こういうブログをやっていると、「嫌なら(文句言うなら)読むな」というコメントが必ずきます。
ワンピースに限らず、自分が好きな作品を批判する人間に対して、「嫌なら読むな」という主張をする人は一定数いますが、私はこの手の指摘は、この世で最も価値のない、有害な主張だと思っています。
その理由は、以下の2点からです。
- 「自分が好きな作品を批判されたくない」というこの上なく自己中心的な理由によって、作者や版元が望んでいない「読者や販売部数を減らす行為」を勝手に行い、直接不利益を与えていることに無自覚だから。
- 批判を封じ、何を描いても絶賛する人しかいない状況になると、その作品は必ず劣化の一途をたどり、多くの場合、作品の寿命を縮める結果になることがわかっていないから。
つまりファンを自称しながら、
①読者数や販売部数を低下させ、
②作品を劣化させ、寿命を縮める行動
をしていることに気づいていないから「有害」なのです。
作者や出版社からすれば「味方の皮を被った敵」「善意の顔をした邪魔者」でしかなく、最も厄介な存在でしょう。
「作者のため」という大義名分、あるいは単に自分が不愉快な気持ちになったストレス発散のために、「最も作者のためにならないこと」をしているのですから。
「誹謗中傷」はもちろんNGですので、もし作者への誹謗中傷をしている人がいれば、それを非難してやめさせることは正しい行いですし「作者のため」にもなるでしょう。
しかし「作品に対する批判」の声を封じること、そしてそのために「読むな」と進言して勝手に読者数を減らそうとする行為は、間違いなく「作者のため」にはなりません。
そのことに気づけいていないから、「無価値」なだけでなく「有害」なのです。
以下、なぜそう言えるのか、より詳しく説明します。
目次
「嫌なら読むな」が有害な理由
①ファンでありながら、読者を減らし、作者を困らせる行動をしていることに無自覚
仮に「販売部数」が200万部の作品で、100万人の読者が「つまらなくなった」と感じ、真っ当な批判コメントを残したとしましょう。
残りの100万人はつまらなくなったとは感じておらず、なぜこれだけ面白い作品を批判する人がいるのか理解できません。
そのため自分の好きな作品を批判されることに耐えられず、批判コメントをした人達に片っ端から「文句言うなら読むな」「つまらないと思うなら読むな」とメッセージを送ったとします。
それで言われた通り、100万人の読者が読むのをやめたらどうなるでしょうか。
「販売部数」はガクッと落ち、読者がゴソッと減った結果、作品の話題性は落ち、一部の信者達が内輪で持ち上げるだけの「裸の王様」作品に成り下がってしまいます。
信者はそれで満足かもしれませんが、作者や出版社からすればたまったものではありません。
「批判的な意見を述べる読者」がいなくなって喜ぶのは、「批判的な意見を見たくない読者」だけです。
上記はあくまで例であり、実際は赤の他人から「嫌なら読むな」と言われたところで、読者をやめる人はほとんどいないかもしれません。
しかし実際の減少数がどの程度であろうと、作家や版元が読者の減少を歓迎することは絶対にないので、「読者を減らそうとする行為」が有害であることは確かです。
ファンを自称しながら、作者にとって不利益な行動を勝手に行い、しかもそれに無自覚なんですから「有害」な存在としか言えないでしょう。
ここで重要なのは、ほとんどの批判的な読者は、批判コメントを残すまでもなく「無言」のまま読者をやめていくということです。「嫌なら読むな」と言われるまでもなく、大半の読者は勝手に読むのをやめていきます。
おそらく「ワンピースがつまらなくなった」と感じた99%以上の読者は、わざわざネットに批判的なコメントなど残すことなく、ネットで検索することもなく読者をやめていくでしょう。
逆に言えば、私のように批判記事を自ら発信するような読者は、それだけその作品のことが好きで、執着するだけの熱量があり、以前のような面白さを取り戻して欲しいという想いが強いのです。
ほとんどの「一般読者」にそこまでの熱量はないので、「つまらない」と感じたら無言のまま離脱していき、残るのは「何を描かれても面白いと肯定する読者」と「批判的な読者」ばかりです。(あとは惰性で読んでいる熱量の低い読者くらいで、この人達もいつ離脱するかわかりません)
こうなった作品は悲惨です。
SNSでは絶賛コメントばかりで、みんな喜んでくれているのに、思ったほど話題にならない。
販売部数は下がっていき、絶対に盛り上がると思っていたエピソードも大して話題にならず、手応えを得られずに終わってしまう。
今までは日本中が盛り上がっていた(と感じていた)のに、いつの間にか一部の閉鎖的なファンコミュニティの間でしか話題にならなくなってしまっている。
「世界一」の発行部数を誇る作品のはずなのに…。
こういうと、「毎巻300万部も発行してる国民的作品に何を言ってるんだ笑」というコメントが聞こえてきそうですが、まず「発行部数」と「販売部数」は異なりますし、作品の劣化が「販売部数」に影響を与えるまでには一定の期間がかかり、「発行部数」まで影響を与えるのはさらに時間がかかるため、現時点の数字だけを見ても何の意味もありません。
本題とズレるのでこの点は別記事にまとめますが、ざっくりいうと、今200万部近く売れている(最新104巻は170万部)のは、「ドレスローザ編」や「ホールケーキアイランド編」までは許容範囲だった(離脱しなかった)読者が「ワノ国編」まで読者を続けた結果の数字であり、「ワノ国編」に対する評価の影響が出てくるのはこれからだということです。
そして、ピーク時(67巻:パンクハザード編の導入)は400万部発行して300万部以上売れていたものが、直近では300万部発行の200万部未満の販売数になっているわけですから、単純計算で「パンクハザード編〜ワノ国編」にかけて100万人近くの読者を失っていることになります。
