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【後編】「FILM RED」映画連動エピソードが酷すぎる理由

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「後編」は、セリフ量や内容が多少よくなり、前編よりは意味のある内容となっています。

👇🏻前編の感想記事はこちら。

【前編】「FILM RED」映画連動エピソードが酷すぎる理由

とはいえ、描く価値のない無駄なシーンやセリフは相変わらず健在で、なんで「連動アニメ」の大切な尺を、こんな描写に使ってしまうのだろう…と純粋に疑問に思います。

ある日の航海を境に突然ウタがいなくなり、ルフィがシャンクスに問い詰めるシーンだけは、声優の田中真弓さんのおかげで感動的に仕上がっていましたが、それ以外は尺埋めの為の不自然な「間」にまみれた退屈なシーンばかりで、もうアニメーターが可哀想になるレベルで中身がありません。

何よりウタがウザすぎて、見ていて思わず「オエ…」と口に出てしまうレベルでした。まじでウタを好意的に捉えているファン達は、このキャラのどこに魅力を感じているのか本気で教えていただきたい。どれだけフラットな目線で見ようとしても、人間的魅力もキャラとしての魅力も子どもとしての可愛げもまるでなく、好きになる要素が一つも見つからないのです。

ルフィとベックマンのやりとりも悪くなかったですが、ルフィが「ベックマン」呼びをしていることに違和感しかなく、このセリフがなければもっと筋の通った連動アニメになっただろうにと思ってしまいます。

ルフィは原作第1話時点ではベックマンのことを「副船長」と呼んでいて、この連動アニメはそれよりも前という設定ですから、第1話より前に、ルフィが山賊に襲われているところをベックマンに助けてもらい、おんぶしてもらいながら涙を見せて「強くなりてェ」と心の内を吐露する関係性があったのなら、第1話のシーンで「副船長!」なんて呼び方になるはずがないのです。この連動アニメを正史とするのなら、第1話では「ベックマン!」と呼んでいなければおかしい。

ルフィは赤髪海賊団のみんなと仲良しで、みんなのことが大好きだけど、第1話時点で名前で呼んでいるシーンはシャンクスだけで(=シャンクスに一番懐いていて)、ベックマンに対してはちょっと距離があり、名前呼びをするような親密さにはなかった(=「副船長」という肩書きで呼ぶくらいの距離感だった)。この距離感や空気感がリアリティがあってよかったのに、それより前のエピソードで普通に「ベックマン」呼びをさせてしまったら台無しでしょう。

連動エピソードでは安易に「ベックマン」とは呼ばせずに、「副船長」と呼ばせるか、名前を呼ばずに済むような描き方をするべきでした。これをしてくれていたら、もっと深くて響く感動シーンになっただろうに。もったいない。

脚本家は原作の第1話を読んでないんですかね? この辺りも、REDの制作スタッフにワンピース愛や原作愛を感じない部分です。

以下、後編の酷いシーンと改善案を挙げていきます。

(アフィリエイト広告を利用しています)

1030話「新時代の誓い! ルフィとウタ」が酷い理由

ウタとシャンクスの不自然な会話

冒頭、マキノのお店のカウンターで横並びに座るシャンクスとウタ。

ウタが俯きながらぷるぷる震え出し、鬱憤を晴らすように叫び出すのですが、これがもう不自然すぎて冒頭から見てられません。

ウタ:ん〜〜〜…..(ぷるぷる)もう、やだ〜〜〜〜〜!!!

シャンクス:ん?

ウタ:度胸つける修行とか言って 普通崖から飛び降りる?

シャンクス:でぇぁ〜っはっはっは!!! 無茶苦茶なことをすんな、ルフィは

(何だその笑い方w 「普通崖から飛び降りる?」と聞かれただけで、普通そんなに爆笑するか?)

ウタ:シャンクスもそう思うよね!!!

(ただ同意を得るためだけの無意味な会話。あまりにも会話のレベルが低すぎる…)

シャンクス:あぁ、危なっかしくて見てられねェよな

想像してみてください。マキノのお店に入ってカウンターに座り、何を話すでもなく無言だったところ、急にぷるぷると震え出して「もう、やだ〜〜〜〜〜!!!」と叫び出す子ども。ありえないでしょう。

ルフィと待ち合わせしているのになかなか来ないので痺れを切らして叫び出した、というのならわかりますが、ただルフィのことを思い出し、突然震え始めて叫び出すなんて完全に異常者の仕上がりです。

こんなに感情を爆発させて大声で話したいことであれば、カウンターにお行儀よく座ってないで、お店に来た時点で「聞いてよシャンクス!!!」と口火を切る方がよっぽど子どもらしくて自然でしょう。

たとえば以下のように描けばいいのに。

(酒場の扉を勢いよく開けてウタ登場)

ウタ:ちょっと聞いてよシャンクス!!!

シャンクス:ん? どうしたウタ そんな怖い顔して(カウンターで飲んでいたシャンクスが振り返る)

ウタ:昨日ルフィの奴、度胸つける修行とか言って崖から飛び降りたのよ? 普通そんなことする!!?


シャンクス:でぇぁ〜っはっはっは!!! 無茶苦茶なことするな、ルフィは


ウタ:でしょ!!? しかも私にもやれって言うの!!! 私は歌姫だからそんなことしないって言ってるのに聞かないんだから!! も〜ムカツク!!!(と言いながらシャンクスの隣の席に座る)


シャンクス:だはははは 危なっかしくて見てられねェな ルフィは

ウタ:シャンクスもそう思うよね!!!

その後のやりとりもまぁしんどい。

マキノ:ルフィと遊んでくれてありがとね ウタちゃん

ウタ:違う 私はシャンクスを守ってるの!

マキノ:ん?

ウタ:だってあいつ……めっちゃしつこいでしょ? だからァ……しかたなくなのォ……

マキノ:うっふふふ

「だからァ……しかたなくなのォ……」が気色悪すぎてほんとに無理でした。。思わず「オェ…」と声が出てしまったほど。

なんでこういう薄っぺらい媚び描写ばかりするんですかね。。そういう安易な媚び方をしないのがワンピースの良さで、万人ウケする理由の一つでもあったのに。。前半の海の頃の幼女達の描き方を見直してみてください。ゾロにおにぎりを渡したリカも、幼少期のナミもノジコも、スモーカーにアイスをぶつけた女の子も、空島のアイサも、誰一人読者に媚びていません。媚びるような描かれ方をしていません。それでもめちゃめちゃ可愛くて、子どもらしくて、大人っぽい部分もあって、好感の持てるキャラとしてワンピースの世界を生きていました。

新世界編以降、登場する女性キャラはみんな読者に媚びへつらうようになりました。すぐに頬を赤らめたり、いい歳こいてプク顔したり、瞳を潤ませたり、ぶりっ子セリフを吐いたり、簡単に泣いたりする。そう描くことで読者に「可愛い」と言わせたい作者の下心ばかりが強烈に臭ってくる「人為的で記号的な可愛さ」の押し付けが露骨すぎるのです。

昔のほうがよっぽど「女性キャラの描き方」として進んでいたなと感じます。

その後のやりとりも酷い。

ルフィ:たのも〜〜〜!!

ウタ:もう、ほらァ……

ルフィ:シャンクス!

シャンクス:おう、ルフィ

ルフィ:船に乗せてくれ!

シャンクス:ダメだ!

