第5話は“海賊王と大剣豪”というサブタイトルがまず素晴らしい。ワンピースという物語に最後まで影響を持つ、物語の軸となるようなサブタイです。
これを連載開始間もないタイミング(わずか5話目)で投入してくるところが、当時のテンポの良さと出し惜しみのしなさ、また構想通りに自信を持って、1話1話を魂込めて描いている様が想像できます。
ちなみにこのあとは、
第6話:“1人目”
第7話:“友達”
と続いてモーガン編終了です。
「1人目」も「友達」も最高のサブタイで、これだけでどんな内容だったかありありと思い出せるくらいに力を持った(その話の主眼を端的に表した)サブタイとなっています。
「くまがゴッドバレーから逃げ出して奴隷を脱する1話」で「脱出シーン」を描かずに、ポッと出の後付けモブのジニーにくまちーと呼ばれる様子を描いた中身カラっぽの1096話「くまちー」とは雲泥の差ですね。
目次
第5話が面白い理由
ルフィがヘルメッポを簡単に殴る笑
前回、最後のコマを(ゾロ側のシリアスなシーンではなく)ルフィサイドのギャグ描写で終わらせたのは、ワンピースはあくまでルフィの物語であるという軸をブラさないためではないかという話をしました。
実際、今話の冒頭もルフィサイドのギャグ描写で、前回からそのまま続く形で描かれています。
ズズズズズズと床を引きづりながらヘルメッポを連れていくルフィ。ルフィの腕力があれば普通に肩に担げるでしょうに、それをせずにわざと引きずりながら運んでるのだと思って見ると尚笑えます笑
ルフィ:はやく言えよ!! ゾロの刀はどこにあるんだ!
ヘルメッポ:だ…だから言うがら….!! 引きずるのやべてくでっ!!
キキッ!!
ルフィ:よし言え
ヘルメッポ:おれの部屋にあるんだ も…もうとっくに通りすぎた
ルフィ:先に言えよ戻んなきゃいけねェだろ
ボカ!!
理不尽すぎて笑えます笑
これに対するヘルメッポの「いたああまた殴ったあーっ!!」というリアクションも表情含めて面白い笑
親にも殴られたことがなく、それを自慢に生きてきたというのに、今日一日でルフィから何の遠慮も躊躇もなくボカスカ殴られるという笑
ゾロを救おうとするコビーと、コビーの命を優先するゾロ
前回に引き続きゾロとコビーのやりとりが好きです。
ゾロの縄を解こうとしていたコビーが海軍に見つかって狙撃され、それをものすごい形相で睨み返していたゾロでしたが、コビーが生きていたことを知ってホッとする。
この表情だけでもゾロの優しさや人の良さが見て取れるのですが、
「すぐに逃げろ あいつらが下りてくるぜ」
と、自分が逃がしてもらうことよりもコビーの命を優先するところ(自分の命のことなど微塵も心配していないところ)に、ルフィと同様の頼もしさとさっぱりとした性格が感じられます。
私のような小物からすれば、海軍が来るまでまだ時間はかかりそうだから、とりあえず急いで自分の拘束だけでも解いてもらおうと考えると思うのですが笑、そうした下心や小狡さを一切見せず、コビーの命を最優先するところに、ゾロの優しさと度量が伺えます。
それに対し、銃で打たれたショックで混乱しつつも、
「いえ!!…はっ…そうだ あなたの縄を解かなきゃ…!!」
と正気を取り戻しながら、今自分がすべきことを思い出すコビー。全てコビーの独断で行動しているところがまたいい。ルフィに頼まれたからやってるわけではなく、1人で判断し、自分が正しいと思う行動に出ているところに、コビーの成長が感じられます。
ゾロ:おれはいいんだ 一か月耐えれば助かるんだから 早く行…
コビー:助かりませんよ!! あなたは三日後に処刑されるんです!!
ここの会話も一切の無駄がなく、この場面で(ゾロに急ぎ伝えるべき)必要な情報だけを端的に伝えているのが気持ちいい。
ゾロ:何 言ってやがる…! おれはここで一か月生きのびれば助けてやるとあのバカ息子が約束を…
コビー:そんな約束!! 初めから守る気なんてなかったんです だからルフィさんはあなたに変わってあいつを殴ったんだ…!!! 真剣に生き抜こうとしたあなたを踏みにじったから!!
ゾロ:……!! な…何だと……!!!?
この「な…何だと…….!!!?」には、「約束が嘘だったこと」と「ルフィがヘルメッポを殴ったこと」、どちらに対する驚きを強く含んでいると思いますか?
