にウタが説明した情報をそのまんま繰り返す無意味さ。尺稼ぎとしか思えないくらい不自然なセリフの連続です)
ルフィ:変なことしたらタダじゃおかないからなあ
ウタ:フンッ
シャンクス:フフ……
これで前半パート終了です笑
酷い、あまりに酷すぎる…
というか意味不明すぎる。
特に鬱陶しかったのが、唐突にジブリを意識したような陽気なBGMと共にウタが船のヘリを歩く「間」の描写です。イメージとしては「魔女の宅急便」か「天空の城ラピュタ」を模倣したのでしょうか。
しかしジブリのように、世界観やその場所に流れる時間を描く上で必要不可欠な「意味のある間」とは違い、「ただの尺稼ぎのために小手先で加えられた無意味な間」であることが丸わかりで、このシーンだけ不自然さが際立っています。(簡単に言うと、他のシーンではそうした描写をしていないのに、このシーンだけこの「間」を描くことに強烈な違和感があります。全体の制作・描写方針に一貫性がなく、このワンシーンだけ、尺稼ぎの手段として「ジブリのような間」を加えたような違和感です)
誰も聞いていないのに、いきなり「だったら聞くよ? 船長シャンクスの娘 このウタが」と超説明的な自己紹介をし、そのせいでその後の「おれはシャンクス この船の船長だ」という自己紹介がただの情報重複でしかなくなっている点も酷い。
果たしてわざわざこのタイミングでウタは自己紹介をする必要があったのでしょうか。それも「船長シャンクス」という権威を借りて(その後のシャンクスの自己紹介シーンを奪って)まで。
「お前ら……海賊か?」「そうよ……なんか文句でもあるの?」だけで十分成立する会話でしょう。実際、「だったら聞くよ? 船長シャンクスの娘 このウタが」というセリフに対して、ルフィは「海賊なら、出てけ!!!」としか返しておらず、「船長シャンクスの娘」という情報を完全スルーしています。つまりウタの自己紹介など両者のコミュニケーションにおいて何の効果も発揮していないわけです。
であれば、次のように書いた方がよっぽど自然な会話になるのではないでしょうか。
ルフィ:お前ら海賊か? 何しに来た!
ウタ:誰よあんた馴れ馴れしいわね 海賊だったら何だって言うの?
ルフィ:この村を荒らすつもりならおれが許さねェ!! 出てけ!!!
ウタ:何よ、やるっての?
シャンクス:やめとけウタ おれたちは喧嘩しに来たわけじゃない
ルフィ:…!?
シャンクス:この村には 手強そうな保安官がいるんだな
(ウタ:ふんっ!!!)
ルフィ:誰だお前!!!
シャンクス:おれはシャンクス この船の船長だ!!!
唯一良かったのはシャンクスの「この村には 手強そうな保安官がいるんだな」というセリフのみ。これだけはシャンクスっぽさがあっていいと思いますが、それ以外は誰が言っても変わらないようなモブセリフばかりで、セリフを聞くたびに辟易してしまいます。
意味のあることが何一つ描かれることのないまま前半パートが終了してしまったので、まじで「え、これで(前半)終わり?」と開いた口が塞がりませんでした。
制作側は原作を読んでなさすぎて、意味のあるセリフやシーンが思い浮かばなかったのでしょうか。。
意味不明な殴り合いをして急にやめるラッキー・ルウとモブ船員
後半パートは、フーシャ村の酒場を俯瞰するアングルからスタート。
ラッキー・ルウが酒場から外に叩き出される→走って戻って殴り合いを再開する(なぜ殴り合ってるのかは不明)という意味不明なシーンが描かれます。
ルフィ:シャンクス おれ 海賊になりてェ
シャンクス:毎日毎日しつこいな 海賊なんてろくでもねェぞ
ルフィ:だって 海賊ってすげェ強くて 楽しくて 自由なんだって言ってたぞ!!!
シャンクス:おいおい誰だ こいつを焚き付けたのは
(なぜか急に殴り合いをやめて、しょんぼりしながら距離をとってカウンター席に座るルウとモブ。マジで意味不明すぎて気持ちの悪い描写です)
ルフィ:なぁ今日も入団テストしてくれよ
マキノ:また? もう諦めたら?
ルフィ:今度こそ受かってみせる!
シャンクス:フッ……わかった….!(ルフィを船に乗せる気などないのに、なぜか真剣にルフィの気持ちを受け取ったかのような面持ちで応えるシャンクス)
まずルフィの海賊になりたい理由の一つに「強い」が入っているのが意味不明です。
「海賊ってすげェ強くて 楽しくて 自由なんだって言ってたぞ!!!」という伝聞調なので、クルーの誰かがルフィに「海賊はすげェ強くて 楽しくて 自由」だと伝えたことになります。でも、言葉で「海賊は強い」と伝えたからといって「海賊は強いからなりたい」となるでしょうか? 「楽しい」「自由」については海賊に魅力を感じる理由としてわかりますが、「強い」という言葉による説明だけで「なりたい」となる心情がまるで理解できない。
もっというと、この後、ルフィは「シャンクスの強いところを見たことがない」ことがわかります。ルフィは船長の強いところを見たわけでもなく、クルー達から言葉で「海賊は強い」という説明をされただけで海賊に憧れ、毎日毎日「海賊になりてェ」とせがんでいるのです。何という薄っぺらい動機なのでしょうか。このシーンでは「強い」という情報が確実に不要でした。もし入れるなら、赤髪海賊団の強さをルフィが目にするシーンが必須です。
もしかして、ラッキー・ルウとモブが殴り合ってたのは、ルフィに「強い」ところを見せるためだったのでしょうか。その割にルフィは全く見ていないので、いずれにせよ意味不明なシーンでしかないのですが。。
また、シャンクスはルフィを船に乗せる気などないのに、なぜか真剣な面持ちで、しっかりとルフィの気持ちを受け取ったように重く「わかった…」と答えているのも違和感しかありません。乗せるつもりがない中で、毎日毎日入団テストをせがまれている状況なのに、「その覚悟受け取った」と言わんばかりの「わかった…」を吐くのです。
最初からスカすつもりなら「仕方ねェな」「いいだろう」「わかったわかった」くらいのテンションで返すのが自然ではないでしょうか。
この辺りのセリフや表情や間が、どれをとっても違和感があり「そうじゃないだろ」と思うものばかりなので、キャラの心情がまるで読み取れません。シャンクスはどんなつもりで「フッ……わかった….!」と真剣な面持ちでルフィの挑戦を受けたのか、説明できる人はいるでしょうか? このセリフと表情からどんな心情を読み取れるでしょうか?
このシーンを描くなら、
ルフィ:シャンクス おれ 海賊になりてェ
シャンクス:毎日毎日しつこいな 海賊なんてろくでもねェぞ
ルフィ:だって 海賊っていろんな島を冒険して、すっげェ自由で楽しいんだろ!!?
