1050話で、1年4ヶ月に及ぶルフィvsカイドウの戦いに正式に決着がつきました。
1046話あたりから、1050話に合わせて意図的に引き伸ばしている(としか思えない)状況が続いていたため、そうまでして調整した「こだわりのキリ番」である1050話では、どれだけ衝撃的な展開や新展開、伏線回収がなされるのか、期待していた方も多いのではないでしょうか。
私としては、頂上戦争の終盤のような怒涛の展開が始まり、一気に物語のテンポが変わる(少なくともその前兆が感じられる)ことを期待していました。
しかし期待は見事に裏切られ、依然としてうすーく引き伸ばしただけで内容がなく、話がまったく進まない退屈な1話となりました。
サブタイトルも「誉れ」で、インパクトもキレも深みもない。
え、この1050話を描くために、わざわざバトルの決着を間延びさせたの…? と本気で疑問に思いました。
そして1050話を読んで、尾田先生はキリ番に合わせて引き伸ばししていたわけではなく、単に面白い漫画を描く能力やセンスが衰えて、今のテンポが平常運転になってしまったのかもしれないと思いました。
編集者が指摘して矯正しない限り、今後もこのテンポの悪さは変わらないでしょう。そしてこのテンポのまま進むとしたら、「あと5年」の宣言は間違いなく守られません。
もちろん守る必要はないんですが、このまま「描くべきことを描かずに不要なシーンばかり描いて間延びさせる」ような内容では、読者離れはより一層進むでしょう。
連載初期から「史上最も好きな漫画」として毎週追っかけてきた私でさえ興味を失いつつあるんですから、普通の読者はとうの昔に離脱しているはずです。
これまで熱量の高かった読者もどんどん離れていき、一部の盲信的なファンと、その人達に向けてビジネスをしている考察者達しか読まなくなって行くのではないでしょうか。
とはいえ「盲信的なファン」の数が多いので、ジャンプの人気順位が落ちたり、打ち切りになったりすることはないと思いますが、ジャンプ黄金期であれば、5〜6番手レベルの読者数になっていくと思います。
目次
1050話がつまらない理由
四皇の敗北を「図解」で説明
開始早々、カイドウとビッグ・マムがマグマに落ちたことを断面図で「説明」するという、迫力も爽快感も得られない手抜き描写が披露されます。
↑「ドボン!!」とありますが、この絵では何がどうなっているのか全くわかりません。断面図との続き絵だから、
↑こういうアングルで描いているのでしょうか…?
あるいはマグマに落下した様子を、真上(真俯瞰)で描いているのでしょうか?
しかし「ドボン!!」と落ちた絵を真上から描いているとしたらカイドウの体勢がおかしいし、落ちた時のマグマのしぶきも描かれていないので不自然です。
やはり断面図の続き絵として横から見た絵を描いているのでしょうか…
いずれにせよ「ドボン」感はなく、この絵からでは何がどうなってるのかさっぱりわかりません。
まぁ尾田先生は「何となくマグマに落ちたことがわかってくれればいい」くらいにしか考えていないと思いますが、絵の表現力が大幅に落ちている(もしくは時間がないから手を抜いている)ことは明らかです。
きっと地面を貫通して地中深くマグマ溜まりまで到達し、マグマに落ちる様子を、絵で表現することができなかったのでしょう。
実際、最近は言葉による「説明」やアシスタントが描いた綺麗な背景に頼るばかりで、新たな構図や描写への挑戦が全く見られなくなってしまいました。
ほとんど過去に見たことのある絵のつなぎあわせで構成されています。
四皇の最後のシーンをこんな曖昧でいい加減に描いちゃうんなんて残念でなりません。
ちなみに、冒頭でわざわざ「カイドウの穴」と「ビッグ・マムの穴」が綺麗に垂直で隣り合わせになっている説明を入れているので、
↑この絵も初見では左側がビッグ・マムで、右側がカイドウなのかと思っていました。
しかしよく見ると、どう考えても左はビッグ・マムのシルエットではないですよね。カイドウが羽織っていたマント(?)でしょうか。
なぜマントが距離を開けて横に落ちてるのかわかりませんが、この絵1つとっても、読者に伝わる絵を描くことを諦めていることがよくわかります。
また右側のカイドウは拳を握りながら仁王立ちの姿で頭から突っ込んでおり、フィギュアをそのまま落としたような動きのない絵で、ギャグシーンとしか思えない恥ずかしい沈み方をしています。
「ボコボコ」という効果音がついているものの、全くボコボコしていない。
尾田先生が描く「自然物」の表現がすごく好きだったのに、ここまで表現力が落ちてしまった(あるいは手抜きで済ませるようになった)ことに愕然としてしまいます。
もし生死を曖昧にするために、あえてよくわからない絵にしてるのだとしたらもっとひどい。物語も終盤に入っているというのに、未だに「結果」を描くことから逃げ、先送りにする描き方ばかりしていることに呆れてしまいます。
実際、ビッグ・マムがどうなったのかも、1050話では明確にはわかりません。
仮に、左側がビッグ・マムだとしたら、2人仲良くそろって隣同士でマグマの中に沈むという、四皇とは思えない情けない最後を迎えたことになります。
10話も前に地中に沈められたマムが未だにマグマの中の視認できる位置に浮いてるのもおかしな話。
決着がついたというのに謎が深まるばかりで、何も確定させてくれない曖昧な描き方です。
だからスッキリできない。
ヤマトが読者に媚び始める
気絶して落下してきたルフィを受け止め、顔を見つめながら「ふふ」と笑顔を見せるヤマト。
もうありえないんですよねこのリアクション。。リアリティがなさすぎます。
幼少期から虐待を受け、束縛され、自分の生き方を選ばせてもらえず、憎み続けてきた父親を倒してくれたルフィを見て、「ふふ」と笑顔で小笑いするようなうっすいリアクションになるでしょうか。
満身創痍の死闘の末、「四皇」である父を倒したルフィを見たら、「よくやってくれた…」という安堵の表情とか、「まさか本当にあのカイドウを倒すなんて…」という驚きの表情とか、ようやく自由になれることを思い感慨に耽る表情とか、ともかくもっとシリアスな、真剣な表情になるはずなんです。
なんでこんな媚びた表情をさせるのでしょうか。
まるで「あのカイドウを倒したとは思えない少年のように無垢な寝顔をしているね、ふふ」とか、「カイドウを倒してくれてありがとうルフィ 君のかっこよさに惚れてしまったよ、ふふ」とでも言いたげな表情です。
ヤマトの人気が高いから、ルフィに女性らしい可愛い表情を向けて、読者に媚びているようにしか見えないんですよね。
この無意味な媚びリアクションのせいで、せっかくの勝利後の余韻も台無しです。
カイドウ撃破の感想が小学生レベル
その上、ヤマトが発した言葉は
「すごいよキミ達!! ほんっっとにすごいっ!!!」と語彙力ゼロであり得ないほど薄い。
1年4ヶ月にも渡って描いてきた、ワノ国20年に及ぶ戦いの勝利に対するコメントが「すごいよキミ達!! ほんっっとにすごいっ!!!」って…
お前20年何考えて生きてきたんだ笑
もっと意味のある言葉吐けないのかよ。。
ヤマトのこれまでの人生やこの戦いに賭ける思いが、一切反映されていないクソみたいに幼稚なセリフです。
尾田先生自身、そもそもの戦いの理由や、キャラ達それぞれがこの戦いにどんな思いで参加し、戦い、向かい合ってきたのかを全く想像できていないようです。
登場人物達の心情を想像すること、キャラクターになりきることを放棄して(サボって)、ノリで描いているとしか思えないセリフの数々。
ルフィがクロコダイルを倒した時のビビや、ルッチを倒した時のロビンが、「ふふ」とか「すごい!! ほんっっとにすごいっ!!!」なんてリアクションをすると思いますか?
