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『MONSTERS 一百三情飛龍侍極』が期待外れだった理由

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『MONSTERS 一百三情飛龍侍極』観ましたが、正直期待外れでした。

原作は大好きなので、以下のティザービジュアルでアニメ化が発表された際は、その仕上がりを期待していたんです。

© 尾田栄一郎/集英社

しかしその後に発表されたキービジュアルが微妙すぎて…

© 尾田栄一郎/集英社

作品の持つ迫力も世界観もまるで伝わってこない、低予算B級アニメのような仕上がり。

このキービジュアルをディレクションをした人や、OKを出した人のセンスを疑ってしまうレベルです。

この時点で私が期待する「(きちんと予算をかけた)ファンの期待に応える満足度の高い仕上がりのアニメ化」にはならないだろうなと思ってしまいました。

余談ですが、こういうのを見ると、尾田先生が何に対しても口出ししたくなってしまうのもわかってしまうんですよね。。

おそらく、FILM REDも、尾田先生が描き下ろしをしないキービジュアルだったら、映画連動特別編のDVDパッケージのようなクソダサいビジュアルとなって、大したヒットもせずに終わっていたんだろうなと思ってしまいます。

© 尾田栄一郎/集英社

以下、『MONSTERS 一百三情飛龍侍極』の気になった点やツッコミどころをまとめておきます。

『MONSTERS』気になった点

作画が微妙

全体的に微妙なのですが、特にリューマの作画と配色が微妙過ぎて、キャラが立っておらず、魅力半減でした。

原作のモノクロの方がよっぽどかっこいい。

声は、ボイスコミック版と同じく、細谷佳正さんが担当しているのですが、(同じ人が担当しているとは思えないほど)違和感がありました。これは監督の違いによるものかもしれませんが、個人的にはボイスコミック版の方が(余計な力が入っておらず、過剰な演技もなくて)断然好みでした。

シラノとフレアの声はよかったですが、シラノはボイスコミック版の方もよかったですね。

また、リューマのちょんまげがアフロになっているのもダサく、なんで原作通りのビジュアルにしないのか謎でしたね。

リューマが空腹で店内を覗くシーン

冒頭わずか1:48で早速のツッコミどころ発生です。

フレアとシラノが話している後ろの窓から、(一度メシ屋から追い出された)リューマが腹を空かせて羨ましそうに店内を覗くシーンなのですが、どう見ても料理が見えるアングルじゃないんですよね。

原作では、シラノのテーブルを横から覗く構図になっているため、リューマの目線は(お皿が並ぶ)シラノのテーブルを見ている形になっているのですが、アニメだとなぜかシラノの背後から覗く形になっている上、シラノのテーブル(含む画角に入ってる全てのテーブル上)に一切皿が描かれていないため、要は何もないテーブルを見ながら、腹を空かせて涙を流しながら羨ましそうに覗き込むという、意味不明なシーンになっています。

あまりの違和感に、原作ってこんな描き方だったっけ?と思って確認したら、原作ではちゃんとリューマが覗く窓の真正面に(シラノの)食事の皿が配置されていて、羨ましそうに料理を見ている構図になっています。

まぁ細かいことを言うと、原作でもシラノは(コーヒーを飲んでくつろいでいる感じなので)すでに食事を終えていて、リューマが見ているのはカラっぽのお皿という見方もできるのですが、皿の中身は描かれていない為、ほとんどの読者は、テーブルに並んでいるお皿(の料理なり、残り物なり、食べ終えた跡なり)を羨ましそうに見ているものとして読んでいたことでしょう。

しかしアニメ版では、なぜか全テーブルに1枚もお皿が置かれてないのです笑

そのためメシ屋かどうかすら初見ではわからないレベルです。(最初に「 RESTAURANT」という看板が出るものの、その後の店内の描写では料理も皿も1つも描かれておらず、水が入ったコップしかテーブルにありません笑 どんなレストランやねん)

コスト削減のために、皿や料理を描くのをカットしたのでしょうかね。。

「シカト」ギャグのわかりづらさ

メシをご馳走してくれたフレアへの恩返しについて熱く語るリューマがシカトされるというシーンも、なんでこんな(ギャグとして)わかりづらい演出をするんだろうと思ってしまいました。

