1088話は、「年寄りの命より未来ある若者の命を優先せよ」というガープの教えを自らが体現することで、コビーを救出し、黒ひげ海賊団にやられる、という大筋の展開は良かったと思います。
ラストの見開きで、青キジによって凍らされた姿で倒れ、胸に氷が刺さっている(ように見える)状態のまま黒ひげ海賊団に囲まれている描写もいい。(本来ならもっと絶望感や驚異感を味わえるシーンになったでしょうに、黒ひげ海賊団の描き方が酷すぎて小物化・雑魚化してしまったことで、「どうせ助かるんでしょ笑」としか思えず、そのインパクトが失われているのがもったいないですが…。もし頂上戦争の頃の黒ひげ海賊団+青キジに囲まれているシーンだったらもっとゾクゾクできていただろうに、残念でなりません)
また、最後の一コマで(ようやく)エッグヘッドに場面が戻ることがわかる締め方も、次話への期待値が高まってよかったです。
しかしながら、そこに至るまでの内容はご都合主義の極みで、説得力も整合性もバランス調整も何もない、作者のサジ加減一つによる強引なクライマックスの作り方で終わりました。
また、セリフの雑さや幼稚さ、不自然さのせいで、展開自体は悪くないのに、全くハラハラドキドキワクワクできないのがもったいないとしか言いようがありません。
特に気になったのは、「ガープの全く共感できない穴だらけの授業」と「コビーのチート強化」です。
目次
1088話がもったいない理由
ガープの「授業」の説得力のなさ
冒頭の「レッスン1」というセリフから違和感がすごいのですが、その後に続くガープの言い分が全く論理的ではないため、説得力皆無でツッコミどころ満載です。
「お前ら一体何を救う為 海兵になった!? 人の“未来”じゃろうが!!! ならばジジイよりお前らの方が未来がある!! 赤ん坊と2人でお前達が生きろ!!!」
一見シンプルで奔放な言い分で、豪放磊落なガープらしい主張のようにも見えますが、「(人を)救う」ために海兵になった連中に対して、「人の命を救うことより自分の命を優先しろ」という言い分は妥当だと言えるでしょうか。
このロジックでは、「同い年のジジイ2人が猛獣だらけの島に取り残された」場合や、ジジイじゃなくとも「自分よりも年上の2人が猛獣だらけの島に取り残された」場合は、そいつらのどちらか(もしくは両方)を見捨てて、自分が助かることが正義ということになってしまいます。どんな海兵だよそれ。
人を救うために海兵になったのに、未来の短い者に関しては遠慮なく見捨てて自分の命の方を優先すべし、って主張に共感・納得できる海兵などいるのでしょうか。あまりに本質をとらえていない主張のため、こんな簡単な反論一つで崩れてしまうレベルの脆い主張となっています。
この時点でガープの言い分には全く説得力がなく、心に響くものもなく、私がもし海兵としてこの授業を受けているとしたら、「何いってんだこいつ」「海兵の風上にも置けない最低な人間だな」とドン引きするでしょうし、「お前こそ何のために海兵になったんだよ…」と逆質問して詰め寄ってやりたくなるでしょう。
しかもこの命題では、「ジジイと赤ん坊が…猛獣だらけの島に取り残された!!」という状況なのです。人(の未来)を救うために「海兵」になったのであれば、「自分1人島に残り、猛獣を殲滅する」という選択をとる(それができるくらい強くなる)のがまずあるべき姿、目指すべき姿ではないでしょうか。
船が襲撃に遭って大海原に投げ出され、目の前には2人乗りのボート1つしかない、といった切迫した状況であれば「誰の命を優先するか」という命題も成立しますが、「猛獣だらけの島」レベルでは「海兵が島に残って猛獣を倒す」以外の選択肢が浮かんできません。「絶対に敵わない猛獣」のように限定しない限り、「猛獣くらい1人でやっつけられなくてどうする」「弱き者に人は救えない。正義は貫けない。だから強くなれ」といった教えのほうがよっぽどしっくりくるでしょう。
つまり「市民2人をボートで逃し、島の猛獣を全滅させた上で助けを呼ぶ方法を考えます」と答えるのが「海兵」として真っ当な答えではないでしょうか。ジジイにボートを任せても遭難して2人とも命を落とす可能性が高いようなら、「2人をボートに乗せたまま自分が島の猛獣を倒し、ひとまず島で安全に暮らせる状況を確保してから3人で生き残る方法を考えます」でもいい。(超人だらけの)ワンピースの世界においては、「2人をボートに乗せ、自分が泳いで安全な島まで送り届けます」でもいい。
コビーの「自分がボートを降りて2人が助かれば」という答えをガープは遮り、「ハズレじゃバカタレ!!」と否定していますが、コビーは「(自分がボートを降りて2人が助かれば)自分は死んでもいい」とまでは言っていません。続く言葉が「自分は島に残って猛獣を全滅させた上で、助けを呼びます」だったらどうしていたのでしょうか。
ガープは「猛獣だらけの島」(ごとき)に海兵が1人残ることを、イコール「自分が犠牲になって死ぬこと」と決めつけ、真っ先に年寄りの命を犠牲にすることが正しいと説くのです。こいつの中の正義感や海兵像とは一体どうなってるんだと言いたくなります。
まず何よりも「一般市民を救う」ことが最重要の任務や大義としてあって、その上で自分達の命を考えるのが海兵のあるべき姿ではないのでしょうか。一般人の年寄りの命よりも、海軍の若き海兵の命を優先しろなんて言ったら、そもそもの海軍としての大義が成り立たないでしょう。
ガープ(尾田先生)の命題の立て方が下手くそすぎるため、全く共感のできない、説得力皆無の主張となっています。このセリフによって、私の中でガープの株は最底辺まで落ちました。今後、彼の正義や生き様をかっこいいと思うことはないでしょう。
なんでこういう、キャラクターを汚すだけの無駄な説明シーンを削ることができないんですかね。。
もし「授業」の回想を描きたいのであれば、「命題」は海兵同士・仲間同士のピンチの状況におけるものに限定すべきでした。海軍組織の中では、仲間を助け合う際の基準として、肩書きや階級よりも若者の未来を優先すべし(老兵のために若者が犠牲になる必要はない)という主張にしておけば、ガープならではのシンプルで説得力のあるセリフになったはずです。
しかしもちろん、見せ場のシーンをそのまま言語化したような、ネタバレ全開の「説明」を冒頭に持ってきては、クライマックスのインパクトが薄れてしまいます。
だから「この冒頭の回想は要らない」「カットすべき」というのが私の結論です。
「レッスン1」なんて即席後付け感のある異物回想など挟まず、ラストシーンでガープがコビー達を逃すために「わしらのような老兵の命は、若者の未来を守るためにある」といった演説をするほうがよっぽど説得力があって、感動的なシーンになったでしょう。(以前から命の優先順位について教えを受けていたと伝えるためだけの)回想など挟まなくても、これまでガープから色々なことを教わってきたであろうコビー達にとって、これがガープからの「最後の授業」となった、という展開だけで何の問題もありません。
コビーのチート強化
もう一つ引っかかったのは、やはりコビーの「オネスティ・インパクト」でしょう。これが打てた理由は、コビーが海軍に入隊してガープに特訓を受けている頃から、一人密かに「軍艦バッグ」のトレーニングを(拳を血まみれにしながら)していたからだそうです。
では、それだけのトレーニングをこなしてきたというのに、なぜコビーは自分の拳の威力に自信を持っていなかった(自ら「島の怪物」の手を破壊して止めようという発想に至らなかった)のでしょうか。そして、なぜ自分の拳に自信を持っていなかったのにも関わらず、打ったことのない規模の初出しの大技をいきなり発動することができたのでしょうか。