きちんと各キャラがそれまでの人生で味わってきた苦悩、困難、絶望を乗り越えた勝利であることが反映された言葉を書いてほしい。
実の父親でありながら、殺したいほど憎んでいたカイドウを倒し、解放してくれたルフィに対して、こんなうっすい言葉を送るなんて信じられません。
こんなセリフでは、まったく決着シーンが締まらない。
どうしてここまで心動かされない薄っぺらい作品になってしまったんだワンピースは。。
また、その後のモブ達による勝鬨を上げるセリフも、四皇を2人討ち取ったとは思えない薄さです。
「生きて帰るなんて思わなかった!!」という安直なセリフによって、これまでの戦いが台無し。命を賭して、死を覚悟して戦に臨んだ武士が、勝利直後に「生きて帰れるなんて思わなかった!!」なんてセリフ吐くと思いますか?
まるで一般市民がムリヤリ戦場に駆り出され、命からがら逃げ回って、何とか生き延びた後のようなセリフです。
無事に帰った後、家族に対して吐くのであればまだわかりますが、ルフィとカイドウの戦いを生で見ていたわけでもなく、カイドウの死体を見たわけでもないのに、口づてに勝利報告を受けただけで、「生きて帰れるなんて」とすでに帰れた気になっている甘さに反吐が出てしまう。
実際、カイドウ軍の残党はまだ生きているんです。
戦場における武士の覚悟って、そんなに甘いものなんでしょうか。。
こういうリアリティを失わせるだけの無意味なセリフを、なんで削れないんでしょうか。
不要なシーンばかり丁寧に描く
大切なキリ番(のはず)の1050話で、なぜか見開き含めて約4ページも割いて、おトコと飛徹のやりとりが描かれます。
何が描かれたかと言えば、
1047話で飛ばされていた「空船」に書いた言葉が、実は「お父ちゃん あいたいな」から「お父ちゃん ありがとう」に書き換えられていたことを説明するだけ。
1050話で、絵的にもセリフ的にも間的にも尺的にももっとも丁寧に描かれているのがこのシーンなんです。
なにそれ。。
この2人のやりとりなんて「ワノ国編」において最も重要度の低い(引きの弱い)シーンの一つなのに、何度も何度も似たようなシーンを描いてくる上、引っ張りに引っ張った1050話のメインに持ってくるってマジでなんなのでしょうか。。
読者が読みたいものをまったくわかっていない。センスのかけらもありません。
おトコと飛徹はキャラデザ的に単純で描くのがラクだから、ここの尺を増やして作画時間の短縮に利用したんでしょうか。
カイドウがマグマに落ちるシーンや、ビッグ・マムがすでにマグマに沈んでいる様子を迫力あるように丁寧に描いていたら、めちゃめちゃ時間かかりますからね。
もちろん、康イエの件もあるので「空船」に願いを乗せるシーンは丁寧に描いていいと思います。でもね、あれだけこだわった(ように見える)キリ番である「1050話」のメインに持ってくるような話ではないでしょう。
1049話までに描いておけよと思わずにはいられません。
というのも、火祭りやおトコ&飛徹のシーンは、「鬼ヶ島」の戦いの間に幾度となく差し込まれてきたからです。
993話で火祭りが始まり、
1016話で飛徹がおトコに「火祭り」の目的を説き、
康イエについて触れ、
1026話では飛徹がおトコに祭りが楽しいかどうかを確認し、
1037話で空船の準備が始まり、
1047話で空船を飛ばし、
「お父ちゃんに届け〜〜!!」と見送る。
その後、1048話、1049話でも、空船を飛ばして空を見上げながら、ドンチャンドンチャンと祭りを楽しむ村人達が繰り返し描かれます。
993話から1050話までの57話(1年7ヶ月)もの間、合計8話にも渡って(棒立ちで会話するだけのおトコと飛徹にスポットライトをあてた)火祭りの様子が延々描かれてきたわけです。
なくても問題ない(もしくは一つにまとめられる)余分なシーンがあまりにも多すぎる。
火祭りのシーンが挿入されるたびに、なんでこんないらんシーンをしつこく差し込んでくるんだろう…最終的に「必要なシーンだった」と思える伏線にでもなってるのかなぁ…と思いきや、まったく必要ない蛇足シーンのまま終わってしまいました。
その「無駄」の集大成を1050話にぶつけてきた、というわけです。なんなのそれ。。
1050話でここまで丁寧に空船を描くなら、今までの火祭りのシーンの大半は不要です。十分1〜2話にまとめられた内容でした。
だって構成上、「鬼ヶ島」の戦いと全くつながってないんですもん。
ただオロチとガイドウに苦しめられた民衆が、火祭りの(誰も死なない)1日を楽しみ、明日も生きるために願いを込めた空船を飛ばしただけ。
誰一人「鬼ヶ島」での戦いには気づいておらず、まるで別世界を生きてるかの如く、完全に空間が分離した状態で描かれています。
もちろん、時系列的に「鬼ヶ島」での戦いと「火祭り」は並行して描かなければならないので、ちょくちょく都の様子を描く必要があるのはわかります。
鬼ヶ島の壮絶な戦いと、(鬼ヶ島落下の危機が迫ることに)全く気づかず祭りを楽しむ人々、という対比を描く必要もある。
しかし、それなら祭りの開始と終盤だけ描けば十分です。何の進展もない、あってもなくても変わらない祭り中盤の様子なんざ描く意味がありません。
だって最終的に、鬼ヶ島の接近にもルフィとカイドウの戦いにも、誰一人気づかないまま終わるんですもん。クライマックスに関わってこないのに、なぜこんなに繰り返し丁寧に描く必要があったのでしょうか。
993話の火祭りの開始と、1016話のおトコと飛徹のやりとりを1つにまとめ、1026話の内容は不要なので丸々カットし、1037話、1047話、1048話、1049話、1050話の内容を1つにまとめればいいだけです。
実際、8話にも渡って小出しにしながら描いた結果、空船を飛ばしたあたりの時系列がわかりづらく、読者の混乱を呼ぶものになっています。
1047話で「お父ちゃんにとどけ〜!!」と空船を見送っている時、まだ「鬼ヶ島」は浮いているので、ルフィはカイドウを倒していない状況です。
で、1050話で描かれた空船の文字を変えるシーンは、枠外にトーンが貼られているので、時間的に「少し前」を意味しています。
しかしその後、空船を飛ばしてみんなで空を見上げているシーンでは、(トーンがなくなり)現在の時系列に戻っている。
つまり、町民達は空船を飛ばしてみんなで空を見上げているのに、「鬼ヶ島」の接近には気づくことなく、上空で雷がバリバリ音を鳴らしている中、空船の文字を書き換え、ルフィがカイドウを「ドッカァン!!!」と轟音を立てて殴り飛ばし、マグマ溜まりまで到達するほどの勢いと威力で地上に叩きつけ、「ズボボボボ」と地中を貫通しているというのに、その音にさえ気づかず、全員が呑気に空船を見送っているということです。
何それ。。どんな茶番なの。。
1027話の時点で、「もう5分も経たずに到着してしまう」というくらい近づいていたんですよ?