普通に読めば前者でしょうが、「だからルフィさんはあなたに変わってあいつを殴ったんだ…!!! 真剣に生き抜こうとしたあなたを踏みにじったから!!」までコビーに言わせた後にこのセリフを入れていることで、後者の可能性も含まれてきます。
このセリフ回しが私は味わい深くて好きです。
このやりとりは「そんな約束!! 初めから守る気なんてなかったんです」→「な…何だと……!!!?」でも成立するわけですが、ルフィについて触れた後に、「な…何だと……!!!?」と入れることで、「ルフィが自分に変わってヘルメッポを殴ったこと」に対する驚きも含まれる解釈が可能だからです。
コビー:もう海軍は あなた達の敵に回ってるんです!! お願いです!! この縄を解いたらルフィさんを助けてください!! 彼は僕の命の恩人なんです!! あなたに海賊になれとまではいいませんが
ルフィの想いと行動を伝えた上で、ゾロに真正面から助けを請うコビー。
「あなたに海賊になれとまではいいませんが」というエクスキューズを入れることで、ゾロの意志や野望にまでは踏み込まない配慮を感じさせるのがまたいいんですよね。これがあるかないかで、コビーの言葉の意味合いや伝わり方は大きく変わります。
縄を解いてやるからルフィの仲間になれとか、「ルフィの仲間として一緒に海軍と戦ってくれ」という意図はなく、ただルフィを助けるために力を貸して欲しいとまっすぐにお願いしている。
ゾロの意志や野望を尊重した上で、素直に助けを求めている。だからゾロはその言葉をそのままに受け止めることができます。
ここで「見返りに仲間になれと言われたら面倒だな」とか、「一緒に海軍と戦ったら仲間認定されるのかな」と一瞬でも思ってしまうと、ゾロとしてはコビーの「お願い」をまっすぐに受け止められなくなります。
「あなたに海賊になれとまではいいませんが」の一言があることで、そうした心配は無用である(そんな駆け引きなどするつもりはない)ことが伝わります。
これに対し、
「……」
と黙ってコビーの話に耳を向け、事態を飲み込もうとするゾロ。
この時ゾロの頭の中には、どんな思考が浮かんでいるのでしょうか。
ルフィの想いや行動に驚き、それに応える(義理立てる)必要があると思い至り始めているのか。
それともコビーから「海賊になれとまではいいませんが」と言われたことで、むしろ海賊になることまでを見据えて自分はどんな結論を出すべきかを考えているのか。
いずれにせよ、まだ結論は出してないけど、「ルフィの仲間にはならない」とはっきり断ったはずの結論が揺らぎ始めていることがゾロの表情から読み取れます。
そしてここには(「あなたは三日後に処刑されるんです!!」と言われたにもかかわらず)「本当にこのままだと処刑されるのか?」「ここでこいつに縄を解いてもらわないと殺されてしまうのか?」といった心配(打算)はゾロの頭になく、ただルフィの行動や想いを聞いたことによる「揺らぎ」だけが表現されているように私は思います。
そうした内面を想像した上でゾロの表情を見ると、このコマはさらに味わい深くなります。
こういう一つ一つの表情や「間」に込められたキャラクターの内面(を想像できること)がワンピースの魅力だったんですけどね。。今や潰れ絵ばかりで、キャラの細かな表情などほとんど描かれなくなってしまいました。
コビー:ルフィさんが強いというのは本当です!! あなた達が手を組めば きっとこの街からだって逃げ出す事ができるでしょう!! 逃げて下さい!!