電子書籍への移行などを加味しても、それだけではカバーしきれないほどの読者離れが進んでいることは確かであり、それは「新世界編」をつまらないと評価している読者が100万人規模で存在しているということです。
この人達の内99%以上は、批判的なコメントなどすることもなく勝手に読者をやめていったことでしょう。
そうした読者減少傾向の中で、「嫌なら読むな」とさらに読者数を減らす行為をしている読者は、(本を購入した上で)批判している読者以上に、作者や出版社に直接不利益を与える最もタチの悪い行為をしていると言えます。
②第三者の客観的批判を受けない作品は、劣化の一途を辿ることを理解してない
もう一つ有害なのは、第三者の客観的な意見や批判を受けない作品は、劣化の一途を辿らざるを得なくなることを理解していないことです。
批判的な読者に「嫌なら読むな」と言って回る行為は、読者数(話題性)を減らすだけではなく、真っ当な批判コメントを封殺することにもなります。そうして「何を描いても絶賛する人しか周りにいない状況」ができあがると、作者(や編集者は)「何が面白いのか」「何が読者にウケているのか」を正常に判断できなくなります。
だからロビンに変顔をさせたり、カイドウを倒すために「太陽の神ニカ」なんていう(これまでのワンピースの設定を破壊するような)大胆な後付けを強行したり、「実はプルトンはアラバスタではなくワノ国にある」なんて設定変更を加えたりすることを「アリ」だと判断してしまうのです。
※「ニカ」が後付けと言える理由、プルトンの在処が設定変更だと考える理由は、それぞれ以下の記事で解説しています。
【ワンピース】1044話「解放の戦士」がつまらない理由
【ワンピース】1053話「新しい皇帝達」がもったいない理由
「ロビンの変顔めっちゃ笑った!!!」というコメントが多ければ、それがウケたと判断(勘違い)して他のキャラの変顔もガンガン描いてふざけてやろうとなるかもしれないし、露骨な後付けをしても読者が勝手に伏線を探して絶賛してくれるのであれば、どんどん後付けして筋書きや設定を変更していこうとなるかもしれません。
読者の反応は作品の内容に少なからず影響を与え、それが作品の「質」にも及んでいきます。
実際、カイドウ戦で三船長に無意味な変顔をさせたり、ギア5の副作用としてヨボヨボジジイルフィを描いたり、ボニーの能力で「何かあった未来」のハゲジジイルフィを描いたり、「世界最大の頭脳」を持つ超重要人物のビジュアルを剛毛逆さキンタマにしたり、シャンクスが“近海の主”からルフィを救って左腕を食われたのは意図的だったと思わせる「間」を追加したり、映画宣伝のためだけに理由もなくワノ国にシャンクスを登場させたりと、挙げればキリがないほどの「ズレ」が生じています。
もちろん、上記描写を「面白い」と感じる読者もいるでしょう。それ自体は全く問題ありません。感じ方、楽しみ方は人それぞれなので、私はそうした声を否定・封殺するつもりはありませんし、今のワンピースを絶賛しているSNSアカウントやYouTuberのコメント欄にわざわざ批判コメントを残しにいくこともありません。
しかし連載初期からワンピースの大ファンで、「史上最も好きな作品」として長年愛読してきた私でさえ上記描写は受け入れられず、作品の面白さを毀損させる要素でしかないと感じたのですから、同様の感想を抱いている一般読者はたくさんいるはずです。
毎巻200万部前後は安定して売れていた中、「ワノ国編」のクライマックスの104巻が170万部程度しか売れていないというのは、つまりそういうことなのです。
そして前述の通り、こうした人たちの99%はネット上に批判的な感想を書き込むこともせず、読者をやめていきます。
こうして何もかも絶賛する読者ばかりが残り、「一般的・客観的に考えたらおかしい・つまらない・求めていない」ことも肯定・絶賛されてしまう状況が常態化すると、一般読者の感覚からどんどんズレた作品になっていき、販売部数はさらに減少していきます。
本来、そうした「ズレ」を軌道修正するのが編集者の役割なのですが、編集者まで何を描いても無条件に「面白い」と返す「盲目的な信者」になってしまっては、もう手のつけようがありません。
さらに言えば、何を描いても絶賛される状況は、作者の「よりよいものを描こう」というモチベーションさえ奪う可能性があります。
仮に尾田先生の中で仕上がりに満足がいかない話や、不安が残る話があったとしても、提出したネームが即OKで何の直しもなく、実際世の中に出してみたら絶賛コメントばかりで、読者アンケートも1位。単なるミスや見落としも「尾田先生ならここにも何か意図ががあるはずだ」「さすが尾田先生」と無条件に肯定され、持ち上げられる状況が10年以上も続いている中にいて、「よりよいものを描こう」というモチベーションになれるでしょうか。
ただでさえ「週刊連載」という肉体的にも精神的にも過酷なスケジュールの中で、(山のように振られる原作以外の仕事もこなしながら)物語を考え、漫画を描いていかなければならないのです。
こうした状況では、「自分では仕上がりに納得がいってなくても、どうせみんな絶賛してくれるんだからこれでいいだろう」と妥協する機会が増えてしまってもおかしくありません。(実際「ワノ国編」以降の作画の妥協は明らかであり、自分で絵を描かずアシスタントに任せて済ませる構図が多用されるようになりました)
仮に強靭な精神力と自己管理によって一切の妥協を許さず、毎回最高の1話を描き続けているとしても、間違った方向に突き進んでしまっては作品の劣化は止められません。読者は離れていき、販売部数は下がっていきます。
こんな状況では、「早く完結させよう」と駆け足になって端折りまくったり、途中で描くことをやめてしまったり、注目を集めるために物語を破壊する展開にしたり、といった事態をもたらしかねません。
そうしてさらに読者離れが進み、さらに作者のモチベーションが下がって作品は劣化していく、という悪循環に陥ります。
これが作品の寿命を縮めるということです。
「尾田先生は我々一般人とは違う天才だから大丈夫だ」と思うでしょうか?