「軍艦バッグ」によって拳を強化していた(自分のパンチ力に自信があった)のなら、最初から自分のパンチで破壊しにいけよ(実際に破壊できるかどうかは別として、人々を救うために「今こそ修行の成果を発揮する時だ」と考えて、ダメ元でも立ち向かっていけよ)って話ですし、「軍艦バッグ」のトレーニングはしていたけど「島の怪物」の手を破壊できるほどの力はないというのなら、結果的になんで打てたんだよ、という話になってしまいます。
普通に考えて、「軍艦バッグ」で何年もトレーニングをしていたら、自分のパンチ力がどれくらい強化されたのか、その拳で何を打ち砕けるようになったのかなど、成果を試すないし実戦で感じられる機会があったはずです。秘密の特訓によってここまで強くなったぞ、と実感できないのであれば、何のための特訓なのか分かりません。
しかしガープから「手を破壊せよ!!」と言われ、「え!? あんな物 僕には!!」と返したということは、コビーは(軍艦バッグの修行はしていたものの)自分には「あんな物」を壊せるほどの力はない、と思っていたことになります。
にもかかわらず、なぜ「オネスティ・インパクト」のような桁外れの破壊力のパンチを急に打つことができたのか。
この「底力を発揮できた理由」の説明が全くないため、作者のサジ加減一つで唐突に強化されたご都合主義展開によってピンチを回避したようにしか見えないわけです。
強いてあげるなら「火事場の馬鹿力」ということになりますが、その裏付けが「軍艦バッグ」で、結果的に「島の怪物」の手を破壊するほどのパワーが身についていたということであれば、コビーは自分のパンチ力の強化に気づいていたはずだし、もっと自信を持っていて然るべきでしょう。
「そんな…!! さすがに今の僕にはまだそんな力は…」のような(特訓は重ねてきたけど自分ではまだ力不足であると思ってる)セリフや、「…!! わかりました…やってみます!!!」のように(自分ではまだ力不足であると思っているけど、今こそ特訓の成果を発揮する時だ、と覚悟を決める)セリフであれば、「軍艦バッグ」の特訓が背景にあることが生きてくるのですが、それだけのトレーニングをしてきておいて、この場で「え!? あんな物 僕には!!」と自分の力を完全否定するようなセリフを吐かせるのは、あまりにもリアリティがなさすぎて、大技を発動できることの説得力がなくなってしまいます。
で、実際やってみたら簡単に破壊できちゃうレベルの底力があったわけで、それだけの特訓の成果が身についていたというのだから、尚更第一声が「え!? あんな物 僕には!!」だったことの違和感が際立ちます。
自分のパンチ力など自分が一番わかっているはずで、最低でも、コビー自身がその修行によるパワー強化について自覚的でなければ、このシーンは読者にとってもコビーにとっても意味のわからないものになってしまいます。
なぜ無自覚に放たれた技なのに技名がついてるんだなんて(野暮な)ツッコミ以前に、最低限のリアリティや整合性さえ取れていない。
「少年漫画なんだからそんな説明や整合性はいらない」とか「漫画なんだから作者のサジ加減次第なのは当たり前だ」と思う方もいるかもしれませんが、それは、物語をキャラクター視点で読まずに、登場人物に感情移入せずに、作者視点で描かれた情報を追っているだけの読み方でしょう。(まぁその読み方で面白いと思える方はそれでいいですが、私はキャラクターに感情移入しながら読むタイプなので、作者の都合や作為が現れるほど、キャラや物語に没入できなくなってしまいます)
コビー自身の回想により、「軍艦バッグのトレーニングをずっと続けてきたけど、僕にはまだガープ中将のようなインパクトは出せない…でも、僕がやらなきゃ多くの人が命を落としてしまう…」といった心情から、覚悟を決めて修行の成果を発揮するという展開ならまだわかります。そして結果として、守るべき者の多さから予想だにしない底力が発揮され、「島の怪物の手」の破壊に至った、といった展開であれば許容できる。
しかしガープの回想で、「コビーが軍艦バッグのトレーニングをしていることをヘルメッポから又聞きしていた」という描き方では、コビーが「え!? あんな物 僕には!!」という反応をした理由も、にもかかわらず「オネスティ・インパクト」を放つことができた理由も、どちらも読み取ることができません。
もちろんコビーは自分の力を信じられていなかったけど、ガープはコビーの陰の努力を知っていたから、コビーの力を信じていた、ということなのでしょうが、こと腕力に関して、修行を続けていた本人よりも(その修行を直接目にしたり指導したりしていたわけでもない)他人のほうが修行の成果を理解しているなんてことがあり得るでしょうか。
実際はヘルメッポからその話を聞いて以降、ガープが修行をつけていたのであればまだわかりますが、であればその様子をきちんと描いて読者に伝えなければなりません。
説明不要なことについてはしつこいくらいセリフで言語化してくるのに、説明の必要な箇所については雑に済ませてしまうのが今のワンピースの悪いところです。
今の描き方では、密かに軍艦バッグのトレーニングを続けてきたコビー自身は自分のパンチ力に自信がなく、「島の怪物」の手を破壊できるほどの力はないと思っているが、その情報をヘルメッポから又聞きしていたガープは、実際のトレーニングを見ていたわけでも指導をしていたわけでもないけど、それだけ努力をしてきたコビーなら「島の怪物」の手を破壊する力を身につけてるはずだと信じて任せた、ということになります。
まぁ100歩譲ってガープが勝手に信じるのはよしとしても、コビーが自分のパワーや修行の成果を信じられていないというのは、あまりに不自然で、コビーが心の通った一人のキャラクターに見えません。
まとめると、「軍艦バッグ」での特訓についてコビーの内心が描かれていないため、「オネスティ・インパクト」の唐突感とご都合主義感が際立ち、コビーが打ったのではなく作者に打たされたようにしか見えなくなっているわけです。
もっと言うと、鋼鉄を素手で殴り続けることが、なぜ拳の強化になるのかもよくわかりません。せめて武装色を身につけた後に、破壊力の強化のためにできるだけ硬いものを殴る、というのならわかるのですが、コビーのようなただの一般人が覇気も纏わずにそんなことをしていたら、強化される前に骨が折れて終いでしょう。漫画なんだからそんな細かいことは気にするなという方もいるでしょうが、コビーの強化イベントとしてリアリティがなさすぎるため、彼の大技披露に説得力がないのです。
コビーを強化する必要性
そもそも、コビーごときをここまで強化させる展開にする必要があったのかとも思います。
仮にコビーがこのまま驚異的な成長を遂げて(宣言通り)「大将」まで上り詰めたとして、「ルフィvsコビー」の戦闘を見たい読者などいるのでしょうか。圧倒的な力の差があると(ルフィもコビーも読者も)わかった上で、エキシビジョン的な勝負を描いてくれるのならいいのですが、本編ストーリーにおいて、両者の実力が拮抗するレベルまでコビーを(作者のサジ加減による説得力皆無のご都合主義チート)強化をしてルフィと互角の戦いをさせる展開など、誰一人期待していないでしょう。
であれば、コビーの実力アップや驚異的な成長など、わざわざ描いて見せる必要などないと思うんですよね。。知らないところで勝手に成長して、再開した時にルフィや読者が驚くような力を発揮する(それでもルフィには敵わない)という展開で十分で、ちょうど頂上戦争の時に再会した時の描き方がベストな塩梅でしょう。
どう描いていれば面白くなった?
