年末年始のお休みを挟んだ後の1話というのに本編が14ページしかなく、何一つ話が進まない、読む必要のない1話でした。
前話で殴り飛ばすシーンまで描いておけば、今話の冒頭4ページは丸々不要になります。
サブタイトルも酷すぎて、もう作者のやる気のなさがもろに伝わってきてしまいますね。
いつまでくまとボニーの文通タイトルを続けるのでしょうか。
- 1100話:ありがとうボニー
- 1101話:ボニーへ
- 1102話:くまの人生
- 1103話:ごめんね、お父さん
- 1104話:ありがとう、お父さん
ひでェ…笑
いつまでくまとボニーの文通タイトルを続けるつもりなのか。
次週以降は「死なないでお父さん」「さよならお父さん」とでも続けるつもりでしょうか。
これコミックス派の人は、目次でこの並びを見た時に「ナメてんのか…?」と思うのではないでしょうか。
それくらい、もはや考えることを放棄したとしか思えないような手抜きタイトルの連続です。
というより中身がなさすぎて(薄すぎて)、意味のあるサブタイをつけられてないんですよね。
1話に収めるべき話のボリューム感を完全に見失ってしまっています。
引き延ばしのためにわざとやっているというよりも、ワノ国編以降、作者自身が、本来1話で描くべきボリューム感がわからなくなってしまっているように思えてしまう。
目次
1104話がつまらない理由
サターン聖と自爆スイッチの件
サターン聖がくまの自爆スイッチを押していたことを白状するタイミングも酷い。


くまが殴りかかりにきてるタイミングで、回避よりもネタバラシを優先する様があまりに滑稽でなりません。
そんなこと呑気に喋ってる尺あるわけないでしょ…
そのせいでくまの急襲や不意打ちのスピード感が失われ、めちゃめちゃスローモーションで殴りかかってきている余裕のある状況(にもかかわらず回避も防御もしないボンクラ)になってしまっています。2週もかけてるから尚更です。
ボニーの攻撃には「刺されたくなければ…避けておるわ!!」(=避ける必要はない程度の攻撃)と言ってましたが、くまの攻撃も避ける必要はないと考えたんですかね?
ツノや右腕を失うほどのダメージを受けてるのに?笑
再生できるといっても、避ければ一時的なダメージさえ受けなくていいんだから、普通にごちゃごちゃしゃべる前に避ければよくね? 避けてから追及すればよくね?
変身したら身動きが取れずにただそこに居座ることしかできない無能ボンクラ老人になってしまうということなのでしょうか…
くまがサターン聖を殴るまでの描写に無駄がありすぎて、せっかくの痛快シーンも台無しです。
准将以上の海兵達による無能ムーブの連発
モブ海兵のリアクションも酷い。。


「ゴ!! ゴごご…ゴゴごご…!! “五老星”を…!! 殴ったァ〜〜〜〜!!!」
「せ…せ…世界最高権力者であらせられるぞォ〜〜〜!!!」
「世界の頂点を!! 現奴隷が殴ったァ〜〜」
「歴史的大事件だぞォ〜!!!💦」
もう酷すぎて読むに耐えません。。
文字だけ見れば喜んでいるようにさえ見えるクソセリフのため、まるで大事件に感じられない。
ボニーに刺される際もくまに殴られる際も、ただ傍観するだけで何もできず、刺された後、殴られた後に「重大」であることだけを説明するモブ海兵達の中身の無さたるや…
五老星が海賊に刺されるという、一度たりともあってはならないレベルの大失態を犯しておきながら、その反省を活かすことなく、同じことを繰り返す無能ムーブ。
さらにはギア5の副作用で身動きが取れないルフィも、その後食事中で身動きが取れないルフィもそのまま放置して傍観するシマツです。

お前らほんと何しにエッグヘッドに来たんだよ。。海軍の面汚し共が。
「世界最高権力者」に仕えている(警護のために同行した)意識があるなら、自分の身を挺してでも守りに入れや。なんで全員傍観するだけなんだよ。。
全キャラクターがあまりに作者にだけ都合のいい動きしかしないため、読んでて一瞬も感情移入ができません。
せめて、サターン聖が真の姿を見せるから、大将以下(黄猿以外)はエッグヘッドには入れないことにして、全員バスターコールの準備をして命令を待つ状況にした上で、黄猿がルフィにやられてしまった結果、サターン聖がくまに殴られてしまった、という状況ならまだ理解できるのですが、「准将以下まみえる事も許されぬ!!」という中途半端な縛りにしたせいで、海軍全員無能化してしまいました。
准将以上の海兵達がこれだけ大量にいて、二度も「世界の頂点」への攻撃を許す(見逃す)なんてありえないでしょう。
どこまでも無能な耄碌ジジイ聖


サターン聖は、「自我を残すことは絶対に許さん!!! 私も科学者ウソはつけんぞ」なんて言ってましたが、「自我」の有無については見破れるけど、「(天竜人を殴って海軍大将から追われている)“麦わらの一味”の船を守るプログラムには気づかず(あるいは許容し)、「自爆スイッチ」を「完全停止スイッチ」に変えられても(つまりくまの体内に爆弾がなくても)気づかないって、どんなご都合主義なんでしょうか。。
それで「条件は守った」と詭弁を述べるベガパンクも意味不明です。
その理屈が通るなら(そんなことにも気づかない無能科学者が相手なら)、普通に「二重人格のように意識を切り替える脳の回路」を実装すればよかったのでは。
なんでそれはバレたらヤバイから素直に命令を聞き入れるけど、勝手に「自爆スイッチ」を「完全停止スイッチ」に変えることは許されると思えるのでしょうか。。同じリスクを負うなら、もっとくまとボニーのためになるリスクを負えよ。