そんなはずがありません。尾田先生は「完全無欠の超人」でもなければ「全知全能の神」でもなく、あくまで一人の人間なのです。
何を描いてもみんなから絶賛される状況で、「何が面白くて、何がつまらないのか」を正常に判断できるはずがありませんし、読者の反応や考察勢による展開予想(元ネタの暴露)、コミックスの販売部数やジャンプの読者アンケート数、アニメの視聴率や映画の興行収入といった数字が、創作の妨げになることもあるでしょう。
歳を重ねてセンスや発想力が衰え、全盛期のようなシナリオやキレのあるセリフが浮かばなくなることもあるかもしれません。真正面から「つまらない」と言われたら不快な感情になるでしょうし、そうした批判の声から耳をふさぎたくもなるはずです。
尾田先生も「人間」である以上、こうした精神面・身体面に対する影響から逃れることはできません。
だから編集者が必要なのです。
作者と二人三脚の信頼関係の下、客観的な視点で作品に意見する第三者の存在なしに、作者1人で何十年も世間の感覚とズレることなく、25年分の物語の整合性をとりながら、最高に面白い漫画を描き続けることなどできるはずがないのです。
客観的な意見(批判)を得られなくなった作品は、一般読者とのズレを矯正できなくなるため、劣化の一途を辿っていきます。
だから私は「ワンピースの劣化原因は担当編集者にある」と考えているわけですが、それはまた本題とずれるので別記事で解説します。
もちろん読者に責任はありませんし、今のワンピースをそのまま楽しんでいる人がいることは全く問題ありません。
しかしながら、描かれたものを無条件に絶賛し、批判コメントを封じるために読者をやめさせようとする行為は、作品を劣化させることにしかならず、それは作品の寿命を縮める結果になりかねないということは理解していただきたい。
尾田先生の自信作と言われ、全読者が楽しみにしていた「ワノ国編」が、「四皇」を倒す物語のクライマックスが、これほど話題にならずに終わると誰が予想したでしょうか。
「嫌なら読むな」と言って読者をやめるよう促したり、批判コメントを封殺したりすることは、この状況をさらに加速させることになるのです。
批判コメントを見たくない人はどうすればいい?
では、批判的なコメントを見たくないファンはどうすればいいのでしょうか?
選択肢は2つあります。
1つは、批判的な声が目に入らないように自らフィルターをかけること。これがもっともシンプルで簡単な対処法です。
それこそ「嫌なら読まなければいい」のです。たったそれだけで、誰にも迷惑をかけることなく問題は解決します。
「嫌なら読むな」と言いたいのであれば、まずは自分が「嫌だから読まない(当然コメントもしない)」を実践しましょう。
もう1つは、批判記事に対して論理的・建設的な批判コメントを返して、相手を黙らせることです。
相手の主張の矛盾や論理の穴を突き、相手を黙らせるだけの「真っ当な批判」をすればいいのです。
自分の考えや解釈のほうが妥当であり、相手の批判が筋違いであることを認めさせられれば、相手は考えを改め、批判をやめてくれるかもしれません。
「嫌なら読むな」という無価値な自己矛盾コメントを残すより、よっぽど建設的で真っ当な「批判記事の封じ方」でしょう。
しかし如何せん、「嫌なら読むな」系のコメントを残す人達はこうした反論をしてきてくれません。
ただ「文句言うなら読むな」「なら自分で描いてみろ」「自分で描けないのに文句を言うな」と感情任せの子供じみたブーメランコメントをしてくるばかり。あるいは私の心を傷つけるために「キモい」「ウザい」「しね」といった誹謗中傷コメントで八つ当たりしてくるばかりです。
これでは議論にならないため、このブログにとっても無価値で有害なコメントでしかありません。(そのため、こういう輩にはそのまま同じコメントを返すことで、自分がいかに自己矛盾に満ちた愚かなコメントをしているのか気づいてもらうようにしています)
今後、この世から「嫌なら読むな」という「無価値」で「有害」な主張をする人がいなくなることを願います。
よくある質問
最後に、よくある質問やコメントに対する回答をまとめておきます。
おそらくこの記事のコメント欄にも似たようなコメントがつくと思うので、先に答えておきますね。
私の中で「ワンピース」は「史上最も好きな漫画」であり、まだ「前半の海」での評価の貯金が残っているからです。
ワンピースが大好きだったからこそ、この先改善されることを(いつまでも)期待して読み続けてしまっているわけです。その期待や熱量がゼロになったら読まなくなると思います。
実際「エッグヘッド編」以降、つまらなさが許容量を超えてきており、熱量は急速に冷めてきています。コミックスも104巻からついに購入をやめました。
ジャンプは購読して読み続けていますが、これもお金の無駄だと感じるようになったら卒業するかもしれません。
余計なお世話としか言いようがありません。
自分の人生の時間の使い方は自分で決めます。
あなたこそ、見ず知らずの他人の人生に意見するような無駄な行為に時間を使うのはやめたほうがいいのではないでしょうか?