シャンクス:おいおい誰だ こいつを勝手に焚き付けたのは
ルフィ:なぁ今日も入団テストしてくれよ!!!
マキノ:また? もう諦めたら?
ルフィ:今度こそ受かってみせる!
シャンクス:仕方ねェなァ…
くらいが自然なセリフではないでしょうか。
酒場に現れ、意味不明な言い分を述べる頭の悪い少女・ウタ
その後、酒場にウタが現れます。
ウタ:ちょっとあんた あんまりシャンクスに近寄らないでよ
ルフィ:は?
ウタ:そんなダサイかっこうで、シャンクスに近寄らないでって言ってるの
ルフィ:ダサくねェよ!!!
シャンクス:うちの歌姫はオシャレだからな
(意味不明なウタの発言をフォロー・通訳するシャンクス)
ウタ:ふふん 私は歌姫! 私は 赤髪海賊団の音楽家で シャンクスの娘
(誰も聞いてないのにまた同じ自己紹介をし出す頭の悪い少女ウタ)
シャンクス:海賊には、歌がつきものだからな
(ウタの通訳に徹する保護者シャンクス)
ルフィ:へ〜
ウタ:いいわ 私の歌を聴かせてあげる
(いや誰も頼んでねェしw 何言ってんだこいつ…)
酒場のテーブルを舞台にして歌おうとするウタ。土足でテーブルに上がるのが行儀が悪いと考えたのか、ヤソップがハンカチをテーブルにかけ、その上に乗って「風のゆくえ」を歌い出します。しかしなぜか速攻で座り込みます笑 なんのために立って歌い出したんだお前…笑
(約1分40秒の歌唱シーン)
もうどれもこれもおかしすぎて、誰がどう考えたらこんな脚本になるのか理解できません。
まず、ウタがルフィをシャンクスに近寄らせたくない理由が「ダサイ格好」だからというのが意味がわからない。おしゃれな格好なら近づいていいのか? なんだその判断基準。そもそも大好きな赤髪海賊団の面々にもルフィと同じようなダサイ格好している連中が大量にいるのに、そいつらのことはどう思っているのでしょうか。。
「オシャレ」という(薄っぺらい)個性を加えたいがために無理矢理言わせたセリフにしか見えず、制作側の作為しか感じません。もしこのセリフを言わせたいなら、赤髪海賊団はみんな明確にオシャレな服装をさせて、ルフィだけを明確にダサい(もしくはみすぼらしい)格好をさせなければ、セリフに説得力がなくありません。視聴者がルフィの格好をダサいと思っていなければ、このウタの言い分には共感できないため、「何言ってんだこいつ」としかならないでしょう。
また「海賊には歌がつきもの」という文脈から披露する楽曲が、バラード(「風のゆくえ」)というのも意味不明です。
海賊って航海中にこんなしんみりするような歌を聴いてるんでしょうか。。みんなで歌って賑やかに航海してるのではなく、歌姫一人によるしんみりするバラードを聴きながら航海してるんでしょうか。
海賊に「つきものの」の歌がバラードで、しかも一人舞台に立って披露するって、これまで描いてきたワンピースの世界観や海賊の陽気さ、楽しさを破壊するような描写でしょう。歌詞の内容もまるで文脈に合っていません。
ウタの歌声(歌姫としての実力)を披露させたいのなら、「海賊に歌はつきもの」なんてセリフは入れるべきではありません。「こいつの歌はすごいぞ。いずれ世界の歌姫としてその名を知られることになるだろう」のようなセリフにしておけば、一人で舞台上で心に響くバラードを披露するシーンでもすっと入ってくるのです。無理やり原作の「海賊は歌う」という文脈につなげて、伏線回収と言わせたいという下心しか見えないような描き方をするから不自然な描写になるのです。
しかもルフィに「聴かせてあげる」と上から目線で偉そうに歌い始めるのに、なぜかウタの表情がめちゃめちゃ暗くて、俯いて物思いに耽るような歌い出しのため、どんなつもりで、どんな思いで歌おうとしているのか全く汲み取れません。ルフィに自分の歌声を聞かせて驚かせてやるために歌うんですから、もっと自信を持って披露するような表情や歌い方にすべきではないでしょうか。
その意味で、この場面で披露するなら、適しているのは「新時代」か「私は最強」でしょう。伴奏のある曲だと酒場で披露する上で不自然さが出るから、バラードをアカペラで歌わせる演出にしたのかなと思いきや、「風のゆくえ」ではどこからどもなく(誰が弾いてるかもわからない)ピアノ伴奏が入ってきます。それなら「私は最強」のピアノバージョンにすれば成立しますし、(ちょっとルフィに歌声を披露するだけなんですから)アカペラで冒頭だけ歌うのでもいいでしょう。尺的にもどちらも同じくらいでワンコーラス歌えるのですから全く問題ありません。
もしくは「ビンクスの酒」を披露して、ルフィが初めて聞いた「海賊が歌う曲」として描いていればまだ自然です。まぁ原作厨への配慮から(正規エピソードとしての扱いが色濃くなりすぎないように)あえて原作に登場しない楽曲にしたのかもしれませんが、それならやはり「新時代」か「私は最強」のほうが適している。
ルフィに「私は歌姫 私は 赤髪海賊団の音楽家」「いいわ 私の歌を聴かせてあげる」なんて上から目線で一方的に披露するシーンなんですから、「私は最強」のほうが歌詞的にも合っていますし、ウタの歌のパワーがルフィにも響き、クルー達も盛り上がれて海賊のノリの良さを描けるでしょう。
なぜこの場面で、この文脈で、しんみりしたバラードを、物思いに耽るような繊細な表情で披露しようと思うのか不思議でなりません。
加えて、赤髪海賊団の面々の表情が意味不明で、盛り上がるわけでも聴き入るわけでも聴き惚れるわけでもなく、みんなアホ面さらして「こいつ何歌ってんだ…?」と言わんばかりの表情をしているため、連中がどんな感情でウタの歌声を聞いているのかがまるで想像ができないのです。だからこのシーンに一切感情移入ができない。
ラッキー・ルウは苦虫を噛み潰したような顔をして、ベックマンは眉間に皺を寄せて困った顔、ヤソップは悪巧みしてるような笑顔、別のモブは「なめんてんのかコラ」と言わんばかりの威圧した表情、二度目のラッキー・ルウは下唇を噛んだムッとした表情で、マキノは眉毛と口角を思いっきり下げ「こいつめちゃめちゃ下手やんけ…」という表情、二度目のヤソップは「こいつ正気か…!?」と言わんばかりの呆れ顔を浮かべ、その隣のモブはあまりの退屈さに「うへェ〜…」とうんざりした表情、その隣のモブはもう魂を抜かれて気絶してるような表情です。
