Xでは触れたのですが、作者の休載コメントについて、ブログのコメ欄でもいろいろ物議を醸しているようなので、こちらでも触れておきます。
まずXの「ONE PIECE公式アカウント」で、以下の「お知らせ」がなされました。
3週間休載にあたり、作者の直筆コメントが掲載されており、ここに(休載期間に)
「ONE PIECEって一体何なのかを考えたりしなきゃいけませんしね!」
と書かれたことで、「作者はワンピースの正体を考えてないのか?」「元のアイデアを変えることにしたのか?」といった憶測がなされている状況かと思います。
私も一瞬そちらの意味が頭をよぎりましたが、結論、「ONE PIECE」と書かれていることから、「ワンピース(ひとつなぎの大秘宝)」のことを指しているわけではなく、『ONE PIECE』という作品自体のことを指しているものと読むべきだろうと解釈しています。
つまり、「ONE PIECE」とは一体どんな作品なのか(どんな形でこの先の物語を紡ぎ、最終回を迎えるべきなのか)について、作者自身がもう一度向き合い、考え直す必要があると考えている(そうした考えに至ったがための休載でもある)という解釈です。
わかりやすく、あえて大胆にその意図を想像すると、
- 作者自身は(シリアス路線で描き続けて物語を締めるのが嫌だったから)自分好みの、自分が描きたかったギャグ路線にスライドさせるために「ニカ」を後付けし、それを読者はなんだかんだ受け入れて楽しんでくれると思っていたけど、
- 予想が外れ、販売部数の大幅下落が止まらない状況(=読者が求めている路線ではなかったため愛想尽かして見限る読者が急増している状況)となったため、このままでは「最終回が一番盛り上がらない作品」になってしまう(かもしれない)という危惧から、一度立ち止まり、
- 「果たしてONE PIECEという作品は、“作者が描きたいものを好き勝手に描ききって完結させてもいい作品”なのか、“これまで読んできてくれた読者の期待に応える形で完結させさるべき作品なのか”を考えなければならない(向き合わなければならない)帰路に立たされている」と判断した、
という解釈も可能です。
さらに言うと、そこには、
- 「それを読者に問う(読者の反応を見る)」
という意図も含まれているのでは、とも思っています。
つまり、わざわざこのような(物議を醸すことが目に見えている)一文をはさむあたり、尾田先生は「ワンピースの正体を考えてなかったのか?」と誤読して騒ぎ出す読者が大量発生するであろうことを見越した上で、あえてこのような言い方をし、界隈をざわつかせることで読者の声を確認しようとしている、という解釈です。
たとえば英語圏では、「ひとつなぎの大秘宝」は当然「ONE PIECE」と訳されるわけですから、世界の読者に向けたメッセージでもあるため、表記(による意図)を統一させるため、「ひとつなぎの大秘宝」のことをあえて(カタカナではなく)「ONE PIECE」と書き、「ONE PIECE(ひとつなぎの大秘宝)って一体何なのかを考えたりしなきゃいけませんしね!」という意図で書いた、という可能性もゼロではありません。
というより、その言い分も可能であるため、「ONE PIECE」と表記がなされているから、という理由1つでは、「ひとつなぎの大秘宝」ではなく作品自体を指している、と断定することはできず、要するに「どっちに転んでもいい一文」になっているとも言えるわけです。
「どっちに転んでもいい」というのは、この告知を世に出した後の反応を見た上で、「ワンピースの正体を変えることを読者はアリとするか、ナシとするか」を推し量り、それに合わせて「意図」を後付けできる(どちらになった場合にも、弁明可能な言い方にしている)、ということです。
たとえば、「作者はワンピースの正体を考えてなかったのか?」という解釈&反応が多く、それが否定的な意見ばかりであれば、(仮に考察・予想によって言い当てられてしまっていた場合も)オチを変えないまま描き切る覚悟を決めるかもしれませんし、肯定する声が多ければ、(すでに考察・予想されてしまった)元ネタから変えることに踏み切るかもしれません。
そして、
- オチを変えた場合(かつそれが読者に受け入れられた場合)は、今回の告知は(オチを変える必要性があると判断したため)「ONE PIECE(ひとつなぎの大秘宝)って一体何なのかを考えたりしなきゃいけませんしね!」という意図で書いてたんですよ(英語表記にしたのは、英語圏の方にも意図が伝わるようにしたつもりでしたが、逆に混乱させてしまいましたかね?)ということにできますし、
- 変えなかった場合(読者の批判の声が多かった場合)は、「ONE PIECE(という作品)って一体何なのか(どうあるべきか)を考えたりしなきゃいけませんしね!」という意味合いで言ったんですよ(だからカタカナではなく英語表記にしたのです、ひとつなぎの大秘宝の正体は、もちろん最初から決まっていますよ)と弁明することができます。