原作では、

  • リューマが恩返しの重要性について一人語りを始める
  • フレアは聞いておらず、すでに後ろにいるシラノに話しかけている(「え? シラノさんもう行っちゃうの?」→「ああ…先を急ぐ旅なんだ」という会話が先に描かれる)
  • それに気づき「はっ!! シカト!?」とリューマがツッコむ

という流れになっているため、ギャグ描写としてわかりやすく、スムーズに理解できます。

しかしアニメ版では、なぜか

  • リューマが恩返しの重要性について一人語りを始める
  • リューマが一人語りをしている寄りの絵のまま、フレアの「えー」という声が入ると同時に、リューマが「シカトー?」と驚くカットが挿入される

という描き方のため、ギャグ描写としてめちゃめちゃわかりづらい。

というか、これ原作を読んでない人は、一瞬リアクションの意味がわからないのではないでしょうか。

だって、フレアの「えー」というセリフだけではリューマをシカトしたのだと伝わらないですから。

そのため「ギャグ」として成立しておらず、全く笑えない薄らスベりシーンになっています。

まじでなんでこんな意味不明な演出にしたのか理解できません。

リューマがフレアの泣き声を壁一枚挟んで聞く演出が酷い

リューマの前では涙を見せずに気丈に振る舞い、「この町のことは忘れて。いい旅を祈っているわ」と言い残して、1人店に戻った後に号泣するフレア。

このシーンは、フレアがリューマの前では感情を押し殺し、1人になった後に堪えきれずに号泣するからこそグッとくるわけです。

原作では、フレアはリューマと別れた後、お店の2階にある自分の部屋へ戻って号泣し、リューマはその部屋の前で泣き声を聞く(ことになる)、という描き方になっています。

画角もリューマとフレアを同じコマには描かず、両者が空間的に隔たれている(フレアは扉の外にリューマがいるとも泣き声を聞かれているとも思っておらず、リューマも泣き声を聞くつもりはなかったという)形で描かれています。

しかしアニメ版では、フレアがリューマと別れて「距離をとる」という描写がないに等しいため、すぐ目の前にある店内(の1階)に入ったようにしか見えません。

実際はリューマと別れた後にそれなりの距離を歩いてお店に戻り、リューマは(気になって)こっそり後をつけたところ、その泣き声を店の外で聞くことになる、というシーンなのだと思いますが、その「間」の描写が一切ないため、リューマと別れてすぐ目の前のお店に入って号泣し始め、それを薄壁1枚挟んでリューマが真後ろで聞いているようにしか見えないわけです。

これではフレアの声はガンガン外へ聞こえてしまうため、フレアが「気丈に振る舞ったように見せつつも、実際は同情を誘うためにあえてリューマに聞こえるように泣いている計算高い媚び女」に見えてしまうんですね。

たとえば、自宅の扉の前で彼氏と別れた女性が、彼氏の前では涙を見せずに気丈に振る舞ってバイバイをしたものの、家に入った瞬間号泣したようなシーンに見えるわけです。

これでは彼氏にその泣き声が聞こえるのは当然で、彼女もそれがわかっているため、(彼氏の前では泣かない気丈さを見せておきながら、実際は泣いてることを知って欲しいため)あえて彼氏に聞こえるように号泣し出したようにしか見えなくなります。この泣き声を扉越しに聞いて(聞かされて)、彼氏が彼女を思いやるシーンにされても茶番にしか見えないでしょう。

これと同様に、フレアがリューマと別れてすぐに目の前の店に入って号泣し出したようにしか見えないため、せっかくリューマの前では気丈に振舞って涙を見せなかったフレアの強さや健気さの描写が完全に死んでしまってるんですよね。

せっかく花澤香菜さんの泣き声の演技が素晴らしいのに、構成と演出でそれを台無しにしている。

もちろん、原作の描写でも、人がいなくなった静かな町での号泣なので、1階だろうと2階だろうとあの声量で泣いたらリューマには聞こえてしまったでしょうが、少なくともフレアはリューマに聞こえないように距離をとって泣いたことが伝わる描写になっているため、ちゃんと感情移入できます。