まともに描かれているのはシャンクスとルフィの表情のみで、その他のギャラリーはどう見てもウタの歌声に感動していないし、興味も持っていないし、むしろ「下手くそ」「退屈」「何やってんだこいつ」とドン引きしてるような表情なんですよね。
「なんでそんな表情になるんだ…?」と疑問を抱く表情ばかりなので、まじで制作者がどんなつもりでこの表情を描いたのか理解できません。予算がなくて作画が雑になったというレベルではない。それなら全員口を閉じて口角を上げた笑顔にしておけばいいだけですから。
このシーン、流し見していた方はぜひゆっくり確認してみてください。みんながみんなウタのアンチかのような表情で、「こいつら一体どんな気持ちでウタの歌を聞いてんだ?w」と笑けてしまいます。実は制作スタッフは全員ウタアンチで、その意思表明のためにわざとこんな表情を描いたのんですかね? そう疑ってしまうほどおかしな表情をしています。
「海賊には歌がつきものだからな」→「へ〜」→「いいわ 私の歌を聴かせてあげる」→誰も頼んでないのに急に恩着せがましく歌を披露しようとして、テーブルを舞台に嬉々として歌い始めるのかと思いきや、急に塞ぎ込んだような表情でバラードを歌い出し、せっかく(靴のまま舞台に立てるように)ハンカチを敷いてもらったのにすぐに座り込み、それを見つめるギャラリーは全員退屈そうな表情で見つめている。
なんじゃこのシーン…笑
もっと明るい曲やテンションの上がる曲で、その歌声によってルフィも気分が上がり、ノリノリになって「(ウタの)歌の力」をまざまざと見せつけられた、というシーンであれば、ルフィが「うまい」と評価するのもわかりますし、ウタを認め、仲良くなるきっかけにも描けるでしょう。
ルフィが「音楽家を仲間にしたい」と考えるきっかけとなった(ことにする)点としても説得力が出てきます。果たしてルフィは、このウタの「風のゆくえ」を聴いて、自分も海賊になったら音楽家を仲間に入れようなんて思えるのでしょうか。。
言ってること、やってることに一切整合性が取れておらず、全て上っ面で説得力がないため、全く内容が頭に入ってきません。
このシーンに感情移入できた視聴者は一人でもいるのでしょうか。。
ウタ:どうだった?
ルフィ:うめェなァ お前
(バラード曲のよさを少年ルフィが理解できることの違和感しかない)
ルフィ:歌ならおれも歌えるぞ!
(下手くそな歌を披露)
(わざとらしく耳を押さえながら店の外へ逃げ出すウタ)
ウタ:そんなのダメ 下手 音痴!!! 赤髪海賊団がバカになる!!!
(「そんなのダメ」ってどんな感想だよ)
ルフィ:そうか?
ウタ:そうよ!
ルフィ:そんなことねェ!!!
ウタ:シャンクスゥ〜!!!(大泣き)
シャンクス:同い年同士仲良くしろよ
ウタ:私9歳だもん! 7歳の子どもと一緒にしないで!
シャンクス:ルフィ フーシャ村をウタに見せてやってくれ
もう酷すぎる…。ここまで支離滅裂で空虚で無意味で退屈なセリフの応酬を見たことがありません。。「そうか?」→「そうよ」→「そんなことねェ!!!」→「シャンクスゥ〜!!!(大泣き)」の部分が特に酷い。脚本家がキャラクターに一切感情移入していないことがよくわかります。このセリフのやりとりで大泣きするなんてありえないし、意味がわからない。
また、ルフィが下手くそな歌を歌い出したことに対するウタのリアクションが吐き気を催すレベルでひどい。「そんなのダメ」というセリフが意味不明すぎます。下手くそな歌に対して「ダメ」ってどういう意味なんでしょうか…。
このシーンを直すとしたら以下のようになります。
ウタ:ちょっとあんた!! あんまりシャンクスに馴れ馴れしくしないでよね!!
ルフィ:なんでだよ
ウタ:シャンクスは私の父親なの! あんたなんかにかまってたら私と遊ぶ時間がなくなっちゃうじゃない!
ルフィ:知らねェよ そんなの
ウタ:知らないじゃない! 私はこの後シャンクスに歌を聞いてもらう約束だったんだから!!
ルフィ:歌?
ウタ:そう、私は赤髪海賊団の音楽家(で歌姫)だから毎日シャンクスに歌を聴いてもらってるの
シャンクス:海賊には歌がつきものだからな
ルフィ:へ〜 歌ならおれも歌えるぞ?
(下手くそな歌を披露)
ウタ:やめて!!! もういい!! 耳がおかしくなっちゃう!!
ルフィ:なんだよせっかく気持ちよく歌ってたのに!!
ウタ:そんな下手くそな歌聴きたくないの!! いいわ 私の歌を聴かせてあげる
(「新時代」もしくは「私は最強」を披露。赤髪海賊団のみんなはノリノリで、ルフィの気分も高揚していく)
ウタ:どうだった?
ルフィ:うめェなァ お前!!
ウタ:わかったらとっととシャンクスから離れて! シャンクスは私と遊ぶんだから
ルフィ:いやだ! おれだってシャンクスに入団テストしてもらうんだ!
ウタ:シャンクスゥ〜!!!(大泣き)
シャンクス:同い年同士仲良くしろよ
ウタ:同い年じゃない! 私9歳だもん! 7歳の子どもと一緒にしないで!
シャンクス:わかったわかった まあいいから ルフィ、フーシャ村をウタに見せてやってくれ
こんな感じで、何度「シャンクスから離れて」と言ってもルフィが聞く耳を持たず、ウタは自分の思い通りにいかないので「シャンクスゥ〜!!!」と泣きつくという描写であれば理解できるんです。
「そうか?」→「そうよ」→「そんなことねェ!!!」→「シャンクスゥ〜!!!(大泣き)」の不毛さたるや…今時3歳児でもこんな空虚なやりとりになりませんよ。
フーシャ村を案内するのかと思いきや崖に案内するルフィ
その後のシーンも意味不明で、「フーシャ村を見せてやってくれ」と言われているのに、なぜか村外れの崖に案内するルフィ。
これ、制作者側は何を考えて作ってるんですかね。。
ウタ:まさか 登るの? 絶対嫌だ! 服も汚れるし、髪も崩れちゃう! 歌姫っていうのはね! みんなに夢を与える存在なの!