そもそも、ドラゴンと繋がっているなら(ドラゴンは世界政府を直接倒そうとしてるんだから)普通にドラゴンに相談すればよくね?とも思ってしまいます。くまはドラゴンの仲間でもあるのだから、くまを救う道をドラゴンと一緒に考えて、多少の(バレた時の)リスクは負ったとしても、最悪の場合はドラゴンの力に頼るなど、くまの自我を完全に奪わずに済む方法などいくらでもあったはずです。
まじで誰一人正常な思考回路で動いていませんよね。。
くまの自我を奪う(ただのロボットにする)よう命令された際は「私に人を殺せというのか!!?」と歯向かったくせに、自我を奪うと決まった後は、「自爆スイッチ」をつけることを勝手に容認して「代わりに少しだけ自我を残させてくれ」と的外れな交渉を始め、最終的にはサターン聖の命令を無視して「完全停止スイッチ」に切り替え、くまを「植物状態」にすることは許容するという。
作者にとっても、ベガパンクにとっても、終始くまは都合のよい操り人形にしかなっておらず、その割に表面的な「友情」を描こうとするから白けてしまいます。
ベガパンクの倫理観について、今一度まとめておきます。
- ロボットを造る→OK
- 複製人間(クローン兵)を造る→OK
- 改造人間(サイボーグ)を造る→OK
- 兵器を造る→OK
- 人間兵器を造る→OK
- 人体の巨大化→OK
- 人体実験(ルナーリア族の耐久実験)→OK
- 改造人間に「人格」を与える(セラフィム)→OK
- 改造人間に“悪魔の実”の能力が含まれる人工血液(グリーンブラッド)を投与する→OK
- 人格を持たせた改造人間を「威権順位」に沿って意のままに操る→OK
- 自分が生み出した兵器で海賊(人)が死ぬ→OK
- 改造人間から人の意志を奪う(=人を殺す)→NG
- 改造人間に「自爆スイッチ」をつける→NG
- 改造人間を「植物状態」にする「完全停止スイッチ」をつける→OK
相変わらずどこに一線を引いてるのかわかりませんね。
無意味な新規匂わせを追加
あまりにも内容のない1話だからか、考察者へのエサ撒きように「やはり本当なのか…? バッカニア族の特性は身体の大きさではない…彼らはかつて…」という新規後付け匂わせを追加してきました。

この後に続く言葉について、さまざまな考えが飛び交っておりますが、私としては「どうでもいい」以外にありません。ただでさえ何も明かされない、何も解決していないまま話を進めていることで情報が複雑化し、明かされていない謎を覚えていない読者が大量発生しているであろう状況で、また新たな謎を追加する意味がわかりません。
なんで最後まで言わせないんですかね。。
普通に読めば、その後の「“愛”ゆえ」というセリフから、「意志を失っても大切な人を守るために動き続ける愛の種族(愛を動力とした一族)」的な意味合いなのでしょうが、その描き方が雑過ぎるため確証が持てません。
この点を伝える上での「自然なセリフ」として、あえてベガパンクに「彼らはかつて…」までで止めている(この後の「愛」の話がその補足説明となっており、作者側に匂わせや答えを隠す意図はない)という可能性もゼロではありませんが、いずれにせよわかりづらいため、もっと明快に伝わるよう描くべきでしょう。
本当に誰に向けて描いているのかわからない漫画になってしまいました。
ボニーのリアクションのリアリティの無さ
さっきまで号泣してたのに、くまが現れたこと自体には疑問を持つことなく即受け入れて、お礼を言い出すリアリティのなさ。

くまの顔に手を伸ばす様子も表情もセリフもいいのですが、まず「くまがエッグヘッドに来てくれた事実」に対して触れないことに違和感しかありません。
「お父さん…!!? どうしてここに…!!? 私のことを助けに来てくれたの!!?(なんで私がここにいるってわかったの!!?)」といった疑問がまず浮かびませんかね。
ボニーはくまの記憶を見て、ボニーとは会わない約束を守り続けたまま、自我を失ったことを知っているんですよ?
そして、自我を失ったくまと会話をするのはこれが初めてなんですよ?
であれば、上記のような問いかけをして、くまが何も返さず、やはりくまが自我を失ってしまった現実を知り、苦しむという描写が普通入ると思うんですよね。
その苦しみを受け止めた上で、お礼を言わせればいいのに、なんでくまが現れたのか誰も理解できていない状況で、数年ぶりに(自我を失った)父と予期せぬ再会をして、いきなりお礼から入れますかね。。
もっとくまが助けに現れたこと自体に驚いて欲しいものです。
無駄に難しい言葉を使って必死に威厳を保とうとするクモじいさん


「おいベガパンク!! これを何と説明する…!? お前の差金か?」
「─そう取られても仕方がないな “愛”ゆえと説明してもよいが…」
「成程…それは人体の盲断および不具合(エラー)である さらば用済みの男達…!!!」
まずサターン聖がベガパンクの差金を疑ってますが、お前自分で「私も科学者ウソはつけんぞ」とイキってたんだから「出し抜かれた自分の無能さを棚に上げるなよな笑」と言いたくなりますね。
そして「盲断」という聞き慣れない言葉。
おそらく「盲目的な判断」という意味合いで、「愛に囚われて理性的・合理的・常識的な判断ができなくなった状態(それによって引き起こされた非合理的な判断)」のことを言っているのでしょう。
その場合「愛=盲断」ではなく、「愛によって盲断が生まれる(これが人体のエラーである)」という使い方が正しく、愛は盲断の起因(原因)でしかないんですよね。
「愛は人体の盲断」って、日本語としておかしくないですか?