個人的には、後者の意図が8〜9割は占めている中で、(ワンピースの正体はもちろん決まっているし現状変えるつもりもないけど、変える選択がそもそもあり得るか、そのカードを手札に加えることは許されるのかどうかを確認するために)あえて物議を醸す言い方をすることで、読者の反応を見てみる、という意図も(1〜2割くらい)あったのでは、と想像しています。
それくらい、誤読して物議を醸すことがわかってる一文を意図的に入れているようにしか見えないためです。
そして、「ONE PIECEという作品はどうあるべきか」については、シンプルにこの先「ニカを貫く路線」と「殺す路線」どちらで描き切るべきか、(貫く場合、どのように描けば読者に納得してもらい・楽しんでもらえるのか、殺す場合、どのような路線変更であれば辻褄を合わせられるか)を考えるということなのかな、と思っています。
より正確にいえば、(ニカを殺す路線はあり得ないため)ニカを貫くことは前提とした上で、「この先、どのように描けば読者に受け入れてもらえるか」を(一応ニカを殺す路線もあり得るかどうかまで思考を広げた上で)構想し直してみる、ということではないかと。
あれだけ自信満々に後付けして風呂敷を広げてしまった「自分が描きたかったこと」を今更なかったことにするなど、プライド的にも物語的にも現実問題できるはずがないため、ここを変えることはまずないでしょう。
その上で、ワンピースの正体については、(考察者によって言い当てられてしまっている可能性もあるものの)恐らく当初の構想通り描き切るのではないかと思います。
これは、今回のリリースによって「ワンピースの正体を考えていなかったのか?」「変えるつもりなのか?」と反応をした読者は、概ねネガティブな意味合いでそのリアクションをしているはずだからです。
これで、もし読者が「考察者に言い当てられてしまったのなら、オチを変えてでも我々を驚かせてくれ!」のような反応が多かったのであれば、変える判断をしたかもしれませんが、ネガティブな反応が多い状況で、もしオチを変えて(読者にもその変更が露骨に伝わってしまうクオリティで)スべり倒した場合、ワンピースは「最終話が一番つまらない、最終章にかけて作者によって作品が崩壊し、評価が一転した世紀の愚作」として幕を閉じてしまうリスクさえあるからです。
ま、これだけ書いておいてなんですが、全て私の考え過ぎで、作者自身はそこまで深くは考えていない、という可能性が一番高いとは思います笑
私の中で「ワンピース」は「史上最も好きな漫画」であり、まだ「前半の海」での評価の貯金が残っているからです。
ワンピースが大好きだったからこそ、この先改善されることを(いつまでも)期待して読み続けてしまっているわけです。その期待や熱量がゼロになったら読まなくなると思います。
実際「エッグヘッド編」以降、つまらなさが許容量を超えてきており、熱量は急速に冷めてきています。コミックスも104巻からついに購入をやめました。
ジャンプは購読して読み続けていますが、これもお金の無駄だと感じるようになったら卒業するかもしれません。
ニーズがあるからです。
上記の通り、最初は「史上最も好きな漫画」であったことから、(この先つまらないワンピースとして残りのエピソードが削られていくことに耐えられず)改善されることを願って批判をしてきましたが、もはや作品は崩壊し切ってしまったため、今は改善を期待しているわけではありません。
ただ、ワンピースという作品は、日本一売れている漫画だからこそ、熱量の高い(高かった)読者も多く、私と同様に「つまらなくなってしまった」と感じ、それを無念に思い、不満や釈然としない気持ちを抱えている読者の数も多いのです。
そういう方達にとっては、自分の気持ちを代弁してくれる記事や、自分の本音の感想をコメントして、同様の感想を抱いている方達と共有できる場には一定の価値があり、そうしたニーズに応えることにもまた一定の価値があると思っているため、運営を継続しています。
ニーズがあるからです。
ブログのようにテキスト情報だけ(それも超長文)だと、文章を読み慣れていない人にはハードルが高かったり、読む気にならなかったりする(実際、そのような声やリクエストがあった)ため、記事を動画化してYouTubeに投稿することにしました。
もっと批判や誹謗中傷コメントで溢れるかと思っていましたが、(ブログ読者の方に限らず、新規の方でも)共感し、更新を楽しみにしてくださっている方が相当数いて、ここにもニーズがあることがわかったため、運営を継続しています。
余計なお世話としか言いようがありません。
自分の人生の時間の使い方は自分で決めます。
あなたこそ、見ず知らずの他人の人生に意見するような無駄な行為に時間を使うのはやめたほうがいいのではないでしょうか?