1088話の構成でいうと、「冒頭の回想はいらない」というのが私の結論ではありますが、もし回想を残すのであれば、以下の形にしていれば、もっと説得力があって、すんなりと内容が入ってきて、キャラクター達が損をしない描き方にできたのではと思います。
- 冒頭の「授業」の回想で、ガープは「海軍組織における仲間の命の優先順位」について教えを説く。それは肩書きや階級よりも「若い海兵の未来」を優先しろ(老兵のために若者が犠牲になる必要はない)というものだった。
- コビーはこれに反論し「自分は人を守るために海兵になったのだから、目の前の誰かを見捨てるようなことはできない」と返す(ここでコビーのまっすぐで青臭い信念や正義感を描く)
- その上でガープは、「対市民についてはその信念を貫けばよいが、組織において優先されるべきは若者の未来じゃ」と、さらに一歩上の(年長者だからこそ見える)視点を示し、コビー達若き海兵の未来の価値を説く。
- しかしコビーは引かず、「それでも僕はみんなを助けて、自分も助かる道を選びます!! そのために強くなります!!!」と反論。
- 感情的になったガープは「この分からず屋め!! 老い先短いジジイの命など見捨てていいんじゃ!!!」と極論を吐き、別の教官が止めに入るギャグ締めにする。(売り言葉に買い言葉で出てきた極論としてギャグ調にすることで、ガープのこのセリフの問題発言度合いが弱まる)
- その授業をきっかけに、コビーは命の選別などせずに済むように、みんなの命を守れるように、強くなろうと誓い、「軍艦バッグ」で密かにトレーニングを始める。
- ガープはそんなコビーの努力を見ていたからこそ、コビーの力を信じて「島の怪物」の手を破壊するよう命じる。
- 「お前は わしのようなジジイも助けるために これまで特訓を続けてきたんじゃろう?」のようなセリフで、コビーの青臭い正義に理解を示しながら、自分の信念を貫いてみせるよう勇気づける。
- コビーはその言葉によって当時の誓いを思い出し、覚悟を決めて「島の怪物」の手に立ち向かう。
- 命の選別をせず、目の前の人々をみんな救いたいというコビーのまっすぐな正義感から放たれたパンチは「“実直(オネスティ)拳骨(インパクト)”」
- コビーのおかげでピンチを脱した船は逃避に成功。しかしガープはその場に残り、「そのまま全軍前進でハチノスを離れろ…!!! お前達が逃げ切ることが最重要事項じゃ!!!」と命じる。コビーの正義に理解を示し尊重はするも、ガープにとっての正義は「老い先短い年寄りの命を犠牲にしてでも、若者の未来を守ること」だった。(ガープの「わしゃ何とでもなるわい」というセリフはカット)
- コビーはピンチは脱したものの、今から一人ハチノスに戻って黒ひげ海賊団全員を相手にしても勝ち目はない(=自分の力が足りていない)ことがわかっているため、ガープの強さを信じて(ガープが死ぬことはないと信じて)、拳を握り自分の無力さを痛感しながら、ガープを残して一旦引くことを受け入れる。
- コビー達にその選択を受け入れさせることが、ガープにとっての「最後の授業」だった。
上記のような展開であれば、ガープの教えの深さや偉大さ、コビーが「オネスティ・インパクト」を打てた理由、冒頭の授業と「最後の授業」というサブタイトルのリンクなど、いずれの面でもより説得力のある内容になったのではと思います。
というのも、今の描き方では、「最後の授業」とは「自分達より圧倒的に強い“伝説の海兵”であるジジイを、本人から『わしゃ何とでもなるわい』と言われた上で置いていき、若き海兵達が優先的に脱出する」という選択を迫られただけになっていて、冒頭の授業とは状況や判断の意味合いが全く異なるものになっているからです。
ここでは、せめて「わしの命はここで終いじゃ」のように、ガープに死を思わせるセリフを吐かせなければ、コビー達に究極の選択をさせる「最後の授業」になりません。少なくとも「わしゃ何とでもなるわい」というセリフはカットして、ガープの本心がわからない描き方をするべきでした。
もちろん、ガープのこのセリフはただの強がりであり、コビー達に早くハチノスを離れさせるためにあえて口にしたハッタリでしかない(実際は死を受け入れ、自分が犠牲となって若い海兵達の未来を守った)とも捉えられますが、それなら尚のこと、もっとガープの死を匂わせる描き方をしなければ読者に効果的に伝わりません。
ガープは自分の判断で、「わしゃ何とでもなるわい」と言って一人ハチノス(猛獣のいる島)に残る決断をしており、冒頭の命題に合わせると、ガープが命の選別をする側(=守る側)の人間であって、ガープは一人でも「何とでもなる」と思っているからこそ、猛獣のいる島に残り、若き海兵達を逃す選択をしているわけです。(上記で私が「海兵としてあるべき姿」とした選択です)
コビーの立場からすれば、そうしたガープを置いていく(見捨てる)ことは、冒頭の命題とリンクする選択になるとも言えますが、上述の通り、一般市民のジジイを見捨てる状況と、自分より圧倒的に強い「伝説の海兵」であるジジイを置いていくのとでは状況や判断の意味合いが異なるため、冒頭の授業とのリンクが弱く、「最後の授業」としての意味合いが薄まってしまいます。