「あなた達が手を組めば」というところに、ルフィとゾロの強さを認める一方、自分の無力さを受け入れているような(自分はただ縄を解くことしかできないけど、2人の力になりたいという)コビーの謙虚さが感じられます。
そこに海兵達が到着。
「そこまでだ!! モーガン大佐への反逆につき お前達二人を 今 この場で処刑する!!!」
3本の刀
場面変わってルフィサイド。ゾロの刀のある部屋にたどり着いたものの、壁には3本の刀が立てかけてあります。
ぶっちゃけ私は初見の際、壁にかけられているサーベルの方に先に目がいってしまったため、その下に並べてある3本の刀に気づきませんでした笑
この壁にかかっているのがゾロの刀かと思っていたため、次のコマで下に立てかけてある「3本」に焦点が当てられ、ヘルメッポが気絶しててどれがゾロの刀かわからないとなった際に、「ルフィはこの3本の中にゾロの刀があると思ってるけど、実は壁に飾ってある方が正解で、3本の中から選んで間違えちゃって、話がややこしくなるパターンもあるのかな…?」なんて無駄な心配をしていました。(この心配はこの後、最高の形で裏切られることになります)
ルフィがふと窓の外を見ると、磔場になんかやってる(海兵達が集まり、ゾロとコビーに銃を向けている)ことに気づきます。
「!」
「コビー!」
ここで口にするのがコビーの名前だけであることについて、どこまで意図があったのかは分かりませんが、私としてはコビーの名前だけにしたことで(この時点ではゾロよりもコビーの方がルフィの目に入る存在であることが伝わり、それによって)ルフィのコビーに対する友情が表面的ではないことが感じられるため、好きです。
コビーの方が付き合いが長いので当然のようにも思いますが、このシーンは、ルフィがゾロを認めて仲間にしたいと思い、実際に誘った後なので、ゾロを心配するセリフ、もしくは二人の名前を口にするセリフでもおかしくありません。しかしここで「ゾロ! コビー!」と並列してしまうと、会ったばかりの(仲間にする前の)ゾロが、すでにルフィの中ではコビーと同じくらい(大切な)関係性になっている印象になってしまいます。
ここでコビーの名前だけを口にすることで、(ゾロよりも)コビーと過ごした時間の方が長く、近しい距離にいる2人の関係性が感じられるわけです。
こういう(小さいながらも)2人の「友情」を感じられるセリフや描写があるからこそ、モーガン編のラストの別れや「友達」であることを確認するシーンに感情移入ができるわけですね。
まぁ単純にゾロは拘束されたまま変わっておらず、そこにコビーがいて銃を構えられていたから、「コビー!」と口に出ただけで、ゾロよりもコビーの方が関係性が深いことを表したわけではないとは思いますが笑
ゾロの過去
大量の海兵から銃を向けられ、絶体絶命のゾロは、「こんな所で死ぬ訳にはいかねェんだ…!!!」と回想に入ります。
ゾロの回想はわずか7ページ。しかしゾロの野望とそれを抱くことになったきっかけを、しっかりと理解できるよう描かれています。
この先過去回想がどんどん長さを増していくため、今読み返すとゾロの回想は短過ぎて物足りなさを感じるかもしれません。
しかし限られたページ数の中で、無駄なセリフや描写を削ぎ落とし、ゾロとくいなの関係性を描く上で必要な情報だけを厳選・抽出して描いた濃密な回想となっているため、私は今読んでも、この少ないページ数でも十分に感情移入ができます。
くいなが「家の階段で転んで」死んだという点は、いまだにネタとして使われる部分であり、実際、私も「え、(バトル漫画の世界で)家の階段で転んだだけで死んだん…?(さすがにそれは無理やりすぎては…)」と思いましたが、その後の先生(霜月コウシロウ)のセリフ、「人間は…なんて脆いんだろうね…ゾロ…」のおかげで納得できました。
この一言によって、打ちどころが悪ければ人間は簡単に死にうること、日常生活に不慮の事故が起こる可能性は常に潜んでおり、いつ誰にどのタイミングで降りかかるかわからないことを教えてくれます。
一見強引な展開には見えるものの、(少なくとも現実世界においては)この事実自体を否定する読者はいないでしょうから、端的な言葉で、きちんと読者を納得させられる説明になっていると感じます。
これが「ありえない」という感想になるのは、その後に描かれるワンピースの世界において、あまりにキャラクターが頑丈で死者が出ないことに原因があり、少なくともこの時点では、コウシロウの言う通りだと思えるので、私は十分許容範囲でした。むしろ現実世界に近い命の「重さ」や「尊さ」「儚さ」を教えてくれているとも言えます。
まだ連載スタートしたばかりで、テンポよくストーリーを進めていかなければ読者がついてくれないという事情を考えれば、仕方がない部分が大きく、このページ数でしっかり感情移入できるだけの回想を描けていることを評価すべきでしょう。
くいなの言葉に怒るゾロのセリフがまたすごい。
「おれに勝っといてそんな泣き事言うなよ! 卑怯じゃねェかよ!! お前はおれの目標なんだぞ!!!」
「ゾロ…」
「男だとか女だとか!! おれがいつかお前に勝った時もそう言うのか 実力じゃねェみたいに!!!
一生懸命お前に勝つ為に特訓してるおれがバカ見てェだろ!!