他人の人生に口を出す前に、どうぞ自分の人生の心配をしてください。
心配しています。
このブログでは、基本的に尾田先生ではなく、担当編集者を批判するスタンスをとっており、尾田先生の健康や多忙を心配するコメントを過去に何度もしています。
なんなら長期休載に入ることや、連載ペースを落とすことを推奨している立場であり、そうした対応をせずに原作以外の仕事を次から次へと振りまくって尾田先生に負担をかけ、作品の劣化を放置し続ける編集者を批判しているのです。
なぜなら、1人の人間が週刊連載で何十年も面白い作品を(世間とのズレを生む事なく)描き続けることなど、そもそも不可能だからです。肉体的に困難なのはもちろん、作者1人の感覚で何百万人という読者の感覚とズレることなく、質の高い作品を描き続けることなどできるはずがないのです。
そのズレを正すのが編集者の役割であり、作品の質を維持するためには編集者の客観的視点が不可欠だというのに、全く機能していないことが露骨に作品に出てしまっており、にもかかわらず原作以外の大量の仕事を振って尾田先生からネームや作画の時間を奪い続け、作品の劣化に歯止めがきかない状況を進行させているため、その点を指摘して批判をしているわけです。
尾田先生の健康面の心配はしていますし、「批判」と「健康面への心配」は両立するものです。
論理が破綻しており、全く筋違いな言い分です。
プロの作家が商業作品として世に販売している時点で、それを購入した側が評価したり、感想を述べたりするのは当然に許された権利です。
私は読者(消費者)であって、漫画家ではありません。漫画を描きたいわけではなく、面白い漫画を読みたいからお金を払って購入している立場であり、購入した作品の内容に不満があるから、批判的な感想を述べているわけです。
あなたはお金を払って観に行った映画が酷い仕上がりでも、「自分に映画は作れないから文句は言えない」と考えて口をつぐむタイプですか?
購入したゲームがクソゲーでも、「自分では作れないから文句を言う資格はない」と考えるタイプですか?
お金を払って観に行った音楽ライブで、アーティストが音を外したり声が出てなかったり歌詞を間違えまくったりして全く感動できないパフォーマンスを披露しても、「自分のほうが歌が下手だから批判すべきじゃない」と思うのでしょうか?
飲食店でマズい料理を出されても、「自分で作れないんだから(店を開いてないんだから)文句を言う権利はない」とか、「文句を言えるように、まずは自分で作れるようになろう(店を出せるようになろう)」と思うのでしょうか?
市場に商品として投下されている時点で、それを購入した消費者からの評価は避けられません。作り手はそれを分かった上で、自らの意志で作り手側(買い手から評価される立場)を選んでいるのです。
一方の消費者は、自分ではできないからこそお金を払って人に任せているのであり、そこで期待したクオリティに達していなかった場合に、低評価を下したり、批判したりするのは当然に許された権利です。
「購入した商品について批判するためには、自分がその商品以上のクオリティのものを作れなければならない(文句を言うなら自分で作れ)」なんてあまりにも本末転倒で筋違いな暴論です。
頭の悪い人だとバレてしまうので、金輪際そうしたコメントはしない方がいいですよ。
尚、私がこのブログで批判しているのは、基本的に尾田先生(漫画家)ではなく、担当編集者です。編集者視点で、「なぜこの部分を直さないのか」「なぜこの内容でOKを出してしまうのか」という批判をしているのです。
その意味でも「文句言うなら、自分で描いてみては?」という主張は的外れですが、もし「文句言うならお前が編集者をしてみろ」と言われ、実際に依頼をしていただけるのであれば、私は喜んでお受けします。
そして、私が編集者になった後のワンピースがつまらなければ、当然批判も受けとめます。
その覚悟を持って(編集者を)批判していることをご理解いただければと思います。
思いません。
「少年漫画」だから大人の観賞に耐え得るクオリティになっていなくて当然(あるいはそれでも問題ない)という考え方は、「少年」の読解力や感性を「(自称)大人」の勝手な思い込みと偏見で侮り、間接的に「少年漫画」を見下していることと変わりません。レッテルに囚われた思考停止人間の典型です。
少年を侮り、少年漫画を見下し、少年漫画のファンとして感想を述べ合う大人達を「異常」だと言ってのける人間のほうが、よっぽど異常だと私は思います。
読者アンケートの順位は相対的なものなので、「1位のままだからワンピースは劣化していない」という論理は成り立ちません。
ワンピースがどれだけつまらなくなっても、他の作品が抱えているファン数がワンピースよりも少なければ、ワンピースは永遠に1位のままです。「アンケート回答するファンの数=作品の絶対的な面白さ」ではありません。
ワンピースは「前半の海」で蓄積した熱狂的ファンがあまりにも多いので、ジャンプのアンケート回答においては、今度もほとんど1位をとり続けるでしょう。
私の中で「信者」の定義は、「何を描かれても無条件に絶賛し、全て肯定的に解釈して作者を持ち上げる読者」を指しています。
そのため「つまらない部分やおかしいと思う部分は多少あれど、普通に面白いし楽しめている」とか、「前半の海よりも面白さが失われたとは思うけど、新世界編も総じて楽しめている」といった読者は、私の言う「信者」には含まれません。
作者にとって有害かどうかは作者が決めることですので、本人に聞いてみてください。
ただ「つまらない」「くだらない」「ゴミ」「読む価値がない」「お金の無駄」「オワコン」「資源の無駄」といった捨て台詞で、作品を貶めるだけの(ほとんど誹謗でしかない)批判は「有害」だと思いますが、きちんと作品を読み込んだ上で、「なぜつまらないのか」「何が問題なのか」を考え、「どうすれば改善されるのか」まで提示した上で行う「論理的な批判」は、(作者個人は求めていないにせよ)私は「有害」とは思いません。