今の描き方では「どうせガープは死なない」と思っている人が大半ではないでしょうか。だからいまいち「最後の授業」が心に響かず、涙腺崩壊まで至らないのです。「前半の海」の頃のワンピースであれば、このシーンは号泣必至・鳥肌ものの名シーンとして描くことができていたでしょう。
尚、もしここでガープが死亡する展開にするのであれば、サブタイトルは「最期の授業」にして、コビーは(結局はガープの教えを受け入れざる得ない状況になってしまった)自分の無力さを悔やみながら、ガープの死を受け入れる展開にすればよいでしょう。
そうすれば冒頭の授業の教えとも完全に一致し、ガープから若き海兵達への「最期の授業」として、完璧な回収の仕方となりました。
まぁここでガープを死なせるわけにはいかないでしょうから、「最後の授業」として描くパターンで問題なかったと思いますが、ガープは死なないとみんなわかっているような中での「最後の授業」では茶番にしかならないため、「わしゃ何とでもなるわい」は確実にいらなかった、というのが私の結論です。
総じて、尾田先生はこのハチノスでの一連の出来事を通して、一体何を描きたかったのかがわかりませんでした。
ガープは海兵としてあるまじき価値観を披露して復元不能なレベルまで株を落とし、死ぬことはなさそうな見せ方で「最後の授業」を披露し、青キジはただの信念を失った空っぽの裏切り者として小物化して描かれ、黒ひげ海賊団の面々は完全に牙を抜かれたモブ敵と化し、コビーは説得力皆無の作者都合のチート強化がなされ、その他海軍の有象無象の(ビジュアル以外に個性のない)リアクション要員のモブ新キャラが大量追加されただけ。
ハチノスでの戦いのハイライトや興奮できたポイントがある人はぜひ教えていただきたいです。
私の中で「ワンピース」は「史上最も好きな漫画」であり、まだ「前半の海」での評価の貯金が残っているからです。
ワンピースが大好きだったからこそ、この先改善されることを(いつまでも)期待して読み続けてしまっているわけです。その期待や熱量がゼロになったら読まなくなると思います。
実際「エッグヘッド編」以降、つまらなさが許容量を超えてきており、熱量は急速に冷めてきています。コミックスも104巻からついに購入をやめました。
ジャンプは購読して読み続けていますが、これもお金の無駄だと感じるようになったら卒業するかもしれません。
ニーズがあるからです。
上記の通り、最初は「史上最も好きな漫画」であったことから、(この先つまらないワンピースとして残りのエピソードが削られていくことに耐えられず)改善されることを願って批判をしてきましたが、もはや作品は崩壊し切ってしまったため、今は改善を期待しているわけではありません。
ただ、ワンピースという作品は、日本一売れている漫画だからこそ、熱量の高い(高かった)読者も多く、私と同様に「つまらなくなってしまった」と感じ、それを無念に思い、不満や釈然としない気持ちを抱えている読者の数も多いのです。
そういう方達にとっては、自分の気持ちを代弁してくれる記事や、自分の本音の感想をコメントして、同様の感想を抱いている方達と共有できる場には一定の価値があり、そうしたニーズに応えることにもまた一定の価値があると思っているため、運営を継続しています。
ニーズがあるからです。
ブログのようにテキスト情報だけ(それも超長文)だと、文章を読み慣れていない人にはハードルが高かったり、読む気にならなかったりする(実際、そのような声やリクエストがあった)ため、記事を動画化してYouTubeに投稿することにしました。
もっと批判や誹謗中傷コメントで溢れるかと思っていましたが、(ブログ読者の方に限らず、新規の方でも)共感し、更新を楽しみにしてくださっている方が相当数いて、ここにもニーズがあることがわかったため、運営を継続しています。
余計なお世話としか言いようがありません。
自分の人生の時間の使い方は自分で決めます。
あなたこそ、見ず知らずの他人の人生に意見するような無駄な行為に時間を使うのはやめたほうがいいのではないでしょうか?
他人の人生に口を出す前に、どうぞ自分の人生の心配をしてください。
論理が破綻しており、全く筋違いな言い分です。
プロの作家が商業作品として世に販売している時点で、それを購入した側が評価したり、感想を述べたりするのは当然に許された権利です。
私は読者(消費者)であって、漫画家ではありません。漫画を描きたいわけではなく、面白い漫画を読みたいからお金を払って購入している立場であり、購入した作品の内容に不満があるから、批判的な感想を述べているわけです。
あなたはお金を払って観に行った映画が酷い仕上がりでも、「自分に映画は作れないから文句は言えない」と考えて口をつぐむタイプですか?
購入したゲームがクソゲーでも、「自分では作れないから文句を言う資格はない」と考えるタイプですか?
お金を払って観に行った音楽ライブで、アーティストが音を外したり声が出てなかったり歌詞を間違えまくったりして全く感動できないパフォーマンスを披露しても、「自分のほうが歌が下手だから批判すべきじゃない」と思うのでしょうか?
飲食店でマズい料理を出されても、「自分で作れないんだから(店を開いてないんだから)文句を言う権利はない」とか、「文句を言えるように、まずは自分で作れるようになろう(店を出せるようになろう)」と思うのでしょうか?