モモの助が“焔雲”を引っ張ったと言っても、「止める」のがせいぜいで、大きく軌道を変えることはできていない(=あと5分で到着するくらい近接した空にある)はずです。
なぜそれほどの至近距離で、あれだけの戦いが繰り広げられているのに、空を見上げる町民が誰一人異変に気づかないのでしょうか。
「鬼ヶ島」を宙に浮かせて「花の都」に接近させる一方、火祭りを楽しむ人々が空船を飛ばして空を見上げる、という構成から、空での戦いに民衆が気づいてカイドウの敗北を目の当たりにする的な展開を描くのかと思っていたのに、鬼ヶ島が近づいたことと民衆が空を見上げたことには何の関連もありませんでした。
一方では「花の都はもうすぐそばだ!! 時間がない!!」とピンチ感を煽っておきながら、もう一方では呑気に空船を上げて「武士の誉れだ」なんて悦に入ってるんですから、緊張感など生まれるはずがありません。
なぜカイドウが「地中」に沈んだこのタイミングで、「空」に飛ばした船の言葉を書き換えた説明など挟む必要があるのでしょうか。
この空船のくだり、長期に渡って何度も描いてきましたけど、一体何の意味があったのでしょうか。。
結局最後は「願い」ではなく「お礼」を書いて飛ばしたシーンにフィーチャーして、ルフィvsカイドウの描写とは何一つかかってないんです。
だから尚更、「これ1050話の決着のタイミングで描く必要あったの?」と思ってしまいます。
「カイドウを倒して」「この国を救って」という「願い」を飛ばした後に、ルフィが実際に倒す、そしてその姿を民衆が目撃する、という展開であれば、決着と空船の文字をリンクさせる意味もありますが、康イエへのお礼の言葉を飛ばすだけならいつでもいいでしょう。
康イエがいたらから“希望の灯”が途絶えずに済み、カイドウに打ち勝つことができた(康イエの死がなければルフィの勝利はなかった)とでもいいたいのでしょうか? その後、内通者によって作戦モロバレしてたことが判明するのに?
書いた言葉が武士(康イエ)にとって何よりの「誉れ」である、なんてマジでどうでもいい情報です。
「あいたい」より「ありがとう」のほうが「誉れ」になるというのもよくわからない。
武士って「ありがとう」って言われることが「何よりの誉れ」なんですか…? 武士ってお礼を言われたくて生きてる人種なの…?
もっと武士にとって「誉れ」となるような、「なるほど…」と思える深みのある言葉を書いてくれてたらまだ意味のあるシーンになったかもしれませんが、こんな中途半端でツッコミどころのあるしっくりこないワードチョイスでは物語が締まりません。
決着の様子を言葉で説明する
ルフィvsカイドウはドクロドームの屋上で行われていたため、見ていたのはヤマトとモモの助のみ。その他のキャラは全員モブ化して蚊帳の外とされたため、勝負の行方を見届けていません。
そのため、みんなにルフィの勝利を周知させるため、急に屋上に出てきたネコマムシがヤマトに確認しながらみんなに大声で「説明」するという手段をとります。
豆粒のように省略され、誰を描いてるのか視認できない潰れた引き絵に、「カイドウはルフィの手で地中深く殴り飛ばされた!!!」「落下する『鬼ヶ島』は巨大な龍となったモモの助様が受け止めた!!!」と何から何まで言葉による説明を加えます。
戦いを見ていなかったのだから言葉で説明(報告)せざるを得ないのは仕方ありませんが、そもそもなんでヤマトとモモの助しか勝負を見届けないような描き方をしたのかに疑問が残ります。
誰も見ていないところで戦い続け、いつの間にか勝手に勝利し、カイドウが破れた姿も勝利したルフィの姿も誰一人目にしていない状況で、言葉で勝利の報告だけ受けて喜ぶって、四皇戦・総力戦に勝利したカタルシスが全く得られません。
1044話で「ニカ」化したルフィがドームの天井を貫いて手を伸ばし、カイドウを捕まえにきたり、1045話でルフィ自ら顔が飛び出して天井に穴を開けてるんですから、そこから戦闘を覗くことだってできるはずです。
代わり映えしたルフィの姿を見て目をひんむかせただけで、その姿に疑問を持って屋上に向かうことも、心配して勝負を見届けようとすることもなく、ただ勝負が終わるのをお行儀よく「待つ」って…笑
ルフィ以外は全員意思を持たないモブ扱いですか。
もちろん下のフロアは下のフロアで、火事から逃げることに必死だったから、ルフィの戦いを見ている場合ではなかったというのはあります。
であれば、とっとと雷ぞうとジンベエで消火してしまい、後はルフィがカイドウに勝つだけという状況にして、みんなで勝負の行方を見届けるシーンにしてもよかったじゃないですか。
もちろん鬼ヶ島が花の都に近づいたことで、空船を見上げた民衆もその戦いに気づくようにする。
そうして全員がルフィの勝利の瞬間を目にするような演出や構成にすればいいものを、ヤマトに「ふふ」と媚びさせ、「すごいよキミ達!! ほんっっとにすごいっ!!!」と語彙力ゼロの感想を言わせただけで、あとは何も見ていないネコマムシがいきなり出てきて、ヤマトから確認しながらみんなに報告するって…
四皇を2人も倒したというのに、何なんですかこのインパクトゼロでスッキリしない、喜びきれない勝利報告は。。
みんなに見られながらの撃破になると、ドレスローザ戦とカブるからあえて変えたんですかね?
麦わらの一味が全員モブ化
で、ルフィの勝利報告を聞いたナミのリアクションがこれですよ。。
セリフなく、ただ大口開けて両手を挙げて喜ぶだけのモブのような扱い。
ルフィが死んだと聞かされた時は「死ぬわけないわバカバカしい」と目を潤ませて否定し、
「ウソつき 信じない!!」とカイドウに食ってかかり、
生きてるとわかったら(「信じない」と言っていたくせに)号泣し、
「ギア5」のルフィを見て目を飛び出させて、
最後は勝利報告を聞いてこの表情。
もうやばすぎでしょう。。
誰だよこの情緒不安定なバカ女。ナミじゃないよこんなの。。
キャラの心情にまったく寄り添わず、その場その場で適当なリアクションをさせられているだけのモブでしかありません。
“海賊王”を目指すルフィが、一度死んだと思われたルフィが、大きく姿を変えて復活を遂げ、四皇・カイドウをサシで打ち破ったんですよ?
“東の海”から一緒に旅をしてきているナミが、こんなその他大勢と同じ「わーいやったー」みたいな薄っぺらいリアクションになると思いますか?