そんな事言うな!!!」
このセリフが本当に素晴らしい。
これ、凡人だと「おれに勝っといてそんな泣き事言うなよ! 卑怯じゃねェかよ!! お前はおれの目標なんだぞ!!!」→「ゾロ…」→「一生懸命お前に勝つ為に特訓してるおれがバカ見てェだろ!! もう二度とそんな事言うな!!!」というやり取りになっちゃうと思うんですよね。
ここにもう一言、「男だとか女だとか!! おれがいつかお前に勝った時もそう言うのか 実力じゃねェみたいに!!!」の一文を入れられる(この一文を考えつける)センスが素晴らしい。
何がすごいって、くいなの言い分は世の中の常識としてよく言われることで、受け入れざるを得ない仕方のない現実で、大半の読者がまずその言い分を正しいと理解できるため、彼女の悔しさに共感できる(つまりここまではよくあるセリフで、ある種誰でも書けるセリフである)一方、それに対するゾロの反論が、それを超える説得力を持つ言い分になっていることです。
「男だとか女だとか!! おれがいつかお前に勝った時もそう言うのか 実力じゃねェみたいに!!! 一生懸命お前に勝つ為に特訓してるおれがバカ見てェだろ!!」
子どもの頃はこのゾロの言い分をそこまで理解・共感できておらず、何となくで読んでしまっていたのですが、今読むとこのゾロのセリフをより深く理解できる。
くいなを目標に、くいなに勝つために努力しているゾロにとって、まだ一度も勝つことができていない今の時点でくいなから先に「将来の白旗」をあげられてしまった。まだ勝ててないのに、いずれどうせ負けると白旗をあげられてしまった。
どれだけ努力してもくいなに敵わず、いつかくいなに勝つことを目標に特訓しているゾロにとって、その言葉は「特訓なんか不要である(どうせいずれ勝てるようになるんだから)」と言われてることと同義で、それはゾロの努力の意味を否定することでもあります。
だからゾロは怒り、その考えを真っ向から否定した。
本来、くいなの言っていることは正論であるため、読者はくいなの苦悩の方に共感しそうなものです。そのため、ゾロがくいなの悔しさを理解せずに、ただ怒りをぶつけるだけのセリフになっていては、くいなを傷つけることにもなりかねない。
しかしゾロの言葉は、怒りと悔しさは含まれているものの、くいなを誰よりも認めているからこそ出てくる言葉であり、それがくいなにも(読者にも)理解できるため、心に響き、くいなに自分の考えを改めさせるほどの力を持ちました。
くいなの強さを誰よりも認め、性別など関係なく、対等な剣士として向き合っていることを、くいなの弱音を真正面から否定することで伝えている。
両者の言い分に説得力があるからこそ、どちらか一方の肩を持つことも、一方にのみ好感を持つこともなく、2人とも好きになれる。本当に一字一句、完璧で不要な言葉がなく、これ以上ないほどに洗練されています。
「約束しろよ!!! いつか必ず おれか お前が 世界一の剣豪になるんだ!! どっちがなれるか競争するんだ!!!」
こうして、くいなが(女だからという理由で)世界一の剣士になることを諦めることや、自分を磨き高め続けることをやめることをゾロが止めているわけです。
もう最高だよゾロ。。
セリフ読んでるだけで泣けてくるよ。
「…!! バカヤロー…!!」といいながら涙を拭い、「弱いクセにさ」と泣き微笑みながら返すくいなも最高です。
この言葉が、ゾロと生涯のライバル関係になること(女であることを言い訳せずに共に高みを目指し続けること)の決意の表れとなっています。
くいなが死なずにゾロと2人で世界一の剣豪を目指して高め合っていく世界線も見たかったなぁと思わせてくれるくらい、2人の関係性にはグッときます。
この短いページ数でここまで心に響くとは…。密度の高さと描写の持つパワーが段違いです。
ゾロとコビーを庇い、銃撃を全身で受け止めるルフィ
ヘルメッポの部屋から飛び立ち、ゾロとコビーの前に現れて銃撃を全身で受け止めるルフィ。
「効かーん!!!!」
「んなっはっはっは!!!」
銃弾を弾き飛ばすことで「ゴムゴムの実」の特徴(魅力)と強さが同時に伝わり、豪快に笑うルフィから海軍を微塵も恐れていない強者感が伝わってきます。
この後、
「てめェ…!!! 一体何者なんだ!!!」
というゾロの問いに対して、
「おれは海賊王になる男だ!!!」
と答えるのは、(当時から)ちょっと答えがズレていると感じていてしっくりこないと思っていました。