(「のせてのせて〜」と駄々をこねるルフィを25秒にも渡って描く。前編ですでに散々断られ、入団テストにも落とされているというのに、次の手を考えるわけでもなく、強さを証明してシャンクスを認めさせようとするでもなく、ただ無策に「乗せてくれ!」と懇願し、駄々をこねるだけの描写に違和感しかありません。中身のないエピソードの尺を埋めるための時間稼ぎに必死です)

ウタ:コラァ!!!……何ゴネてんのよ!!! 今日は海で修行するんじゃなかったの?

ルフィ:あ、そうだった! でも、船……

ウタ:つべこべ言わない いくよ、ルフィ

シャンクス:ウタ、ルフィの面倒 しっかり見てやるんだぞ

ウタ:うん

ルフィ:違うぞシャンクス、おれがこいつの面倒見てやってんだぞ?

ウタ:ちょっと、いつ私が、あんたみたいな子供に面倒見てもらったって?

ルフィ:おれは子供じゃない!

ウタ:私から見たら、こ・ど・も! だぁって〜あんたより2歳もお姉さんなんでもんねェ〜だァ!

オェ….もうこの媚び方が気色悪すぎて耐えられません……

「ウタは自分がルフィの面倒を見てやってると思っているが、ルフィはウタの面倒を見てやってると思ってる」という関係性の描写はいいのですが、その後のやり取りが酷すぎます。

「ちょっと、いつあたしが、あんたみたいな子供に面倒見てもらったって?」→「おれは子供じゃない!」

「どちらが面倒を見ているか」の会話をしているのに、なぜか反論が「おれは子供じゃない!」なのです。食いつくところそこじゃないだろ…。これで話の腰が折れ、意味のある会話ではなくなってしまいます。

それに対して、「私から見たら、こ・ど・も! だぁって〜あんたより2歳もお姉さんなんでもんねェ〜だ!」と返すウタ。話の筋がズレていることに気づかず、ルフィの言い分にそのまま返す頭の悪さも、性悪具合と憎たらしさ満載のクソガキセリフも酷すぎます。年上の「お姉さん」なら話の筋がズレたことに突っ込んで話を戻せよ。

「どっちが面倒見てるか」議論は一瞬で流れ、「どちらが子供か」の議論にすり替わる。このセリフの応酬に作り手は違和感を覚えないのでしょうか。。

シャンクス:ウタ、ルフィの面倒 しっかり見てやるんだぞ

ウタ:うん

ルフィ:違うぞシャンクス、おれがこいつの面倒見てやってんだぞ?

ウタ:ちょっと、いつ私があんたみたいな子供に面倒見てもらったって?

ルフィ:何言ってんだ 昨日だって崖の上の風車に連れてってやったし、崖から降りられないお前を手伝ってやったじゃないか

ウタ:何言ってんのよ! あんたの助けなんてなくたって私は一人で降りられたわよ!! あんたこそ対決ごっこで全部私に負けてるのに、駄々こねて何度も私を引きづり回したじゃない 私はあんたのわがままに付き合ってあげたのよ

ルフィ:それはお前がズルばっかするからだ!

ウタ:そんなの負け惜しみよ じゃあ今日は、○○ね! 海までかけっこ!!! 負けたら罰ゲームよ!(先に走り出すウタ)

ルフィ:わ〜待て!! ズリィぞウタ〜!!!(慌てて追いかけるルフィ)

こういうやりとりの方がよっぽどわかりやすいし、流れがある分すっと入ってくるし、前日の2人のやりとりの補足にもなるので、きちんと意味のあるシーンになったでしょう。

「ちょっと、いつあたしが、あんたみたいな子供に面倒見てもらったって?」→「おれは子供じゃない!」→「私から見たら、こ・ど・も! だぁって〜あんたより2歳もお姉さんなんでもんねェ〜だ!」という会話がいかに無価値で薄っぺらく、中身のない不毛なやりとりであるかがよくわかります。

近海の主から逃げてわざわざ崖の上まで登る意味不明さ

小舟を漕いでスピード対決をするルフィとウタ。岩場と思ってゴールに定めたものが近海の主だったことに気づき、慌てて引き返します。近海の主に気づかれる前に踵を返して逃げ出したので、陸地に戻れば全く問題ないはずなのに、なぜかルフィとウタは崖の上まで避難して、倒れ込み、息を切らして「なんとか逃げ切った」感を出します。

なんで海から逃げてきたのに、わざわざ崖の上まで登る必要があるのか意味がわかりません。普通、陸に上がった時点で後ろを振り向いて、近海の主がついてきてるかどうか確認しませんかね…。そこでついてきていない(そもそも気づかれてなかった)ことがわかったら、急いで崖の上まで避難する必要などありません。だからこのシーンには全くリアリティがない。

なんで2人が崖の上まで登ったのかがわからないため、制作側の演出優先の作為(崖の上から綺麗な夕陽をバックに「夢」や「新時代」を語り合う見せ場シーンを描きたかった)ばかりが際立ってしまい、その後のやりとりが全く入ってきません。別に崖の上じゃなくても、浜辺で夕焼けをバックにしても何の問題もないでしょうに。

なんなら、前回ルフィは「お前の舞台、おれいっぱい知ってる!」と言ってたんだから、近海の主から逃げてきた結果、船着場や浜辺のおすすめスポットに行き着いて、別の「舞台」を描く展開にしてくれればいいのに。(そこがルフィの言っていた「舞台」であることに触れる必要はありませんが、フーシャ村には他にもウタの舞台になるような場所が「いっぱい」あることが伝わります)

「いっぱい知ってる」と言わせておきながら、1つの場所しか描かれないため、ルフィのセリフの説得力が薄れて無価値化しています。まぁこれは制作費や時間の関係で同じ背景を使い回す必要があったのかもしれませんが、それなら「いっぱい知ってる」なんて言わせなければいい。

ウタの「舞台」になるような綺麗な(あるいはロマンチックな)場所を、子供ルフィが「いっぱい」知ってること自体違和感があるのですから、「1つだけ」知ってる、という設定でなんら問題なかったはずです。言葉一つ一つへの配慮やこだわり、作り込みが微塵も感じられない脚本だと感じます。

いちいち嫌味ったらしく人を苛立たせるウタ

ウタ:悲鳴あげて逃げるとか、ダッサッ笑 こないだ山賊に出くわした時も……逃げてたもんねェ〜

ルフィ:あんときは一発食らわしてやっただろ!!? それに、逃げたのはお前もじゃん!

ウタ:私は、赤髪海賊団の音楽家だもん! 歌うのが、仕事なの!

なんでいちいちこんなうざい言い方をさせる必要があるのでしょうか。。

尾田先生含む制作側は、視聴者にウタを嫌わせたいんですかね? なんでこのキャラ描写で「みんながウタちゃんのことを好きになるはず」と思えるのか不思議でならない。

ウタ:あんた「海賊になる」とか「おれは強い」とかよく言ってるけど、ただ怯えて逃げてきただけじゃない こないだ山賊に出くわした時も逃げてたし、ほんとに強くなる気あるわけ?

ルフィ:(ムッ)うるせェ!!! あんときは一発食らわしてやっただろ!!? それに、逃げたのはお前もじゃないか!