また勝利報告がなされている中でも、ウソップ、フランキー、チョッパーは重傷者対応に追われ、喜ぶ暇もありません。
おそらく「四皇戦なのにルフィ陣営の全勝利って被害なさすぎだろ笑」とか「百獣海賊団雑魚すぎだろう笑」というツッコミが来ることを予期して、
- 「動けないほどの重傷者がたくさんいるんです」
- 「あのゾロでさえ意識不明の重体になるほどの激闘だったんです」
- 「勝利したとはいえ、ほとんど相打ちみたいなもんなんです」
- 「死者はいない(描かないけど)被害は甚大なんです」
と説明したいのでしょう。
でもね、「重傷者2名〜!!」とか「ミヤギ〜重傷者だらけ!!」なんてクソみたいなモブ台詞を吐かせてたら、ピンチ感も緊張感も生まれるはずないんです。
「ゾロが目ェ覚まさねェ!!」もしつこい。心臓が止まってないことは確認してるのに、なんで目を覚まさないだけで騒ぎ続けるのでしょうか。
ゾロが大ダメージを受けて気絶したことなんてこれまで何度もあるんだから、心臓が動いてるならいちいち騒いでないでとりあえず安静にして寝かせといてやれよと思わずにいられません。
「ゾロが重体だから“麦わらの一味”側の被害は甚大なんです」とでも言いたいような「説明台詞」がしつこすぎて。。
おトコと飛徹のシーンなんかより、“麦わらの一味”のリアクションややりとりをもっと丁寧に描くべきではないでしょうか。
“麦わらの一味”の存在価値が皆無になるまでに魅力を奪ってしまって、これから最終章を盛り上げられると思ってるんですかね。。
どうせ人気も下降気味だからもう用済みで、このままモブ化して他の海賊団の人気キャラを優遇していくつもりでしょうか。
“前半の海”のキャラ達の魅力を作者自ら奪い、人気を落とすような描き方をしておいて、人気がないからと見切りをつけて(ローやヤマトのような)人気キャラや新キャラにすがるようになるとしたら、もうワンピースはおしまいですよ。。
おそらく今後、一味の大半(ウソップ、チョッパー、フランキー、ブルック、ジンベエあたり)はさらに空気のような存在になっていくでしょう。
もはや最終章も、私の読みたかったワンピースが描かれることは期待できなくなってしまいました。
シリアスを無にするギャグリアクション
カイドウを倒し、「勝者─“麦わらのルフィ”!!!」と示す重要なシーンで、ババヌキとかいう存在価値のないモブキャラに「え──!!? 海底火山噴火〜〜〜!!!」というギャグリアクション&説明セリフをさせてしまうセンスのなさ。。
「海底火山噴火〜〜〜!!!」という「説明」を入れないと、何が爆発しているのか読者に伝わりませんからね。。
おトコと飛徹のシーンに4ページも使うなら、(「決着」の話なんだから)ここをもっと丁寧に描いてくださいよ。
またカイドウを倒して気を失ったルフィは、「死にかけ」だったとは思えないほど健やかな表情で寝ています。ギア5が解けても、特に副作用はないんでしょうか。
「ゾロが目ェ覚さねェ!!」と同じセリフばかりしつこく繰り返すくらいなら、ルフィを瀕死の重体に描いたり、生死をわかりづらくしたり、ギア5の反動の深刻さを描いたりしたほうが、次週以降への緊張感やワクワク感が高まったのではないでしょうか。
クロコダイル戦やドフラミンゴ戦と同じように健やかな顔して寝やがって笑
四皇との死闘を死にかけながらようやく制したとは思えない描き方です。(ゾロだけ理不尽に死にそうしておいてさ笑)
開国しない理由をなぜか言わない
モモの助がズニーシャに「開国はまだしない」と言うのですが、なぜかその理由を言いません。
「まだしない」の一言だけ。
え、なんで?笑
なんで理由も含めて話さないのでしょうか。
ズニーシャもズニーシャで「わかった…私はお前の判断に殉ずる お前を疑わない…!!」とあっさり受け入れる。
さすがに「なぜだ?」と聞き返すのはおかしいので、ズニーシャのセリフはこれでいいですが、モモの助が「あえて理由を話さない」ことが不自然すぎます。
そもそもズニーシャが何のためにワノ国に来たのかも、何を考えているのかも、開国について何を知っているのかも、ジョイボーイとの関わりも、読者は何一つわからない(未だに知らされていない)んです。
それなのに「開国はまだしない」→「わかった」で終わらせるって何なんでしょうか。。
ほんと、どこを向いて漫画を描いているのかわけがわかりません。
おそらくズニーシャは開国を願っている(あるいは開国することが自分の使命と関係している)のでしょう。そうした話を両者の間でしていたからこそ、モモの助は「まだ開国はしない(今じゃない)」とズニーシャに断ったわけです。
であれば、普通に「開国だが…まだしない いま開国しては○○になってしまう △△を終えた時 初めて開国しようと思う」のように言うのが普通の「会話」じゃないですか?
それに対して、「わかった…私はお前の判断に殉ずる」でいいじゃないですか。
なぜあえて理由をしゃべらずに結論だけ伝えるのでしょうか。
この流れでズニーシャに理由や意図を隠す意味がありますか?
そこにあるのは、「読者にはまだ秘密にしておきたい」という作者の都合のみ。そこにモモの助の意思はありません。
おそらく「開国をしない意図」の説明に、また別の話で4ページくらい使うのでしょう。「実はズニーシャにも話したのだが…」と回想に入り、今回のシーンと被る絵を描いて、無駄なコマを割くことになるのです。
この話でまとめて触れておけば内容の濃い1話になるというのに、秘密を明かさず、匂わせのままうすーく引き延ばすから、また同じくだりを描き直すことになり、話が一向に進まない悪循環から抜け出せないのです。
もし錦えもんや赤鞘達に伝える時を、タネ明かしのタイミングにしたいのであれば、ここでのゾウとの会話を描く必要がない。
引っ張れば引っ張るほどネタ明かしのハードルが上がるわけですが、最近の尾田先生は高く上げたハードルを下回る描き方しかしてこない(できていない)ので、それなら引っ張らずにここで描いてしまえよと思わずにいられません。
どうせ読者が興奮するような演出も構成もなく、「説明台詞」と「質問台詞」のオンパレードで、一度描いた回想シーンを繰り返しながら描く、肩透かしのネタ明かしになるんだからさぁ。。
ピンクの龍をカイドウだと思い込む茶番
龍の姿で現れたモモの助をカイドウだと思い込む民衆。
「なぜここに!! 今日だけはおれ達の自由な1日…」と一方的にしゃべり出します。
「龍の姿なんてカイドウ以外にありえない(と思い込んでる)から、カイドウと勘違いしてしまう」というのはわからないでもありません。
しかしモノクロだからギリそう思えるものの、実際はモモの助はピンクの龍で、声も違うんですよ?
普通、「な、なんだあの龍は…!!? カイドウとは色が違うぞ!!」とか、「カ、カイドウ…!!?….さま なぜピンクの体に…!?」「声も違う….!!! 一体誰だ!!?」というリアクションになりませんか?
自分が民衆の立場として、声も色もしゃべり方も違う龍が現れたら、まず「誰だ?」という言葉を発すると思うんですよね。
即座にカイドウだと決めつけて、一方的にしゃべり出すっておかしいでしょう。
キャラクターの気持ちにも入り込まず、ノリだけでセリフを決めていることがよくわかります。
「総督」を漢字で言えないモモの助
“百獣海賊団”は漢字で言えるのに、なぜか“総督”はひらがなになるモモの助。
いや今更こんなとこに無意味な「子供らしさ」出してこなくていいって。。
なんのこだわりなんでしょうか。。雑音にしかなってないんですけど。
“ジュクジュクの実”の力で大人になったものの、中身はまだ子供のモモの助であることを説明したいんでしょうけど、「漢字を知ってるかどうか」を文字面で表現する意味なんてありますか?