ここのやりとりに言葉を補足すると以下のようになります。
- 「おいベガパンク!! これを何と説明する…!? お前の差金か?」(なぜ自爆したはずのくまがここにいて、我々の命令を聞かずに攻撃をしてきた? お前の差金か?)」
↓ - 「─そう取られても仕方がないな “愛”ゆえと説明してもよいが…」(「自爆スイッチ」はつけていないが、「完全停止スイッチ」をつけたため、サターン聖がそのスイッチを押したのだとしたら、くまは“植物状態”となって動けないハズだが、にもかかわらずボニーを救うためにここに現れたことについて、科学的な説明はできないため、“愛”という非科学的な心の問題としか説明のしようがない)
↓ - 「成程…それは人体の盲断および不具合(エラー)である」(成程、愛とは人体に盲断をもたらすエラーであり、くまの行動は愛による盲断が理由ということか)
「盲断」という言葉だけが文脈にあっておらず、完全に浮いていて不自然ですね。
おそらく五老星の無能具合をフォローするために、難しい言葉を使って少しでも威厳を表したかったのでしょう。
的外れすぎて逆効果にしかなっていませんが。
意図のわからないセリフのオンパレード
黄猿のセリフ「確かに 見事に育ったもんだ」って誰に対するセリフだかわかりましたか?

「くまはおれ達にとっても恩人なんだよ!!」というフランキーのセリフを受けているため、普通に読めばくまに対するセリフですよね?
くまに対して「(麦わらの一味の恩人となるほどに)見事に育った」という皮肉を言ってるのでしょうか。
いや、黄猿はくまを幼少期から見てきたわけでもないので、この発言はおかしいですよね。
とすると、くまが麦わらの一味の恩人となって(2年間の修行期間を作った結果)「(一味が五老星と戦えるほどに)見事に育った(成長した)」ということでしょうか。
意味的にはこちらの方がしっくりきますが、「おれ達にとっても恩人なんだよ!!」というセリフを「確かに」で受けているため、意味不明すぎてまるで意図が理解できないセリフになっています。
普通に読んだら「くまが恩人」であることを「確かに」と肯定していることになるでしょう。
もし後者の意味にしたいのであれば、フランキーには「くまは一味の恩人で、おれ達はくま(が作ってくれた2年)のおかげで今ここにいられんだ!!」といったセリフにすべきでしょう。
そうすれば、
- くまは一味の恩人で、くまのおかげで自分達は(シャボンディでは手も足も出なかった黄猿やサターン聖に対抗できるまでに)成長できた
↓ - 確かに(我々と戦えるレベルまで)見事に成長したもんだ
↓ - 見せてみろ…成長!!
となり、意味がスムーズにつながります。
ここで重要なのは「くまのおかげで一味が成長できた」という情報であって、「くまは一味の恩人である」という情報ではありません。恩人という情報だけで、黄猿が「確かに 見事に育ったもんだ」と(一味に対して)感想を言うのは全く会話がつながっていないため、あまりにも無理がある。
なんで「恩人」という情報だけで(「成長」という情報をカットしても)意味が通ると思えるのか不思議でなりません。
よくこんな意味のわからないセリフにOK出せるよ。。
作者も編集者も、誰かYouTuberの初見読み配信見てみてくれよ。
みんな「ん?」「は?」「なんだ?」「どういう意味?」「どういうこと?」と疑問ばかりつぶやいてて、必死に頭働かせて意味を理解しようとして読んでるから。
そのリアクション見たら、自分達がいかにわかりづらく、読者にとって不親切な漫画を届けているのかよくわかるでしょう。
全員「独り言」を言ってるだけで会話にならない

「べガパンクお父さんが動かねェ!!」
↓
「アトラス運べるか!? 研究室へ!!」
ボニーの言葉をフルシカトしてアトラスに指示をするベガパンク笑
アトラスは「おれに任せろォ〜〜〜!!!」とベガパンクの言葉を聞いてるんだか聞いてないんだからわからんセリフになっています。
「誰かくまを運べるか!?」であれば「おれに任せろォ〜〜〜!!!」と名乗り出るのもわかるのですが、「アトラス運べるか!?」と指名されてるのだから、「おれに」はいらないんですよね。「任せろォ〜〜〜!!」とか「任せとけ!!」といったセリフになるのが普通の会話だと思うんですよね。
つまりこのシーン、3人とも独り言しか言っていないのです。
なんなのこのやりとり笑
「もっと濃いのをかけて来るんだったよサングラス」

なんじゃこのセリフ…笑
どんだけ説明セリフなのよ…
サングラスに触わりながら言ってるんだから、ほぼ100%の読者がその意味を理解できるでしょうに、わざわざ蛇足説明を加えるセンスのなさたるや。
今更バスターコール
過去に“麦わらの一味”に逃げられている(自分達の重要施設であるエニエスロビーを破壊しただけで何の戦果もあげられなかった)無力なバスターコールを、恥ずかしげもなく、馬鹿の一つ覚えのように脅しの一手として発令する引きの弱さ。
そもそも「ヨークの身柄」もその脳である「パンクレコード」もマザーフレイムを生む「融合炉(パワープラント)」も何一つ押さえられてないのに(その事実を島の外にいるモブ海兵共は知らないだろうに)、このタイミングでバスターコール開始していいんか?笑
私の中で「ワンピース」は「史上最も好きな漫画」であり、まだ「前半の海」での評価の貯金が残っているからです。
ワンピースが大好きだったからこそ、この先改善されることを(いつまでも)期待して読み続けてしまっているわけです。その期待や熱量がゼロになったら読まなくなると思います。
実際「エッグヘッド編」以降、つまらなさが許容量を超えてきており、熱量は急速に冷めてきています。コミックスも104巻からついに購入をやめました。
ジャンプは購読して読み続けていますが、これもお金の無駄だと感じるようになったら卒業するかもしれません。
ニーズがあるからです。
上記の通り、最初は「史上最も好きな漫画」であったことから、(この先つまらないワンピースとして残りのエピソードが削られていくことに耐えられず)改善されることを願って批判をしてきましたが、もはや作品は崩壊し切ってしまったため、今は改善を期待しているわけではありません。
ただ、ワンピースという作品は、日本一売れている漫画だからこそ、熱量の高い(高かった)読者も多く、私と同様に「つまらなくなってしまった」と感じ、それを無念に思い、不満や釈然としない気持ちを抱えている読者の数も多いのです。
そういう方達にとっては、自分の気持ちを代弁してくれる記事や、自分の本音の感想をコメントして、同様の感想を抱いている方達と共有できる場には一定の価値があり、そうしたニーズに応えることにもまた一定の価値があると思っているため、運営を継続しています。
ニーズがあるからです。
ブログのようにテキスト情報だけ(それも超長文)だと、文章を読み慣れていない人にはハードルが高かったり、読む気にならなかったりする(実際、そのような声やリクエストがあった)ため、記事を動画化してYouTubeに投稿することにしました。
もっと批判や誹謗中傷コメントで溢れるかと思っていましたが、(ブログ読者の方に限らず、新規の方でも)共感し、更新を楽しみにしてくださっている方が相当数いて、ここにもニーズがあることがわかったため、運営を継続しています。
余計なお世話としか言いようがありません。
自分の人生の時間の使い方は自分で決めます。
あなたこそ、見ず知らずの他人の人生に意見するような無駄な行為に時間を使うのはやめたほうがいいのではないでしょうか?