他人の人生に口を出す前に、どうぞ自分の人生の心配をしてください。
論理が破綻しており、全く筋違いな言い分です。
プロの作家が商業作品として世に販売している時点で、それを購入した側が評価したり、感想を述べたりするのは当然に許された権利です。
私は読者(消費者)であって、漫画家ではありません。漫画を描きたいわけではなく、面白い漫画を読みたいからお金を払って購入している立場であり、購入した作品の内容に不満があるから、批判的な感想を述べているわけです。
あなたはお金を払って観に行った映画が酷い仕上がりでも、「自分に映画は作れないから文句は言えない」と考えて口をつぐむタイプですか?
購入したゲームがクソゲーでも、「自分では作れないから文句を言う資格はない」と考えるタイプですか?
お金を払って観に行った音楽ライブで、アーティストが音を外したり声が出てなかったり歌詞を間違えまくったりして全く感動できないパフォーマンスを披露しても、「自分のほうが歌が下手だから批判すべきじゃない」と思うのでしょうか?
飲食店でマズい料理を出されても、「自分で作れないんだから(店を開いてないんだから)文句を言う権利はない」とか、「文句を言えるように、まずは自分で作れるようになろう(店を出せるようになろう)」と思うのでしょうか?
市場に商品として投下されている時点で、それを購入した消費者からの評価は避けられません。作り手はそれを分かった上で、自らの意志で作り手側(買い手から評価される立場)を選んでいるのです。
一方の消費者は、自分ではできないからこそお金を払って人に任せているのであり、そこで期待したクオリティに達していなかった場合に、低評価を下したり、批判したりするのは当然に許された権利です。
「購入した商品について批判するためには、自分がその商品以上のクオリティのものを作れなければならない(文句を言うなら自分で作れ)」なんてあまりにも本末転倒で筋違いな暴論です。
頭の悪い人だとバレてしまうので、金輪際そうしたコメントはしない方がいいですよ。
尚、私がこのブログで批判しているのは、基本的に尾田先生(漫画家)ではなく、担当編集者です。編集者視点で、「なぜこの部分を直さないのか」「なぜこの内容でOKを出してしまうのか」という批判をしているのです。
その意味でも「文句言うなら、自分で描いてみては?」という主張は的外れですが、もし「文句言うならお前が編集者をしてみろ」と言われ、実際に依頼をしていただけるのであれば、私は喜んでお受けします。
そして、私が編集者になった後のワンピースがつまらなければ、当然批判も受けとめます。
その覚悟を持って(編集者を)批判していることをご理解いただければと思います。
心配しています。
このブログでは、基本的に尾田先生ではなく、担当編集者を批判するスタンスをとっており、尾田先生の健康や多忙を心配するコメントを過去に何度もしています。
なんなら長期休載に入ることや、連載ペースを落とすことを推奨している立場であり、そうした対応をせずに原作以外の仕事を次から次へと振りまくって尾田先生に負担をかけ、作品の劣化を放置し続ける編集者を批判しているのです。
なぜなら、1人の人間が週刊連載で何十年も面白い作品を(世間とのズレを生む事なく)描き続けることなど、そもそも不可能だからです。肉体的に困難なのはもちろん、作者1人の感覚で何百万人という読者の感覚とズレることなく、質の高い作品を描き続けることなどできるはずがないのです。
そのズレを正すのが編集者の役割であり、作品の質を維持するためには編集者の客観的視点が不可欠だというのに、全く機能していないことが露骨に作品に出てしまっており、にもかかわらず原作以外の大量の仕事を振って尾田先生からネームや作画の時間を奪い続け、作品の劣化に歯止めがきかない状況を進行させているため、その点を指摘して批判をしているわけです。