読み方(呼び方)は知ってるけど、「総督」の意味をわからず使ってるってことでしょうか?
いずれにせよ不要なこだわりです。
こんなセリフの文字面にこだわるのなら、ルフィが「猿神(バジュラング)」という言葉を知っていることへの違和感のほうを気にしたほうがいいのではないでしょうか。
私自身、ルフィの技名については特に気にならない(どんな名前を叫んでもいい)派なのですが、「総督」という難しい単語をモモの助が理解していないことを、わざわざひらがなで「そうとく」と書いて表現するくらいなら、ルフィの技名にも配慮しろよ笑 と思ってしまいます。
一向に減らない「説明セリフ」
1050話でも、モブキャラによる「説明」が減りません。
突如現れた人影に対して、
「人が…何人いる…!?」って…笑
作者の操り人形甚だしいマヌケすぎるリアクション。
読者に「数えてください」と言わんばかりの不自然すぎるセリフです。
普通、まず「誰だ?」というのが気になりませんか?
何でいきなり人数を気にするのでしょうか。
読者に人数を意識させて、「赤鞘九人男」の内、誰が(生きて)この場に現れたのかを考察させたいのでしょうか?
もう全員がただ「説明」のためにしゃべらされる操り人形で、誰一人感情移入できる人物が存在しません。
特にモブのセリフを適当に書きすぎです。モブのリアクションやコメントは、舞台設定にリアリティを出す上でめちゃめちゃ重要なのに、しゃべらせる度にその場の空気をぶち壊してくるんですから。
で、中央にいるのが小紫だとわかったらこのリアクションです。
あぁもううるさいうるさい。。「ウソだ亡霊か!!?」「これは夢か幻か!?」なんて不自然すぎるセリフでリアクションさせないでくださいよ。。
自分が同じ場にいるとして、誰かが「ウソだ亡霊か!!?」と言った後に、「これは夢か幻か!?」と付け足す人がいると思いますか?
オロチの前に現れた時も「亡霊」だの「夢」だの似たようなリアクションさせていましたが、いちいち「亡霊」を疑う茶番に辟易してしまいます。
同じリアクションばかり繰り返して、なんという芸のなさでしょう。
「こ、小紫様!!?」「まさか…!! (狂死郎親分に斬られて)亡くなったはずでは!!?」だけでいいじゃないですか。
それで自然なセリフになるじゃないですか。
セリフが少なすぎるとアニメが追いついちゃうから、できるだけセリフを増やしたいんですかね?
ちなみに、「幻」に「うつつ」というルビが振ってありますが、「うつつ」って「現」ではないんですかね…? 普通、「夢(ゆめ)か現(うつつ)か幻(まぼろし)か」ですよね。
さすがにこんな小学生レベルの初歩的な国語のミスをするはずはないだろうと思い、意図的に「幻」を「うつつ」を読ませている可能性もあると考えて、ざっと検索してみたんですがそう読む例を見つけられませんでした。
単なる編集者の国語力不足によるミスでしょうか。もしに「幻」を「うつつ」と読む事例を知っている方がいたら教えていただきたいです。
また狂死郎の登場に対しても、民衆は律儀に「説明」リアクションをしてくれます。
「ん!? 自慢のリーゼントは?」って…笑
うるせェよ笑
なんで今そんなことが気になるんだよ笑
死んだはずの小紫が生きて目の前に立っていて、彼女を殺したはずの狂死郎が側にいるんですよ?
髪型なんかより、もっと気になること、触れるべきことがあるでしょう。
そもそも、なんでカイドウとモモの助の色や声の違いには気づかないのに、狂死郎の髪型には真っ先に気づくんだよ。
どんだけ都合のいいリアクション人形にさせられてるんでしょうか。
成人化したモモの助を次週の引きに使う
で、1050話の次週への引きはワノ国の新しい「将軍」、つまり成人化したモモの助です。
「お連れしている…!!!」と述べただけで、お披露目は次週。
つまり1050話では、
- カイドウとビッグ・マムがマグマに落ちて勝利が確定したこと(生死は不明)
- おトコが空船に書いた文字を変えたこと(どうでもいい)
- ワノ国はまだ開国しないつもりであること(理由は不明)
しか描かれていないんです。
で、サブタイトルが「誉れ」。
もう内容がなさすぎるでしょう。。1046話「雷ぞう」並に内容がない。
クライマックスに入ってから何週間も経つのに、なぜ未だにこんな描き方を続けるのでしょうか。
1050話で、
- 勝利の確定
- 四皇2人の生死
- ゾロの生死
- ワノ国をまだ開国しない理由
- 成人化して新将軍として現れたモモの助
- 次週の引きとなる新展開のキッカケ(世界政府関連やゾウの秘密、シャンクスや黒ひげの動向など)
まで描いておけば、キリ番としてそれなりに意味のある、盛り上がりのある回になったというのに。
物語の進行に関わる「確定事項」が何一つ描かれず、全ての謎を謎のまま次週につなげるって、こんなフラストレーションの溜まる描き方がありますか?
ほんと、なんのために1050話まで決着を引き伸ばしたのか意味がわかりませんでした。
このままじゃ最終章も全く期待できませんよ。。
私の中で「ワンピース」は「史上最も好きな漫画」であり、まだ「前半の海」での評価の貯金が残っているからです。
ワンピースが大好きだったからこそ、この先改善されることを(いつまでも)期待して読み続けてしまっているわけです。その期待や熱量がゼロになったら読まなくなると思います。
実際「エッグヘッド編」以降、つまらなさが許容量を超えてきており、熱量は急速に冷めてきています。コミックスも104巻からついに購入をやめました。
ジャンプは購読して読み続けていますが、これもお金の無駄だと感じるようになったら卒業するかもしれません。
ニーズがあるからです。
上記の通り、最初は「史上最も好きな漫画」であったことから、(この先つまらないワンピースとして残りのエピソードが削られていくことに耐えられず)改善されることを願って批判をしてきましたが、もはや作品は崩壊し切ってしまったため、今は改善を期待しているわけではありません。
ただ、ワンピースという作品は、日本一売れている漫画だからこそ、熱量の高い(高かった)読者も多く、私と同様に「つまらなくなってしまった」と感じ、それを無念に思い、不満や釈然としない気持ちを抱えている読者の数も多いのです。
そういう方達にとっては、自分の気持ちを代弁してくれる記事や、自分の本音の感想をコメントして、同様の感想を抱いている方達と共有できる場には一定の価値があり、そうしたニーズに応えることにもまた一定の価値があると思っているため、運営を継続しています。
ニーズがあるからです。
ブログのようにテキスト情報だけ(それも超長文)だと、文章を読み慣れていない人にはハードルが高かったり、読む気にならなかったりする(実際、そのような声やリクエストがあった)ため、記事を動画化してYouTubeに投稿することにしました。
もっと批判や誹謗中傷コメントで溢れるかと思っていましたが、(ブログ読者の方に限らず、新規の方でも)共感し、更新を楽しみにしてくださっている方が相当数いて、ここにもニーズがあることがわかったため、運営を継続しています。
余計なお世話としか言いようがありません。
自分の人生の時間の使い方は自分で決めます。
あなたこそ、見ず知らずの他人の人生に意見するような無駄な行為に時間を使うのはやめたほうがいいのではないでしょうか?