ウタ:私は、赤髪海賊団の音楽家だもん! 歌うのが仕事なの! 何度も言わせないでよね

こういう描き方であれば、ウタの言い分にも一理あると思えるので、すんなり言葉が入ってくるんです。

「悲鳴あげて逃げるとか、ダッサッ笑 こないだ山賊に出くわした時も……逃げてたもんねェ〜」なんて煽りセリフを吐かせてただルフィを貶めるだけでは、視聴者を苛立たせるだけの性悪クソガキキャラにしかならないでしょう。

制作側は、何が狙いでこんなウザいセリフばかり吐かせているのでしょうかね。。ウタ好きの人からすると、こういうところも「ウタちゃん可愛い」となるのでしょうか…。

「時代」の意味も知らずに「新時代」を語るウタ

ウタ:私には、夢がある。シャンクスと一緒に、世界を回って、たくさんの曲を作って、最高のステージとわたしの歌で、世界を幸せにする! 私は、新しい時代を作るの!

ルフィ:よーし! おれも作ろう! 新時代! おれは、世界中を冒険したい! いろんな場所にいって、 いろんな奴らに会って、いろんな食いもん食いたいんだ シャンクスみたいに!

ウタ:それじゃ世界は変わらないじゃない

ルフィ:そうか….しししし その内決める

ウタ:あっははははは!!! うん、うん、なんかあんたっぽいなって

(オゥエ….キッショ….)

ルフィ:そっか? 照れるなァ

ウタ:別に褒めてないし

……..

2人:ははははは!!! しししししし!!!

ウタ:ふぅ… 作ろう、新時代!

ルフィ:おう!

まず、「時代」という言葉の意味をウタもルフィも理解できていないのが痛々しい。というかREDという映画自体、尾田先生や制作側が「新時代」というキーワードを使いたいがためだけに作られたような内容ゆえ、制作側の都合で意味のズレた言葉を使わされているルフィとウタが哀れに見えてきます。

「空島編」の後、303話「金持ち海賊団」で、ドフラミンゴは次のように述べています。

「“新時代”はすぐそこまでやってきてる」「やがて始まるぞ 急げ!! 急いで準備を整えろ!!! 本物の海賊だけが生き残れる世界がやってくる!!! 力のねェ奴ァ逃げ出しな!!! 手に追えねェうねりと共に 豪傑共の…!! “新時代”がやってくるのさ!!」

単行本32巻の時点ですでに作中では「新時代」について語られ、この先の世界の「うねり」を表す言葉として示されていました。この頃のドフラミンゴが語る、ワンピースの世界における「新時代」とはどんな世界なのか、それが描かれる日をワクワクしながら待っていたというのに、それが「FILM RED」によって、本来の意味からズレた説得力皆無の薄っぺらい「新時代」ばかりが語られるようになってしまいました。それにシャンクスまで乗っかってしまうシマツなので、ワンピース世界における「新時代」という言葉の意味や力が失われてしまい本当に残念です。

ウタ程度のキャラのために(ワンピースにおける重大キーワードである)「新時代」をテーマにした映画など作るべきではなかった。この映画のせいで、ワンピース世界における「新時代」=ウタ(の歌)が浮かぶようになってしまった。この先作中で「新時代」について語られる、あるいは描かれるとしたら、ウタの存在が雑音としかなりません。

実際、「世界を回って、たくさんの曲を作って、最高のステージとわたしの歌で、世界を幸せにする」ことが、なぜ新しい「時代」を作ることになるのか、映画の軸となるメッセージに説得力がないため、REDは物語として完全に破綻しています。

ウタの「新しい時代を作るの」という言葉を受け、ルフィは「よーし! おれも作ろう! 新時代!」「おれは、世界中を冒険したい! いろんな場所にいって、いろんな奴らに会って、いろんな食いもん食いたいんだ シャンクスみたいに!」と言い出します。ただ自分の欲を満たすことの何が「新時代」なのか、完全に意味を履き違えた雑なセリフにしかなっていない。

実際、ウタは「それじゃ世界は変わらないじゃない」と返すので、本当は「時代」という言葉の意味や「時代を作ること」の意味を理解しているのでしょう。しかし制作側の都合により、ルフィは(ガキでバカだから)「新時代」の意味を理解せずに適当に自分の願望を叫ぶだけにされ、ウタは「歌で世界を幸せにする=新時代を作ること」という的外れな夢を語らされているわけです。

その後の「あっははははは!!! うん、うん、なんかあんたっぽいなって」というリアクションは、「うん、うん」と一人で反芻して納得する描写と「なんかあんたっぽいなって」と(述語を省略して)急に馴れ馴れしく一気に距離を縮めてきた感じが気色悪過ぎて本気で吐き気がしました。

「そっか? 照れるなァ」→「別に褒めてないし」→「……..」→「ははははは!!!」→「ふぅ…」のやりとりも、既視感満載の手垢がついた定番演出を、何のひねりも独自性もなくそのまま転用・流用しているだけなのでサムすぎて見ていられません。

ルフィとウタの友情の深まりを描く見せ場のシーン(何ならこの連動アニメで一番重要なシーン)を、こんな既視感たっぷりのパクり描写で済ませてしまう手抜き具合。このシーンを描くためにこのアニメを作ったと言っても過言ではないでしょうに、よくその一番の見せ場に堂々とパクり演出を採用できるなと思ってしまいます。

この既視感、どこで見たんだろう……やっぱジブリかな、、(「うん、うん、なんかあんたっぽいなって」と「ははははは!!!」→「ふぅ…」の既視感の正体、わかる人いたらぜひ教えてください)

ただ表面的に「ジブリっぽい」セリフや演出を入れているだけで、ワンピースの世界観に全く適合させられていないので、めちゃめちゃ違和感のある浮いたシーンになってるんですよね。だから気色悪い。ワンピースには「ワンピースっぽい」キャラややりとりがしっかりあって、それが作品の個性や独自性になっているんだから、それをきちんと押さえた上でオリジナルエピソードを作って欲しいものです。

最後まで性格の悪さと媚びを見せるウタの気色悪さ

翌日(後日?)シャンクス達の船に忍び込み、ムリヤリ航海に連れて行ってもらおうとしたルフィでしたが、ウタに見つかり、シャンクスにつままれて船から下ろされてしまいます。

ルフィ:おれの夢、応援してくれるんじゃなかったのかよ!

ウタ:シャンクスがダメっていうんだから、ダメよ

ルフィ:この〜

ウタ:あんたが一番自信があるのは何?

ルフィ:おれは……強いぞ!

ウタ:ならもっと強くなるの! 今よりずーっと強くなったら、私も一緒に頼んであげる!

ルフィ:え…?