市場に商品として投下されている時点で、それを購入した消費者からの評価は避けられません。作り手はそれを分かった上で、自らの意志で作り手側(買い手から評価される立場)を選んでいるのです。
一方の消費者は、自分ではできないからこそお金を払って人に任せているのであり、そこで期待したクオリティに達していなかった場合に、低評価を下したり、批判したりするのは当然に許された権利です。
「購入した商品について批判するためには、自分がその商品以上のクオリティのものを作れなければならない(文句を言うなら自分で作れ)」なんてあまりにも本末転倒で筋違いな暴論です。
頭の悪い人だとバレてしまうので、金輪際そうしたコメントはしない方がいいですよ。
尚、私がこのブログで批判しているのは、基本的に尾田先生(漫画家)ではなく、担当編集者です。編集者視点で、「なぜこの部分を直さないのか」「なぜこの内容でOKを出してしまうのか」という批判をしているのです。
その意味でも「文句言うなら、自分で描いてみては?」という主張は的外れですが、もし「文句言うならお前が編集者をしてみろ」と言われ、実際に依頼をしていただけるのであれば、私は喜んでお受けします。
そして、私が編集者になった後のワンピースがつまらなければ、当然批判も受けとめます。
その覚悟を持って(編集者を)批判していることをご理解いただければと思います。
心配しています。
このブログでは、基本的に尾田先生ではなく、担当編集者を批判するスタンスをとっており、尾田先生の健康や多忙を心配するコメントを過去に何度もしています。
なんなら長期休載に入ることや、連載ペースを落とすことを推奨している立場であり、そうした対応をせずに原作以外の仕事を次から次へと振りまくって尾田先生に負担をかけ、作品の劣化を放置し続ける編集者を批判しているのです。
なぜなら、1人の人間が週刊連載で何十年も面白い作品を(世間とのズレを生む事なく)描き続けることなど、そもそも不可能だからです。肉体的に困難なのはもちろん、作者1人の感覚で何百万人という読者の感覚とズレることなく、質の高い作品を描き続けることなどできるはずがないのです。
そのズレを正すのが編集者の役割であり、作品の質を維持するためには編集者の客観的視点が不可欠だというのに、全く機能していないことが露骨に作品に出てしまっており、にもかかわらず原作以外の大量の仕事を振って尾田先生からネームや作画の時間を奪い続け、作品の劣化に歯止めがきかない状況を進行させているため、その点を指摘して批判をしているわけです。
尾田先生の健康面の心配はしていますし、「作品への批判」と「健康面への心配」は両立するものです。
思いません。
「少年漫画」だから大人の観賞に耐え得るクオリティになっていなくて当然(あるいはそれでも問題ない)という考え方は、「少年」の読解力や感性を「(自称)大人」の勝手な思い込みと偏見で侮り、間接的に「少年漫画」を見下していることと変わりません。レッテルに囚われた思考停止人間の典型です。
少年を侮り、少年漫画を見下し、少年漫画のファンとして感想を述べ合う大人達を「異常」だと言ってのける人間のほうが、よっぽど異常だと私は思います。
読者アンケートの順位は相対的なものなので、「1位のままだからワンピースは劣化していない」という論理は成り立ちません。
ワンピースがどれだけつまらなくなっても、他の作品が抱えているファン数がワンピースよりも少なければ、ワンピースは永遠に1位のままです。「アンケート回答するファンの数=作品の絶対的な面白さ」ではありません。
ワンピースは「前半の海」で蓄積した熱狂的ファンがあまりにも多いので、ジャンプのアンケート回答においては、今度もほとんど1位をとり続けるでしょう。
私の中で「信者」の定義は、「何を描かれても無条件に絶賛し、全て肯定的に解釈して作者を持ち上げる読者」を指しています。
そのため「つまらない部分やおかしいと思う部分は多少あれど、普通に面白いし楽しめている」とか、「前半の海よりも面白さが失われたとは思うけど、新世界編も総じて楽しめている」といった読者は、私の言う「信者」には含まれません。
作者にとって有害かどうかは作者が決めることですので、本人に聞いてみてください。
ただ「つまらない」「くだらない」「ゴミ」「読む価値がない」「お金の無駄」「オワコン」「資源の無駄」といった捨て台詞で、作品を貶めるだけの(ほとんど誹謗中傷でしかない)批判は「有害」だと思いますが、きちんと作品を読み込んだ上で、「なぜつまらないのか」「何が問題なのか」を考え、「どうすれば改善されるのか」まで提示した上で行う「論理的な批判」は、(作者個人は求めていないにせよ)私は「有害」とは思いません。
というより、そうした批判を行う権利は誰にでもあるので、それが有害かどうか議論すること自体がナンセンスです。
それこそ「嫌なら読まなければいい」のです。
煽り体制が低いのは事実ですが、勘違いコメントや難癖コメントを放置すると、それを見た方に誤解を与えたり、場が荒れたりしやすく、早々に対処しておく必要があるため、説明なり反論なりをしています。
えてしてそういうコメントをする人ほど、放置するとそれを「肯定」と見做して、さらに誤解を強めて暴走しやすい傾向にあるからです。
たとえば「煽りコメントにだけ返信してねェw 効いてる効いてるww」とか「図星だから反論できねェんだw」とか「何も言い返せないから逃げやがったww 悔しかったら反論してみろやww」のような言い分です。(そうなると対処にさらに時間がかかるので、早めに処理しています)
また、私への直接的な質問系のコメントやうれしいお言葉にも、できるだけ早めに答えるようにしています。
記事への感想や建設的なコメントについては、読者さん同士でコメントやリアクションをしていただけているので、慌てて私がコメントせずにおまかせしている部分もあります。私がコメントするとそこでやりとりが終わってしまい、読者さん同士の会話が生まれづらくなったりもするので。
色々状況を観察しながら、よいコメント欄になるよう運営していきたいと思っています。
今考えると1080話でガープの技名が急に拳骨(ゲンコツ)→拳骨(ギャラクシー)に変わったのって「コビーにガープの技をマネさせよう!名前は実直拳骨で決定!」→「でもオネスティー・ゲンコツじゃダサいな……」→「ちょっと前からガープに活躍の場を与えて、そこで技使わせて拳骨を英語に変えたらいいか!」って感じの理由だったんでしょうね……
でも結局コビーの技名に使われたのはなぜか「拳骨衝突(ギャラクシーインパクト)」の「衝突(インパクト)」の方で、「オネスティー・ギャラクシー」にはならなかったという(こっちのほうが韻踏んでる分まだマシかも)
後に残ったのは無意味に拳骨(ゲンコツ)→拳骨(ギャラクシー)→拳骨(インパクト)とコロコロ変わったという結果だけ……尾田っちこれ別に拳骨の読み方変えなくて良かったんじゃないの?「ガープはなんの心変わりがあって技の命名法則変えたん?」ってなりますし
結果的に『実直拳骨』の初使用の描写も不自然極まりないし、振り返るとこの辺の”英雄コビー”をやりたいんだろうなって描写は失敗しまくりって印象ですね
この人の記事は納得できるものもあるけど〇〇ごときってキャラを見下して自分を棚に上げるから嫌いなんだよな
もうこの、
灰色の四角内の[なべおつさんの考える最高の流れ]
を本編として続き読み進めていこうと思います。
ちゃんと感動したし授業受けた気分になれました。
ここのブログに反論してくる人が今のワンピースが具体的にどこがどのように面白いのかを語ってるのを1度も見た事ない。記事への反論も自分の妄想を根拠にしてるようなものばかり。マジで残ってるワンピ読者って皆こんなんばっかりなの?もう蠱毒やん。
荒らしが出たのはむしろ、このブログに対する抵抗がそれくらいしか無い事の裏付けになるな。使ってるネットの定型がどう見てもオッサンなのが哀愁あるし。
せめてちゃんと議論できる内容ならもっと構ってもらえたろうに。
最近作中では、
緑牛がワノ国→白ひげの故郷
シャンクスやキッドがワノ国→エルバフ
と移動描写を省いて将棋の駒みたいにポンポン人物が置かれ(動かされ)ています。
そのうえ場面転換の順番も滅茶苦茶で、必要ないのに続けて描かずに、数話空けたりしていますよね。
週刊にしろ単行本にしろ読んでて気持ちが悪くなるテンポだと思いますし、このような描き方が良しとされる理由が私には想像出来ません。
「考察勢の出方を見ている」「勿体ないので一気に描かない」「話をその都度考えている」等みなさん様々な意見をお持ちだと思いますが、一番は『他作品との比較が容易にできる現状』でこれをお出ししている製作側の意図が気になるところです。おかしいと思わないのかな…。
この辺に世界一の漫画の驕りを感じます。基本が出来ていないんですよ。
ようやくルフィサイドに話が戻るようですが、そのままキリの良いところまで描かれるという確証も最早ありませんし、新情報が何の伏線も無く登場したりするような今の状態で、どう読めば良いんでしょう。
これも楽しむ努力が足らないって事なのでしょうか?