ここでのゾロの「てめェ…!!! 一体何者なんだ!!!」という質問は、「なんで銃弾を弾き飛ばせるんだ(銃弾が効かないんだ)」という意味での「何者」であって、ルフィの将来の姿を問うているわけではないからです。
しかしながら、ここでゾロの質問の意図に沿って「ししし おれは“ゴムゴムの実”を食ったゴム人間だ」と答えるのもなんかちょっと違うんですよね。色々試行してみた結果、やはり「おれは 海賊王になる男だ!!!」というセリフが一番ハマることがわかりました笑
「三刀流」という予想外の個性
「ほら! お前の宝物どれだ? わかんねェから3本持ってきちゃった」
「三本ともおれのさ…おれは三刀流なんでね」
当時「るろうに剣心」にハマっていた私は、剣士(剣客)の持つ刀は1本が典型で、せいぜい二刀までという固定観念があったため、この結論には驚きと興奮を覚えました。
先に触れた通り、「3本の中からゾロの刀じゃないのを選んじゃって、話がややこしくなるパターンもあるのかな…?」と思っていたところ、「わかんねェから3本持ってきちゃった」と全部持ってきたところにまず「そうか全部持っていけばいいだけか…笑」と自分の考えの貧弱さを恥じ、そこから「じゃあこの3本のうちゾロの刀はどれなんだろう」と思ったところに、「三本ともおれのさ…おれは三刀流なんでね」と明かされたため、さらに度肝を抜かれる結果となりました。
今でこそワンピースのヒットにより「三刀流」が普通の言葉として浸透していますが、当時は(少なくとも私の頭の中には)三刀流などという発想は全くなかったので、ここでもこの個性の作り方、特徴の出し方に驚いたものです。(ちなみにこの驚きがあったからこそ、エニエスロビーでのカクの「悪いが 四刀」のセリフもめちゃめちゃ好きです。CP9の設定と個性を活かす最高のセリフだなと思います)
このシーンに私ほど興奮している読者はいないだろうと思いますが笑、私は上記の勘違いがあったこともあって、「わかんねェから3本持ってきちゃった」→「三本ともおれのさ…おれは三刀流なんでね」のやりとりにめちゃめちゃかっこいいと思ったんですよね。セリフも端的で、「三刀流」という個性を即答する描き方も素晴らしい。
ゾロが仲間に
「ここでおれと一緒に海軍と戦えば政府にたてつく悪党だ このまま死ぬのとどっちがいい?」
「てめェは悪魔の息子かよ…まァいい…ここでくたばるくらいならなってやろうじゃねェか…海賊に!!!」
何度読んでもシビれます。鳥肌が立つレベルでカッコいい。
このシーンがなぜここまで響くのか。ストーリー漫画においてはごく当たり前の点ではあるのですが、ここに至るまでに、以下の描写を入れていることが重要なポイントになっています。
- ゾロが真相を(コビーから)聞かされるシーン。
- ゾロの回想でのくいなとの約束のシーン。
一つ目は、「ヘルメッポの話が嘘であったこと」「それにルフィが怒り、ゾロの代わりに殴ったこと(=ゾロのために海軍に一人ケンカを売ったこと)」「海賊王になるというルフィの野望」をコビーの口から聞かされ、ゾロが驚き、黙ってコビーの話に耳を向けながら、何かを思案する様子(間)を描いていることが重要です。
ここでコビーの打算や駆け引きのない様子とともにルフィの話を伝え、素直に助けを求めたことで、ゾロはルフィとコビーを認め、「はっきり断ったはずの仲間話の結論が揺らぎ始めている」、あるいは「海賊の仲間になる選択をリアルに考え始めている」ことが伺えます。この「間」(心理変遷の経緯)を先に描いていることが重要です。
後者は言わずもがなで、くいなとの「約束」を感情移入できる形で描き、ゾロが「ここで死ぬわけにはいかない理由」に説得力を持たせられていることが重要です。
要するに、ただ「銃を突きつけられて絶体絶命のピンチ(だからルフィの仲間になることを決断する)」という描き方ではなく、
- ルフィの人間性や野望(器)を知り、ルフィを認め、ルフィの仲間になることを受け入れるに至る経緯
- 自分の野望を果たすために「死ぬわけにはいかない」というゾロの事情
この2点が(説得力のある形で)先に描かれているからこそ、ゾロが「まァいい…ここでくたばるくらいならなってやろうじゃねェか…海賊に!!!」という決断をすることへの感情移入が強まるわけです。
上記のどちらが欠けても、ゾロのこのセリフは物足りなくなってしまいます。