ウタ:…..な〜んて言うと思った? あっかんべー

ルフィ:ぐぎぎぎぎぎ

ウタ:いこう? シャンクスゥ

このシーンのやり取りがもう意味不明すぎて、ウタとルフィの最後の会話のシーンだというのに全く心に残らず、制作側のセンスを疑ってしまいます。

まず「あんたが一番自信があるのは何?」という質問自体が、ルフィの答えを引き出すためだけの形式質問で制作側の作為しか感じないのですが、それに対して「おれは……」と違和感たっぷりの「間」をとって出てきた言葉が「強いぞ!」というセリフなのが酷すぎる。

自信があることを聞かれて「強いぞ」と返すなんてまるで会話になっていません。「おれのパンチは、ピストルのように強いぞ!!!」のような返しであれば、自分のパンチ力に自信があるという答えになりますが、「強いぞ!」では「強いことに一番自信がある」という、極めて曖昧で説得力のない頭の悪いセリフにしかならないため、ルフィの言葉に力が生まれません。主人公のセリフとして失格すぎる。

面接で「あなたが一番自信のあることは何ですか?」と聞かれて、「私は….賢いです!」なんて答えたらあまりのバカさと会話の成り立たなさに呆れられてしまうでしょう。ルフィが子どもだからあえてそうした、ということなのかもしれませんが、「会話の成り立たないバカさ加減」など果たしてこの重要シーンで描く必要があるでしょうか。

ウタとルフィの関係性が深まったことを伝えたいなら、むしろウタがルフィの強みを理解している(からヒントをあげる)ような描き方をすればいいのに。

「あんたの強みは何?」→「強み…?」→「あんたのパンチは、ピストルのように強いんでしょ? だったら、もっとそれを磨いて強くなるの! 今よりずーっと強くなったら、私も一緒に頼んであげる!」「ほんとか…!?」→「まあ、今のあんたじゃ何十年後になるかわからないけどねェ〜」→「なんだと〜!!?」→「行こう? シャンクス」

このようなやり取りで締めれば、ウタのお姉さんらしさ(歳上っぽさ)を描けるし、ウタの憎まれ口も自然で、まだ許容範囲になります。

「…..な〜んて言うと思った? あっかんべー」なんて底意地の悪い、ただただ不快になるだけのみっともないクソガキセリフをなぜ吐かせる必要があるのか。。

というか、「シャンクスに頼んであげる」程度の行為について、「…..な〜んて言うと思った?」とスカす意味がわからない。「ウタがシャンクスに頼むこと」はルフィの乗船を一切保証しません。ウタが頼んだからといってシャンクスが船に乗せてくれやすくなるわけでもなし、ウタにルフィを乗船させる権限など微塵もないにも関わらず、なんで自分が一緒に頼むことがルフィを釣るエサになる(ルフィが船に乗せてもらえる可能性が高まる有効打になる)と思っているのか、その勘違いっぷりが本当に痛々しい。

それに対して、(ウタの思惑通りに)腹を立てるルフィもルフィです。「そんなのいらねェよ お前の頼みで乗せてもらっても意味ねェからな(おれは自分の力で、シャンクスに認めさせてやるんだ!)」とか、「いいよ別に お前が頼んだからってシャンクスが船に乗せてくれるわけじゃねェだろ」くらい返してほしいものです。それくらい冷静かつ淡白で、本質を突く一言をズバッと言うところがルフィの良さなのに。

「そんなのいらねェよ お前の頼みで乗せてもらっても意味ねェからな おれは自分の力で、シャンクスに認めさせてやるんだ!」→「何よ、ルフィのくせに生意気ィ〜! でもそれもあんたらしいわね」くらいのやり取りでいいじゃないですか。

もっというと、シャンクスの目の前で「私も一緒に頼んであげる!」なんて手の内を先に明かすような発言をしているのもバカの極みでしかなく恥ずかしい。ここでシャンクスから「お前に頼まれても答えは変わらんぞ」と言われたらおしまいなのに、そんなことにも頭が回らないのでしょうか。こういうのって普通本人がいない場で伝えません? シャンクスはどんな気持ちでこのウタのセリフを聞いているのでしょうか。想像しただけで苦笑してしまいます。

というか、このバカはシャンクスがルフィを船に乗せない理由をわかっていないのでしょうか。シャンクスは海の過酷さを知ってるからこそ(まだ非力な)子どものルフィを航海に連れていくことはしない、という考えであって、ただ意地悪してるわけではないのですから、その結論にお前ごときの「頼み」が関係するわけないだろ、って話です。ルフィが(船に乗せても問題ないくらい)成長し、強くなれば、お前の頼みなんか関係なく乗せてもらえる(可能性はある)んだよ。そのことに頭が回らず、自分が「一緒に頼んであげる」ことに価値があると思い込んでるのが、本当に痛々しくて見ていられません。

全編通してひたすらウタの気色悪さと性格の悪さと頭の悪さしか描かれていないというのに、自分のことを過信しすぎなんだよな。。それで尚更バカに見えるという悪循環に陥っています。

たとえば以下のような感じでまとめておけば、ウタにただ不快なだけの憎まれ口を叩かせる必要もなく、軽くからかうくらいの関係性を描きながら、2人の距離の縮まりについても伝わるシーンになるでしょうに。

ルフィ:おれの夢、応援してくれるんじゃなかったのかよ!


ウタ:仕方ないでしょ? シャンクスがダメっていうんだから あんたがもっと強くなって、シャンクスに認められる男になるしかないわ


ルフィ:….!!!(ぐっ)


ウタ:あんたが一番自信があるのは何?


ルフィ:おれは…おれのパンチは、ピストルのように強いぞ!


ウタ:ならそれをもっと磨いて強くなるの 今よりずーっと強くなったら、シャンクスも考え直してくれるかもしれないでしょ?


ルフィ:ほんとか…!? シャンクス!!!

シャンクス:フッ….どうだろうな

ルフィ:よ〜し!!! 今度帰ってくるまでに、おれもっと強くなってやる!!!

ウタ:まあ、今のあんたじゃ何十年後になるかわからないけどねェ〜

ルフィ:なんだと〜!!?


ウタ:ま、せいぜい頑張りなさい 行こう? シャンクス

(出港)

ルフィ:ウタ〜!!! 帰ってきたらまた勝負しような〜!!! 今度はおれが全勝してやるからな〜!!!

ウタ:(ふふ…やっぱりガキね)ルフィ〜!!! 帰ってきたら、少しは強くなってるか試してあげる!!! それまでしっかり修行しときなさいよ〜!!!

せっかく前日に夢を語り合うシーンで距離が縮まったのだから、別れのシーンもその延長上で友情を感じられる描き方をして、しかしそれが最後の別れになってしまった、という描き方にすれば感動できるものを、なんで「…..な〜んて言うと思った? あっかんべー」なんて無意味なクソガキセリフでイラつかせ、最後の別れ(となってしまう)シーンを雑音で終わらせてしまうのか理解できません。

そのウザがらみを別れのシーンまで貫き通すということは、制作陣はウタをそういう「性格の捻じ曲がった生意気でウザい少女」として意識的に描いているということでしょう。「世界中のみんなから愛される歌姫」という設定から完全にズレていると言わざるを得ない。誰が好きになるんだよこんなヤツ。

そのくせ出航後にルフィから「ウタ〜〜〜〜!!! あっかんべー!!!」と返されると、ぷくっと膨れて不満そうな、あるいは物憂げな表情をさせるのです。なんだその顔。お前から「あっかんべー!!!」して先にルフィをからかっておきながら、なんでやり返されたら不満そうなんだよ笑 やり返されて「ルフィのクセに生意気」と怒るならまだしも、物憂げに顔を膨らませるってどんなリアクションだよ。

かと思いきや「帰ってきたら、少しは強くなってるか試してあげる!!! ルフィ〜!!!」と急に笑顔で手を振り、ルフィのことを思い返して一人「ふふふ」と笑う。もうこいつのキャラと情緒がまるで理解できないよ。。

