ホーム › 掲示板一覧 › ワンピースについて語る場 › かつての尾田先生ならどう描いたか?
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亡霊2号ゲスト
「輝かしい時代の尾田先生並びに編集者の方々であれば、現在に至るまでのワンピースをどのように描いたか?」というテーマで語っていくトピックです。
皆さま違和感を感じ始めたタイミングは違えど、なべおつさんのブログを見られているということは現在のワンピースと大好きだった頃のワンピースに大きな隔たりがあると感じられていることかと思います。
編の内容が変わるというだけでなく、各編の並び順、構成が大きく変わるところまで、様々な想像をして楽しんでいければ幸いです。 -
亡霊2号ゲスト
立てただけではなんなので、まずは個人的に構成上最もクリティカルだったと思う点と、かつてのワンピースならどういう風にこなしただろうかという予想を挙げさせていただきます。
現在、特に二年後以降の引き延ばし感やダレの原因の大きな一つとして、エニエスロビー編の存在があるかなと。
この編でルフィは一味を率いて世界政府という、ワンピース世界で最も大きな組織にケンカを売るわけです。
もう後には退けないし、スパンダムの言う通り世界中の国々への宣戦布告行為となり、物語のスケールが一気に広がる…はずなのですが、その後の冒険はむしろ小型化を辿ります。
RPGで言えば、魔王城に攻め入ったのになぜかまたフィールドにいたようなボス(七武海)と戦って、しかも四天王は魔王と一切関係ない他所属のボス(四皇)という動線の不可思議さ。
これは物語の勢いをそぎ、初期のワンピースにおいて非常に重要な要素であった自由な空気や冒険のにおいを打ち消してしまう結果につながったと考えています。シャンクスの自由と偉大さに憧れ冒険に出た一人の男の話をしたいのであれば、現在のような形の世界政府を登場させてラスボスにするのはテーマがブレる悪手ですし、反対に差別や圧政からの解放をどうしても主題にしたいのであれば、エニエスロビー編は最終盤にして、せめてあの有名なコマで一味が全員並び立たなければならなかった。
ラスボスに啖呵を切るのに、その場に存在すらしていなかったクルーがいるのは致命的です。
あのタイミングで政府とロビンの話を持ち出してしまった以上は世界の謎の話に繋がるのは当然ですし、それ以降に仲間になったメンバーは、そういった謎には興味がない主人公と共に目的がよく分からない旅を長々と続ける羽目になってしまう。
長くなってしまいましたが、かつての尾田先生や担当編集であれば、こうした大枠のプロットでも取捨選択を行い、シビアに詰められたのではと考えております。 -
海老ゲスト
物語の構成から見たとても面白い視点だと思います。
確かに、敵が謎を抱えた政府である以上、それを今後描いていかなければならなくなりますね。古代兵器、ポーネグリフ、巨大な王国etc…
その謎が明かされるまで読者は「別にそんなことに興味ないルフィ達の冒険」を見ることになるので、いわば作者のGOサインがあるまで放置されてしまう…。勢いをもって謎を明かすのであれば、確かに最終章こそが相応しいかもしれませんね。
空島編のように、冒頭の謎(空から降ってくる船、突然来る夜、巨人の影)をその長編の最後に回収するような、いわば映画的なまとめ方だとスッキリするんですが…。テーマも本当に重要だと思います。それを一貫することも。
ルフィの原点は憧れの追求、作風は冒険譚、キャラクターは人間らしく…ずっとこうであって欲しかったですね。
作者や編集の手腕を疑うことになるとは、当時は思いもしませんでした。-
亡霊2号ゲスト
ありがとうございます。
夢中で読んでいた頃の自分も、まさかあの尾田先生に苦言を呈したくなる日が来ようとは夢にも思っておりませんでした。テーマについては本当に仰る通りで、個人的には四皇という肩書をルフィやシャンクスに持たせることも不要だったと感じているくらいです。
キャラクターの人間らしさと言えば、特に初期の特徴として名無しのモブすら人間味があるという凄まじさがワンピースの美点でした。
オレンジの町の町長さんなんかも、未だに印象深く覚えている方も多いのではないでしょうか。
二年後以降の麦わらの旗をいつまでもありがたがっている人々と、一度は助けられ、というより一味と共に立ち上がって戦い自分たちの足で歩きだした町々や国の人間的な誇りや自立は比べるべくもなくなってしまったと感じてしまい、残念でなりません。
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