前者しかなければ「それだけで仲間になるなんて簡単すぎんか?」となりますし、後者しかなければ「自分の都合だけかい(いつ裏切るかわからんな)」となってしまう。
ルフィを認めた上で、自分の野望の為に死ぬわけにはいかないからこそ、名前の浄不浄へのこだわりを捨ててルフィの仲間となって野望を果たすことを決断した、という描き方だから、この決断に重みが出るわけですね。
ルフィの誘い文句に対して「悪魔の息子かよ」と不敵な笑みを浮かべてぼやきながらも(一応ツッコんでおきながらも)、もう腹は決まっているため「まぁいい」とすぐに受け入れるセリフもいい。
こうしてゾロが仲間になることが確定し、次回のサブタイは“1人目”です。
私の中で「ワンピース」は「史上最も好きな漫画」であり、まだ「前半の海」での評価の貯金が残っているからです。
ワンピースが大好きだったからこそ、この先改善されることを(いつまでも)期待して読み続けてしまっているわけです。その期待や熱量がゼロになったら読まなくなると思います。
実際「エッグヘッド編」以降、つまらなさが許容量を超えてきており、熱量は急速に冷めてきています。コミックスも104巻からついに購入をやめました。
ジャンプは購読して読み続けていますが、これもお金の無駄だと感じるようになったら卒業するかもしれません。
ニーズがあるからです。
上記の通り、最初は「史上最も好きな漫画」であったことから、(この先つまらないワンピースとして残りのエピソードが削られていくことに耐えられず)改善されることを願って批判をしてきましたが、もはや作品は崩壊し切ってしまったため、今は改善を期待しているわけではありません。
ただ、ワンピースという作品は、日本一売れている漫画だからこそ、熱量の高い(高かった)読者も多く、私と同様に「つまらなくなってしまった」と感じ、それを無念に思い、不満や釈然としない気持ちを抱えている読者の数も多いのです。
そういう方達にとっては、自分の気持ちを代弁してくれる記事や、自分の本音の感想をコメントして、同様の感想を抱いている方達と共有できる場には一定の価値があり、そうしたニーズに応えることにもまた一定の価値があると思っているため、運営を継続しています。
ニーズがあるからです。
ブログのようにテキスト情報だけ(それも超長文)だと、文章を読み慣れていない人にはハードルが高かったり、読む気にならなかったりする(実際、そのような声やリクエストがあった)ため、記事を動画化してYouTubeに投稿することにしました。
もっと批判や誹謗中傷コメントで溢れるかと思っていましたが、(ブログ読者の方に限らず、新規の方でも)共感し、更新を楽しみにしてくださっている方が相当数いて、ここにもニーズがあることがわかったため、運営を継続しています。
余計なお世話としか言いようがありません。
自分の人生の時間の使い方は自分で決めます。
あなたこそ、見ず知らずの他人の人生に意見するような無駄な行為に時間を使うのはやめたほうがいいのではないでしょうか?
他人の人生に口を出す前に、どうぞ自分の人生の心配をしてください。
論理が破綻しており、全く筋違いな言い分です。
プロの作家が商業作品として世に販売している時点で、それを購入した側が評価したり、感想を述べたりするのは当然に許された権利です。
私は読者(消費者)であって、漫画家ではありません。漫画を描きたいわけではなく、面白い漫画を読みたいからお金を払って購入している立場であり、購入した作品の内容に不満があるから、批判的な感想を述べているわけです。
あなたはお金を払って観に行った映画が酷い仕上がりでも、「自分に映画は作れないから文句は言えない」と考えて口をつぐむタイプですか?
購入したゲームがクソゲーでも、「自分では作れないから文句を言う資格はない」と考えるタイプですか?
お金を払って観に行った音楽ライブで、アーティストが音を外したり声が出てなかったり歌詞を間違えまくったりして全く感動できないパフォーマンスを披露しても、「自分のほうが歌が下手だから批判すべきじゃない」と思うのでしょうか?
飲食店でマズい料理を出されても、「自分で作れないんだから(店を開いてないんだから)文句を言う権利はない」とか、「文句を言えるように、まずは自分で作れるようになろう(店を出せるようになろう)」と思うのでしょうか?