もっというと、出港後、遠くにいるルフィに話しかけるのに「帰ってきたら、少しは強くなってるか試してあげる!!! ルフィ〜!!!」と最後に名前を呼びながら手を振るのもおかしい。普通に「ルフィ〜!!! 帰ってきたら、少しは強くなってるか試してあげる!!!」と先に名前を叫んで呼びかけるか、呼びかけを省略して「帰ってきたら、少しは強くなってるか試してあげる!!! それまでサボらず修行しとくんだぞ〜!!!」のように叫ぶのが自然でしょう。

船に乗って別れを告げる際に、自分だったらどのタイミングで相手の名前を叫ぶか想像してみてください。相手が自分に気づいていない場合であれば、最後に名前を呼ぶケースもあるかもしれませんが、相手から言葉をかけられて、それに返すという状況で、最後に名前を叫ぶでしょうか。最後に相手の名前を呼んだら、相手はその後に何か言葉が続くものと考えてしまうでしょう。別れ際に最後に名前を呼ぶのはセリフとして違和感しかありません。

他にも指摘したいポイントはいくつもあるのですが、キリがないのでこの辺りで終わっておきます。

良かったシーン

後編については、一部だけ良いと思えるシーンがあったので、最後にその点についても触れておきます。

ルフィがシャンクスに詰め寄るシーン

このシーンはツッコミどころもあるのですが、田中真弓さんの演技力によって一部分だけ素晴らしい仕上がりになっています。

まずツッコミどころから述べると、船から赤髪海賊団が一人ずつ一列に降りてくるのを下で待っているルフィが、降りてきたクルー達に話しかけるも、みんな無言で立ち去ってしまった後、その場でキョロキョロしながら、なんなら村の方に向かって「ウタ〜!! ウタ〜!! また冒険の自慢話聞いてやるよ!!! どこだよウタ〜!!!」と叫び声をあげながらウタを探す、という描写があり得えない。見晴らしのいい船着場で、そこにウタがいないことなど誰の目にも明らかだというのに、なぜ誰もいないことが丸わかりの現場をキョロキョロと見回し、走り回るような描写をしてしまうのか。。

一列に下船したメンバーの中にウタがいないなら、「船の中にいる(まだ船から降りて来ていない)」以外にあり得ません。にも関わらず、船に向かって(まだ降りてきていないウタに向かって)叫ぶのではなく、背後や周囲を見回して船着場にいないか探すのです。この動きのあり得なさと不自然さに制作側は気づかないのでしょうか。。

制作上の問題で、単純化した描写にせざるを得なかったのであれば、なおさら、キョロキョロなどさせず、まだ降りてこない(=船の中にいる)ウタに向かって叫び続ければいいだけの話です。

その後のシーンは、田中真弓さんによって(彼女の声のおかげで)きちんと感動的に仕上げてくれています。ぶっちゃけここだけは、田中さんの声の力とBGMの力で涙腺がゆるみました。

最後に一人降りてきたシャンクスに、ルフィは「ウタは? ウタはどこ行ったの?」と聞きます。

何も語ろうとしないシャンクスの様子から、何かを察したルフィ。

「嘘だろ…? もしかして、ウタに、なんかったのか…?」

「心配するなルフィ ウタはな、歌手になるために船を降りた ただそれだけだ」

「え……嘘だろ……?」

「どうしてだよ あいつ、シャンクスのこと大好きなんだぞ!!! なのに!!! 船を降りるわげない゙!!!!」

「なんかあったんだろう!!?」

「うっ…うぅぅ…うっ…ぐっ…」

「答えろよ、シャンクス!!!」

────────

「あいつ、シャンクスのこと大好きなんだぞ!!! なのに!!! 船を降りるわげない゙!!!!」のセリフの迫力に涙腺が緩みました。このセリフにルフィの感情がしっかりと込められていて、その気持ちをきちんと想像できたからです。BGMに(instrumental版の)ウィーアーが流れるタイミングも完璧です。

これまでの作中では、ウタとルフィの関係性の描き方があまりに薄っぺらすぎるため、まるで感情移入できなかったというのに、「ウタはシャンクスのことが大好きで、その気持ちがどれだけ強いかをルフィはわかっている」という前提があるだけで、田中さんの声の力によって、このシーンだけは2人の関係性に説得力を持たせられています。

ルフィとウタの会話で、唯一きちんと描かれていたのが、この「ウタはシャンクスのことが大好き(で、ルフィはそのことを嫌というほどわかっている)」ということです。この「描き方」についてはあまりに露骨すぎる媚び方に気色悪さも感じましたが、「シャンクスのことが大好き」ということはきちんと伝わっているし、それがルフィにも伝わっていたことはきちんと理解・共感できるように描かれています。

ルフィはウタからからかわれ、見下され、嫌味を言われ、ムカつくこともあったけど、「ウタがシャンクのことが大好きである」ことだけは、嫌というほどわかっていた。だからそんなウタが「歌手になるため」という理由で船を降りるはずがないと確信している。ここのルフィの気持ちを想像すると涙腺がゆるんできます。

「なのに!!! 船を降りるわげない゙!!!!」の言い方と力強さが素晴らしく、ウタがシャンクスのことを大好きな気持ちを強く理解しているからこそ、確信を持って否定している(シャンクスが嘘をついていることを確信している)ことが伝わってきます。

脚本やシナリオではまるで説得力のある関係性を描けていないのに、声の力だけで説得力を持たせているのが本当にすごい。

ただし、その後の「もう、絶交だ!!! うわぁぁぁぁぁ!!!」と泣きながら走り去るところは、「絶交」という安易な子ども言葉を使うことで、一気に幼稚感・茶番感が増してしまうため、あまりいい言葉選びではないと思います。その締め方のせいで、それまで描いていたシリアスな空気感が台無しになってしまいます。

どうせこの後仲直りすることは全視聴者がわかっているのに、なんで「絶交」なんて中身のない言葉を安易に使うかなぁ。「子供らしさ」の描き方や考え方が雑だしいい加減すぎるんだよな。。

何も語らないシャンクスを見て「ウタに何かあったのか?」と察するルフィ。シャンクスのことが大好きだったウタが、歌手になるために船を降りるわけがない(=シャンクスは嘘をついている)と察するルフィ。

これだけ察しのよさ(人の心を想像する様)を描いておきながら、なぜか「シャンクスが嘘をつかなければならない理由や事情、葛藤や苦悩」については察そうとせず、「絶交」という安易極まりない結論をあっさり出してしまうのです。

そのせいで、ルフィの想いも言葉も、急に薄っぺらく見えてしまう。

たとえば「答えろよ、シャンクス!!!」と言った後、シャンクスはルフィの目線に合わせてしゃがみ込み、「…..すまねェなルフィ」と(頭にポンと手をのせて)口にして、そのまま何も言わずに立ち去る。

その言葉と立ち振る舞いから、ルフィはシャンクスが説明できない事情があることを察するも、それでも何も語ってくれないシャンクスが許せず、「シャンクスのバカヤロー!!!」と叫ぶ。(その後、ルフィはシャンクスとは距離を置くようになり、シャンクス達のいる酒場には顔を出さなくなる)

「絶交」なんて言葉を使わなくても、このような描き方で十分成立しますし、この方がシャンクスの優しさや葛藤、口にできない事情の重さなどが伝わってくるため、このシーンはもっと味わい深いシーンになったのではと思います。

ただ何もしゃべらず、ルフィに絶交と言われたまま放置して、後日ルフィに話しかけれたら「で? 絶交はやめたのか?」なんて上から目線で煽るような返しをするようだと、シャンクスがただの冷たくて大人気ないヤツにしか見えなくなってしまいます。

そんなシャンクスに「あぁ、やめた!!!」「おれももう聞かねェ シャンクスとウタの問題だからな」と返して仲直りをしにきたルフィの方がよっぽど大人に見えてしまう。

このシーンについては、その後のオチのやりとりも浅すぎるため全く共感できませんでした。

シャンクス:大人みてェなこと言いやがる

ルフィ:じゃあ船に乗せてくれるか!!?