アニメでは、フレアとリューマ両方とも、その「距離」や「移動」や「間」の描写がないため、ほんとにすぐそばの店に入って薄壁一枚隔てただけで泣き出して、リューマはその場を(ほぼ)動かずに泣き声を聞かされたシーンにしか見えないんですよね。

せめてリューマと別れた後、フレアが道を歩いて離れていく背中のカットを入れてくれていれば、リューマから距離を取ったことが伝わるのに。

そうしてある程度歩いてお店に戻り(リューマと別れてしっかり離れたことが伝わる描写を挟んだ上で)、店内のカットに切り替わって、誰もいない部屋に1人となったフレアが感情を抑えきれなくなって泣き出してしまう、という描き方にしないと、このシーンの感動は薄れてしまいます。

シラノの元へ駆け出すリューマの動線が意味不明

原作では、2階のフレアの部屋の前で泣き声を聞いて、そのまま通路を走り出して2階から飛び降り、そこから道を一直線に走ってシラノの元を目指すのですが(そのスピード感と疾走感が素晴らしいのですが)、アニメでは最初から地上(1階)にいるため、2階の通路を駆け出すシーンも、飛び降りるシーンもありません。

なぜか狭い通路を建物にぶつかってバランスを崩しながら(わざわざスピード感を殺して)通過し、途中(全く必要のない)建物を飛び越える(2階から飛び降りる)描写が強引に挿入されます。

何これ笑

普通に地上を駆けていけばいいだけなのに、なんで建物を飛び越える必要があったのか謎すぎます。

建物にぶつかる演出も全くいらない。怒りによって冷静さを失った様子を描いてるつもりかもしれませんが、スピード感、疾走感を奪うだけの無駄演出にしかなっていません。

そもそも、リューマがそこまで動揺するほどフレアとの関係性は深くないし、壁にぶつかることでリューマの内にある怒りが途切れてしまうようにも感じるため、本当にいらない演出です。

原作では、2階の通路をまっすぐに駆け出してそのまま飛び降り、一目散に駆けていく疾走感が素晴らしいのに、何でそのスピードを殺すような描き方をしようと思ったのか理解できません。

そのスピード感のある走りこそ、アニメで表現して欲しいところなのにさ。

クライマックスに向けて視聴者の気持ちが盛り上がっていくシーンを雑音まみれにして一体何がしたいのでしょうか。。

シラノvsリューマの演出が微妙

シラノの剣をかわして斬り上げるシーンは、スローモーションのモノクロ世界となり、筆で描かれたような作画になる演出となっています。

この演出アイデア自体はとても良いので、このカットが挿入された時は、「この見せ場のシーンにリソースを集中させたから、他の作画が微妙だったのか…!」と一瞬頭をよぎり、それなら仕方ないかとも考えたのですが、実際はリューマが刀を抜いた後の動きがほとんどなく(3〜4カットしかない?)ほぼ固定画にしか見えないため、失笑してしまいました。

いや、こここだわりの演出じゃないの?笑

刀を抜いてからシラノの刀を避けるまでの「動き」がほぼゼロのため何の迫力も感じられず、めちゃめちゃ動きの固い素人剣士にしか見えなくて拍子抜けしました。

ここの描写に予算を注ぎ込んで完璧な仕上がりにしてくれていれば、まだ(他の作画が微妙でも)納得できたのですが、見せ場のシーンの出来も中途半端なので、やっぱり完成度の高い作品とは言えないですね。

こういう上から目線の言い方をすると、「じゃあお前が描いてみろ」勢が湧いてきそうですが、絵を描ける必要はなく、ディレクションやフィードバックができればいいのですから、その視点で見ると(他のシーンをカットしたとしても)ここの作画枚数を増やすべきだと思うわけです。

ドラゴンと20秒もの尺をかけて対峙するフレア

この演出もいらんですね。

なんでドラゴンがフレアと対面して「座して待つ」描写など挟む必要があるのでしょうか。それも、最初からフレアのいるお店に視線が向いた状態で着地し(まるでフレアに会いに来たかのように)お行儀よく見つめている描写のため、ドラゴンの恐ろしさを削ぐだけの本当に無意味な演出となっています。