ルフィ:意味わかんねェ
ウタ:……あんたにはわかんないでしょうね……
ルフィ:こんな崖も登れないやつ シャンクスの役に立てるわけねェじゃん
ウタ:なめないでよね……言っとくけど 登れないわけじゃないから
まじでウタのセリフ一つ一つが気持ち悪すぎて吐き気がします。。
ルフィの前で崖を登って服が汚れ髪が崩れることと、「歌姫がみんなに夢を与える存在であること」に何の関係があるのでしょうか。
おそらく「自分はみんなに夢を与える存在だから汚れた姿は見せられない」(いつも綺麗にオシャレしていなければならない)ということなのでしょうが、このセリフでは明らかに言葉足らずで、相手に言葉の意味を伝えることを放棄しています。だからまるでコミュニケーションが取れていない。
ルフィの「意味わかんねェ」に対して「あんたにはわかんないでしょうね」と偉そうに上から目線で返してますが、お前の説明が足りてないからだろうがと言ってやりたい。
ウタ:まさか 登るの?
ルフィ:そうだ! この上にこの村で一番きれいな場所があるから、そこに連れてってやる!
ウタ:いやよ こんな崖登ったら服も汚れるし髪も崩れちゃうじゃない! 歌姫っていうのはね みんなに夢を与える存在なの! だからそんな汚れた姿は誰にも見せちゃいけないの!
ルフィ:なんだそれ こんな崖も登れない奴 シャンクスの役に立てるわけねェじゃん!
ウタ:(カチーン)…舐めないでよね 言っとくけど 登れないわけじゃないんだから
このように描けば、自然な会話を通して、ルフィがなぜウタを崖の上に連れて行こうとしているのか、またウタはなぜ崖を登りたくないのか両方正しく伝わるでしょう。
不毛な「対決」を始める2人
崖を登り終えた後もツッコミどころしかない不毛なシーンが続きます。
ルフィ:意外とやるじゃん お前
ウタ:当たり前でしょ? あんたが私に勝てることなんて一個もないんだから
(いちいちルフィにマウントを取ろうとする性悪厄介女・ウタ)
ルフィ:んだと〜!?
ウタ:やる気? じゃあわからせてあげる
まず「身長対決」「可愛さ対決」
ルフィ:「腕力対決」
ウタ:私の勝ちィ〜
ルフィ:ズルだ!!!
「大声対決」!!!
ルフィ:や”っほー
ウタ:やっほー
(なんだよその気のない「やっほー」は…「大声」対決だっつってんだろ)
ルフィ:よしもうひと勝負だ
(なぜか大声対決の勝敗はつけずに、次の勝負に移ろうとするルフィ)
ウタ:あんたいつもこんなふうに走り回ってんの?
(いや全く走り回ってねェし…崖登っただけだし…「身長対決」「可愛さ対決」「腕力対決」「大声対決」のどこに「走り回る」要素があったんだよ…)
ルフィ:じっとしてんのつまんねェからな!!!
ウタ:やっぱガキね
ルフィ:なんだよぅ
ウタ:だってそうでしょ? 一番楽しい場所は 自分の中にあるんだから
ルフィ:自分の、中?
ウタ:私の中には、いつだって最高のステージがあるの この草原は私の舞台 この大海原は私の無限の夢
ルフィ:行こう! お前の舞台、おれいっぱい知ってる!
(急にロマンチックな言い方をするルフィ。「いっぱい知ってる」と言いながら、連れていったのは1つだけ)
もう何もかも意味不明です。
まず「当たり前でしょ? あんたが私に勝てることなんて一個もないんだから」のように、いちいちルフィに突っかかるウタが鬱陶しくてしょうがない。こんな性格の悪い人間のどこに惹かれる要素があるというのでしょうか。
そこから唐突に始まる「対決」も、「崖を登った」ことを「意外とやるじゃん」と評価したルフィに対して「当たり前でしょ? あんたが私に勝てることなんて一個もないんだから」と返したことで始まったというのに、「崖登り」と類似するような体力や運動能力を比べるような勝負ではなく「身長対決」と「可愛さ対決」なんです。
そもそも身長なんて比べるだけで「対決」ですらないし、「可愛さ対決」なんて審査員なしに成立するわけがなく、ウタの頭の悪さがこれ以上なく現れているシーンと言えるでしょう。
「腕力対決」だけは文脈に合った対決と言えますが、「私の勝ちィ〜」「ズルだ!!!」の一言で終了。何をどうズルしてウタが勝ったのかわからないので、本当にウタのズルなのか、ルフィの負け惜しみなのかがわかりません。
幼少期のこうした対決で「ウタがズルをした」という点は、映画本編とリンクする割と重要なポイントだというのに、どんなズルをしたかを描かずに終わらせる意味がわからない。ルフィとウタの関係性の深さや親密さ(距離が縮まるきっかけとして)「対決」シーンこそ丁寧に描くべきでしょう。村長や果物屋とのやりとりやゴリラとの特訓シーンなど描く価値がありません。
また「一番楽しい場所は自分の中にある」「私の中にはいつだって最高のステージがある」(だから走り回る必要はない)と言っている(走り回るルフィをガキだと見下している)のに、いきなり「この草原は私の舞台」とか言い出すんです。舞台はお前の「中」にあるんじゃないのかよ笑 目の前の草原がお前の舞台と言うのなら、お前の中じゃねェじゃん。。
おそらく、「どんな場所でも自分の想像次第で『私の舞台』になる、という意味なのでしょうが、その場合リアルな「場所」が舞台となるわけなので、「一番楽しい場所は 自分の中にある」というセリフと噛み合いません。ルフィがいつも走り回ってることをバカにする言い分にならない。もうまじで言ってることがどれもこれも意味不明なんですよね。。
このウタのセリフの意味を理解できた人はいるのでしょうか。
このシーンを描くなら、以下のようなセリフにするのが自然で、わかりやすくなるでしょう。
ルフィ:意外とやるじゃん お前
ウタ:当たり前でしょ? 私は赤髪海賊団の一員なんだから あんたが私に勝てることなんて一つもないわ
ルフィ:なんだと〜!?
ウタ:やる気? じゃあわからせてあげる
「かけっこ対決」「木登り対決」「早食い対決」「腕力対決」
(きちんと「対決」になる勝負かつ「走り回ってる」と言える内容にする)
ウタ:へへへへへ 私の勝ちィ〜
ルフィ:全部ズルじゃねェか!!! ズリィぞお前!!
ウタ:負ける方が悪いのよ 負け惜しみ言うなんて男らしくないわね
ルフィ:なんだと〜!? よ〜しもうひと勝負だ!
ウタ:もういいわ、疲れた……
ウタ:あんたいつもこんなふうに走り回ってんの?
ルフィ:ああ、じっとしてんのつまんねェからな!!!
ウタ:やっぱガキね
ルフィ:なんだよ!
ウタ:だってそうでしょ? 一番楽しい場所は 自分の中にあるんだから
ルフィ:自分の中?