他人の人生に口を出す前に、どうぞ自分の人生の心配をしてください。
論理が破綻しており、全く筋違いな言い分です。
プロの作家が商業作品として世に販売している時点で、それを購入した側が評価したり、感想を述べたりするのは当然に許された権利です。
私は読者(消費者)であって、漫画家ではありません。漫画を描きたいわけではなく、面白い漫画を読みたいからお金を払って購入している立場であり、購入した作品の内容に不満があるから、批判的な感想を述べているわけです。
あなたはお金を払って観に行った映画が酷い仕上がりでも、「自分に映画は作れないから文句は言えない」と考えて口をつぐむタイプですか?
購入したゲームがクソゲーでも、「自分では作れないから文句を言う資格はない」と考えるタイプですか?
お金を払って観に行った音楽ライブで、アーティストが音を外したり声が出てなかったり歌詞を間違えまくったりして全く感動できないパフォーマンスを披露しても、「自分のほうが歌が下手だから批判すべきじゃない」と思うのでしょうか?
飲食店でマズい料理を出されても、「自分で作れないんだから(店を開いてないんだから)文句を言う権利はない」とか、「文句を言えるように、まずは自分で作れるようになろう(店を出せるようになろう)」と思うのでしょうか?
市場に商品として投下されている時点で、それを購入した消費者からの評価は避けられません。作り手はそれを分かった上で、自らの意志で作り手側(買い手から評価される立場)を選んでいるのです。
一方の消費者は、自分ではできないからこそお金を払って人に任せているのであり、そこで期待したクオリティに達していなかった場合に、低評価を下したり、批判したりするのは当然に許された権利です。
「購入した商品について批判するためには、自分がその商品以上のクオリティのものを作れなければならない(文句を言うなら自分で作れ)」なんてあまりにも本末転倒で筋違いな暴論です。
頭の悪い人だとバレてしまうので、金輪際そうしたコメントはしない方がいいですよ。
尚、私がこのブログで批判しているのは、基本的に尾田先生(漫画家)ではなく、担当編集者です。編集者視点で、「なぜこの部分を直さないのか」「なぜこの内容でOKを出してしまうのか」という批判をしているのです。
その意味でも「文句言うなら、自分で描いてみては?」という主張は的外れですが、もし「文句言うならお前が編集者をしてみろ」と言われ、実際に依頼をしていただけるのであれば、私は喜んでお受けします。
そして、私が編集者になった後のワンピースがつまらなければ、当然批判も受けとめます。
その覚悟を持って(編集者を)批判していることをご理解いただければと思います。
心配しています。
このブログでは、基本的に尾田先生ではなく、担当編集者を批判するスタンスをとっており、尾田先生の健康や多忙を心配するコメントを過去に何度もしています。
なんなら長期休載に入ることや、連載ペースを落とすことを推奨している立場であり、そうした対応をせずに原作以外の仕事を次から次へと振りまくって尾田先生に負担をかけ、作品の劣化を放置し続ける編集者を批判しているのです。
なぜなら、1人の人間が週刊連載で何十年も面白い作品を(世間とのズレを生む事なく)描き続けることなど、そもそも不可能だからです。肉体的に困難なのはもちろん、作者1人の感覚で何百万人という読者の感覚とズレることなく、質の高い作品を描き続けることなどできるはずがないのです。
そのズレを正すのが編集者の役割であり、作品の質を維持するためには編集者の客観的視点が不可欠だというのに、全く機能していないことが露骨に作品に出てしまっており、にもかかわらず原作以外の大量の仕事を振って尾田先生からネームや作画の時間を奪い続け、作品の劣化に歯止めがきかない状況を進行させているため、その点を指摘して批判をしているわけです。
尾田先生の健康面の心配はしていますし、「作品への批判」と「健康面への心配」は両立するものです。
思いません。
「少年漫画」だから大人の観賞に耐え得るクオリティになっていなくて当然(あるいはそれでも問題ない)という考え方は、「少年」の読解力や感性を「(自称)大人」の勝手な思い込みと偏見で侮り、間接的に「少年漫画」を見下していることと変わりません。レッテルに囚われた思考停止人間の典型です。
少年を侮り、少年漫画を見下し、少年漫画のファンとして感想を述べ合う大人達を「異常」だと言ってのける人間のほうが、よっぽど異常だと私は思います。
読者アンケートの順位は相対的なものなので、「1位のままだからワンピースは劣化していない」という論理は成り立ちません。
ワンピースがどれだけつまらなくなっても、他の作品が抱えているファン数がワンピースよりも少なければ、ワンピースは永遠に1位のままです。「アンケート回答するファンの数=作品の絶対的な面白さ」ではありません。
ワンピースは「前半の海」で蓄積した熱狂的ファンがあまりにも多いので、ジャンプのアンケート回答においては、今度もほとんど1位をとり続けるでしょう。
私の中で「信者」の定義は、「何を描かれても無条件に絶賛し、全て肯定的に解釈して作者を持ち上げる読者」を指しています。
そのため「つまらない部分やおかしいと思う部分は多少あれど、普通に面白いし楽しめている」とか、「前半の海よりも面白さが失われたとは思うけど、新世界編も総じて楽しめている」といった読者は、私の言う「信者」には含まれません。
作者にとって有害かどうかは作者が決めることですので、本人に聞いてみてください。