「フレア!! 迎えにきたよ!!」というセリフを当てこんだら、どう考えても感動の再会シーンにしか見えません。

これのせいで、リューマがドラゴンを倒した凄さや功績さえ霞んでしまっています。

だってドラゴンはまだ何も悪さをしておらず、ちょっと叫んで威嚇しただけで(見方によっては「フレア!! 迎えにきたよ!!」という挨拶の叫びにも見える中)、フレアを目の前にしても一切攻撃せず、街を壊すこともなく、大人しく座ってただけなんですもん。

「ドラゴンは人間の力では絶対に敵わない」「意思疎通できず、理性もなく、本能のままに破壊を行う人間の敵」と思わせるだけの迫力と恐ろしさをきちんと描いた上で、それをリューマが一刀両断する、という描き方にしないと、リューマの強さやクライマックスでの爽快感が得られないでしょう。

フレアが「リューマの背中」を見るという位置関係上あり得ない演出

フレアがドラゴンと対峙しながら「死のう この町と一緒に」と命を諦めて目を開くと、リューマの背中が現れるという演出も意味不明です。

位置関係的に、フレアの位置からリューマの「背中」が見えるはずがないんですよね。

フレアはお店から出てきて、その目の前(の建物の屋根)にドラゴンが鎮座している状況なんですなら、リューマが駆けて来る道はフレアからは横向きに通っているはずで、フレアから見えるリューマは横顔でなければおかしい。

どういう位置関係にいたら、フレアからリューマの背中が見えるというのか。

それもフレアは目を閉じて俯きなぎら店から出てきて、死ぬ覚悟を決めて目を開いたらリューマの背中が見える、という演出なので尚更ありえません。

原作では、フレアが屋上でうなだれていたところ、リューマが隣の建物の屋上へ駆け上がってきて、屋上を走ってドラゴンへ向かっていく(フレアの位置から画面奥へ駆けていく)構図になっているので、ちゃんとフレアからリューマの背中が見える位置関係になっています。

もちろん、アニメとしての画映えのためには原作通りに描くわけにはいかず、演出を変える必要があるのはわかるのですが、物理的にありえない、画の見え方だけを優先した雑な演出をされても、作り手の作為が浮き出てしまうため感情移入できなくなるんですよね。。

このシーンだって、

  • フレアはドラゴンの雄叫びを聞いて、ドラゴンがやってきたことを知り、ドラゴンに殺されようと思って店の外に出る。(ドラゴンは近くで雄叫びをあげているが、フレアの店前にいるわけではなく、フレアと対面しているわけでもない)
  • 何者かが店の前を横切る音が聞こえる。(フレアはうなだれて下を向いていたため、足音だけ聞こえる)
  • 顔をあげて足音の先を見るとリューマの背中が見える(リューマは店の前を横切って、真っ直ぐにドラゴンの元へ駆けて行く)

という描き方にすれば、(屋上のシーンにしなくても)「リューマの背中を見る」カットは(物理的にあり得る形で)入れることができるわけです。

こうした位置関係にきちんと配慮せずに、フレアとドラゴンの無意味な対面シーンを20秒もかけて描くなんて正気の沙汰とは思えません。

こんな不自然な(その割に何の効果も生んでいない無意味な)演出に尺を使うくらいなら、もっと原作の魅力を拡張するために描くべきシーンや演出があっただろうと思ってしまいます。(上記で指摘したフレアの号泣シーンやシラノとの戦闘シーンなど)

もしフレアとドラゴンを相対させることで、ドラゴンと対峙した際の人間側の恐怖心に焦点をあてたかったのだとしても、ドラゴンを真正面に配置する必要などありません。

ちょっと離れた建物の屋上に鎮座し、辺りを見回しているドラゴンと、ドラゴンに殺されるために外に出てきたものの、ドラゴンの方を見て目が合うと(ドラゴンがフレアをターゲットとしたことが目線でわかったため)、その迫力に萎縮して、恐怖で震え上がってしまう、という描き方の方がよっぽど自然でリアリティがあるでしょう。

その上で、死の覚悟を決めるため目を閉じたところ、足音が聞こえてきて(リューマが店の前を横切り)、目を開いて足音の先を見ると、ドラゴンに向かって走っていくリューマの背中が目に入る、という描き方にすれば、上記全てを満たすことができます。