市場に商品として投下されている時点で、それを購入した消費者からの評価は避けられません。作り手はそれを分かった上で、自らの意志で作り手側(買い手から評価される立場)を選んでいるのです。
一方の消費者は、自分ではできないからこそお金を払って人に任せているのであり、そこで期待したクオリティに達していなかった場合に、低評価を下したり、批判したりするのは当然に許された権利です。
「購入した商品について批判するためには、自分がその商品以上のクオリティのものを作れなければならない(文句を言うなら自分で作れ)」なんてあまりにも本末転倒で筋違いな暴論です。
頭の悪い人だとバレてしまうので、金輪際そうしたコメントはしない方がいいですよ。
尚、私がこのブログで批判しているのは、基本的に尾田先生(漫画家)ではなく、担当編集者です。編集者視点で、「なぜこの部分を直さないのか」「なぜこの内容でOKを出してしまうのか」という批判をしているのです。
その意味でも「文句言うなら、自分で描いてみては?」という主張は的外れですが、もし「文句言うならお前が編集者をしてみろ」と言われ、実際に依頼をしていただけるのであれば、私は喜んでお受けします。
そして、私が編集者になった後のワンピースがつまらなければ、当然批判も受けとめます。
その覚悟を持って(編集者を)批判していることをご理解いただければと思います。
心配しています。
このブログでは、基本的に尾田先生ではなく、担当編集者を批判するスタンスをとっており、尾田先生の健康や多忙を心配するコメントを過去に何度もしています。
なんなら長期休載に入ることや、連載ペースを落とすことを推奨している立場であり、そうした対応をせずに原作以外の仕事を次から次へと振りまくって尾田先生に負担をかけ、作品の劣化を放置し続ける編集者を批判しているのです。
なぜなら、1人の人間が週刊連載で何十年も面白い作品を(世間とのズレを生む事なく)描き続けることなど、そもそも不可能だからです。肉体的に困難なのはもちろん、作者1人の感覚で何百万人という読者の感覚とズレることなく、質の高い作品を描き続けることなどできるはずがないのです。
そのズレを正すのが編集者の役割であり、作品の質を維持するためには編集者の客観的視点が不可欠だというのに、全く機能していないことが露骨に作品に出てしまっており、にもかかわらず原作以外の大量の仕事を振って尾田先生からネームや作画の時間を奪い続け、作品の劣化に歯止めがきかない状況を進行させているため、その点を指摘して批判をしているわけです。
尾田先生の健康面の心配はしていますし、「作品への批判」と「健康面への心配」は両立するものです。
思いません。
「少年漫画」だから大人の観賞に耐え得るクオリティになっていなくて当然(あるいはそれでも問題ない)という考え方は、「少年」の読解力や感性を「(自称)大人」の勝手な思い込みと偏見で侮り、間接的に「少年漫画」を見下していることと変わりません。レッテルに囚われた思考停止人間の典型です。
少年を侮り、少年漫画を見下し、少年漫画のファンとして感想を述べ合う大人達を「異常」だと言ってのける人間のほうが、よっぽど異常だと私は思います。
読者アンケートの順位は相対的なものなので、「1位のままだからワンピースは劣化していない」という論理は成り立ちません。
ワンピースがどれだけつまらなくなっても、他の作品が抱えているファン数がワンピースよりも少なければ、ワンピースは永遠に1位のままです。「アンケート回答するファンの数=作品の絶対的な面白さ」ではありません。
ワンピースは「前半の海」で蓄積した熱狂的ファンがあまりにも多いので、ジャンプのアンケート回答においては、今度もほとんど1位をとり続けるでしょう。
私の中で「信者」の定義は、「何を描かれても無条件に絶賛し、全て肯定的に解釈して作者を持ち上げる読者」を指しています。
そのため「つまらない部分やおかしいと思う部分は多少あれど、普通に面白いし楽しめている」とか、「前半の海よりも面白さが失われたとは思うけど、新世界編も総じて楽しめている」といった読者は、私の言う「信者」には含まれません。
作者にとって有害かどうかは作者が決めることですので、本人に聞いてみてください。
ただ「つまらない」「くだらない」「ゴミ」「読む価値がない」「お金の無駄」「オワコン」「資源の無駄」といった捨て台詞で、作品を貶めるだけの(ほとんど誹謗中傷でしかない)批判は「有害」だと思いますが、きちんと作品を読み込んだ上で、「なぜつまらないのか」「何が問題なのか」を考え、「どうすれば改善されるのか」まで提示した上で行う「論理的な批判」は、(作者個人は求めていないにせよ)私は「有害」とは思いません。