ただ「つまらない」「くだらない」「ゴミ」「読む価値がない」「お金の無駄」「オワコン」「資源の無駄」といった捨て台詞で、作品を貶めるだけの(ほとんど誹謗中傷でしかない)批判は「有害」だと思いますが、きちんと作品を読み込んだ上で、「なぜつまらないのか」「何が問題なのか」を考え、「どうすれば改善されるのか」まで提示した上で行う「論理的な批判」は、(作者個人は求めていないにせよ)私は「有害」とは思いません。
というより、そうした批判を行う権利は誰にでもあるので、それが有害かどうか議論すること自体がナンセンスです。
それこそ「嫌なら読まなければいい」のです。
煽り体制が低いのは事実ですが、勘違いコメントや難癖コメントを放置すると、それを見た方に誤解を与えたり、場が荒れたりしやすく、早々に対処しておく必要があるため、説明なり反論なりをしています。
えてしてそういうコメントをする人ほど、放置するとそれを「肯定」と見做して、さらに誤解を強めて暴走しやすい傾向にあるからです。
たとえば「煽りコメントにだけ返信してねェw 効いてる効いてるww」とか「図星だから反論できねェんだw」とか「何も言い返せないから逃げやがったww 悔しかったら反論してみろやww」のような言い分です。(そうなると対処にさらに時間がかかるので、早めに処理しています)
また、私への直接的な質問系のコメントやうれしいお言葉にも、できるだけ早めに答えるようにしています。
記事への感想や建設的なコメントについては、読者さん同士でコメントやリアクションをしていただけているので、慌てて私がコメントせずにおまかせしている部分もあります。私がコメントするとそこでやりとりが終わってしまい、読者さん同士の会話が生まれづらくなったりもするので。
色々状況を観察しながら、よいコメント欄になるよう運営していきたいと思っています。
自爆装置と植物状態にする装置って全く違うような科学者だから騙せないとかいう設定簡単に崩れちゃったねこれなら後から実は何々をつけておいたクマはこれで大丈夫じゃとかできちゃうよね
ジャンプ読みました。
ワンピのあまりのヒドさに驚きました!
こんなのマジ読んでられんわ!
つまらないし、セリフはキチだし、
(ジャンプ自体もアレだが…)
1ミリも楽しめないどころか怒りが!
原作がこんな状況なのに制作サイドはどういうつもりで尾田が一度アイコンとして描き下ろしたAdoのフィギュアを出そうと思ったのか。マジでどんだけウタやAdoを贔屓してんだよ
ワンピースには「なぜ」「どのように」が不足し過ぎてる。作中のキャラの行動だけじゃなく、世界の謎についても同じ。そのツケは更なる長期連載として巡り巡ってくるだろう。
【赤い碑文の示す4点の交わる場所にラフテルがある】
そういうものだと分かっただけで、なぜそうなのかについては誰も考えない、言わない。
ラフテルが特別な島と分かったなら、それについて考えろ。
【ワノ国にプルトンがある】
あると分かっただけで、どうするのかなぜそこにあるのか、おでんの日誌などから読み取ろうともしないし外見も描かない。
【D】
アイツにもコイツにもついてるが、神の天敵と”呼ばれている”ことしか言わない。神とは何なのか、なぜ天敵なのか。その名はどのように継がれるのか言わない。聞いたことをローが誰にも言わない。
【ニカ】
解放の戦士と呼ばれたことだけしか言わない。
【バッカニア】
貴重な種族であることしか言わない。どう貴重なのか、かつて彼らは…なんだったのかをただ明かさない。
海賊王に、最後の島に到達するうえでいずれ知る事になるこれらの情報をルフィ達は二年前からほとんど何も知らない。レイリーは自分の目で確かめろと言ったが、作者が明かさないんだから確かめようがない。
そのうえクソ長いエッグヘッドの先には五老星の残り4人と神の騎士団(笑)とイム、赤い碑文のためにシャンクスや黒ひげ(ガープと青キジ)も描かねばならない。革命軍の動向も然り。
今の描き方ならこんなもん一生終わらないぞ。
ストーリーの致命的な遅さは、構成力の無さはもちろん休載が多かったという事もあると思います。
最終章ならばなおのこと伸び伸び描ける環境が必要なハズですが、いつまで他のコンテンツに手を出し続けるんでしょうね?ジャンフェスの作者コメントで、多忙で原作が…みたいなニュアンスのこと書いてましたけど。
大元の漫画が疎かにするなんて、他のコンテンツで原作の人気や知名度を高めようとする今の商売と「完全に逆の行為」ですよ。
面白かった時代と今を比較したりしないんでしょうか?どのようにしてあの高レベルの漫画を描いていたか、どんな環境がアレを生み出したのか、先生も集英社も体感してるハズなのに何故最終章でこんな体たらくなのか分からない。
W7編、メリー号の中でウソップとルフィが喧嘩するシーンを久々に見たんですが
日本語も表情も何もかもハッキリしててめっちゃ読みやすかったです
今みたいに記号化されてなくて、読んでる内に感情移入出来ました
上手いこと描いてましたよね昔は
謎を小出しにし過ぎ&匂わせばかりでうんざりする…。
今のワンピースは昔の単行本を片手にジャンプor単行本を読まないと話についていけない漫画。
気軽に読めるのが漫画の醍醐味なのに真逆の事をやっている。
これじゃあ少年少女が楽しめるとはとても思えない…。
くまとボニーの再会は、かつてロビンとオルビアの再会を描いた人と同じ人が描いたとは思えないものでした…
サターン聖「私はコイツの自爆スイッチを押したのだから!」
ペ「え!?」
↓
ペ「条件は守った・・・!だからお前には「完全停止スイッチ」を付けたのだ」
どゆこと?