もちろん、制作された方達はプロフェッショナルなので、私のような素人考えなど全てわかった上で、あえて今のような演出や見せ方をしているのでしょうが、それが原作の魅力を削ぐ方にしか寄与していないため、なんでこんな作り方をする必要があるのか不思議でなりません。

誰かアニメに詳しい方はプロの方がいたら、この作品の演出の意図や事情について解説してほしいレベルです。

ドラゴンを叩き切る最大の見せ場も微妙

リューマが飛びかかり、刀を構えてからドラゴンの首を斬り落とすシーンも微妙なんですよね。

まず力を込めるリューマの顔の寄りのカットがマヌケすぎて失笑モノです。

ここ一番重要なところでしょう。

シラノを迎え討つシーンの表情は良かったのに、どうしてこうなった…

また飛びかかった位置的に、そのまま剣を下ろしたらドラゴンの「顔面」が(牙もろとも)真っ二つになるはずなのですが、次のカットではだいぶ下の方の首が斬られているというのも違和感しかありません(まぁこの点は原作の方もありえない角度の切断にはなっているのですが)

肝心の首切断の瞬間の描写も微妙でした。

原作の方が血の飛び散り方に勢いがあるため、リューマの剣の速さと鋭さによる一刀両断感があるのですが、アニメ版では「ぐぐぐぐ……バチーン!!!」のような弾け飛び方なんですよね。この演出自体はアリとも思うのですが、血の飛び散り方に勢いがないため、原作の切断シーンの迫力とは全く別物になっています。

実際にドラゴンの首を斬ったらこのような斬れ方になる(為この描写の方がリアリティがある)のかもしれませんが、個人的には、原作の迫力と勢いをそのままアニメで表現して欲しかったですね。血が弧を描いて勢いよくスパッと飛び散るのがいいのに。

リューマの姿も、首が切れた後にその隙間から見える(つまり首が斬れる瞬間は映っていない)描き方のため、太刀筋や剣を振り下ろした様子がわからず、これも見せ場シーンの演出としてズレていて、迫力を削ぐ要因になっているように思います。

一番の大技披露シーンで、主人公を画面に入れないって意味わからんでしょう。

総じて、(おそらく)尾田先生が描きたかったものとは全く別の意図やアプローチで描かれているため、尾田栄一郎作品のアニメ化に見えないんですよね。。

期待していた見せ場のシーンがことごとく微妙だったため、個人的には、アニメ化した意味をほとんど感じない作品でした。

最後の「楽しくないらしいぞ 死んだら」というリューマのセリフは(声優さんの言い方も含めて)よかったです。

ボイスコミックの方が断然面白い

個人的にはボイスコミック版の方がずっと良かったですね。

リューマの声優さんも、ボイスコミック版の方が無駄な力みやクセがなくて好みでした。

特にシラノに鞘当てをされた後の「刀剣は剣士の命!! それを承知で悪かったじゃ済まねェだろ…相応の覚悟はあるんだろうな」というセリフは、アニメ版ではうるさすぎて、いきなりそのボリュームで叫ぶなんておかしいだろと思ってしまった。

この辺りも監督の指示(センス)なんですかね。

私の好みとは全く合わないなと思いました。

FILM REDが興収的に大ヒットし、Netflixでのドラマ化も成功した後のタイミングだったので、それなりに予算をかけて文句のつけようのない完璧な仕上がりのアニメになるものと思っていたのですが、低予算プロジェクトだったんですかね…?

気になる方は、プライムビデオで視聴できるのでチェックしてみてください。

(アフィリエイト広告を利用しています)

私の中で「ワンピース」は「史上最も好きな漫画」であり、まだ「前半の海」での評価の貯金が残っているからです。

ワンピースが大好きだったからこそ、この先改善されることを(いつまでも)期待して読み続けてしまっているわけです。その期待や熱量がゼロになったら読まなくなると思います。

実際「エッグヘッド編」以降、つまらなさが許容量を超えてきており、熱量は急速に冷めてきています。コミックスも104巻からついに購入をやめました。

ジャンプは購読して読み続けていますが、これもお金の無駄だと感じるようになったら卒業するかもしれません。

余計なお世話としか言いようがありません。

自分の人生の時間の使い方は自分で決めます。

あなたこそ、見ず知らずの他人の人生に意見するような無駄な行為に時間を使うのはやめたほうがいいのではないでしょうか?