ウタ:私の中にはいつだって最高のステージがあるの どんな場所だって、私の中では最高の舞台 この草原も この大海原も 無限に広がる世界は どこだって私の夢の叶える舞台になる だからあんたみたいに走り回る必要なんてないの
ルフィ:ふーん よくわかんねェな……そうだ、あそこに連れてってやろうと思ってたの忘れてた! そこもお前の舞台になるんじゃねェか?
ウタ:え?
このようなセリフの応酬であれば、上記で指摘した点をすべて解決できます。こういうのが「自然な」セリフのやりとりではないでしょうか。。
「舞台」に着く道中の無駄な描写
ルフィの「行こう! お前の舞台、おれいっぱい知ってる!」というセリフの後、すぐにその舞台に到着させればいいものを、なぜかただテンポを悪くするだけの無意味な「道中」をさらに挟みます。
フーシャ村を案内してくれとお願いされ、崖に連れて行き、崖を登り、「身長対決」「可愛さ対決」「腕力対決」という対決とも呼べない不毛な勝負をして、ようやく「行こう! お前の舞台、おれいっぱい知ってる!」と言って目的地にたどり着くくのかと思いきや、「案内する道中」を挟む意味がわからない。
しかもそこでのやり取りに全く意味がないのです。
ルフィ:シャンクス強ェ〜もんな!
ウタ:なによ シャンクスの強いところ見たことないじゃない
(見たことねェのかよ笑 なのにあんなに懐いて「海賊になりてェ」だの「入団テストしてくれ」だのお願いしてたのかよ…。シャンクス以外のクルーに「海賊ってすげェ強くて 楽しくて 自由なんだ」って言われただけで、シャンクスに懐いて海賊になりたいと言い寄っていたことに違和感しかありません)
ウタ:私は、あんたの知らないシャンクスを知ってるわ ああ見えて、子供っぽいところもあるのよね
(こいつはいちいちマウント取らなきゃ気が済まないのかよ…どんだけ性格捻じ曲がってんだよ)
ルフィ:ふーん……それダメなとこじゃん
ウタ:………….(超絶不自然な間)可愛いの、そういうとこが!!! …..へへっ
ルフィ:可愛いなんて 海賊っぽくねェな でもいいなァ おれもシャンクスの船に乗りてェ!!!
ウタ:え〜まだ歩くの!?
もうしんどいしんどい。。
シーンを変えて目的地への「道中」を挟んでまで、このやり取りを描く必要がどこにあるのかまるでわかりません。
また、なんでシャンクスの「可愛い」部分をプレゼンされたことで「でもいいなァ おれもシャンクスの船に乗りてェ!!!」という結論になるのかも意味不明です。シャンクスの強いところをルフィは見たことがなく、話に聞いているだけで、実際は「ダメなところ」があり、ウタはそこが「可愛い」と思っているということを知って、「かわいいなんて 海賊っぽくねェな」と評価しているのに、結論が「でもいいなァ おれもシャンクスの船に乗りてェ!!!」なのです笑 意味わからん。
もう何から何まで支離滅裂で、全くセリフの整合性が取れておらず、話が噛み合っていません。
この後、さらにシーンの切り替えが入るため、上記シーンは上記会話を描くためだけに挟まれたことになりますし。どう考えてもいらんシーンでしょう。
ようやく高台に到着
この後のシーンも酷い。
ウタ:最高よ? 赤髪海賊団は 私、シャンクスだけじゃなくて、み〜んなのことが大好きなの!! たまにはバカやりすぎることもあるけどね……
ルフィ:(超絶不自然な間)…….酒飲みすぎて裸で寝てたしな
ウタ:あるある
ルフィ:えへへ
ルフィ:お前、思ったよりつまんなくねェじゃん
ウタ:……(超不自然な間)そっちこそ
いみわかんねェ…😭😭😭
もうほんと、何のために描いたやりとりなのか、セリフ一つ一つが意味不明すぎて理解できません。。
特にウタの「あるある」の言い方が気色悪すぎて、(さっきまでルフィにマウントとるかルフィを否定する発言しかしてなかったのに)急に馴れ馴れしく心を許したような声色で「同意」を示すことに違和感しかありません。そのまま「お前、思ったよりつまんなくねェじゃん」→「そっちこそ」と急速に距離を縮め、理解し合う2人。お前ら一体どこの場面のどのやりとりで急に距離が縮まったんだよ笑
この2人の距離が縮まったことに共感・納得できるシーンがどこなのか、分かる方はぜひ教えてください。
高台にあるさびれた風車の中から窓の外の海を見つめる2人。
ウタ:私の舞台がここにある
ルフィ:へへへへ
ウタ:なかなか素敵ね でも私は、いくつもの海を航海してきたから もっと素敵な景色も知ってるわ
(まーたマウントだよ気持ち悪いな…「私の舞台がここにある」なんてほざいといてなんなんだよお前は)
ルフィ:やっぱ おれも早く海賊になって海へ出てェ
(超絶不自然な間)
新時代は〜♪(エンディングへ)
大人ウタ:私は今から夢を叶える
子供の時からずっと抱いていた………
私の夢を
TO BE CONTINUED
終了。
なんじゃこりゃ…
もうあまりにも酷すぎて言葉が出てきません。。
制作陣は、このエピソードで「ルフィとウタに絆が生まれる過程」を描けているつもりなのでしょうか。。
ウタは終始ルフィを舐め腐り、自分の方が立場が上であることをアピールし続けてマウントを取るばかり。意味深な(というか意味のわからない)発言を繰り返し、実際ルフィはまるでその意味を理解できていません。
2人のセリフは終始噛み合わず、同意が得られたのは「酒飲みすぎて裸で寝てたしな」→「あるある」のやり取りだけ。それ以外はルフィの発言に対して全て突っかかったりバカにしたり否定したり反論したりしています。
お互いの人間性や魅力、凄さを知り、認め合う過程がまるで描かれておらず、むしろウタの性格の悪さやウザさばかりが際立つ描写ばかりなのに、なぜか最終的に急速に距離を縮め、意気投合するのです。
あまりも薄っぺらい友情関係のため映画本編の補足にさえなっていません。むしろ、「この程度の思い出と関係性しかなかったのに、よく幼馴染なんて設定にできたな」と映画本編の内容や設定にケチがつくレベルで酷い。
この脚本を考えた人とこれにOKを出した人の気が知れません。
まとめ
この記事を書くために何度も見直すのが苦行で仕方ありませんでした。それくらいに退屈でつまらない駄作アニメです。