他人の人生に口を出す前に、どうぞ自分の人生の心配をしてください。
論理が破綻しており、全く筋違いな言い分です。
プロの作家が商業作品として世に販売している時点で、それを購入した側が評価したり、感想を述べたりするのは当然に許された権利です。
私は読者(消費者)であって、漫画家ではありません。漫画を描きたいわけではなく、面白い漫画を読みたいからお金を払って購入している立場であり、購入した作品の内容に不満があるから、批判的な感想を述べているわけです。
あなたはお金を払って観に行った映画が酷い仕上がりでも、「自分に映画は作れないから文句は言えない」と考えて口をつぐむタイプですか?
購入したゲームがクソゲーでも、「自分では作れないから文句を言う資格はない」と考えるタイプですか?
お金を払って観に行った音楽ライブで、アーティストが音を外したり声が出てなかったり歌詞を間違えまくったりして全く感動できないパフォーマンスを披露しても、「自分のほうが歌が下手だから批判すべきじゃない」と思うのでしょうか?
飲食店でマズい料理を出されても、「自分で作れないんだから(店を開いてないんだから)文句を言う権利はない」とか、「文句を言えるように、まずは自分で作れるようになろう(店を出せるようになろう)」と思うのでしょうか?
市場に商品として投下されている時点で、それを購入した消費者からの評価は避けられません。作り手はそれを分かった上で、自らの意志で作り手側(買い手から評価される立場)を選んでいるのです。
一方の消費者は、自分ではできないからこそお金を払って人に任せているのであり、そこで期待したクオリティに達していなかった場合に、低評価を下したり、批判したりするのは当然に許された権利です。
「購入した商品について批判するためには、自分がその商品以上のクオリティのものを作れなければならない(文句を言うなら自分で作れ)」なんてあまりにも本末転倒で筋違いな暴論です。
頭の悪い人だとバレてしまうので、金輪際そうしたコメントはしない方がいいですよ。
尚、私がこのブログで批判しているのは、基本的に尾田先生(漫画家)ではなく、担当編集者です。編集者視点で、「なぜこの部分を直さないのか」「なぜこの内容でOKを出してしまうのか」という批判をしているのです。
その意味でも「文句言うなら、自分で描いてみては?」という主張は的外れですが、もし「文句言うならお前が編集者をしてみろ」と言われ、実際に依頼をしていただけるのであれば、私は喜んでお受けします。
そして、私が編集者になった後のワンピースがつまらなければ、当然批判も受けとめます。
その覚悟を持って(編集者を)批判していることをご理解いただければと思います。
心配しています。
このブログでは、基本的に尾田先生ではなく、担当編集者を批判するスタンスをとっており、尾田先生の健康や多忙を心配するコメントを過去に何度もしています。
なんなら長期休載に入ることや、連載ペースを落とすことを推奨している立場であり、そうした対応をせずに原作以外の仕事を次から次へと振りまくって尾田先生に負担をかけ、作品の劣化を放置し続ける編集者を批判しているのです。
なぜなら、1人の人間が週刊連載で何十年も面白い作品を(世間とのズレを生む事なく)描き続けることなど、そもそも不可能だからです。肉体的に困難なのはもちろん、作者1人の感覚で何百万人という読者の感覚とズレることなく、質の高い作品を描き続けることなどできるはずがないのです。
そのズレを正すのが編集者の役割であり、作品の質を維持するためには編集者の客観的視点が不可欠だというのに、全く機能していないことが露骨に作品に出てしまっており、にもかかわらず原作以外の大量の仕事を振って尾田先生からネームや作画の時間を奪い続け、作品の劣化に歯止めがきかない状況を進行させているため、その点を指摘して批判をしているわけです。
尾田先生の健康面の心配はしていますし、「作品への批判」と「健康面への心配」は両立するものです。
思いません。
「少年漫画」だから大人の観賞に耐え得るクオリティになっていなくて当然(あるいはそれでも問題ない)という考え方は、「少年」の読解力や感性を「(自称)大人」の勝手な思い込みと偏見で侮り、間接的に「少年漫画」を見下していることと変わりません。レッテルに囚われた思考停止人間の典型です。
少年を侮り、少年漫画を見下し、少年漫画のファンとして感想を述べ合う大人達を「異常」だと言ってのける人間のほうが、よっぽど異常だと私は思います。
読者アンケートの順位は相対的なものなので、「1位のままだからワンピースは劣化していない」という論理は成り立ちません。
ワンピースがどれだけつまらなくなっても、他の作品が抱えているファン数がワンピースよりも少なければ、ワンピースは永遠に1位のままです。「アンケート回答するファンの数=作品の絶対的な面白さ」ではありません。
ワンピースは「前半の海」で蓄積した熱狂的ファンがあまりにも多いので、ジャンプのアンケート回答においては、今度もほとんど1位をとり続けるでしょう。
私の中で「信者」の定義は、「何を描かれても無条件に絶賛し、全て肯定的に解釈して作者を持ち上げる読者」を指しています。
そのため「つまらない部分やおかしいと思う部分は多少あれど、普通に面白いし楽しめている」とか、「前半の海よりも面白さが失われたとは思うけど、新世界編も総じて楽しめている」といった読者は、私の言う「信者」には含まれません。
作者にとって有害かどうかは作者が決めることですので、本人に聞いてみてください。
ただ「つまらない」「くだらない」「ゴミ」「読む価値がない」「お金の無駄」「オワコン」「資源の無駄」といった捨て台詞で、作品を貶めるだけの(ほとんど誹謗中傷でしかない)批判は「有害」だと思いますが、きちんと作品を読み込んだ上で、「なぜつまらないのか」「何が問題なのか」を考え、「どうすれば改善されるのか」まで提示した上で行う「論理的な批判」は、(作者個人は求めていないにせよ)私は「有害」とは思いません。
というより、そうした批判を行う権利は誰にでもあるので、それが有害かどうか議論すること自体がナンセンスです。
それこそ「嫌なら読まなければいい」のです。
煽り体制が低いのは事実ですが、勘違いコメントや難癖コメントを放置すると、それを見た方に誤解を与えたり、場が荒れたりしやすく、早々に対処しておく必要があるため、説明なり反論なりをしています。
えてしてそういうコメントをする人ほど、放置するとそれを「肯定」と見做して、さらに誤解を強めて暴走しやすい傾向にあるからです。
たとえば「煽りコメントにだけ返信してねェw 効いてる効いてるww」とか「図星だから反論できねェんだw」とか「何も言い返せないから逃げやがったww 悔しかったら反論してみろやww」のような言い分です。(そうなると対処にさらに時間がかかるので、早めに処理しています)
また、私への直接的な質問系のコメントやうれしいお言葉にも、できるだけ早めに答えるようにしています。