他人の人生に口を出す前に、どうぞ自分の人生の心配をしてください。

論理が破綻しており、全く筋違いな言い分です。

プロの作家が商業作品として世に販売している時点で、それを購入した側が評価したり、感想を述べたりするのは当然に許された権利です。

私は読者(消費者)であって、漫画家ではありません。漫画を描きたいわけではなく、面白い漫画を読みたいからお金を払って購入している立場であり、購入した作品の内容に不満があるから、批判的な感想を述べているわけです。

あなたはお金を払って観に行った映画が酷い仕上がりでも、「自分に映画は作れないから文句は言えない」と考えて口をつぐむタイプですか?

購入したゲームがクソゲーでも、「自分では作れないから文句を言う資格はない」と考えるタイプですか?

お金を払って観に行った音楽ライブで、アーティストが音を外したり声が出てなかったり歌詞を間違えまくったりして全く感動できないパフォーマンスを披露しても、「自分のほうが歌が下手だから批判すべきじゃない」と思うのでしょうか?

飲食店でマズい料理を出されても、「自分で作れないんだから(店を開いてないんだから)文句を言う権利はない」とか、「文句を言えるように、まずは自分で作れるようになろう(店を出せるようになろう)」と思うのでしょうか?

市場に商品として投下されている時点で、それを購入した消費者からの評価は避けられません。作り手はそれを分かった上で、自らの意志で作り手側(買い手から評価される立場)を選んでいるのです。

一方の消費者は、自分ではできないからこそお金を払って人に任せているのであり、そこで期待したクオリティに達していなかった場合に、低評価を下したり、批判したりするのは当然に許された権利です。

「購入した商品について批判するためには、自分がその商品以上のクオリティのものを作れなければならない(文句を言うなら自分で作れ)」なんてあまりにも本末転倒で筋違いな暴論です。

頭の悪い人だとバレてしまうので、金輪際そうしたコメントはしない方がいいですよ。

尚、私がこのブログで批判しているのは、基本的に尾田先生(漫画家)ではなく、担当編集者です。編集者視点で、「なぜこの部分を直さないのか」「なぜこの内容でOKを出してしまうのか」という批判をしているのです。

その意味でも「文句言うなら、自分で描いてみては?」という主張は的外れですが、もし「文句言うならお前が編集者をしてみろ」と言われ、実際に依頼をしていただけるのであれば、私は喜んでお受けします。

そして、私が編集者になった後のワンピースがつまらなければ、当然批判も受けとめます。

その覚悟を持って(編集者を)批判していることをご理解いただければと思います。

心配しています。

このブログでは、基本的に尾田先生ではなく、担当編集者を批判するスタンスをとっており、尾田先生の健康や多忙を心配するコメントを過去に何度もしています。

なんなら長期休載に入ることや、連載ペースを落とすことを推奨している立場であり、そうした対応をせずに原作以外の仕事を次から次へと振りまくって尾田先生に負担をかけ、作品の劣化を放置し続ける編集者を批判しているのです。

なぜなら、1人の人間が週刊連載で何十年も面白い作品を(世間とのズレを生む事なく)描き続けることなど、そもそも不可能だからです。肉体的に困難なのはもちろん、作者1人の感覚で何百万人という読者の感覚とズレることなく、質の高い作品を描き続けることなどできるはずがないのです。

そのズレを正すのが編集者の役割であり、作品の質を維持するためには編集者の客観的視点が不可欠だというのに、全く機能していないことが露骨に作品に出てしまっており、にもかかわらず原作以外の大量の仕事を振って尾田先生からネームや作画の時間を奪い続け、作品の劣化に歯止めがきかない状況を進行させているため、その点を指摘して批判をしているわけです。

尾田先生の健康面の心配はしていますし、「作品への批判」と「健康面への心配」は両立するものです。

思いません。

「少年漫画」だから大人の観賞に耐え得るクオリティになっていなくて当然(あるいはそれでも問題ない)という考え方は、「少年」の読解力や感性を「(自称)大人」の勝手な思い込みと偏見で侮り、間接的に「少年漫画」を見下していることと変わりません。レッテルに囚われた思考停止人間の典型です。