こう言うと、「そんなつまらないアニメを何でわざわざ見ようとするのか? 見なければいいだろう」と言われてしまうと思うので、先に断っておきます。
「この記事を書くため」です。本当にもうこれだけです。見るつもりも興味もなかったけど、連動アニメの感想を求められ、ニーズがあると判断したため、この記事を書くためだけに視聴しました。
もう二度と見ることはないのでご安心ください。
後編は多少はマシになるのですが、それでも「酷い」という評価は変わりません。次回は後編の記事を公開予定ですのでお楽しみに。
(アフィリエイト広告を利用しています)
私の中で「ワンピース」は「史上最も好きな漫画」であり、まだ「前半の海」での評価の貯金が残っているからです。
ワンピースが大好きだったからこそ、この先改善されることを(いつまでも)期待して読み続けてしまっているわけです。その期待や熱量がゼロになったら読まなくなると思います。
実際「エッグヘッド編」以降、つまらなさが許容量を超えてきており、熱量は急速に冷めてきています。コミックスも104巻からついに購入をやめました。
ジャンプは購読して読み続けていますが、これもお金の無駄だと感じるようになったら卒業するかもしれません。
ニーズがあるからです。
上記の通り、最初は「史上最も好きな漫画」であったことから、(この先つまらないワンピースとして残りのエピソードが削られていくことに耐えられず)改善されることを願って批判をしてきましたが、もはや作品は崩壊し切ってしまったため、今は改善を期待しているわけではありません。
ただ、ワンピースという作品は、日本一売れている漫画だからこそ、熱量の高い(高かった)読者も多く、私と同様に「つまらなくなってしまった」と感じ、それを無念に思い、不満や釈然としない気持ちを抱えている読者の数も多いのです。
そういう方達にとっては、自分の気持ちを代弁してくれる記事や、自分の本音の感想をコメントして、同様の感想を抱いている方達と共有できる場には一定の価値があり、そうしたニーズに応えることにもまた一定の価値があると思っているため、運営を継続しています。
ニーズがあるからです。
ブログのようにテキスト情報だけ(それも超長文)だと、文章を読み慣れていない人にはハードルが高かったり、読む気にならなかったりする(実際、そのような声やリクエストがあった)ため、記事を動画化してYouTubeに投稿することにしました。
もっと批判や誹謗中傷コメントで溢れるかと思っていましたが、(ブログ読者の方に限らず、新規の方でも)共感し、更新を楽しみにしてくださっている方が相当数いて、ここにもニーズがあることがわかったため、運営を継続しています。
余計なお世話としか言いようがありません。
自分の人生の時間の使い方は自分で決めます。
あなたこそ、見ず知らずの他人の人生に意見するような無駄な行為に時間を使うのはやめたほうがいいのではないでしょうか?
他人の人生に口を出す前に、どうぞ自分の人生の心配をしてください。
論理が破綻しており、全く筋違いな言い分です。
プロの作家が商業作品として世に販売している時点で、それを購入した側が評価したり、感想を述べたりするのは当然に許された権利です。
私は読者(消費者)であって、漫画家ではありません。漫画を描きたいわけではなく、面白い漫画を読みたいからお金を払って購入している立場であり、購入した作品の内容に不満があるから、批判的な感想を述べているわけです。
あなたはお金を払って観に行った映画が酷い仕上がりでも、「自分に映画は作れないから文句は言えない」と考えて口をつぐむタイプですか?
購入したゲームがクソゲーでも、「自分では作れないから文句を言う資格はない」と考えるタイプですか?
お金を払って観に行った音楽ライブで、アーティストが音を外したり声が出てなかったり歌詞を間違えまくったりして全く感動できないパフォーマンスを披露しても、「自分のほうが歌が下手だから批判すべきじゃない」と思うのでしょうか?
飲食店でマズい料理を出されても、「自分で作れないんだから(店を開いてないんだから)文句を言う権利はない」とか、「文句を言えるように、まずは自分で作れるようになろう(店を出せるようになろう)」と思うのでしょうか?
市場に商品として投下されている時点で、それを購入した消費者からの評価は避けられません。作り手はそれを分かった上で、自らの意志で作り手側(買い手から評価される立場)を選んでいるのです。
一方の消費者は、自分ではできないからこそお金を払って人に任せているのであり、そこで期待したクオリティに達していなかった場合に、低評価を下したり、批判したりするのは当然に許された権利です。
「購入した商品について批判するためには、自分がその商品以上のクオリティのものを作れなければならない(文句を言うなら自分で作れ)」なんてあまりにも本末転倒で筋違いな暴論です。
頭の悪い人だとバレてしまうので、金輪際そうしたコメントはしない方がいいですよ。
尚、私がこのブログで批判しているのは、基本的に尾田先生(漫画家)ではなく、担当編集者です。編集者視点で、「なぜこの部分を直さないのか」「なぜこの内容でOKを出してしまうのか」という批判をしているのです。
その意味でも「文句言うなら、自分で描いてみては?」という主張は的外れですが、もし「文句言うならお前が編集者をしてみろ」と言われ、実際に依頼をしていただけるのであれば、私は喜んでお受けします。
そして、私が編集者になった後のワンピースがつまらなければ、当然批判も受けとめます。
その覚悟を持って(編集者を)批判していることをご理解いただければと思います。
心配しています。
このブログでは、基本的に尾田先生ではなく、担当編集者を批判するスタンスをとっており、尾田先生の健康や多忙を心配するコメントを過去に何度もしています。
なんなら長期休載に入ることや、連載ペースを落とすことを推奨している立場であり、そうした対応をせずに原作以外の仕事を次から次へと振りまくって尾田先生に負担をかけ、作品の劣化を放置し続ける編集者を批判しているのです。
なぜなら、1人の人間が週刊連載で何十年も面白い作品を(世間とのズレを生む事なく)描き続けることなど、そもそも不可能だからです。肉体的に困難なのはもちろん、作者1人の感覚で何百万人という読者の感覚とズレることなく、質の高い作品を描き続けることなどできるはずがないのです。