尾田先生の健康面の心配はしていますし、「作品への批判」と「健康面への心配」は両立するものです。
思いません。
「少年漫画」だから大人の観賞に耐え得るクオリティになっていなくて当然(あるいはそれでも問題ない)という考え方は、「少年」の読解力や感性を「(自称)大人」の勝手な思い込みと偏見で侮り、間接的に「少年漫画」を見下していることと変わりません。レッテルに囚われた思考停止人間の典型です。
少年を侮り、少年漫画を見下し、少年漫画のファンとして感想を述べ合う大人達を「異常」だと言ってのける人間のほうが、よっぽど異常だと私は思います。
読者アンケートの順位は相対的なものなので、「1位のままだからワンピースは劣化していない」という論理は成り立ちません。
ワンピースがどれだけつまらなくなっても、他の作品が抱えているファン数がワンピースよりも少なければ、ワンピースは永遠に1位のままです。「アンケート回答するファンの数=作品の絶対的な面白さ」ではありません。
ワンピースは「前半の海」で蓄積した熱狂的ファンがあまりにも多いので、ジャンプのアンケート回答においては、今度もほとんど1位をとり続けるでしょう。
私の中で「信者」の定義は、「何を描かれても無条件に絶賛し、全て肯定的に解釈して作者を持ち上げる読者」を指しています。
そのため「つまらない部分やおかしいと思う部分は多少あれど、普通に面白いし楽しめている」とか、「前半の海よりも面白さが失われたとは思うけど、新世界編も総じて楽しめている」といった読者は、私の言う「信者」には含まれません。
作者にとって有害かどうかは作者が決めることですので、本人に聞いてみてください。
ただ「つまらない」「くだらない」「ゴミ」「読む価値がない」「お金の無駄」「オワコン」「資源の無駄」といった捨て台詞で、作品を貶めるだけの(ほとんど誹謗中傷でしかない)批判は「有害」だと思いますが、きちんと作品を読み込んだ上で、「なぜつまらないのか」「何が問題なのか」を考え、「どうすれば改善されるのか」まで提示した上で行う「論理的な批判」は、(作者個人は求めていないにせよ)私は「有害」とは思いません。
というより、そうした批判を行う権利は誰にでもあるので、それが有害かどうか議論すること自体がナンセンスです。
それこそ「嫌なら読まなければいい」のです。
煽り体制が低いのは事実ですが、勘違いコメントや難癖コメントを放置すると、それを見た方に誤解を与えたり、場が荒れたりしやすく、早々に対処しておく必要があるため、説明なり反論なりをしています。
えてしてそういうコメントをする人ほど、放置するとそれを「肯定」と見做して、さらに誤解を強めて暴走しやすい傾向にあるからです。
たとえば「煽りコメントにだけ返信してねェw 効いてる効いてるww」とか「図星だから反論できねェんだw」とか「何も言い返せないから逃げやがったww 悔しかったら反論してみろやww」のような言い分です。(そうなると対処にさらに時間がかかるので、早めに処理しています)
また、私への直接的な質問系のコメントやうれしいお言葉にも、できるだけ早めに答えるようにしています。
記事への感想や建設的なコメントについては、読者さん同士でコメントやリアクションをしていただけているので、慌てて私がコメントせずにおまかせしている部分もあります。私がコメントするとそこでやりとりが終わってしまい、読者さん同士の会話が生まれづらくなったりもするので。
色々状況を観察しながら、よいコメント欄になるよう運営していきたいと思っています。
月刊とはいえ一度も休載しなかった諫山先生ってすげえな
ブログの質問です
トップ画面のお知らせ欄の3つはどうやって設置してますか?