ペガパンクはくまに自爆スイッチじゃなく完全停止スイッチを付けたんだよな?
じゃあなんでサターン聖の「自爆スイッチを押した」発言に驚いてんだよ?
なんでスイッチを付けた本人が覚えてないんだよ。
これ見て『スーパー食いしん坊』の矛盾コマ思い出したわ。
主「できらぁ!あんたの店と同じ値段でうまいステーキを作ってやる!」
敵「じゃあ同じ値段でステーキを作ってもらおうか」
主「え!?同じ値段でステーキを!?」
1コマ描くたびに記憶でも飛んでるのかな?
きちんと1話の始めから終わりまで構成考えてるんなら、こんな矛盾絶対に起きないはずなんだが。
くまのいまだにやってる匂わせや設定ごちゃついてるのは酷すぎてもうただ「またかよ」というあきれるレベルにまできてしまってるわ。
なんでもかんでも後から謎や裏設定増やせばいいってもんじゃないと思うんだけどな。
それと個人的には一味だけでなく敵などのメインキャラの性格が以前と変わってしまった事も納得いかない。
おかげで読んでても違和感ばかりが残るようになってしまった。
緑牛の初登場時なんかも余裕ぶっこいててカッコ良かったのにワノ国でのあの焦り方などクッソ情けない姿にマジでガッカリしたよ。
最近の黄猿にしてもなんでいきなり情にもろいみたいな人になってるのやら、、、
シャボンディの時は任務遂行に忠実なタイプでもっと飄々としてたよね?
ゴリ押しでニカダンス一緒にやってたとか余計なものを入れるからおかしくなるんだよ。
これのせいでシャボンディ時のくまと黄猿の会話シーンが今のエッグ編と繋がってこない。
長期連載なんで設定が作者の都合で多少変わるのは仕方ないにしてもキャラの性格は変えたらさすがにダメだと思う。
「盲断」は「妄断(ぼうだん):根拠のない勝手な判断、でたらめな判断」かなと思いました。「盲断」という表記も無くはないようですが、確かに聞き慣れない言葉ですね。
しかし、「愛=人体の盲断および不具合」は問題ないように思います。「盲断および不具合」と並列されているので、「愛=人体の盲断=人体の不具合」と主張するセリフということになります。文章として補足すると、「愛(のような科学的に説明できない感情)は、(全く合理的ではない)人体の盲断であり、人間に起こる不具合のようなものだ」と解釈しました。
つまり、ベガパンクがクマの行動を「愛のせいだ」と表現し、それに対してサターン聖が「あ〜はいはい、愛とかいう、人体の盲断や不具合で起こるあの不確かな感情ね」と、愛を否定的に言い換えたのではないかと。
まぁそれにしても仰る通り、わざわざ難しい言葉を使って難解なセリフ回しにする必要はありませんでした。
こちらのブログを拝見し始めてから、細かい言い回しに着目するようになりました。今回の盲断もそうですが、もう少しきちんと考えれば読者の混乱を呼ぶようなダブルミーニングや説明不足は解消できるのではないかと思ってしまいますね。
1104話は結構感動しました。
くまとボニーの絆に涙が止まりませんでした。
くまは自我を失ってもなお本能でボニーを助けにきてやはりバッカニア族の愛は偉大だなと思いました。
助けてもらった後のボニーのセリフもよかったです。
世界中がくまの事を暴君と呼んで恐れていてもボニーだけはくまの事を信じていたんだなと思い感動しました。
手紙を送ってた事もボニーに伝わった事がめっちゃよかったです。
尾田先生、これからもこの調子でワンピースを描き続けて僕たち読者を楽しませて下さい。
。
。
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ってなる訳ないやろ!
くまとかボニーとかバッカニアの事にこんなに時間かけるくらいならいい加減早く話しを進めてほしい。
他でも指摘があるように話しを進めるどころかベガパンクのセリフでバッカニア族は「彼らはかつて…」とかまた考察勢に向けた謎を増やしたりして話しを進める気があるんかと思いイライラします。
1104話もいつも通り全体的に説明口調のモブやったり各キャラの違和感だらけのセリフやったりホンマ目をつぶりながら適当に漫画描いてんのとちゃうかと思うくらい酷い。
前半の海の頃の毎週ワクワクできたワンピースに戻ってほしいですね。
ルッチとの戦いが1年前というのが驚き。
どれだけ無駄に時間を費やしているのか、どれだけ話が進んでいないのかがよく分かる。
毎日1話(要するに1週間で7話)描くなら多少は話を脱線させてもいいと思うけど、休載ありの週刊連載でこのペースは流石に酷すぎると思う。
ワノ国編の欠点であるグダグダをエッグヘッド編で更に強化しまった感じは否めない。
スピード感の欠如ですよね…。
ルッチとの再戦が一年前である事には本当に驚きました。それに海軍がやって来るという展開は「ルッチが報告した」というだけでも出来たわけですから、欲の裏切り云々は丸々要りません。そもそもベガパンク(味方側)の失態というだけなので、あのくだり自体に進展も何もあったもんじゃない。その後捕まった彼女は全く描写されていないし、完全に不要でした。
あと、お忘れの方がいてもおかしくないですがエッグヘッドに近付いていた黒ひげの船、目覚めた古代ロボとか今何してるんでしょうか?