というより、そうした批判を行う権利は誰にでもあるので、それが有害かどうか議論すること自体がナンセンスです。
「嫌なら読まなければいい」のです。
煽り体制が低いのは事実ですが、勘違いコメントや難癖コメントを放置すると、それを見た方に誤解を与えたり、場が荒れたりしやすく、早々に対処しておく必要があるため、説明なり反論なりをしています。
えてしてそういうコメントをする人ほど、放置するとそれを「肯定」と見做して、さらに誤解を強めて暴走しやすい傾向にあるからです。
たとえば「煽りコメントにだけ返信してねェw 効いてる効いてるww」とか「図星だから反論できねェんだw」とか「何も言い返せないから逃げやがったww 悔しかったら反論してみろやww」のような言い分です。(そうなると対処にさらに時間がかかるので、早めに処理しています)
また、私への直接的な質問系のコメントやうれしいお言葉にも、できるだけ早めに答えるようにしています。
記事への感想や建設的なコメントについては、読者さん同士でコメントやリアクションをしていただけているので、慌てて私がコメントせずにおまかせしている部分もあります。私がコメントするとそこでやりとりが終わってしまい、読者さん同士の会話が生まれづらくなったりもするので。
色々状況を観察しながら、よいコメント欄になるよう運営していきたいと思っています。
読者の減少ガ〜とか言ってるけどこんだけ長く続いてる作品の読者が減るの当たり前じゃね?全ての作品そうです
普通に盛り上がってるよw
『嫌なら読むな』が「読者や販売部数を減らす行為」になるのは分かりますが、その一方で『嫌なら読むな』の大元である批判を見てげんなりしてしまう読者もいるはずで、それはそれで「読者や販売部数を減らしてしまう行為」とも取れますがどう思われますか?
過去に『嫌なら読むな』『そんなに言うなら自分が描け』とかいう超低レベルなコメントした人、未だ誰一人として反論に反論できていない説。
ゴールド・ロジャーのような前人未到の論破王は現れんのかw
反論に対して「嫌なら読むな」と言う人がこの長文を書いていると思うと感慨深い。
2年後の新世界編からガッカリのしっぱなしで(ロジャーメインの時など麦わらの一味が絡んでいないところでは面白いと思う時もあった)
ついにヒトヒトの実モデルニカで心が折れてしまった者です。
ワノ国編から最新までの記事を読ませていただきましたがほとんどに同意します。
そしてこれほど愛と論理性のある批評があるのかと感銘を受けました。
様々な批判や誹謗中傷があるかと思いますが、
私は支持します。
私もあのワクワクさせてくれるワンピースが戻ってきて欲しいと願い続けます。
頑張ってください。
単行本の販売部数ってそんなに減ってるのかと気になって一巻毎の販売数を検索しても、出てくるのはやれ「累計〇億突破!!」とか「ギネス記録更新中!!」みたいな記事ばかりで全然目的の情報に辿り着かなくて草。
知られたらマズいのか裏で力が働いてるのでしょうか笑
結局オリコンの年間ランキングコミック部門のページで知れました。
ワンピースはエニエス・ロビー編くらいまでジャンプの連載を追っていて、その後最近になって新世界編にも目を通した者ですが、「最近のワンピが面白く感じないのは歳のせいかな」「東の海編は神がかった完成度だと思ってたけど思い出補正かな」なんて思っていたものの、ブログを拝見して自分が感じていた「つまらなく感じた理由」が言語化されていて目から鱗でした。
ブリーチやナルトも終盤は薄めたカルピスだのなんだのと一部では酷評されていましたけど、それら超長期連載作品とくらべて、ワンピが全盛期と終盤でどこまで落差があるかの比較論なんかも読んでみたいですね。
純粋に疑問なんですが、なべおつさんのブログで見られるレベルの粗探しをしていても満足できる漫画ってあるんですか?
要するに好きな漫画を教えてくださいってことです。(ワンピース以外で)
お願いします。
「FILM RED」「ワンピースの劣化原因は“編集者”にあると考える理由」、楽しみです。
YouTubeにONE PIECEと担当編集の変化について動画を上げている方がいました。
批判も交えて歴代担当編集さんを簡潔に纒められていたので参考までに🙂
このブログの内容とは少しずれたことを言いますが、なべおつさんはワンピース系youtuberのワンピースアンチに反論してみた、といった動画についてはどう思っていますか。
私はワンピースアンチの真っ当な批判は伏せ、あえて的外れな批判のみに反論し、ワンピースアンチの言っていることはこじつけだ的外れだ、聞く必要はないと印象付けているのが透けて見えるので不愉快だと思っています。
私は、ナミの「ルフィのお父さん熱いんだけど!」が個人的に気持ち悪すぎて、それが決定打となり、連載を追っかけて読むこと自体を止めてしまいました。現代の世界観や価値観、言葉遣いを取り入れたいのか、それとも、数百年前の世界観にしたいのかがわからなくなりました。もちろんそれらが混在することが不可能ではないことも理解します。もっとも、読者に媚びる、ないしは作者のその時における趣味・嗜好が反映されすぎて、過去のキャラクターとの整合性が取れていないように思えてなりません。
そのため、久しぶりに記事を拝見しましたが、相変わらず素晴らしい内容で感服いたします。
そもそも、「主張に対する反論」、「主観と客観の違い」を理解していないにも関わらず、なべおつさんに食って掛かる方々が一定数おり、このような記事を出されたのでしょうが、相変わらずな方々も今だにいらっしゃいますね。