なべおつさーん!蛆が湧いてるのでブロックお願いしまーす!
なべおつさんってチー牛食ってそう
ギア5初登場のアニワン1070話(原作1044話)を視聴した感想です。セリフの不自然さや構成の悪さはなべおつさんが記事で指摘されている通りで「酷い」の一言です。
【良かった点】
・戦闘BGMがニカルフィ用にアレンジされていた。
・ニカルフィがカイドウを鷲掴みしたシーンでのモブの「えぇぇぇぇ〜〜!?」リアクションがカット(声だけ)。
・1070話からEDが追加。映像は良かった。曲は聴く気がなかった。
【悪かった点】
・「解放のドラム」「ジョイボーイ」の演出のダサさ。
・ゴム化した地面に弾む「ポヨン」「プヨン」のSEが最悪で気が抜ける。巨乳が揺れてるSEと変わらない。
・「これがおれの最高地点だ」のシーンの作画をAパートの中だけで2回も使い回し。1話だけで3回使った気がする。ポプテピピックでも使い回しは1回までだぞ?
・日和とオロチとのやりとりシーンで、三味線の音と弦を弾く動きが全く合っていない。こういう細かい所が凄く雑。
・ニカルフィとカイドウのギャグバトル全て。アニメでは混乱のピヨピヨ、真っ黒焦げまで追加させて原作よりも更にギャグ化する始末。
・カイドウのボロブレスをニカルフィが跳ね返すシーンで、あえてニカルフィの作画を崩す事でスピード感を表現したはずなのにボロブレスを跳ね返すまでもたもたもたもた…。ボロブレスを跳ね返された直後のカイドウの「え?」というリアクションと作画は良かったけど、その後の真っ黒焦げカイドウで台無し。
・いちいち攻撃が派手なのにカイドウには全然効いておらず映像としてシンプルにくどい。
・ニカルフィに声が入るとただのキチ◯イでビジュアルも相まってシンプルに気色悪い。極太白眉はいらない。
とまぁこんな感じですね。何回か見たら更に出てきそうですが、ただの苦痛なのでもう見る事は無いでしょう。他作品の脚本は削り落とすイメージですが、アニワンの脚本は引き伸ばし優先なので、どんなに作画に力を入れてもテンポは悪いし緩急も無いので見ていて疲れますね。常にビカビカ光ってるので目にも悪そうです。
ついでに誰得情報となりますが、REDが1ヶ月限定で再上映されるみたいです。
通常は面白い魅力的な作品であるほど人気がついてくるのが道理ですが、ワンピースに関しては人気作品にあるべきはずの魅力を大きく損なったにも関わらず、いまだに大人気漫画としてまかり通っているのがちょっと信じられないというか、壮大な社会実験として見ると興味深くすら思えます。ワンピース程の大規模な読者を持つ漫画が、世間に大人気だと認識させながら原作のクオリティをここまで低下させる現象など、今後見ることできない稀有な事例になるのではないでしょうか。
あらゆるコンテンツにおいて、世代を超えて読まれ続ける名作というものはどれだけ人気が出たのか(≒広告が成功した)ではなく、どれくらい中身のある魅力的な作品なのかに尽きると思います。
ワンピースにおいては、名作として将来も読み継がれるという長期的成功を捨て、目先のビジネスのための消耗品として物語の世界を蔑ろにし、作者の隠しきれない承認欲が見えてしまうような漫画になり果ててしまったことが残念でなりません。
ワンピースアニメのニカのCMが最近良くなるけどルフィのセリフ一つ一つに悪い意味で鳥肌がたつのじゃ……っていうか主人公の新形態をここまで宣伝することってある?
コモドラとノワールっていう奴らXで色んな作品に文句言うわりにワンピースは絶賛してるのマジでなんなん。しかもこいつらが語るトリコだって終盤コケたのにそこにも触れない。もしかしてこいつら尾田と島袋の信者か何か?
読者は悔しいんよ
天下取れる器や逸材を自らめちゃくちゃにして
すすんで悪いところ指摘して喜んでる奴なんかいないんよ
もっと考える余裕があれば良い演出となるのに、そうもせずに描いてしまって、これが作品として永久に残り続けるんだから残念極まりない。
このブログで劣化を指摘し続けられてきたんだから、尾田は後悔しても後から言い訳できないぜ。
エッグヘッドでのギャグなんて失笑モノなうえに、世界情勢にターンが移ってからまともな会話すら描けていないけど「最後の島で笑う」なんて本当に描けるのか?
結局は作者と頭パーンな読者だけが面白いと思ってるか、キャラクターが不自然にリアクション取らされてる現状なのにねえ。
なんか最近の変な盛り上がり方も、
金目当ての考察者気取りと
思考放棄した読者と
それらを釣る為に節操なく宣伝する公式
しか居ないように感じるんだよね。てかそうじゃないと困るわ。本気で面白いと思ってる奴がいるとかちょっと信じられないから。
娘に「昔は面白かった」と言っても信じてもらえません。
確かにジジイを置いて行けは破綻してますね、改良案の方が良いです。
ガープ結局生きてるのが見えて何も感じませんでした
最終回もほとんど生きててハッピーエンドでしょうし。
皆様に提案なんですが
コミックス買うの止めませんか?