そのズレを正すのが編集者の役割であり、作品の質を維持するためには編集者の客観的視点が不可欠だというのに、全く機能していないことが露骨に作品に出てしまっており、にもかかわらず原作以外の大量の仕事を振って尾田先生からネームや作画の時間を奪い続け、作品の劣化に歯止めがきかない状況を進行させているため、その点を指摘して批判をしているわけです。
尾田先生の健康面の心配はしていますし、「作品への批判」と「健康面への心配」は両立するものです。
思いません。
「少年漫画」だから大人の観賞に耐え得るクオリティになっていなくて当然(あるいはそれでも問題ない)という考え方は、「少年」の読解力や感性を「(自称)大人」の勝手な思い込みと偏見で侮り、間接的に「少年漫画」を見下していることと変わりません。レッテルに囚われた思考停止人間の典型です。
少年を侮り、少年漫画を見下し、少年漫画のファンとして感想を述べ合う大人達を「異常」だと言ってのける人間のほうが、よっぽど異常だと私は思います。
読者アンケートの順位は相対的なものなので、「1位のままだからワンピースは劣化していない」という論理は成り立ちません。
ワンピースがどれだけつまらなくなっても、他の作品が抱えているファン数がワンピースよりも少なければ、ワンピースは永遠に1位のままです。「アンケート回答するファンの数=作品の絶対的な面白さ」ではありません。
ワンピースは「前半の海」で蓄積した熱狂的ファンがあまりにも多いので、ジャンプのアンケート回答においては、今度もほとんど1位をとり続けるでしょう。
私の中で「信者」の定義は、「何を描かれても無条件に絶賛し、全て肯定的に解釈して作者を持ち上げる読者」を指しています。
そのため「つまらない部分やおかしいと思う部分は多少あれど、普通に面白いし楽しめている」とか、「前半の海よりも面白さが失われたとは思うけど、新世界編も総じて楽しめている」といった読者は、私の言う「信者」には含まれません。
作者にとって有害かどうかは作者が決めることですので、本人に聞いてみてください。
ただ「つまらない」「くだらない」「ゴミ」「読む価値がない」「お金の無駄」「オワコン」「資源の無駄」といった捨て台詞で、作品を貶めるだけの(ほとんど誹謗中傷でしかない)批判は「有害」だと思いますが、きちんと作品を読み込んだ上で、「なぜつまらないのか」「何が問題なのか」を考え、「どうすれば改善されるのか」まで提示した上で行う「論理的な批判」は、(作者個人は求めていないにせよ)私は「有害」とは思いません。
というより、そうした批判を行う権利は誰にでもあるので、それが有害かどうか議論すること自体がナンセンスです。
それこそ「嫌なら読まなければいい」のです。
煽り体制が低いのは事実ですが、勘違いコメントや難癖コメントを放置すると、それを見た方に誤解を与えたり、場が荒れたりしやすく、早々に対処しておく必要があるため、説明なり反論なりをしています。
えてしてそういうコメントをする人ほど、放置するとそれを「肯定」と見做して、さらに誤解を強めて暴走しやすい傾向にあるからです。
たとえば「煽りコメントにだけ返信してねェw 効いてる効いてるww」とか「図星だから反論できねェんだw」とか「何も言い返せないから逃げやがったww 悔しかったら反論してみろやww」のような言い分です。(そうなると対処にさらに時間がかかるので、早めに処理しています)
また、私への直接的な質問系のコメントやうれしいお言葉にも、できるだけ早めに答えるようにしています。
記事への感想や建設的なコメントについては、読者さん同士でコメントやリアクションをしていただけているので、慌てて私がコメントせずにおまかせしている部分もあります。私がコメントするとそこでやりとりが終わってしまい、読者さん同士の会話が生まれづらくなったりもするので。
色々状況を観察しながら、よいコメント欄になるよう運営していきたいと思っています。
酒場で歌うシーンの聴衆の表情全く気づきませんでした。
見てみたら完全におっしゃる通りの表情で、深夜にクソ爆笑してしまいましたw
ほんとに全員心底ウタを嫌っているような顔でマジで面白かったです。たぶん映画見てるときの自分こんな顔でした。
教えてくださりありがとうございますww
映画、一回見たきりなのでもうあまり覚えていないんですが、REDの中でウタだと知らずにライブに行っている描写なかったですっけ?
最初にウタだと認識していてはREDと整合性が取れなくなると思ったのですが…。
REDが矛盾につぐ矛盾のストーリーなので、そんな整合性どうでもいいですけどね。
なべおつさんはウタのバースデー企画についてどう思われますか?他のキャラのバースデーと違って生配信や特別映像公開とか明らかに主人公のルフィより優遇されすぎて恐ろしさすら感じます
そんでREDに関連して「ルフィのこの考え方の根底にはウタの存在がある」とかウタを前提に考えてる奴らがいるのマジで不快なんだが。
「長期連載ものに向いてるのは言い訳の上手いやつ」
とある作家さんが言っていましたが、ここまでワンピースを読み続けて心底納得できました
後付け設定なんていくらでもしていいと思うんです
でもそれは最低限過去やキャラクターに矛盾が起きないようにするべきだとも思います
尾田先生はどうなんでしょうか
整合性を無視してでも盛り上がりを描きたいのか
それとも全くの無自覚であり「言い訳の才能」が無いのか
どちらであっても今となっては何もかも手遅れかもしれませんが
そういえばワノ国の新OPにウタが登場したそうですね。映像に小さく半分だけみたいですが、マジで公式はウタを正史に取り込むつもりか
Xに蔓延るワンピースアンチは過激派フェミニストだったり表現規制派だったり揚げ足取りが多かったりするけどここはそういう奴らがいないから安心ですね
話逸れますが実写化の感想Twitterで見ました。
なべおつさん楽しめたんだなと思ったんですが
>初見の1話目ですら途中から1.5倍速でないと観てられなくなったので
ズルいです!笑
自分は2話目のバギーのシーンが長くて退屈で苦痛すぎて全部見たいのにそこで中断してしまいました😂チートじゃないですか!