サンゴの機能を調べてもわからなかったので
鳥山先生の名前を出すのは本当に余計だったと思う
本当に好きなの?って疑いたくなるレベル
鳥山先生の死因ってそもそも多忙によるものでも
慢性的な病気に起因するものでもなかったのに
ファンが心配してたとしてもそれはイコール「鳥山先生もそうだったし」とはつながらん。
今のワンピースは一体誰に向けて描かれてるのか分からんって友達も言ってましたね、てかなべあつさんに対する批判が多いのおもろいですね😂ほんまワンピースって最早カルトw
だって自分の好きな作品の評論聞いて怒るんですよ???www
例えば僕は絵画観るの好きですけどなんの知識もありませんからただ観るのが好きなんですよ、上手い下手とかメッセージ性とかがある無し関係無しに、もっと言えばその作品に対する良い点悪い点なども分からないんでどちらを聴いても楽しめるんですね、それはいかに中立に物事を冷静に判断できるからなんですよ。そしてワンピースの場合に至っては実際にそうじゃないですか?僕もなべあつさんのブログや動画を知る前は氣付かなかった事とかいっぱいありますよ?良い点も悪い点も、そして僕もワンピース大好き何ですよ?ここにコメントしてる皆さんと全く同じ立場でこの作品を観て、話を読んで、友達やその他色々な人から聞くワンピース話すワンピース、いつどこで誰と話しても楽しめる作品、それぐらい好きなんですよ?グッズやゲームも買い、ワンピース関連の商品や情報を求める、一読者視聴者でありファンなんですよ、それを踏まえて言いますけど、私はどの様な意見を聞こうと楽しめる作品なんです、何故なら盲信もしていなければ信者でもないからねす。自分の母親や父親、親友の長所短所を良く知る人(その人と私の接点があろうとなかろうと)から聞くの嬉しいし楽しいですよ。この場合の怒ってる人らって図星なところあるか、それかほんまになんも考えんとただ単に批判的な意見に頭使わんと怒ってる、どちらかですか?
もっと冷静に物事見極めれないと何かを好きになるのよしたほうがいいですよね、分断するってそれ相当な覚悟と度胸持ってしてほしいですよね。
ふーん
自分はもう今後のワンピースの話には期待してないのでその点はどうでもいいのですが、尾田先生の癇に障るコメントに本当にイラッとします。
今回の「最近は鳥山先生の件もありまして過剰に心配かけてしまうんじゃないかと思いますが」という文書。確かに今、尾田先生が休んだら鳥山先生の件を思い出し心配するファンも一定数いるとは思いますが、それを作者自ら鳥山先生の名前を出して自分で言う!?確かにある意味漫画家としてトップレベルに上り詰めたけど、いざ田原俊彦よろしく「BIG発言」されると萎えまくる。そしてこの手の発言は今回に限らず「映画ですよー!面白れー!うわー!スゲーのできてるー!」「アニメが25周年!すごない?」「僕の周りもうるさいっす!公開日楽しみ!?わかったわかった!」「(最終章について)ここから読んでくれても大丈夫!面白いです!」「(被災者に対し)俺は元気だぞー!」「横井軍曹残ってるよ!誰か戦争終わらせて!」などなど、偉そうでウザくて周りを見下してるみたいで、ほんっとに尾田先生のコメントは癇に障る。顕著になれとは言わないが、もう少し堂々と、落ち着いて相手のことを考えてコメントできないのだろうか。ワンピースは漫画だけでなく、作者の人間性まで疑ってしまう。
ニカの戦い方が苦手。
ボニーの過去編で読者を悲しませた後、ニカが笑いながらふざけて戦うものだから、どういう感情で読めばいいかわからなくなる。ニカの設定確実に失敗でしたね。考察者と被らないように元々あったネタを変えたのなら残念。今後のワンピースは脳みそがゴム化された盲目的信者相手に書いて終わりです。戦闘でふざけたかったのならウソップとかバギーでやればいい。ニカ設定でワンピースはもっともふざけた漫画になった。休載明けても改善することはないだろう。
作そ考
個人的にニカのギャグ路線は肌に合わないので、またアラバスタ、ウォーターセブンあたりのシリアス路線に舵を切ってくれたら嬉しいですね。急にシリアスになった理由も「初めはニカの影響を受けていたけれど、体に馴染んできて上手く操れるようになった」とかでいいです。ドラゴンボールだって、スーパーサイヤ人になると性格が荒くなる設定があったけれど(セル編の悟飯みたいな)いつの間にか無くなってますし。
10年以上ワンピースを追い続けていました。単行本は発売直後に買う。先生が監修した映画は公開と同時に見る。フィギュアを買ったりもしました。ファンの中でもかなり熱量を持っている方だと思っています。そんな自分も「ニカ」の登場以降、気持ちが揺らいでいます。ワノ国編ではまだ我慢できました。次の島では批判の声を取り入れて、もっとカッコいいギア5が見れると甘い期待を抱いていました。その期待はエッグヘッド編で粉々に打ち砕かれました。仲間の命が危ない状況で笑い、目玉を飛び出させるルフィ、こんなもの誰が見たいのですか?最新話の身体が吹き飛ぶギャグや野球バット、尾田先生は正気を失っていると思いました。
怒り・驚きを通り越して、笑っちゃいました。ニカの人々を笑わせるってこう言うことですか?長期連載で名作が駄作化するというのは理解していましたが、無意識にワンピースだけは例外だと思い込んでいました。それだけ尾田栄一郎の才能を神格化してしまっていた自分に気づきました。これからはキャラクターに感情移入するのではなく、情報を摂取するスタイルでワンピースに付き合っていこうと思います。唾棄していた考察系YouTuberと同じになってしまいますが、現状のワンピースではその楽しみ方が最良だと考えます。
ほとんどの読者は考察とか予想がどうとかじゃなくてただ物語を楽しみたいんだ。読んで人生前向きになれるかどうかだけを判断基準にしろよ。娯楽だろ!