売り上げ下がる→何とか変えなければ→質上がる
可能性としてあると思うので。
自分はジャンプフェスタでポスター買ったぐらいです(強制ではありません)
自分も皆様も実は最初から分かっていますが声は届かないです。
握り潰されますし、聞く人じゃ無い
どんな内容でも毎回二百万近く売れるので足元見られてる、我々も文句言うATMと思われてます。
他の人も言ってますがそうです、あと五年も新時代もジェットコースターもビジネスの為のリップサービス
継ぎ足して引き延ばせば毎回二百万、会社としては止める理由が無い。
なので唯一、確実な方法が不買だと。
マジで尾田を漫画業界から追放してほしいわ。
尾田曰く
「最終章だと最終章だとまぁ、あおっちゃったのは僕なんだけど、言う程あっという間に終わったりはしませんから、肩の力抜いて気軽に読んでもらえたらいいなと思います」
「来年の原作『ONE PIECE』は、まさかの!! あいつとあいつが戦うの!?みたいなお話になります! タイトルをつけるな『ONE PIECE』ら『大・混・戦』!! 誰も死なないで~!! 来年の『ONE PIECE』も超ご期待ください!!」(文章おかしいですが原文ママ)
いやおかしいだろw
大混戦なら、モブ含め犠牲者が出るのがほぼ確定事項 & 醍醐味なのに「誰も死なないで」は
読者舐めてんのかと
肩の力抜いて気軽に読めって・・・
気軽に読みたいのに、クソみたいなギャグや雑音が多すぎて見るに堪えんわ。
ひねくれた考えだが、肩の力抜いて気軽に読め = 脳死で読めって言ってるようなものだからな。
ガチファンであるなベおつさんの改善案のほうが何十倍も見応えある時点で、尾田はもう漫画家としては失格だな。
もしなべおつさんが作者だったら、ガープのみならずエースも意味のある死として描いてくれたと思う。
ガキでもスマホ持ってるから昨今の「過剰なブームを生み出せる」流れは止まらないし、公式がノリノリで広報してる限りクオリティの回復は絶対に有り得ない。
映像作品が当たれば一攫千金の時代に、作者が監修しました!こんなコメントしてます!で賛同意見を集められればビジネスとしては成功だからね。
例のステマ騒動みたいなネガティブな話題も今はどこ吹く風でしょ?善事も悪事も一瞬で消費されて過ぎ去るんだから、ポジティブなそれらしいコンテンツを供給し続けるだけでいい。そしたら考えるのが苦手な人達は見たくないものを見なくなる。そういう「エサ」が最近の単行本告知MVだったり、(ツイートに載ってる)作者の八方美人コメントだったりするわけ。ひたすら供給、ただそれだけ。
新時代ガー若者ガー老人ガーと喚いてるけど、おめぇら(製作側)が一番この時代のやり方にドップリじゃんかよっていう。
アイツらの言う新時代ってのはクソだ。
1話の中に
「あんな物、僕には!!」
ちょこっと修行シーン回想
「実はすんごい技だせましたー!w」
こんなのがまかり通るなら、この先どんなピンチも緊張感ゼロでしょ(笑)
与えられた情報からこのピンチをどう切り抜けるか想像する「連載漫画の本来の楽しみ方」そのものをを奪ってますよこんなの。
金田一少年で言えば「解決編」で新たなヒント出すみたいなもんです。
こんなのは読者の裏をかいてるんじゃなくてただ騙してるだけです。
そこまでして考察に勝ちたいのか。。(笑)
逆に新世界以降でしっかりと成立していた伏線って何があるだろう?
カン十郎の絵が下手なのは利き手の逆で描いてたからくらいしか思いつかん。
もしもニカ&コビーの丁寧な前振りを描いていた場合→考察に展開読まれまくり、当てられまくりで尾田栄一郎のストレスマッハ
ニカ&コビーがいきなり覚醒(現状)→行き当たりばったり思い付きの雑な展開にしか見えず読者のストレスマッハ
詰んでいたのだ、初めから───
この先、こんな付け焼き刃なパターンの繰り返し
なら徐々にまともな客が減ってくだろうね
信者が最後の砦なら飽きられるか目が覚めた時がどうなるか
この先、こんな付け焼き刃なパターンの繰り返し
なら徐々にまともな客が減ってくだろうね
信者が最後の砦なら飽きられるか目が覚めた時がどうなるか
まずは台詞のひどさと絵の汚さをなんとかしてほしい。
ゲームや玩具会社に魂を売って不自然な技名叫ばせるのがOKなら
おとなしく編集つけて言うこと聞いてくれてりゃよかったのに。
まともな読者は減っていって
いまは伏線厨の妄想素材でしかないんじゃない?
ただし伏線張るのが上手い作家は、こんな酷い展開を描かないはずだけどな・・・
なべおつさんの指摘に深く共感しました。
「え!? あんな物 僕には!!」→「オネスティ・インパクト!!!!(確信があったわけでもないのに急にオリジナル技名叫んで殴ったらめっちゃ強くてシマシマで作られた巨大腕を破壊)」って流れはただのギャグ漫画みたいですよね……
コラ作れそう。
コビーのご都合主義チート化展開がいくらクソだとしても
コビーが大将になる展開は魅力0の緑牛より面白くなりそうだと思ってしまう
実際、ルフィの成長なんかは全く描けていないですよね。仲間の強さへの信頼と、その仲間が死なない事はイコールじゃないとエースの死からも分かる(戦闘力ではなく精神力が仇となった)ように。
ワノ国では奴隷達に根性論叩き込んだ後に、お汁粉含めた腹一杯食える世界を標榜しておいて『じゃあふざけまーす』だし、コイツは作者が思い付いたそれらしい台詞をその都度吐くだけの人形なのかと。Dの意味はdoll(人形)のDなのかと。
とても人の死を乗り越えた強者には見えないし、ガープやコビー然り肩書きや経験と描写がことごとく乖離していて、それらをうっっすい取って付けたようなご都合主義で隠している。
カッコ良い言葉の中身には何も無くて、キャラの関係性が描かれておらず「土台」が無いので全く没入・感情移入できません。
そこら辺について、褒めている方々はどう思っているのでしょうかね…。いやそんなこと考えてないのかもしれない。
伏線とはどこまで施せば伏線になるのか
でまかせの後付と伏線の違いとはなにか
芋掘りでいうなら畑のツタを引っ張ったら芋が出ててきたってことだよな?