というより、そうした批判を行う権利は誰にでもあるので、それが有害かどうか議論すること自体がナンセンスです。
それこそ「嫌なら読まなければいい」のです。
煽り体制が低いのは事実ですが、勘違いコメントや難癖コメントを放置すると、それを見た方に誤解を与えたり、場が荒れたりしやすく、早々に対処しておく必要があるため、説明なり反論なりをしています。
えてしてそういうコメントをする人ほど、放置するとそれを「肯定」と見做して、さらに誤解を強めて暴走しやすい傾向にあるからです。
たとえば「煽りコメントにだけ返信してねェw 効いてる効いてるww」とか「図星だから反論できねェんだw」とか「何も言い返せないから逃げやがったww 悔しかったら反論してみろやww」のような言い分です。(そうなると対処にさらに時間がかかるので、早めに処理しています)
また、私への直接的な質問系のコメントやうれしいお言葉にも、できるだけ早めに答えるようにしています。
記事への感想や建設的なコメントについては、読者さん同士でコメントやリアクションをしていただけているので、慌てて私がコメントせずにおまかせしている部分もあります。私がコメントするとそこでやりとりが終わってしまい、読者さん同士の会話が生まれづらくなったりもするので。
色々状況を観察しながら、よいコメント欄になるよう運営していきたいと思っています。
この頃は人の耐久力は割とリアルに設定してたんすかね?くいな家の階段から落ちて死ぬしロロノア・ゾロも9日食わないと極限だったとか言うてるし。
回想を入れるタイミングやシーンを見せる順番で読者に与える印象が全然違うっていうのは、自分で読むときには意識しないポイントなのですごく面白いです。指摘されてなるほどなぁと思います。同時に、こういうことに気を遣いながら作品を作るのは、ものすごく大変な苦労なんだろうとも思います。何十年と続く週刊連載で、そこまで気が回らない時期があっても仕方ないのかもしれませんね。いずれにせよ、尾田先生には序盤を読み返してもらって、当時作品に込めた細やかな心配りや情熱を思い出してほしいです。
>こういう一つ一つの表情や「間」に込められたキャラクターの内面(を想像できること)がワンピースの魅力だったんですけどね。。
わかります。私もワンピースの「……」「……!」とか表情だけで語らせるコマ好きでした。キャラクターが丁寧に描かれているから、それだけでキャラの感情や秘めた思いが想像できるんですよね。
コビーや幼少ゾロが必死に訴えかける時のセリフもいいなぁ~
昔のワンピって、長台詞でもすっと頭に入ってくるし「…」「!!」とかの使い方が絶妙で、喋ってる時のキャラの息継ぎまで伝わってくるような実感のこもった台詞回しがほんとに好きでした。
ゾロが仲間になるのに
・ルフィの人間性や野望(器)を知り、ルフィを認め、ルフィの仲間になることを受け入れるに至る経緯
・自分の野望を果たすために「死ぬわけにはいかない」というゾロの事情
の2点が必要だったというのは考えもしませんでしたが言われてみれば納得がいきます。
半ば脅される形で仲間になったのに違和感を覚えなかった理由がわかりました。この頃の尾田先生の物語構成は素晴らしいですね。
この話のコビーは好きだったな……と懐かしく振り返らせていただきました。恐怖に打ち勝って自分がやるべきだと思ったことをするコビーの輝きが台詞の一つ一つに宿っているように思います。
また、ゾロが仲間に入る時のやり取りは私も大好きです。
私はそれまでルフィに「ぶっ飛んでる、痛快」という印象を持っていてあまりかっこいいとは感じていなかったのですが、強い信念を持ったゾロと並び立つことでルフィのかっこよさも引き立つように感じました。個人としても魅力に溢れていながら主人公の魅力も引き立てる、なんてすごいキャラが出てきたんだ……!と興奮したのを思い出します。
このテンポの良さが素晴らしいですね!
信じられないほど爽やかで、ゾロの加入は今でも大好きなエピソードです(というか仲間入りエピソードは全部好きですw)。
今のワンピースと違うなと思うのは、おにぎりのくだりと磔になった経緯を前話で先に見せ、ゾロのピンチで自然と回想に入る所です。読者は彼が噂されるほどの悪人ではないと分かっているのでスムーズに感情移入できるのが良い。
今の回想も駆け足ですが、構成力が全く違う。
そしてここから6話でルフィはゴムだから!と銃弾も効かない能力を初お披露目しつつ、ゾロの三刀流というこれまた珍しいテクニックを披露、そこからそのまま満を持してモーガンと相対する!
このゴングが鳴るまでの駆け上がり方がとにかく気持ち良く、ワクワクします。
なべおつさんの感想の続きも楽しみです!