反論をしたいのであれば、なべおつの主張が成り立たないこと、又はなべおつさんの主張が成り立ったとしても、自己の主張の方が妥当であるということを、根拠をもって主張してほしいです。その際も、主観と客観は切り分けてほしいですね。
プルトンの後付設定に対してですが、後付自体は、長期連載かつ週刊連載のため、やむを得ないこともあると思います。ただし、過去の描写と整合性は持たせる努力は見せてほしいですよね。まず、24巻における、コブラとロビンの会話では、ポーネグリフにはプルトンの全て(在り方も含む)が記されているという描写がなされていたはずです。アラバスタにプルトンがないことをコブラが知っていたのであれば、何故その在り方(ワノ国)をクロコダイルに知られれば、「アラバスタを乗っ取られる」という結論に至ったのかの推論過程が謎です。クロコダイルがアラバスタを乗っ取ろうとした動機は、「プルトンがアラバスタに存在するから」ですよね?そうだとすれば、プルトンがアラバスタにないことを知れば、必然的にアラバスタの支配に興味がなくなる筈ですよね。また、これは主観ですが、いくら伝承が重要といえども、国民を守るため、国の主権を維持するためなら、クロコダイルに対して、プルトンがワノ国にあることを伝えて、アラバスタから退いてもらうほうが、より重要なのではないでしょうか?そして、いくらワノ国が鎖国国家だからといって、主要国の国家元首であるコブラが、ワノ国が当時からカイドウの統治下にあることを知らなかったのでしょうか?仮に知っていたのであれば、クロコダイルに教えたところで、クロコダイルはどうすることもできないですよね。
以上より、私はプルトンの所在については、後付だと考えております。
後付なら、後付でいいのに、「尾田先生すごい!」の狂喜乱舞は見てて辛いです。
なべおつさんの編集者に対する指摘、素晴らしいです。ドラゴンボールやNARUTO等の国民的漫画でも、相当編集者に直されたと、作者は後日談として述べておりますからね。作者が面白いと思う主観と、調整役の編集者というプロの客観が混ざって、名作は生まれますよね。漫画だけでなく、音楽も、編曲者やプロデューサーに相当直されるという話を聞いたことがあります。やはり、商業創作物は、主観と客観のバランスが重要ですね。しかし、編集者を庇うわけではないですが、ある程度漫画が売れ始めると、作者が言うことを聞かない、ないしは不機嫌になり執筆をしなくなるということもありますから、編集者ばかりを責めることも難しいと思います。そこをどうにかするのも編集者の仕事でしょうが、著作者人格権等の関係上、作者がへそを曲げて描かないと言ってしまったら、連載を終了せざるを得ませんから。新人作家の頃は、編集者の言うことは何でも聞くんでしょう。しかし、ここまで大物漫画家になられた現在においては、編集者としては、尾田先生の性格等を考慮すると、いかに連載を終わらせずに、最後まで描ききってもらうかにシフトチェンジせざるを得ないのではないでしょうか。これは邪推ですが、連載一発目で超大当たりした漫画家ですから、自分の感性が一番だと思って、他人の意見を聞き入れたくない可能性もあります。
そのためにも、こういったなべおつさんを代表する利害関係のない我々第三者の意見が尾田先生に届くといいですね。それ故に、「嫌なら見るな」がどれだけ無意味かつ有害な意見ということですね。
長文すみません。
これからも、執筆頑張ってください!
何か久しぶりにプルトン談義で白熱して個人的には面白かったです。ネットで無ければここまで熱く語れなかったし、色々な意見が聞けて本当に良かったです。最初からアンチさんもなべおつさんも、その他匿名さん達もありがとうございました
>個人的には、主人公達がプルトンに触れずに島を出たからこそ、この古代兵器がいつどんな形でルフィ達の前に現れるのか楽しみにしてたんですけどね。。
別に確認したとしてもアラバスタになければ、その楽しみを損なうことにはならないよね
プルトンがアラバスタにあった場合に関してだけど
これは個人的な自論として話すけど
謎の価値って見つけるのが困難なほど価値が上がると思うのよ
逆に状況的にすぐ見つけられるのにスルーした場合は価値があまりないと思っちゃうんだよね
もしアラバスタにあるのであれば理由つけて封印でもすべきだったんじゃないかな
その封印を解く鍵がアラバスタにないよってなれば楽しみを損なうことにならないわけで
何よりもクロコダイルのフォローはあの時にすべきだったのよ
無いなら無いで、はっきりさせて何でないのかも説明してあげないから今株が落ちてるわけでしょ
あとレッドラインの破壊の為にプルトンを使う話だけど
この場合敵側がレッドラインを破壊することになると思うけど話的に問題ないの?
映画と同じくワンピースカードもやってんな〜と思っちゃうんですがポケカとか遊戯王とかカード詳しい人から見てあれどうなんですかね?
「嫌なら食うな」
「文句があるなら自分で作れ」
これが成立するのはお母さんの手料理くらいだよね。
ネガティブコメントに対して反論すると、余計にコメント欄が荒れてしまうイメージなんだけど違うのかな。
ワンピースにしろ他の空想作品にしろ「娯楽」である以上自分が楽しい物を見る権利があります。
だからといって出来上がった作品を変える権利は、我々見る側にはありません。
当たり前ですが一個人の好き嫌いで内容が変わる様な作品が面白かった試しがありません。
作る側は自分達に好きなように作品を作りそれを我々見る側が評価を下す。これだけです。
ところが文句を言いながら作品を観てる連中は批判したら作品が変わるとか勘違いして自分の主観や感性を押し付けて来ます。
例えば自分がお菓子メーカーの人間で日本人にとって美味しいと人気のスナック菓子を他国の人間が日本で食べて不味いといって日本人向けの菓子を全部その外人に合う味に変える権利がありますか?