話の根幹ならもっと早くから説明して納得できるようなくだりが必要なんだよ
急にうわさ話とか聞かされても伏線にはならんと思うのだがとってつけを伏線とか思う人はどう考えてるか逆に気になるな
なべおつさんのコビーとガープの改善案を読んで、素直に感動してしまいました。2年前はこの様なキャラクター同士のやり取りがしっかり描かれていたと思います。だからこそ感情移入しやすく、読んでいてとても面白かったんですよね···。
頂上戦争の時の泣きながら赤犬の前に立ちはだかった時のコビーの想いや、ガープがエースもルフィも大切に思うからこその葛藤や行動が大好きです。今のONEPIECEではこういうシーンがほとんど見られないのが非常に残念です。
なべおつさん、いつも本当にありがとうございます。またブログ更新楽しみにしています✨
なんかワノ国思い出した。
コビー「え!? あんな物 僕には!!」 → オネスティ・インパクト発動
モモの助「無理でござる!」 → 焔雲、ボロブレス発動
どちらも尾田の都合で描かれた主人公補正ならぬヒロイン補正としか言いようがない。
まぁ修行シーンがあった分、コビーの方がだいぶマシだとは思うが・・・
今の作風が尾田の素の描き方だとすれば、それはそれでまた分析しがいがあるかも。
とにかく理屈を調整する編集役がいなくなると、漫画の中で尾田の人間性がわかっちまうなぁ。
とにかく都合がいいことしか考えてないのは確かだね。影響を考えるのが不十分じゃないかな。
モブキャラの目玉飛び出しがいちいち白けさせる
もう少しシリアスにバトルさせりゃいいのになんでクザン殴ったりピサロ殴りに来るだけでモブ驚かせる必要あるの?出だしあれだけ暴れて不意に刺されたらもう終わりってなんか寂しすぎるわ
>総じて、尾田先生はこのハチノスでの一連の出来事を通して、一体何を描きたかったのかがわかりませんでした。
おそらくコビーの、ガープの意志を継ぐ者としての印象付け、でしょうか。
今後の展開で、ゴッドバレーの再現みたいな話を書きたいんだと思います。
ルフィ(ロジャーの意志を継ぐ者)
コビー(ガープの意志を継ぐ者)
が手を組んで、
黒ひげ(ロックスの意志を継ぐ者)
と対決する。
そこから逆算してこの話を作っているので、
単話で見ると唐突感や不整合が多発しているんだと思います。
たぶん。
これはなべおつさんを下げる発言ではありませんが、プロなんだからなべおつさんが考えた構成案くらいの話は最低でも作れよと…。
短期間でウタとヤマトというクソキャラ二体を産み出したのがスゴイ!(褒めてない)
そういえば8月の7日についにニカの覚醒シーンがアニメで放映されるらしい。原作より臨場感があってワクワクした。この回だけは予約して見ようかなって思う。
ガープ死亡→え?死んだの?(イゾウパターン)
ガープ生存→まあ生きてるわな
(なんで助かったのかは描かれない)
結局やりたいことありきでその場しのぎの展開にするから矛盾やツッコミどころだらけになるんだよな
もう「作者はこういうこと書きたいんだろうなあ」って読者が察する形になってることが多い
それくらい今のワンピは内容を全く精査してないようにしか見えない
クソつまらん新人の読み切りレベルで話がめちゃくちゃだわ
子供にとってジジイしか身寄りがおらず、ジジイがいなくなると子供は生きていけなくなってもガープはジジイを見捨てるのかな?
ガープに殴り飛ばされて海に沈んだサンファン・ウルフが、ガープが氷漬けにされるページで普通に集合してませんでした?
つい先週「窒息しちまうぞ!」「どうやって引き上げるんだよ!?」みたいなモブの会話をやってたのに普通に「どう引き上げたかor目覚めたか」を飛ばすんですか……
ガープが海賊島の連中に敗北したのは電伝虫が繋がってるから、コビーたちが脱出するまでの僅かな間ですよね?こんなのウルフ出さない方が良かったんじゃ
英雄の強さは生まれもったものじゃないとか、人より戦闘の才能がないとか作中で何回も説明してコビーを努力で成り上がった人物に見せたいのは伝わってくるけど、軍艦毎日殴る特訓を数年してたらここまで強くなりましたってシーンを見せられると単純にめちゃくちゃ戦闘の才能があっただけにしか思えない。
いやもちろん努力の量もすごいのは分かるけど、ワンピ世界の強者って一般的なモブとは世界観が違うレベルの強さ持ってるから今回のコビーの強化はご都合にしか思えなかった。
まぁコビー以外も主人公のルフィ含めて成長スピードに違和感を感じるのは初めてじゃないけども
結論、ワンピースはゴミ漫画
そもそも尾田って劣化どうこうの前に漫画としての基本表現すら全く出来てないよな。連載会議ではマシリトに3度も突っぱねられたと言ってたけど初期ネームがどんなんだったか見てみたいわ
「面白い=バズる、話題になる」
これが現代の【面白さの基準】なんですよね。
なので、なべおつさんやわたし含めここの住人がどれだけ「作品としてのクオリティが〜」「幼稚な台詞が〜」「場面転換が〜」「引き伸ばしが〜」と嘆いても今の人達には通じないんですよ。
「ああ、現代の基準についてこれない老害が何か喚いてるわ(笑)」くらいのもんなのでしょうね。
とても悲しいですが。
そもそもですが、ガープ、及びコビーも青キジもかなり初期からいましたが、「ガープの弟子だった」だ、などと言った話は急に湧いて出た話です
頂上決戦の時、ガープはエースのことばかり気遣っていましたが、コビーは赤犬に殺されかけ、青キジは最強と言われた白ひげと対峙していたのにも関わらず、青キジとコビーを気遣うシーンは一切描かれませんでした。
ここから言えることは、この人達の関係は「後付け」甚だしいと言うことです。
「尾田っち伏線スゲー」との言葉はワンピース信者からはよく聞かれますが、この師匠や弟子の伏線は、今までどこにどのように張られていたと言うのでしょうか
尾田先生は16ページの読み切り作品を作る時の「起承転結」「伏線の張り方」「5w1h」「効果的なコマの使い方」と、言ったところから学び直した方がよろしいかと思います。
初期の頃のワンピースなら尾田先生の「若さと勢い」でカバー出来ていたところも、ワンピースがこれだけ巨大コンテンツ化し、尾田先生も日本を代表する漫画家のひとりとなった今において、そもそも、新人が描く様な読み切り作品の「基本」が成っていないことばかりが、ただただ目に付きます。
このブログ主が今まで言っていることも、総じてそこに集約されると思います。
尾田先生の場合、漫画家が意識して描くべき16ページ読み切り作品の「基本」が全く出来ていません。
短編読み切り作品が長編化したものが連載作品です。
したがって、短編で「起承転結」を作れない者は連載でも「起承転結」を作れません。
そして、それを勢いでカバーしていたワンピースが話数を重ねるたびに「基本」からどんどん遠ざかっていく原因はキャラクター関連グッズを売る為に「キャラクターを増やし過ぎ」たことによる「話の詰め込み過ぎ」です。
このキャラクターの各々のエピソードを同じ濃度で全部詰め込むと、核となる話が破綻するのに決まっています。
俺からすれば、今だと「弟子だとか言う後付け」は元より、そもそもコビーにスポットを当てたこと、ひいてはこのハチノスのエピソードはまるごと要らない感じです。
なべおつさん案素晴らしい。
読んでて涙が出てきそうになった。
サウロが生きてるであろう事実が出た後だし、黒ひげ幹部もSWORDの女もすぐ解凍されてるからガープ凍らせても全く深刻じゃないんだが?安い感動の過去回想入れたり、なんか凄い成長しました!!とかさぁ…過程を描いてからやれよ陳腐なんだよ全部。
生死も作者の匙加減ひとつ、結局悪い意味でしかどうなるか分からない!を表現できてないのに、これでプロモーションのためにドラマに連動して表紙描きます!ガープ出します!…いや恥ずかしくないの?
やれアイドルだ、新時代だ、老人は見捨てろだと常に製作側は「時代読めてます」みたいにアレにもコレにも手を出してるけど
それただ馬鹿を釣ってるだけの底辺の商売と変わらないからね?影響を受けるなら名作たちのストーリーテリング、構成だろうがよ。