少年を侮り、少年漫画を見下し、少年漫画のファンとして感想を述べ合う大人達を「異常」だと言ってのける人間のほうが、よっぽど異常だと私は思います。

読者アンケートの順位は相対的なものなので、「1位のままだからワンピースは劣化していない」という論理は成り立ちません。

ワンピースがどれだけつまらなくなっても、他の作品が抱えているファン数がワンピースよりも少なければ、ワンピースは永遠に1位のままです。「アンケート回答するファンの数=作品の絶対的な面白さ」ではありません。

ワンピースは「前半の海」で蓄積した熱狂的ファンがあまりにも多いので、ジャンプのアンケート回答においては、今度もほとんど1位をとり続けるでしょう。

私の中で「信者」の定義は、「何を描かれても無条件に絶賛し、全て肯定的に解釈して作者を持ち上げる読者」を指しています。

そのため「つまらない部分やおかしいと思う部分は多少あれど、普通に面白いし楽しめている」とか、「前半の海よりも面白さが失われたとは思うけど、新世界編も総じて楽しめている」といった読者は、私の言う「信者」には含まれません。


作者にとって有害かどうかは作者が決めることですので、本人に聞いてみてください。

ただ「つまらない」「くだらない」「ゴミ」「読む価値がない」「お金の無駄」「オワコン」「資源の無駄」といった捨て台詞で、作品を貶めるだけの(ほとんど誹謗中傷でしかない)批判は「有害」だと思いますが、きちんと作品を読み込んだ上で、「なぜつまらないのか」「何が問題なのか」を考え、「どうすれば改善されるのか」まで提示した上で行う「論理的な批判」は、(作者個人は求めていないにせよ)私は「有害」とは思いません。

というより、そうした批判を行う権利は誰にでもあるので、それが有害かどうか議論すること自体がナンセンスです。

それこそ「嫌なら読まなければいい」のです。

煽り体制が低いのは事実ですが、勘違いコメントや難癖コメントを放置すると、それを見た方に誤解を与えたり、場が荒れたりしやすく、早々に対処しておく必要があるため、説明なり反論なりをしています。

えてしてそういうコメントをする人ほど、放置するとそれを「肯定」と見做して、さらに誤解を強めて暴走しやすい傾向にあるからです。

たとえば「煽りコメントにだけ返信してねェw 効いてる効いてるww」とか「図星だから反論できねェんだw」とか「何も言い返せないから逃げやがったww 悔しかったら反論してみろやww」のような言い分です。(そうなると対処にさらに時間がかかるので、早めに処理しています)

また、私への直接的な質問系のコメントやうれしいお言葉にも、できるだけ早めに答えるようにしています。

記事への感想や建設的なコメントについては、読者さん同士でコメントやリアクションをしていただけているので、慌てて私がコメントせずにおまかせしている部分もあります。私がコメントするとそこでやりとりが終わってしまい、読者さん同士の会話が生まれづらくなったりもするので。

色々状況を観察しながら、よいコメント欄になるよう運営していきたいと思っています。

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匿名
匿名
3 ヶ月 前

ここに書くことでは無いですけど、マジで久々にアニワン観て驚きました。
OPは良かったんですが、何かもうフランキーの声優(矢野さん)とか心配になるし原作のテンポのせいで、アニメまで不思議なテンポが出ているしで…。
ただ色んなBGMを挿入して飽きさせないような工夫はしてるんだなと感じました。
でもこの状態でリメイクしたとして、制作会社は別で、健在である初期の五人声優を起用したとしても、なんか言い知れない不安があるんですよね。初期のパワーがどこまで出せるか、見守りたいと思います。

匿名
匿名
3 ヶ月 前

クソみたいな在り来り設定だし、あり得ない展開や意味不明な感情表現、全体的に説明的で本当に面白くなかった…
ショボい。

匿名
匿名
3 ヶ月 前

「ぷはー!食った食った!」とドラゴンを一刀両断するコマしか知らない初見勢の感想です。

(脚本)
ストーリーは起承転結がしっかりしていて本当に面白かった。

(声優)
キャスト陣は良かったけど、リューマ役の細谷さんはちょっと力んでる声の出し方をしていて、もう少し力を抜いた演技をさせればいいのにと思いました。

(配色)
全体的に色がぼやっとしていて画面全体が白っぽいからキャラが目立たない。
もう少しはっきりとした配色の方が良かったような。
朴監督は配色センスがイマイチなのか?
呪術廻戦第一期での制服も色がテカテカしててゴミ袋みたいだったし。