冗談です。何話もあるし実際タイパ的にも倍速で見るのは正しいと思います。
ただ普通の速度で見ると人によってはまともに楽しめないというか感想が違ってくる可能性もあるかなと思いました笑
こんなゴミアニメより進撃とかチェンソー見ようべ
最近のキャラクター造形の傾向として、「奇をてらった属性」を付けがちだと思う。
なろう作品や異世界モノみたいな王道しか狙わない創作物が量産された為に、なんとか話題を取るために変な癖や奇抜な見た目にしてる。
一方王道のはずのウタのキャラ造形もハッキリ言って失敗だった。生意気な口癖の裏に、本当は激オモのメンヘラでしたってのはよくある組み合わせだけど、立ち位置が不味かった。
ポッと出のどこかの島のボスならまだしも、いきなり主人公の過去に食い込んで勝手に最初からいました~だからね。
作り手の意識の甘さが一番の問題だと思う。
あいつら絶対ワンピース知らないだろ。
間といえば「村を案内してくれ」→崖のシーンが切り替わり早すぎて違和感凄かったです。
そういえば映画内では「負け惜しみ〜」を流行らせたいのか?と思うほどゴリ押しし昔からの口癖みたいに描写していましたけどこの特別編では一切出てこないんですよね。どういうこと…
映画どころか連動エピですらガタガタなんだから、ウタが異物であることは明白なんだよ。
ついでに書くと1055話「新時代」でシルエット出して思いっ切り宣伝したこと、シャンクスにルーキーを助けさせたせいで後のキッドオーバーキル問題も生じた。
でもウタという特定のキャラが嫌いなんじゃなくて、こんなに不自然にねじ込んでバズりを狙ってる浅はかな公式の体制、まんまと飛んできたロクにワンピースを知らないミーハー共の騒ぎようが嫌い。虫酸が走るし血反吐吐くほど嫌い。こんな表面の浅い部分を共有して馴れ合ってるような、作品を汚すだけの馬鹿のせいで離れたり傷付いた人が居ると思うとマジで腹立つ。作品の癌でしかない。
そういえばREDの件で1番の被害者はウタの声優担当した名塚佳織だと思ってたけど、田中真弓さんに対して「負け惜しみ〜」とか言ったり、映画と関係ないワンピースイベントにも何故か出演してたりRED以降相当目に余ることしてるせいでただの被害者とは思えなくなったな
調べたところ、なぜかこの2話は『映画の連動特別エピソードなのになぜか映画公開から1週間後に1話目を放送』っていう謎の事態に陥ってますね
ついでに過去の映画も軽く遡って調べてみたのですが、少なくともZからスタンピードまでは連動エピソードはきちんと映画公開数週間前から放送していってます。(なおZだけは筆が乗ったのか4話も作ってるので映画公開してからも放送がズレ込んでますが)、スタンピードまでは足並みが揃ってたってことですね
…………これ、(コメント欄でも触れられてますが)『バスターコールの東映批判で関係が悪化したからこんなガバガバ説』案外ほんとうにあるかもしれませんねw
スタンピード(2019年)→バスターコール(2020年)→RED(2022年)って時系列的にも合いますし……www
少なくともあんな手段で批判されたら、原作をただアニメ化するならまだしも、映画と原作に矛盾しないようにオリジナルで色々作れとか言われてもモチベ上がるわけないわなァ……
途中でしんどくなって、いったん文章を読むのを辞めました。そのくらい、ウタの性悪さにイライラします。
だからルフィの麦わら帽子を平気で引き裂けるんですね。
しかも元々はシャンクスの持ち物なのに、それを引き裂くってどういう事なのかと・・・
ルフィと対面する前から、シャンクス麦わら帽子被ってましたよね?
その帽子がルフィの物だと誤認していたとしても、娘が父親(幼馴染)の帽子を破壊するという行為はどう見ても異常だろと。
いずれにせよ、このエピソードとFILM REDは原作1話の感動部分を完膚なきまでに破壊した要因だと言っても過言じゃないですね。
なべおつさんの訂正で台詞の流れはすごくわかりやすくなってて元より格段に良くなってるけど、そもそものウタという存在がワンピースにとってノイズすぎるせいでうーんこの
稚拙なセリフ回し、会話になってない会話…
尾田氏リスペクトが良くできていますね笑
自分はアニメ版は二年くらい未視聴だけど文章にするといかに酷いのかめっちゃわかりやすいねw
こんな内容でも喜ぶアニメファンがいるというのがある意味凄い。
内容関係なく全肯定できたり、いつも感想で「伏線回収ガー」と言って喜ぶような知能レベルが低い人しかもう対象じゃないんだろうなぁ。
原作でも最近はふざけ過ぎな展開や描写を面白さと完全にはき違えてるのも痛々しい。
そりゃアニメ、原作どちらの作品の質も落ちるはずだと納得!
こんなふざけたアニメを観たら宮崎駿を始めとするアニメ界の巨匠達はどう思うか知りたい
こんなんが200億いくのか…って絶望しないんでしょうかね
苦行&執筆お疲れ様でした。実際に1029話を見ていないのですが、あからさまな引き延ばしでクソアニメに相応しい映像ですね。今夜見てみます。
個人的に映画連動特別編は気合い入れて作るのが自然だと思いますが、1029話と1030話ってvsカイドウ&ビッグマム辺り(1028話と1031話のタイトルから察してですけど…)なので、内容の無さを作画でカバーしている時期の筈です。当然作画班は本編の方に力を入れるので、特別編には動きの少ない絵を用意せざるを得なかったのでしょう。だから不自然な間の連続だったのだろうと思います。少し話は逸れますが、声優のギャラはランクによって決まるので文字数とかは関係ないようです。
違和感のある絵とセリフについてですが、これは制作側に原作愛が無いからかと。原作愛の感じられない作品は大抵クソアニメになるのが鉄板ですし。それに原作側はほぼ隔週連載しているのにアニメ側は毎週放送を強いられてるのだから、制作側は不満を持ってやっつけ仕事になる気持ちも分かります(プロとしてどうかと思いますが)。
ガープの声優の声が低いシーン正直言ってガープがこのアニメの台本の酷さに失望してこうなったのではないかと勝手に思ってる
未だにウタの魅力が全くわからない…
あとこれは記事とは関係ないですがワンピース実写のCM、原作者のコメントだけってどうなのかなーって思いました…手抜きじゃなくて演出なんでしょうけど
ワンピカードのCMでも思ったけど尾田栄一郎は一体なんなんだ
歌のシーン見てきました。
所々30秒飛ばしで見てたので全然気づきませんでした。
マジでよくわからないシーンでした。
ルフィとシャンクスの表情は納得できるんですがその他が意味不明。何らかの意味を見出そうとしたんですがこじつけさえ無理でした。
信者の人がこじつけでもいいから説明してくれる日を気長に待とうと思います。きっと私がわからないのは「読解力」がないからでしょうから。
ウタ信者がハンコックのことBBA呼ばわりしてんのマジでムカつく。こいつらが好きなのは原作キャラじゃなくてウタなんだなって思うわ
単純な話なんでこんなわけわからない話にしたんだろう…
ルフィがシャンクスと会う、海賊をそこで知る(か大海賊時代ゆえにひどいことするんだろ!?って嫌がる)
シャンクスたちを警戒するルフィでもウタは同年代ゆえそこまで敵視できない
なにか村でトラブルがあってウタとルフィが協力して解決する(例えば野生動物がウタを襲う、ルフィが庇って時間稼いだとこで歌の力で落ち着かせるとか)
ウタとルフィはそれで打ち解けるがシャンクスはまだ信じられない
でもだんだん話聞いてるうちにシャンクス海賊団が楽しそうにしてる様子やウタの力に魅了されて海賊に憧れる
みたいなありきたりなストーリーでもいいじゃないっすか
なるほど、確かになべおつさんの考えたセリフならちゃんと伝わるわ。
なべおつさん的には視聴が苦痛だったんだろうから申し訳ないけど昔のクソアニメにツッコミ入れてるみたいで笑ってしまう
無駄に長くせずもう少し短くしてほしいですね普段あれだけワンピース酷評してるのに自分のブログの酷いところは気がつかないんですか ルフィと村長と果物屋のやり取りから一向に話が進まないしまだ前半しか終わっていない 求められたから書いたと言ってますが連動アニメの感想より1090話の感想のほうが求められてると思うのですがなぜ書かないのですか。
記事を書くために煮え湯を飲んだということですね
おかげでこのような価値ある批評を読めるというものです
ご苦労様です