どんだけチンタラやってんですかね。わざわざ各話のオチにこれらのシーンを描いたのに、登場させる前にくまの回想に入ったりしてる。
ノロいんですよ、下手くそなんですよ何もかも。結局一時的に読者や考察者を騒がせただけの、いつ出てくるか分からない要素ってアホかと。
カリブーとかも連れてきてましたけど、今どれだけの人が覚えてて気に掛けてるかとか、そういう「仕掛けから発動」の賞味期限をちゃんと考えてるとは思えないんですよね。とりあえず散りばめとけって感じにしか見えない。
最終章と銘打っているのに物語の方向性が散漫になるって作者や編集部には最終回までの構想とかないんでしょうか
これだけ大きなビジネスになった作品だと原作の進み具合や展開についての展望はビジネス的にも不可欠だと思うのですが素人考えですかね
最終章に入っても原作の構成や進み具合に特に改善が見られないということは作者にとっても出版社にとっても今のままで支障なしなんでしょうが
作品の質が下がっている理由に作者の健康状態も懸念されますがそれにしては実写ドラマやアニメリメイク等作者にも長期関わりが出るようなプロジェクトは追加されているしどんなビジネスプランで動いているのか純粋に興味があります
ジャンプでは別作品を読むだけでワンピースは流し読みすらしなくなりましたがやはりどう締め括られるのかは知りたいですし上にも書いたようにビジネス展開への興味があるのでこちらのブログを拝読しています
これからのご執筆も楽しみにしております
とても報告できねぇってwあんだけ弱ってたんだから海楼石の手錠でもかけて確保しとけよ お前らの仕事は何だ? 読者への説明役ですってか 漫画のレベルが低すぎるだろw
この期に及んでバッカニアの匂わせ、しかも「ただ続きを言わない」だけの考察もクソもない匂わせ。
敵を無能にすることでしか味方陣営を引き立てられない、ダメな”なろう”みたいな描写。
五老星を守らないどころかルフィを見張ることもせず、ただ驚くだけの海兵ども。お前ら平和を願って海賊と戦う兵士じゃないのかよ。
頭に入ってこないセリフ、動き、絵の数々。
何も進まないストーリー。
YouTuberすら疑問符のオンパレードの構成。
ワンピースじゃなきゃ即打ち切り、サム8並みに笑い者にされるぞこんなもん。いや、ネタにもならんレベルだから忘れ去られるだろうな。
過去の貯金を食い潰しながら、なんとか匂わで延命しつつ、キャラ人気とネームバリューにあやかってるだけの死にかけの漫画だな。
モブ海兵のルフィが消えた発言は、再びニカになってルフィを格好よく登場させる前フリなんでしょうね、、、。
どうせピンチになったあたりでサターンに踵落とし(スタンプ)で見開きドン!かデカい拳でパンチ見開きドン!あたりでしょうか。
それを見てボニーが号泣ドン!の流れまでが確定でしょう。
毎度毎度ワンパターンだし、前フリがあるぶん尾田さんの意向が透けて見えてめちゃくちゃダサく感じます
言いたいことは分かりますが少し粗探しっぽい印象もありますね。例えば悪魔の実の能力者は海に落とせば泳げないから助からないという設定。ここに対して何で海に落とさないのと指摘するのはナンセンスでその設定に対しては矛盾や疑問はどんなに上手く描いても出ますから。海軍の無能に対しても同じで無能だから成り立ってる面がありそこを細かく指摘してもそれはもう少し良い見せ方はできても根本的にそういう設定だから漫画が継続できる面がありあまり指摘しすぎるのもどうかと思います。そういう指摘はいくらでもできて黄猿が本気でやればそもそも能力的にこんな展開にしなくても簡単に壊滅できるのでは?とかそういう疑問を持つのはともかく指摘は要らないと思う。その手の違和感はどうにもなりませんからそこが気になるなら漫画から離れるのが一番としか言いようがありません。そういう見方をバトルのある漫画でやるとほとんどの敵が無能に見えるんでそれはバトル漫画の否定に見えます、セリフの指摘はいいと思います。セリフに関しては納得の部分もありつつ、読者の層が年齢、海外含めて広がり過ぎて仕方ない面もあるのかなと思います。
ルッチとの再戦が1年以上前なのに驚く
どんだけ話進んでないねん
黄猿の「確かに 見事に育ったもんだ」はルフィと邂逅したときの「俺たちは昔より100倍つえぇぞ!」みたいなセリフに対するアンサーじゃないでしょうか?
サターンは起き上がった後、相手の動きを止める能力を何故サンジらに再発させないのかが分かりませんが使えない理由があるんですかね。
「どうなってるベガパンク!!こいつは死んだハズだ〜自爆スイッチを〜」←くまパンチが飛んできてるのに何を光速で喋っているんでしょうか…再生するから避ける必要ないとか関係なく吹っ飛んで地面に顔付ける事自体天竜人的にあってはならないと思いますが
「五老星を殴ったァ〜!!!世界最高権力者であらせられるぞォ〜!」←そっちが戦争しに現場まで来てるのだから反撃するに決まっていますが…戦場で今更何を言っているのでしょうか
「現奴隷が殴ったァ〜」←戦闘中の兵士が目の前で五老星を傷つけられるという首が飛びかねない失態を犯して咄嗟に「現奴隷が〜」という不自然なワードが出てきますかね?
わざわざ過去編で何話も使ってくま(奴隷)とサターン(天竜)の関係を読者に認識させたのに、奴隷が天竜人を殴るという最大の見せ場を改めて第三者に言語化して説明させる野暮さは一体…
「おいベガパンクこれをなんと説明する?」
「そう取られても仕方ないな」←両陣営この2人の命令で殺し合いが始まってサターンもぶっ飛ばされているのに、なんで未だ弁解の余地がある法廷みたいなやり取りをしてるんですかね
「麦わらは!?」「捕えられず消えちまった!!とても報告できねェ」←笑
当のルフィは目の前で殺されかけてる仲間を見捨てる程の用で何処へ行ったのでしょうか?
ギア5で目が光った古代ロボットにでも乗って戻って来るんですかね。色んな意味で何かと疑問が尽きません。
自分もサブタイの言及になりますけど、
「肩書き+名詞」
「名詞だけ(ジニー、ボニー、くま、くまちー、黄猿、戦桃丸)」とか
「◯◯事件」
みたいな、何の捻りもないそのままのモノが増えた印象がありますね。何ならこのブログの記事一覧から見返すだけでも、結構分かります。
分かりやすくするルールでも出来たんでしょうか?