百人居れば百人味覚は違うのと同様空想作品も百人居れば百人評価は違う訳です。
作る側はそれが面白いと思う人に見て欲しいから作っているのであって最初っから否定し文句を言う輩の為に作る理由がありません。
全員が作品を否定しての意見なら分かりますがある程度人気がある作品を駄作とか言って否定し作品の内容にケチを付ける意味が分かりません。
「お前の為に作った訳じゃない」というのが当たり前でしょ。
作品を観た全員が良いと思わない以上好きな人の為に作っている作品を何が楽しくて最初っから嫌いと言ってる人間の為に変えたり作り直す必要がある?
市販で売ってたり放送されている作品はその作品が嫌いな人間の為にある訳ではありません。
作る側が無理やり見せているならともかく選択権はあくまで我々見る側に有るのに態々自分の趣向に合わない嫌いな作品みて文句を言うのがおかしな話です。
まるで魚が嫌いな人間が寿司屋に言って文句を言ってるようなものです。
私が空想作品を見るのは自分では生み出せない創造物を楽しみたいからであり文句を言うためではありません。
作品を作った人に礼を言う事はあっても作品を馬鹿にしたり貶す事などしません。
この記事で聞いていいのかわかんないけど、プルトンについて気になることがあったので聞いてみます。長文失礼します。
プルトンがアラバスタではなくワノ国にあるっていうのは設定変更なんでしょうか?アラバスタを読み返したのですが、わかったのはクロコダイルが事前にアラバスタにプルトンがあるという情報(出処及び信憑性不明)を掴んでいたこと、アラバスタのポーネグリフにプルトンの在り処が記されていること、そしてネフェルタリ家がポーネグリフを守ることでプルトンを守っていたことだけで、アラバスタにプルトンがあることにはならないのでは?コブラ王も「この国のどこかにそんな物が実在するかどうかすら定かではない」と言っていましたし、「兵器の在り処を教えればアラバスタはクロコダイルのものになっていた」という台詞でプルトンがアラバスタにあることになる理屈もよく分かりません(私はこの台詞について、「プルトンがアラバスタにあろうが無かろうが王家が代々守ってきた秘密がクロコダイルに露呈してしまうのだから、結果的に国はクロコダイルの手に渡ってしまう」という旨の台詞であるという認識をしています)。空島のポーネグリフが魚人島のポセイドンの在り処を記していた例もありますし、私は個人的にプルトンがワノ国にあることは既定路線であると認識していますが、もし本当に設定変更だとするならば何故そうだと言えるのかもう少し詳しい回答をお願いしたいです。
あと、ジャンプ購読より単行本購入の方が金銭面の負担は軽いですよ。他の漫画も読んでいるなら話は別ですが。
理路整然と過激な批判否定読者への反論を述べていて非常にタメになりました。
筆者様の確かなONE PIECE愛が伝わってきます。
個人的に最近のONE PIECEで1番ショックだったのが、FILM RED周りです。麦わらの一味の空気化・リアクション芸人化、整合性の取れないストーリー展開、過去設定の改変など、筆者様が頻繁に指摘されている酷い部分が目立ちました。尾田先生が総合プロデューサーとは信じたくない作品でした。
FILM REDや、その他映画についての感想記事は書くご予定はあるでしょうか?
ぜひ筆者様のご意見を伺いた句存じます。
基本的に変なコメントしてる人って、言いたい事だけ言ってそのままバイバイですよね。
基本的な礼節がなってないとコメントもトンチンカンになってしまうのだと感じます。
ONE PIECEの的確な批判記事を読めるだけでなくネットリテラシーまで学べちゃう素晴らしいブログ。これがサブ垢なら本垢ではどんな事を書いてらっしゃるのだろうと見てみると女の子ナンパする下世話なブログが出てくるのほんと好き。
いつも拝見していますが今回初めてコメントしてします
丁寧な言葉は使わないので悪しからず
Q 文句を言いながら読み続けるなんて、人生の無駄では?
実は無駄じゃないよ
なぜなら人は比較しないとわからないことがあるから
良かった部分だけ見ても、それが良い点なのかわからない
他の作品の悪い部分と比較して初めて、この部分良かったんだと気づくこともあるのよ
Q いい大人が「少年漫画」を長文批判するなんて異常だと思いませんか?
大人の意見が子供のためになっていないとは限らないというのを理解すべき
そして、もう一つ子供では上手く言語化できないということ
最初からアンチの自分からすればワンピースの設定って信用できないし
それを作ってる作者も、もちろん信用できない
ここにいる人は否定するかもしれないけど
尾田や編集者の精神性は「嫌なら見るな」と言ってる信者とあまり変わらないと思ってるよ
魂の籠った記事ありがとうございます…!!!超大作の執筆お疲れ様でした。
「嫌なら読むな」を見かける度に私は「馬鹿の一つ覚えのような愚か者のコメントだな」くらいしか思っていませんでしたが、これらのコメントが作品にとっていかに有害か大変よく分かりました。
なべおつさんの生き生きとした文章も読んでみたいので「前半の海」の執筆、頑張ってください!