(演出)
シラノvsリューマの作画は本当に惜しい。
「クズが!」の19分28秒から30秒までの作画は良い。
特に「クズが!」の直後一瞬だけ赤く光る演出はかっこよくて「いけるやん!」となったのに、19分31秒から34秒はカクカク作画…。
なんでカクカク作画なん、ヌルヌル作画にしろよ…。
ドラゴンの作画ももうちょい頑張れよと、鱗の一つ一つを丁寧に描くくらいやって欲しかった。
最後のドラゴンの一刀両断シーンは首の向きが原作と異なっているけど、あの斬り方だからあの首の向きなんだろうと思うけど、迫力は削がれてる。
一刀両断のシーンもカラーではなく原作準拠の演出にしていればかなり盛り上がれた。
(話は逸れますが、原作は影を集中線として使ってるんですね…。魅せ方がお上手)

(音楽)
映像の邪魔をしない引き立て重視の音楽で良かったと思う。

(その他)
アフロちょんまげはセンスない。

(感想)
良作になれなかった勿体無いアニメという感じですね。
魅せるシーンに作画コストをもっとかけていればもっと評価は高かったはず。

匿名
匿名
3 ヶ月 前

(アニメの重大なネタバレ含みます)

アイキャッチでリューマの原画っぽいものが登場してましたが、アレが尾田先生の直筆設定画だとするとチョンマゲアフロは尾田先生の指示ってことになりますね 
なんの意味がある変更なんでしょうね?まさかブルック意識してるとかじゃないでしょうし。しかしそのくせサプライズのゾンビリューマは普通に原作基準のチョンマゲという謎。逆の方がブルック入ってる感あって良かったんじゃない?
まぁ2年後ルッチにクソみたいな振り子ヒゲ足しちゃうセンスなのが今の尾田先生ですし、理由なくアフロにするのも十分ありえるというか(笑)

匿名
匿名
3 ヶ月 前

なんでディーアールデブったの……?
『本編ではドラゴン事件で奪った財産で肥え太った姿だが、それ以前は引き締まった姿をしてた』みたいな設定にして、回想では痩せてる(原作基準の)ディーアールでも出しとけば原作ファンも「(そもそも不要なポイントですが)おおっ」となるかもしれないのに、7年前の回想でもデブってましたよね
「短刀を自分の腹に刺しても平気」って演出残すんなら、ガチ肥満は腹に詰め物する余地なくなって説得力薄くなるだけだと思うけどなぁ
かなり飛ばし見だったのでデブ化に説明あったら申し訳ないです

匿名
匿名
3 ヶ月 前

昨今の鬼滅や呪術のクオリティを見るに、このレベルでお出しする事は集英社のビジネス的にまず有り得ないと思うので、予算やスケジュールなどを切り詰めた結果の「B級化」な気がします。あくまで予測ですが。

おそらく
RED&ニカ→実写→MONSTERS→初期リメイク
で最終章に向けてのお祭りを画策していたのでしょうが、これではチョット…。
もちろんこのクオリティを一番気にしているのはプロである公式と制作チームだと思いますが。最近はどの作品も大金の動くアニメ化にはかなり力を入れていますから、比較対象の多い現代でファンがどのような感想を持つか、結構気になりますね!

匿名
匿名
3 ヶ月 前

新人漫画家が描く短編の場合、ワンピースの初期の様に担当編集が機能していたと思います
それゆえに、過度なアニメ演出を加えると、原作の作画意図とはかけはなれた、なんだかよくわからない様なベツモノが爆誕してしまいます。

モンスターにつき、視聴者が見たいのは尾田先生原作の漫画のアニメであって、アニメーターが演出マシマシで創作したベツモノのモンスターではないワケです

したがって、編集が機能していたぶん作品のクオリティは担保されているワケであり、よって初期のワンピースの様なアニメの作り方で良かったと思います

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