記事への感想や建設的なコメントについては、読者さん同士でコメントやリアクションをしていただけているので、慌てて私がコメントせずにおまかせしている部分もあります。私がコメントするとそこでやりとりが終わってしまい、読者さん同士の会話が生まれづらくなったりもするので。
色々状況を観察しながら、よいコメント欄になるよう運営していきたいと思っています。
暇なんか
どうせゴミとか気持ち悪いっていう人達も、毎週楽しみにジャンプ買ってるの想像したら可愛いな
「つまらなくなった理由」とかデカい看板つけて
もっともらしいことつらつら書いてるけど
ワンピースが変わったんじゃなくてお前の感性が変わったんだよ
過去の思い出に執着してないで新しい面白いもの探せばいいのに
信者うんぬんのこじつけで逃げるんだろうけど
ワンピースじゃなくて、まず自分と向き合えな
始めから批判的なことを考えながら読んでいるせいであれもこれも気になってそれを文句のネタにしているように思えます。考え方も偏りすぎていると思います。ところどころでえーー!○○○ーーー!?とリアクションをとるモブがいても不思議ではないです。実際に自分で見ていない戦闘が終わったのですから。そもそもこの作品はそういうセリフが多い漫画なのでここに文句を言うということは作品の特徴を否定していることになります。これが嫌なら読まなければいいと思います。説明のような表現についても、戦争というのはそのときそのときの状況、事柄がめまぐるしい速さで常に変化し続けていくものです。これを読者に分かりやすく伝えるためにも必要な表現だったのではないでしょうか。もっと幅広い考え方で読んでみると良いと思います。
文句を言うなら読まなければ良いのではないか。
「幻」に「うつつ」とルビを振る誤りは、漫画の内容的には大したことありませんが、作者側の体制的に大きな意味があると思います。
通常であれば、高学歴で優秀な集英社の編集がこんなミスをするとは思えません。
おそらく、ワンピースはまともに編集のチェックを受けてないのです。
内容の整合性、文章表現、構図等々…
多分誉れはアラバスタのオマージュです
アラバスタが人気だからって頼りすぎですよね。
イガラム「ペルのことですが……」
ビビ 「………」
イガラム「あの男は私の知る中で最も気高く強い戦士です」
ビビ 「うん……」
「…『ありがとう』って言いたかった」
イガラム「…それはこの上ない誉れですよ」
個人的にワンピースは空島編から少しずつダメな破片が出てる気がします。
この記事をみた後に空島編を見ると少し違和感のあるシーンがありました。
それが
「シャンドラの鐘を鳴らせ!」というシーンです。これが初めての脱線したシーンだと思ってます。
エネルを倒す→鐘を鳴らすっていう。
なんであんな圧倒的な強さを誇るエネルを倒せそうな時になんで鐘鳴らすのまで要求しちゃうのかなって。(まあかっこいいから別に良いんですけどね)答えは簡単。ルフィが勝つのはみんなわかってるから。
だから追加で注文しちゃうんですよよね。
その後は
魚人島 通り抜けたい→邪魔をされる
→ぶっ飛ばす(わかる)
パンクハザード シーザー捕獲、子供が誘拐されて薬投与されてる→ぶっ飛ばす→助ける
(敵が雑魚だから2つくらいいいと思う)
ドレスローザ 工場破壊してミンゴぶっ飛ばして幹部ぶっ飛ばしてマンシェリー助けて囚人助けてオモチャをもどして鳥カゴ止めてローを助けに行って王様助けてカン十郎たすけて→全部解決ゥ!
(多すぎ)
目的が多すぎるとどこに注目すりゃ良いのか分からんくなるんですよね。
記事ありがとうございます。今回もそのほとんどが共感できました。私は特に、内容の薄さ、テンポの遅さが気になります…このテンポであの内容はガッカリです。もはやワンピースの最近の楽しみは扉絵ですね…
雷蔵の我慢対決繋げたらどうなるんでしょうかね。蛇足の極みだとおもいます
編集の人は尾田先生に何も指摘できない状況なんですか?
とにかくやっと終わったのか、、、。
くらいの感想しかない
もう読むのやめたいけど、面白くなることに期待してたけど和の国これだともう無理そうだな。
多くを求めても改善は期待できないでしょうから、一つだけ、ただ一つだけ…モブの目ん玉ひん剥きながら「えーーーーーーーっっ!?◯◯だとーーーーー!?」のリアクションをなくして欲しい。
まずはそこから頑張ってみようよ編集者さん…それだけでかなり読みやすくなるからさ…笑
四皇戦決着という新世界編はおろか作中でも5指に入るくらい重要なはずの場面にいきなり図解を挿入するという判断はもうちょっと空いた口が塞がらないとしか言いようがないですね。ルッチやクロコダイルを吹き飛ばしたシーンでいきなり図解を入れても蛇足でしかないって今の尾田先生は感じないんでしょうか?
正直冗談抜きで新世界編前とはワンピースの制作体制が異なっていてもう尾田先生本人は殆ど関わってないんだろうかと考えてしまいます。各方面から期待されてるであろうFILM RED やオデッセイなど色々他の仕事も詰まってそうですしね。まあ仮にそうであってもこれにok出すのはどうなんでしょうね?
「〇年内に完結、休載はなるべくしない」とか「読者の予想を裏切る」だとか色々漫画家として掲げてる信条はあるかもしれないですがそれで完成度の低い作品になるのでは本末転倒だと思います。
まあ自分がファンの中だと若くて更に連載が長期化しても待てるからっていうのもあるでしょうけどこの体たらくなら月刊連載とか2、3週に1度とかの体制に移った方が色々といいと思うんですよね。それなら無理矢理ヒキを作ったりコロコロ場面転換することも減るでしょうし。
まあ集英社にでワンピース以上と言わずにも比肩できるコンテンツがほぼない状況で絶対こんなことはさせられないでしょうけども…。
ネコマムシの「カイドウはルフィの手で地中深く殴り飛ばされた!!!」ってセリフがオカシイ
地中深くに「殴り飛ばされた」じゃなくて地中深くに「沈められた」のほうが描写にも合ってると思う
そもそも、1050話1コマ目の煽りが「深く深く沈む…!!!」って入ってるしね
今のワンピースの担当はかなり若いから尾田先生にここはオカシイ・ここは要らないって言えない状態なのかな?
相変わらず要らないセリフ・コマ・描写が多くて描かないといけない所は手抜きみたいな感じになってるし
初代担当の浅田氏が「尾田先生は描きたい事が有りすぎて一番印象に残るべき要素がボヤける時があった」と記事で言ってたけど
ずっとそのボヤけてる状態なんだよなぁ
本当にゴミみたいな漫画になってしまいましたねワンピース
以前は丁寧な描写、伏線の数々でワンピースの正体もファンとして本当に楽しみにしていたのですが、後付けのオンパレードと化した和の国編を見てしまっては最早何でもありな状態になってしまって、ここまでくるとワンピースの正体ですら後付けでめちゃくちゃな物にするんじゃないかと思うと全く期待できなくなりました。強がりでもなんでもなく来週に打ち切りとなっても全く驚かないしガッカリもしません。それほどまでに私の中では魅力の無い漫画と化してしまいました。これ以上晩節を汚す前に(とっくに汚してますが)本当にさっさと畳んで欲しいです。今のワンピースに期待できるのはそれだけです
ワノ国って結局何が描きたかったんでしょうねって感じです。耳たぶクラッカーかな?