不評があるとしたら楽しげに戦って強さを発揮するはずのニカがそれほどでもなくて『焦っているニカ』を見せられたからだろ。最強クラスの敵だとしても冷めるわ
38のおっさんですがワンピースが始まった時は
海賊というテーマに沿った要所要所に散りばめられたロマンを感じる設定や、トーンをあまり使わない新鮮な(ドラゴンボールもトーン少なめでしたがドラゴンボールの終了とともにトーン多めな綺麗な絵の漫画が台頭していた記憶があります)絵面に新しい時代の漫画が始まったとワクワクして読んでいました。とにかく斬新でいながら王道で面白い漫画という印象でした。
今では長期連載となり、またジャンプ誌上の地位もあってか、ワンピースは“これこそが古き良き漫画だ”という描き方に変わってしまったように感じます。
特にベガバンクの周りのデザインなんかどこかでみたことのある古い児童書のようです。いつから斬新な新しい世界を見せてくれる漫画から“子供たちへ、これが漫画だよ”みたいな古書のテンプレを繰り返す作品になってしまったのでしょうか。
尾田先生には連載初期のような未だかつてみたこともないような世界に連れて行ってもらいたいです。
あるのかないのかもわかりませんが、調べなければ分からないような裏設定も要りません。
何故ならそんなことを全く考えなくても少年の私は毎週楽しめていましたし、今読み返しても初期のワンピースの斬新さは色褪せることなく中年も楽しませてくれるからです。
ワンピースについて練り直すんだから当然ワンピースの正体や最終章までのことを再考するんじゃないかと思ってたけど。
どっちの意味でも同じことじゃないのか。
普通の神経なら終盤にこんな発言するのは読者をがっかりさせるから言わないはずだが。
ベガパンクが謎言う直前でワンピースについて考え直すとか今まで何考えて描いてきたんだよってなるからね。
予想だけど、今回もいつも通りベガパンクに重要なことをほとんど喋らせないまま終わろうとしてた所に何かしらの事態が起こって再考の必要が出てきたんじゃないかな。
例えば
編集部からこれ以上先延ばしにするのはいかがなものかと、とうとう言われてしまったか。
販売部数の低下によって最終章まで熱が持たなくなったと判断したからか。
ネットの酷評の数が目を背けることができないほど多くなってきたと判断したからか。
思うにすべての要素が組み合わさってるような気がする。
もう逃げられなくなってきて謎を本当に喋らせるべきか、喋ったならどこまで言うのか、どんな内容であればワンピースの正体まで読者に当てられずにすむのか。何パターンか考えていたシナリオのどれにするか。どのシナリオなら読者の納得を得られてまだ予想もされてないだろうか。今尾田さんの頭の中はきっとこんな具合に答えの出ない問答で四苦八苦しているんじゃないだろうか。無駄な描写が多い長期連載に中身の伴わないミステリアスな作品への方向転換、自業自得と言えばそれまでだけど今このときにおいては尾田さんも作家の苦悩を全身で感じているはず。少し同情してしまう。
まぁなんやかんや考え苦しんだ結果いつも通り肝心な部分は引き伸ばすに一票。
だけど今回それしたら考察勢や信者以外ほんとうに切り捨ててしまうことになると思う。
男気見せて欲しいわ。
読者にとって休載コメントや制作サイドの事情より漫画の内容が面白いことの方が本質的なことなんでしょうが今まで休載明けの話が面白いことがあったのかと言われたら…
ひょっとしたら売上の減少が続いてるから内側でも物語の綻びやワンパターンの繰り返しに批判が出始めてるのかもしれない
最近、ダイの大冒険をコンビニの厚い本で読んだけど心から子どもの頃読みたかったと思った
子どものときに最初にワンピ読んだ気持ちを思い出した
今はワンピの話題を会話でふられたら今の展開はついていけないとしか言えないし昔は楽しかったとしか返答が思いつかない