三船長の変顔自体は百歩譲ってどうでも良いです。
しかしなぜ四皇二人の目前でいざ開戦って時にちょけ出したのか。
ニャーバンブラザーズでも相手にしてるんですか。
しかも今まで散々四皇の危険性を説いて来たローを筆頭に。
TPOとキャラ性を犠牲にしても描きたかっただけなんですがこういうところから作者の作為しか感じなくなって来てしまうんだなと。
あと四皇の強さ設定を間違えて七武海の2億倍強い勢いで煽ってファンもそれに同意してたのに
いざションボリ描写で終わったら元々大したことなかった的評価に落ち着くの何なんだと思いました。
四皇自体も酷いけどクルー弱すぎないか。
こう言うと麦わら達が強すぎただけってフォローが入りますがそう感じられる描写が出来てないのは問題では。
CP0や大将など今後控えてる強キャラもこうなっていくのが目に見える気がします。
毎度読ませてもらっています。
作者が思うように作品を作り上げるというのは、大前提の話だとは思うのですが、ワンピースはすでに読者に対する責任すら生まれていると思います。
連載25年経過している時点で少年漫画としての枠は超えてしまっていると思うので、大人の読者の意見が出るのも当然だと思います。
このままいけば連載は30年に到達するでしょうし、それに比例して、こちらはお金も時間も消費してきましたし、さらに増えていきます。
いまだに映画が話題になるようなポテンシャルもあります(本筋の方がいまいちなので、なべおつさんの言う前半の海の貯金だとはおもいますがw)
とはいえ区切りのない一本道のストーリーで続いている作品というのはすごいことと思います。
現状おそらく、どんな後付け展開や手抜き作画、作者がわがままを言っても、打ち切りにはならないレベルの位置だと思うので、クオリティを上げるほうに作用して完結させて欲しいですね。
まぁいくらこんなことを書いてもそういう人たちは読まないし理解しないんだけどね
ただぶっちゃけこれ以上ワンピースが良くなることはないと思うので
前回の記事にもあったように「全盛期のワンピースが何故面白かったのか」のようなポジティブな記事を書いたほうがいいのかもしれません
これも今を楽しんでるファンからすれば老害のジジイ扱いなんでしょうけど
それくらい昔のワンピースは本当に面白かったんだよなぁ
(今のワンピースは糞すぎて批判すら退屈と感じるレベルになってしまった)
ジャンプには今のワンピースと別に1話から再掲載してほしいわ
破綻の無い完璧な論理にあっぱれw
長いですが理解しやすくて勉強になります。
このブログの内容をYouTubeなどで配信することは考えておられますか?
筆者様の素晴らしい言語化能力と文章推敲力と論理的思考能力はきっと見ていて気持ちのいい動画になると感じました。
信者だらけの界隈なので信者には凄まじく叩かれると思いますがワンピ界隈に一石(爆弾かもw)を投じてみてはいかがですか?
きっと色々な意味で盛り上がると思いますよ
これからのご活動も応援しています^_^
お疲れさまです。
果たしてブログのタイトルを見ながらコメントを残していく自己矛盾を抱える人に、この記事が役立つのかどうかは別としても、必要なものだと思いました。
それこそ、よくある質問と同じ質問をする方には「この記事を読んでいないのか」で片付く話題になるからです(一番良いのは誰も彼らに触れなくなることですが)。今後はあのような的外れな主張が、他の記事を侵食しなくなれば良いですね。
不謹慎かも知れませんがこの記事でそれが減るかどうかという、社会実験的な期待もあります。どうなる事やら。
ともあれ執筆お疲れさまでした。これからも更新を楽しみにしております。
表題の件について余すところのないパーフェクトな論考だと感じました
国語や道徳の教科書にでもそっくりそのまま載せておいてほしい名文ですね
筆者様の論理的な記事に毎度感服しています。
このブログの過去コメントの「嫌なら見るな」、に対する筆者様の反論コメントに、誰一人としてまともな反論ができていないところを見ても、この記事の正当性は確固たるものでしょう。
私も記事内で言う「前半の貯金」で読み続けていますが、今のワンピースは本当にストレスが溜まります。
現在は、筆者様のワンピース愛が溢れる痛快な批判記事を見て、なんとかモチベーションを保っています。
今後も更新を楽しみに待っています。
ぼんやり思っていたことがあまりに理路整然と纏めて書かれていて何かコメントしたくても凄すぎて言葉を失いました😂
ワンピースだけでなく全てのことに対して言えますね。
文章が好きです。
もはやそういう魅力でここに来てる人が沢山いると思います。
なまじお手軽に言い放つ事ができるワードだから、あちこちで色んな人たちが使っているのを見かけるのもげんなりするのよね
いくら筋の通った意見を言っても、
「嫌なら見るな」→終了(ドン!!!)になっちゃう
またそれか…ってなるのが続いて気づいたら連載はもう見なくなってたよ
あとああいう人達って文体と思考が一発でそれと分かるくらいほぼ同じなのは何故?
ここのブログのコメント欄みたいに色々な意見が飛び交っているのを見る方がよっぽと面白いと思うんだけど、「嫌なら見るな」と言う読者層は違うのかな
逆に新世界以降のいいところってなんなんだろうね。キャラクターの言動が記号的だから、新世界から読み始めた人にもわかりやすいとか?ギャグのボケとツッコミがはっきり分かれてるから笑いどころがわかりやすいとかかな。世界の謎やビッグネーム同士の戦いとか、核心に迫る展開が好きなのかな。でもそれも「描写」を楽しんでるというよりは明かされた「情報」に対してファン同士で予想し合うことを楽しんでるように見えるけどね。
この際だからはっきり言うけどずっと前から尾田もワンピース公式も声優さんをかなり見下してるよな。自分たちが使わせてもらってるから偉いとでも思ってんのかね
本当にこのブログだけが救い。
YouTubeに上がってるONEPIECEの批判動画は信者にフルボッコにされてるし、ここまでONEPIECE批判で魅力的な文章を書かれる人は居ない。ほどほどに頑張って欲しい。前編解説楽しみにしてます。
後ギア5安倍晋三化については、例の事件もありましたので、少し表現を変えた方がいいと思います