「尾田ヌー」はジャンプフェスタでワノ国は討ち入りシーンをを描きたかったとコメントしていました。本当に思い通りに描けたのでしょうか。面白いものが描けたのでしょうか。
考察者のようにワンピースの設定だけに目を向ければ面白くもあるでしょうが、漫画としては本当につまらなかったです。絵心のあるファンに設定を渡して描いてもらったほうがずっと面白くなると思う程に。
1050話つまんなかったです。噴火で決着ドン!絵のインパクトはあるでしょうがこれをやりたかったんだろうなって感想しかありません。「勝者カイドウ改め」のナレーションから新たに別のナレーションをブチ込みしょうもない回想を挟み挙げ句の果てにはキャラに「四皇を討ち取ったぞ」とまで言わせてからの「勝者麦わらのルフィ」ってどうなんですかね。オシャレ演出なのか私には分かりません。
カイドウが敗北したので政府がワノ国を支配しようとするはずなんですよね?まさかルフィにたっぷり休息を与えて宴…なんてことはないですよね?不安です。
「開国しない理由をなぜか言わない」の項目は、現時点では言いがかりではないでしょうか…。
もちろん会話が不自然なのは褒められたものではないですが、後により効果的な書き方で真意を明かしてくれるのであれば許されるレベルだと思います。
予想されている通り、引っ張るほどでもない下らない理由なのでしょうが、それが明らかになったときに心置きなくボコボコに批判すれば良いかと思います。
更新お疲れさまです。
よく引き伸ばされすぎて内容の薄い漫画を「薄めたカルピス」と揶揄されることがありますが、今のワンピースは「薄めた上に不純物が混じったカルピス」のような状態になっていますね…
冒頭がいきなり断面図の説明で、呆れを通り越してもはや失笑です。
これを真面目に描いてるのであれば今すぐペンを置いたほうが良いかと。
「ビッグマムの穴」「カイドウの穴」って
漫画家としてどうなの…心底ガッカリです。
おトコがスマイルを食べた事を知った康イエが、自分もスマイルを食べた、みたいな「感動」シーンが気持ち悪かったです。
娘が足を失ったら自分も足を切るのが優しさってことなんでしょうか?
ワノ国ほんっっとにつまらなかった
あと狂四郎すっごいブスだな
語彙力無い感想ですいません…笑
全然今回の話と関係無いですけど結構前に尾田さんが描いたバガボンドの武蔵がカッコ良かった
こういう侍を見たかったんだけどなぁ…
「お父ちゃんありがとう」のシーンについては昔のワンピならこんな説明臭くならず自然に魅せる演出が出来てたと思うんですよね。感動も出来てたと思います。
絵を描き込みすぎて逆にどこに注目したらいいか分からなくなった結果説明セリフやコマが増えていくんじゃないですかね。
「開国はまだしない」についてはモモが成長を見せるシーンのために説明を取ってあるんだと信じましょう
毎週、ワンピース本編よりもなべおつさんの記事を楽しみにしてしまっている自分がいる‥
いつも楽しく読ませていただいています!
火祭りはカイドウとのバトルに全く関係なかったですね。
やたらと強調されていたので武器庫の火薬に着火したりとか、太陽の神になったルフィが空船の火を集めたりとか、空想で戦うルフィが空船に込められた想いでパワーアップとか何にでも利用できそうだったのに何もなかった。
個人的には、空島でエネルと戦ったときのゴムゴムの花火・黄金牡丹の強化版で決着して背景に空船が描かれていたら良さそうとか色々考えていたんですけどね。
今回モモの助が出ないということは次回堂々と登場するんでしょうけど、ちょっと前まで無理でござるって喚いていて、たまたま焔雲を出せただけなのに大活躍しました!モモの助のおかげでみんな無事でした!!ってなるの嫌です。
どうせ無駄な描写描くならモモの助の活躍を丁寧に描けばいいのに、ふわっだけでしたからね。命懸けで体で受け止めるとか、もうちょっとスポットライトを当てて欲しかった。
もっと言うならルフィに「鬼ヶ島が邪魔だ!どけろォ!」って言わせるんじゃなくてモモの助の方から「ルフィ!そのまま振り下ろせ!鬼ヶ島の方は拙者が必ずどうにかするゆえ!」っていう流れならまだ良かったかな。
開国についてもちゃんと設定決めてるんですかね。
何の匂わせもなく、一切情報なしだったのでいい感じの設定が思い付かなかっただけのようにも見えます。
本記事も拝見しました。更新お疲れさまです。
言葉で説明しなければ伝わらないって先生は思っているのでしょうか。それは絵で表現出来ません(しません)と自供しているようなもので、これ漫画なのか…?と(笑)
「海底火山噴火~~!!!」
は過去最低のセリフですね。気持ち悪いです。
普通なら海面の揺れとか、泡立つ海中のカット→噴火って描くと思うんですがね。その後なぜそれが起こったのかを引っ張る意味も、よく分かりませんでした。地中の四皇が存命、あるいは健在だと匂わせたつもりなんでしょうか?
尾田先生サボってる疑惑を前々から感じているのですが、有り得なくもない気がしてきました。絵で見せる箇所の少なさ、人物とセリフの詰め込み、キャラ上げに終始した展開の遅さ。
説明のし過ぎで行間(?)というか余白の無い、味の無い漫画になってきましたね。
ビックマムは本当にキッドとローに倒されたんですね…ルフィの「四皇は全員俺が倒す」発言なんだったんですか…
ビックマム←ライフorトリートおばさん
ペロスペロー ←すごい働く
カタクリ ←ルフィ上げ要員。同じように口裂けてる妹がいるぞ
長女コンポート、将星スムージー←強いとされながら、まともな戦闘描写なし
オーブン、ダイフク←ちょうどいいモブ
カイドウ←説明役、情緒不安定
キング←急に出てきたルナーリア族。(個人的にデザインはワノ国で1番良いと思ってる)
クイーン←えー!がうるさい人。攻撃してもサンジにイテッですまされる。
ジャック←モブに倒される。相手ジンベエの方が良かったのでは
飛び六胞←ただのやられ役。デザインは赤鞘よりマシ
(フーズフー←頑張って説明してたね。偉いよ。)
ヤマト←僕っ子巨乳の媚び媚びキャラ。作者の「君たちこういうキャラ好きでしょ」という声が聞こえる。
四皇とその幹部たちが残念です。麦わらの一味で倒せない数のキャラを出しすぎて…エニエスロビー編のように麦わら一味と協力キャラがはっきり分かれてないんですよね。
まあ、それ以上に連載10年以上出てきて、重要キャラであるモモの助の人気のなさはヤバいです笑笑
今回も的確な批評ありがとうございます。
「うつつ」は昔の作家が使用していた読み方らしいですね。少年漫画で敢えてこの読み方を使う必要性は皆無だと思いますが。
「そうとく」のツッコミは、同じこと思いました。細かい設定に拘るなら、もっとキャラの個性とかに拘れよって思います。
1050話のことではないですが、ギア5での、気持ち悪く笑いながら戦うスタイルが、数話で終わったことも、もはや「笑撃」です。
あの戦闘スタイルは、本当に嫌いなのですが、最後に真剣にくさいセリフを言いながら猿神を撃つなら、最初からトムとジェリーはいらなかった。誰もが期待したギア5をくだらんオマージュにした罪は重いって。。。