読者にとって休載コメントや制作サイドの事情より漫画の内容が面白いことの方が本質的なことなんでしょうが今まで休載明けの話が面白いことがあったのかと言われたら…
ひょっとしたら売上の減少が続いてるから内側でも物語の綻びやワンパターンの繰り返しに批判が出始めてるのかもしれない
最近、ダイの大冒険をコンビニの厚い本で読んだけど心から子どもの頃読みたかったと思った
子供のときに最初にワンピ読んだ気持ちを思い出した
今はワンピの話題を会話でふられたら今の展開はついていけないとしか言えない
もうワンピースは
「島が崩壊する!」
↓
「ルフィが戦ってる間に逃げろー!!」
このフォーマットでしか物語作れてないから、何の期待もしてないです。
おいおい…とは思うのですが、自分の好きなキャラの生死確定してない上にワンピースの正体も気になるから途中で死なれたら困るし、それでワンピースが今より面白くなるのならいくらでも休みとってくれって感じですね。
自分はもっと単純で「まるで毎週欠かさず連載してたような言い草してんなこの人」でしたね
この前の回も一週休載取ってるし、1106話と1107話の間って二週休載入れてませんでしたっけ?三週入れるのは理由やメッセージカードが必要だけど、二週休載までならサイレントでいいのか……
←マルハラ なんてご自分の文章イジりするくらいなら、まずそもそも休載多いのに更に三週も取っちゃうことをイジった方がウケるのではないでしょうか←ロジハラ
私は今のような最終段階に入って「ワンピースとは何か」などとあえて書く理由は【大した最終回にならなかった時のための言い訳】だと思います。
ニカや様々な後付けのせいで、もう当初作者が考えていた「最高の終わり方」ができなくなった。
しかし過去の発言などから終わり方やワンピースの正体はちゃんと考えてあるものだと思われてしまう。
なので「この最終回は最初に考えてたものから変わってますよ、時代の流れに合わせて物語を変化させて変わってしまったけど最初はもっと素晴らしい最終回を考えてたんですよ(笑)」と、終わってから不評だった時の言い訳に説得力を持たせるための仕込みかもしれないなと。
まあ特に何も考えてないとかツッコミ待ちとかの可能性が高いとは思いますが(笑)
私も今回のご本人直筆コメは深く考えて書いてないんじゃないかと思ってます。
単純に考えると作品自体の見直しの事でしょう。
この世界の真相言う言わないの寸止め描写が続いたり、最終章で後付けがうまくいってない事からも「今からワンピースの正体考えてるに違いない!」と思う人たちの気持ちもわからないことはないですが・・・
まあ良くも悪くも取られてしまいがちないつもの尾田さんって感じですかね。
(ただ、なんとなく以前のような自信満々のキレがないことからも売り上げ低迷や最終章が盛り上がっていない事への危機感はあるのかもしれないとは思いました)
これ小ボケだと思ってたのでSNSの反応にびっくりしました。
現在エッグヘッド編でベガパンクが世界の秘密を明かそうとしていること。
何年も前から(笑)ワンピースが最終章に入っていると発言していること(全伏線回収開始など)。
の二つの理由から、尾田先生と読者の間には、ワンピース(ひとつなぎの大秘宝)の正体が明かされる日もそう遠くないという共通認識がある、と尾田先生が考えているので、このタイミングで「onepieceって一体なんなのかを考えたりしなきゃいけませんしね」と発言するというボケだと私は受け取っていました。ワンピースでよくある「いやまだ考えてねえのかよっ!」みたいな突っ込み待ちなボケとして。
ここではそれが面白いかどうかは問わないとして。
このコメントにも書いてある「マルハラ」という文が顕著な例だと思いますが、SBSではないこの直筆コメントシリーズだと、ボケがこういうツッコミ待ちになりがちだという印象を抱いていましたし。