シャンクス:ルフィおれからもお前が大人になった祝いだ

(お子様ランチに旗を立ててくれるシャンクス)

ルフィ:うわァかっこいい!!!

シャンクス:だーーーはっはっは やっぱガキじゃねェか!!!

ルフィ:卑怯だぞ シャンクス!!!

赤髪海賊団の面々:だーーーはっはっは

ルフィ:笑うな〜!!!💢

まず「大人みてェなこと言いやがる」に対して、「じゃあ船に乗せてくれるか!!?」という返しは意味がつながっていない。

「ちょっとはお前も大人になったじゃねェか」とルフィが少しでも成長して大人になったことを認める発言をしたのなら「じゃあ船に乗せてくれるか!!?」と返すのもわかりますが、「大人みてェなことを言う」ことは「大人になった」ことにはなりません。これではルフィは「大人みてェなこと」を言えるようになったら船に乗せてもらえる、と思っていたことになり、どこまで頭空っぽのバカガキなんだとなってしまう。

「じゃあ船に乗せてくれるか!!?」という質問に対して、「ルフィおれからもお前が大人になった祝いだ」と完全スルーするのも会話になっておらずシャンクスらしくない。

もっというと、お子様ランチに海賊旗を立ててもらったことについて「かっこいい」と喜ぶことの何が「ガキ」なのかわかりません。みんなで大笑いするほど「ガキ丸出しの面白い行動」でしょうか。むしろシャンクスの粋な気遣い(今はルフィの海賊への憧れの気持ちを汲んだプレゼント)として描いても違和感のない行動です。

海賊に憧れるルフィにとっては、海賊旗を掲げられたお子様ランチを「かっこいい」と感じるのは普通のことで、それは「だーーーはっはっは やっぱガキじゃねェか!!!」と笑い飛ばすようなことではないだろうと思ってしまう。

シャンクスの「からかい」や「いじり」には愛があったり、清々しくて嫌味がなかったりするから見てられるのに、このシーンはただただシャンクスの性格の悪さを露呈しているだけで、全く共感ができませんでした。

シャンクス:なんだお前 ちょっとは大人になったじゃねェか

ルフィ:じゃあ船に乗せてくれるか!!?

シャンクス:それとこれとは話が別だ だがルフィ おれからもお前が大人になった祝いをやろう

ルフィ:ほんとか!!?

シャンクス:ほら(お子様ランチに海賊旗を立てる)


ルフィ:うわ! かっこいい!! ありがとうシャンクス!!


シャンクス:ははははは こんなで喜ぶなんてやっぱガキだな

ルフィ:うるせェ!! おれはガキじゃない!!!


赤髪海賊団:だっはっはっは!!!


ルフィ:笑うな〜!!!

あるいは、シャンクスの「大人みてェなこと言いやがる」というセリフ自体は悪くないので、これを残して以下のようなやり取りでもよいでしょう。

シャンクス:大人みてェなこと言いやがる

ルフィ:あたりまえだ おれはウタの面倒を見てやってたんだからな もう立派な大人だ!

シャンクス:そうか それならルフィ、おれからもお前が大人になった祝いをやろう

上記のような笑い方やからかい方(ルフィのために海賊旗を立ててあげたら、思った以上に喜ばれたので、やっぱりガキじゃねェかと思い直して笑う)ならまだ見てられるのですが、ルフィを笑い飛ばすため(だけ)に「お祝い」を渡して、狙い通りの反応を得られたから「だーーーはっはっは やっぱガキじゃねェか!!!」と笑い飛ばすって、このオッサン性格悪すぎでしょう。。

初見で見た時に、何でこれでシャンクスは大笑いしてるんだろうと素直に疑問に思いました。

これ総合して見ると、単純に脚本家が性格の悪い捻じ曲がった人間だからこんなウザいセリフばかりになったんですかね。。なんかキャラクターや作品への愛をまるで感じられないんですよね。

ベックマンに背負われるルフィ

もう一つ、冒頭で述べたルフィとベックマンのやり取りも、(「ベックマン」呼びを除けば)自然なセリフや意味のある「間」が描かれていて味わい深いシーンになっていました。

山賊にボコボコにされ、気を失ったルフィを背負って歩くベックマン。

ベックマン:起きたか…

ルフィ:なァ…

ベックマン:ん?

ルフィ:おれ 強くなりてェ…

ベックマン:あァ…

ルフィ:う………強くなりてェよ

ベックマン:そうだな

ルフィ:うっ…うっ…

最初の「おれ 強くなりてェ…」は弱々しく心の内を吐露した感じで、その言い方も子どもらしく可愛い声色です。

それに対し「あァ…」とだけ返して、ルフィの気持ちを受け止めるベックマン。これによってルフィは「う………強くなりてェよ」とより強くその想いを口にします。

それにも「そうだな」と返し、ベックマンはルフィの気持ちをまっすぐに受け止めてくれます。

シャンクスには船に乗せてもらえず、ウタにはからかわれ続け、村長にも相手にされない。ルフィ自身は自分のことを強いと思っていて、そう口にもしていますが、誰も自分のことを認めてくれず、実際は山賊に歯がただずボコボコにされて、自分の弱さを痛感させられてしまった。そこに(一緒に夢を語り、もっと強くなることを誓った)ウタがいなくなってしまった喪失感も重なってくる。

もしかしたら「もっと自分が強くて船に乗せてもらえていたら、ウタを失わずに済んだのでは」という思いもあるのかもしれない。自分が弱いから連れて行ってもらえず、大切な友達を失ってしまったと感じているのかもしれない。

こうした色々な悔しさや悲しさ、無力感が入り混じって「強くなりてェ」「強くなりてェよ」と泣きながら思いを吐露した。

涙を流すことは、自分の弱さをより露わにすることにもなってしまうけど、そんなルフィの気持ちを否定することも茶化すこともせず、真っ直ぐに受け止めてくれるベックマンの優しさに触れ、葛藤の中で本音を吐露することになった。

言葉少なく、適切な「間」があるからこそ、その間の両者の気持ちを受け手は想像することができ、感情移入することができます。

果たしてルフィのこの「強くなりてェ」にはどんな想いが込められていたのでしょうか。

この「間」に対して、このシーンのルフィの内面に対して、私とは異なる想像や感情移入をする人もいるでしょう。だからこそ味わい深く、それぞれの心に残ります。

最近のワンピースでは、こうした「キャラクターの心情を想像できるシーン」が皆無となってしまいました。表面的なその場限りの即席リアクションばかりで、これまでの冒険や時間経過に伴う関係性の変化が一切反映されなくなってしまった。まるで全員が記憶と感情を失ったロボットのように作者の作為によってのみ動かされています。

だから「つまらなくなった」と感じるわけですね。

まとめ

映画連動アニメを見て思ったのは、「これ見てウタを好きになる人ってどういう思考や感情移入で好きになるんだろう」ということです。

普通に性格悪くてウザいクソガキとしての描写ばかりで、薄っぺらいモブセリフしか吐いてないのに、どのシーンで好きになる要素があるのか不思議でなりません。

ぜひ、ウタファンの方には、この連動エピソードの中でウタの魅力が現れているシーンを教えていただきたいです。

(アフィリエイト広告を利用しています)