昔は、もっと洒落た皮肉とかキーワードとか、一見して何の意味か分からないものがあって面白かったんですよね。
「”ね”」とか「”あふことは片割れ月の雲隠れ”」とか
考察者へ向けて描いてるのかとすら疑いたくなる台詞の寸止めで匂わせ手法。
また悪い癖が出てますね(呆れ)
くまというキャラにどんだけ設定盛れば気が済むのやら・・・
読者も唐突に出てきたバッカニア族にそこまで興味ないだろうにしつこい思わせぶりな描写これ以上いる?って感じ。
それにもう最終章なんだから隠して引っ張る必要がないと思います。
もう来週のサブタイトルは「そんな、バッカニア」でいいです
バスターコールはなぁ… なんか作戦として目標がちゃんと伝わってるの?って気がするのです
オハラでいえばクザンの手引きがあるにせよロビンを取り逃してるしそこを除いたとしても本が湖に投げ入れて残ってしまっているし…
(表向き)古代兵器研究してて世界の脅威になる。だから滅ぼさなきゃいけないという話でだったのになにを消すべきか理解してないの?
エニエスロビーでいえば乗り込んだ海賊たちは脱出されている…(サンジの頭脳プレーがあるとはいえ)麦わらの一味をとらえろ!ってなら島に砲撃ぶち込むより優先することあるんじゃ?
なんかそういうの考えるといまバスターコールしたとしてベガパンクもボニーもくまも取り逃す
ベガパンクの研究成果は持っていかれるか回収できずぶっ壊しちゃうみたいなオチになりはしませんかね…
>ただでさえ何も明かされない、何も解決していないまま話を進めていることで情報が複雑化し、明かされていない謎を覚えていない読者が大量発生しているである状況で、また新たな謎を追加する意味がわかりません。
その通り過ぎてぐうの音も出ません
例え一気に分かるようにネタばらししたいんだとしてももはやそこでスッキリとなれるほど皆覚えていられるのか?という状況に感じます
ソシャゲの運営にも見られる手法ですが、(分からないや読みにくいという)一種のストレスをかけるのは興味を継続させるモチベにもなりますがそれにしても…
この前ちらっとパンクハザード編を読み返したらヴェルゴのシルエットで引きがすぐ翌週開始時に明かされたこと、ドフラミンゴ黒幕がわりと間を置かずに明かされたことになんてスムーズなんだと錯覚を覚えてしまいました
ヴェルゴのシルエットに関しては初出の人物をいちいちシルエットにすることに対して当時批判があったしかなり麻痺していると思いますが、それでも今のワンピースから見返すと驚きを感じるほどです
ダラダラしているとすら評価されるパンクハザードの話数をエッグヘッドはもう超えるようです
サブタイトルが文通スタイルなのはくまとボニーの間でできなかった手紙のやりとりみたいなものを表現してるのかな思います。
くまからボニーへの届かなかった手紙(想い)、それを記憶を介して受け取ったボニーのくまへの気持ち。ここでボニーが手紙書き出したらギャグとして面白いですけど、流石にそれはできませんのでサブタイトルで手紙のやり取りのように見せるのは個人的には好きな表現です。
まぁだから何って話なんですけど
何かあったらとりあえず「歴史的大事件」って言ってそれっぽくするのやめてほしい
色々とツッコミどころはあったけどくまとボニーの比率がヤバすぎる。もはやくまがデカすぎるのかボニーが小さすぎるのか分からない。
関西人のYoutuberがツッコミまくってて面白かったw
①サターン聖、お前科学者自称している割には
自爆スイッチがつけてあるのか自分で調べろや
なんでベガパンクから受け取ったままにしてるねん
お前は自動車メーカーのエンジニアなのに中古車を
そのまま調べないで使うんかい
②なんでくまに顔殴られただけなのに、サターン聖の腕も砕けてるんですかね
くまがサターン聖の腕ちぎった描写あったか?ちょっと気になったわ
③ルフィ消えたままなん?動物系って回復力が売りやないの?
あれだけ飯食っているシーン書いておいて突然消えるのはどうやろ
他にも「ベガパンクが科学者なのに愛としか説明できないと言ったら
それ理系としては失格やで」とツッコミいれまくっていたw
ベガパンクは本当にもう…
作劇上、作者の都合上、破綻したキャラクターにならざるを得ないためにある程度言い訳として前もってサテライトを用意し元々たくさんの面が同居する人物みたいに描いたのかもしれないけどそれでも限界ある
今や言動の一つ一つに「何なん?」となってしまい読んでて非常にノイズを感じる
まあくまもサターンも全員そうなんだけどベガパンクは感情移入できる場面が一つもないのが特に酷い
今回の停滞感すごいですよね。最近のワンピースが抱える諸問題を余すことなく散りばめただけの、無味乾燥の一話でした。
・サブタイ手抜き
・黄猿の「見せてみろ成長」とかいう馬鹿みたいな倒置法セリフ
・小学生でも苦笑いしそうなモブの説明
あと自爆スイッチを他人のサターンが押したら、それは『ただの起爆スイッチ』だろ(笑)と。くま本人がベガパンクに望んで搭載させ、最後にその命を省みず自爆を選ぶなら分かるんですが。本人に権限のない自爆ってなんやねんと思いました。というか、過去にサターンがくまの身体をいじった描写ってありましたっけ?あっても記憶に残ってないですが。
海兵も海兵で積極的に五老星の前に立って守るわけでもないし、コイツらマジで説明役以外に何の存在意義があるんでしょうか。戦いもしないお前らが一番罪深いだろ(笑)
このストーリーもクソも無い部分が、子供の頃に手に持った人形を使って「その場で思い付いた話をバーンとかドカーンってやる遊び」みたいで、正直言うとつまらなさよりも作者への心配が勝ちましたね。ちょっと構成が酷すぎます。
執筆お疲れ様でした。