私の中で「ワンピース」は「史上最も好きな漫画」であり、まだ「前半の海」での評価の貯金が残っているからです。

ワンピースが大好きだったからこそ、この先改善されることを(いつまでも)期待して読み続けてしまっているわけです。その期待や熱量がゼロになったら読まなくなると思います。

実際「エッグヘッド編」以降、つまらなさが許容量を超えてきており、熱量は急速に冷めてきています。コミックスも104巻からついに購入をやめました。

ジャンプは購読して読み続けていますが、これもお金の無駄だと感じるようになったら卒業するかもしれません。

ニーズがあるからです。

上記の通り、最初は「史上最も好きな漫画」であったことから、(この先つまらないワンピースとして残りのエピソードが削られていくことに耐えられず)改善されることを願って批判をしてきましたが、もはや作品は崩壊し切ってしまったため、今は改善を期待しているわけではありません。

ただ、ワンピースという作品は、日本一売れている漫画だからこそ、熱量の高い(高かった)読者も多く、私と同様に「つまらなくなってしまった」と感じ、それを無念に思い、不満や釈然としない気持ちを抱えている読者の数も多いのです。

そういう方達にとっては、自分の気持ちを代弁してくれる記事や、自分の本音の感想をコメントして、同様の感想を抱いている方達と共有できる場には一定の価値があり、そうしたニーズに応えることにもまた一定の価値があると思っているため、運営を継続しています。

ニーズがあるからです。

ブログのようにテキスト情報だけ(それも超長文)だと、文章を読み慣れていない人にはハードルが高かったり、読む気にならなかったりする(実際、そのような声やリクエストがあった)ため、記事を動画化してYouTubeに投稿することにしました。

もっと批判や誹謗中傷コメントで溢れるかと思っていましたが、(ブログ読者の方に限らず、新規の方でも)共感し、更新を楽しみにしてくださっている方が相当数いて、ここにもニーズがあることがわかったため、運営を継続しています。

余計なお世話としか言いようがありません。

自分の人生の時間の使い方は自分で決めます。

あなたこそ、見ず知らずの他人の人生に意見するような無駄な行為に時間を使うのはやめたほうがいいのではないでしょうか?

他人の人生に口を出す前に、どうぞ自分の人生の心配をしてください。

論理が破綻しており、全く筋違いな言い分です。

プロの作家が商業作品として世に販売している時点で、それを購入した側が評価したり、感想を述べたりするのは当然に許された権利です。

私は読者(消費者)であって、漫画家ではありません。漫画を描きたいわけではなく、面白い漫画を読みたいからお金を払って購入している立場であり、購入した作品の内容に不満があるから、批判的な感想を述べているわけです。

あなたはお金を払って観に行った映画が酷い仕上がりでも、「自分に映画は作れないから文句は言えない」と考えて口をつぐむタイプですか?

購入したゲームがクソゲーでも、「自分では作れないから文句を言う資格はない」と考えるタイプですか?

お金を払って観に行った音楽ライブで、アーティストが音を外したり声が出てなかったり歌詞を間違えまくったりして全く感動できないパフォーマンスを披露しても、「自分のほうが歌が下手だから批判すべきじゃない」と思うのでしょうか?

飲食店でマズい料理を出されても、「自分で作れないんだから(店を開いてないんだから)文句を言う権利はない」とか、「文句を言えるように、まずは自分で作れるようになろう(店を出せるようになろう)」と思うのでしょうか?

市場に商品として投下されている時点で、それを購入した消費者からの評価は避けられません。作り手はそれを分かった上で、自らの意志で作り手側(買い手から評価される立場)を選んでいるのです。

一方の消費者は、自分ではできないからこそお金を払って人に任せているのであり、そこで期待したクオリティに達していなかった場合に、低評価を下したり、批判したりするのは当然に許された権利です。

「購入した商品について批判するためには、自分がその商品以上のクオリティのものを作れなければならない(文句を言うなら自分で作れ)」なんてあまりにも本末転倒で筋違いな暴論です。

頭の悪い人だとバレてしまうので、金輪際そうしたコメントはしない方がいいですよ。

尚、私がこのブログで批判しているのは、基本的に尾田先生(漫画家)ではなく、担当編集者です。編集者視点で、「なぜこの部分を直さないのか」「なぜこの内容でOKを出してしまうのか」という批判をしているのです。

その意味でも「文句言うなら、自分で描いてみては?」という主張は的外れですが、もし「文句言うならお前が編集者をしてみろ」と言われ、実際に依頼をしていただけるのであれば、私は喜んでお受けします。

そして、私が編集者になった後のワンピースがつまらなければ、当然批判も受けとめます。

その覚悟を持って(編集者を)批判していることをご理解いただければと思います。

心配しています。

このブログでは、基本的に尾田先生ではなく、担当編集者を批判するスタンスをとっており、尾田先生の健康や多忙を心配するコメントを過去に何度もしています。

なんなら長期休載に入ることや、連載ペースを落とすことを推奨している立場であり、そうした対応をせずに原作以外の仕事を次から次へと振りまくって尾田先生に負担をかけ、作品の劣化を放置し続ける編集者を批判しているのです。

なぜなら、1人の人間が週刊連載で何十年も面白い作品を(世間とのズレを生む事なく)描き続けることなど、そもそも不可能だからです。肉体的に困難なのはもちろん、作者1人の感覚で何百万人という読者の感覚とズレることなく、質の高い作品を描き続けることなどできるはずがないのです。

そのズレを正すのが編集者の役割であり、作品の質を維持するためには編集者の客観的視点が不可欠だというのに、全く機能していないことが露骨に作品に出てしまっており、にもかかわらず原作以外の大量の仕事を振って尾田先生からネームや作画の時間を奪い続け、作品の劣化に歯止めがきかない状況を進行させているため、その点を指摘して批判をしているわけです。

尾田先生の健康面の心配はしていますし、「作品への批判」と「健康面への心配」は両立するものです。

思いません。

「少年漫画」だから大人の観賞に耐え得るクオリティになっていなくて当然(あるいはそれでも問題ない)という考え方は、「少年」の読解力や感性を「(自称)大人」の勝手な思い込みと偏見で侮り、間接的に「少年漫画」を見下していることと変わりません。レッテルに囚われた思考停止人間の典型です。

少年を侮り、少年漫画を見下し、少年漫画のファンとして感想を述べ合う大人達を「異常」だと言ってのける人間のほうが、よっぽど異常だと私は思います。

読者アンケートの順位は相対的なものなので、「1位のままだからワンピースは劣化していない」という論理は成り立ちません。

ワンピースがどれだけつまらなくなっても、他の作品が抱えているファン数がワンピースよりも少なければ、ワンピースは永遠に1位のままです。「アンケート回答するファンの数=作品の絶対的な面白さ」ではありません。

ワンピースは「前半の海」で蓄積した熱狂的ファンがあまりにも多いので、ジャンプのアンケート回答においては、今度もほとんど1位をとり続けるでしょう。

私の中で「信者」の定義は、「何を描かれても無条件に絶賛し、全て肯定的に解釈して作者を持ち上げる読者」を指しています。

そのため「つまらない部分やおかしいと思う部分は多少あれど、普通に面白いし楽しめている」とか、「前半の海よりも面白さが失われたとは思うけど、新世界編も総じて楽しめている」といった読者は、私の言う「信者」には含まれません。


作者にとって有害かどうかは作者が決めることですので、本人に聞いてみてください。

ただ「つまらない」「くだらない」「ゴミ」「読む価値がない」「お金の無駄」「オワコン」「資源の無駄」といった捨て台詞で、作品を貶めるだけの(ほとんど誹謗中傷でしかない)批判は「有害」だと思いますが、きちんと作品を読み込んだ上で、「なぜつまらないのか」「何が問題なのか」を考え、「どうすれば改善されるのか」まで提示した上で行う「論理的な批判」は、(作者個人は求めていないにせよ)私は「有害」とは思いません。

というより、そうした批判を行う権利は誰にでもあるので、それが有害かどうか議論すること自体がナンセンスです。

それこそ「嫌なら読まなければいい」のです。

煽り体制が低いのは事実ですが、勘違いコメントや難癖コメントを放置すると、それを見た方に誤解を与えたり、場が荒れたりしやすく、早々に対処しておく必要があるため、説明なり反論なりをしています。

えてしてそういうコメントをする人ほど、放置するとそれを「肯定」と見做して、さらに誤解を強めて暴走しやすい傾向にあるからです。

たとえば「煽りコメントにだけ返信してねェw 効いてる効いてるww」とか「図星だから反論できねェんだw」とか「何も言い返せないから逃げやがったww 悔しかったら反論してみろやww」のような言い分です。(そうなると対処にさらに時間がかかるので、早めに処理しています)

また、私への直接的な質問系のコメントやうれしいお言葉にも、できるだけ早めに答えるようにしています。

記事への感想や建設的なコメントについては、読者さん同士でコメントやリアクションをしていただけているので、慌てて私がコメントせずにおまかせしている部分もあります。私がコメントするとそこでやりとりが終わってしまい、読者さん同士の会話が生まれづらくなったりもするので。

色々状況を観察しながら、よいコメント欄になるよう運営していきたいと思っています。

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たかし
たかし
1 年 前

「ベックマン呼び」が発生した経緯についてのご考察楽しみにしてます。

JJP
JJP
1 年 前

メスガキキャラ流行ってますからね
生意気な美少女が大人を馬鹿にするのが魅力、みたいな
まぁそういう需要自体は否定しませんが、それはちゃんとそういうキャラとして考えられてるんであって
流行りだからって表面だけなぞって設定も雑なただの生意気なガキにされても別に…って言う

匿名
匿名
1 年 前

https://hochi.news/articles/20231006-OHT1T51268.html?page=1

完全にかぶれていますね。芸能人に自分の作品のキャスティング権を握っているとアピール。調子乗り天狗の典型。
ウシジマくんに出てきそうなタイプ。
集英社においてもアニメにおいても実写においても金正恩と化している。
で、肝心の原作が全く面白くないという、、、

匿名員
匿名員
1 年 前

自分は原作に出てこないこと(アニメオリジナル、映画など)はパラレルと割り切れるというかREDに関してはタダでも二度と観る必要ないと思っているだけなんだがウタが嫌われてるのはよくわかる
ファンにとって大切な1話に無理矢理組み込んで台無しにしたらそりゃあ怒る人大量に出てくるよ
あくまで映画のキャラのはずなのに公式がやたら騒いだり誕生祭とかいつまでもゴリ押しはさすがにどうかと思う
いつもは全肯定な信者もウタにはさすがにもう飽きてるでしょ・・・
てか最近の実写にしても原作者が力を入れるところを間違えてるんだよなあ
ただでさえ休みがちになって本編が今ガタガタなんだからいい加減そっちに集中してほしいわ

匿名
匿名
1 年 前

ただつまらないだけじゃなく過去まで改悪されてるんだよな。実は三兄弟でしたってのも個人的に違和感あるのに。
あとベックマンの「失せろ山賊ゥ!」ってのもカッコいい反面あの凄みを見せられて船長に酒ぶっかけたりルフィ攫ったりしてたんかって思う。やったのはヒグマとはいえ違和感がすごい。

針子ちゃん
針子ちゃん
1 年 前

この映画は近所の子供は面白いって言ってたね
歌番組に合成映像で出てましたけどウタ?ってなんのためのキャラなのか考えたけど指摘されてたズレた人気取りを象徴したキャラなんだろう
かわいい・歌がうまいって昔ながらの人気者の要素だしそれは新時代と関係あるのかな
多分、現状をただなんとなく面白いとか感想してる方は心理学の一貫性の法則にはまってる気がする
最初に好感を感じたこと慣れたことをやりたくなるって意味だが
ビジネスや広告じゃ心理学応用はいたるところにあるから注意しないと気付きにくい

Last edited 1 年 前 by 針子ちゃん
匿名DO
匿名DO
1 年 前

マジで尾田と谷口はワンピースから降りてもらいたいわ。コイツらのせいでワンピースは汚されたと言っても過言ではない

匿名
匿名
1 年 前

「新時代」が新時代の諸々に抜かされたワンピが焦って新時代の騎手を宣言して今の世の中でバズるためのただのキラーフレーズとしての利用に落ちてしまっているのが泣ける。
もう外ばっか見てるのはウンザリだよ。
物語を世界観を大切にしてくれよ。

匿名
匿名
1 年 前

ウタ:私には、夢がある。シャンクスと一緒に、世界を回って、たくさんの曲を作って、最高のステージとわたしの歌で、世界を幸せにする! 私は、新しい時代を作るの!

こんなこと言ってたんですか?
じゃあシャンクスの独りよがりな判断で夢壊されてない?
シャンクスってそんなキャラで良いんですかね?

匿名
匿名
1 年 前

私がTwitterで検索した時には「幼少期ウタちゃん生意気で可愛い」とか「映画では『みんな』のために消費されて死んでいったウタにもこんな自由で幸せな時間があったんだな……」みたいな本当に同じアニメ見た???と疑問に思うような感想が流れていたのを思い出しました。描写の整合性や説得力を一切気にせず「作者が優しいって言ってるんだから優しい子なんだよ!!!」で済ませる人が一定数いて、そういう人たちがウタの支持者層だという印象です。

記事内容については、いつものことながら視聴中に感じていた違和感や不快感が完璧に言語化されていると感じました。特にウタの台詞はどれも気の強さと意地の悪さを履き違えているとしか思えず、「脚本家の性格が悪い説」がしっくり来すぎて笑ってしまいました。
ルフィがベックマンを名前で呼び捨てにすることへの違和感も、私は1話と違うしなんか気持ち悪いな……と思いながらも言語化できていなかったのですが、「ルフィにとって特に親しいのはシャンクスでそれ以外のメンバーにはやや距離があったはず」というご指摘にとても納得しました。言われてみれば私が感じていた気持ち悪さはお前らいつの間にそんな仲良くなったん???という疑問から来ていたのだと思います。

原作の大切な第1話を徹底的に蔑ろにし、そうまでして押し上げたかったはずのウタさえも魅力が感じられず、結局何がしたかったんだろう……と不完全燃焼感が残るアニメでした。せめてウタが可愛ければ「この子さえ描ければそれで良かったんだな」と諦められたのに、それすらできないのでモヤモヤが残ります。

匿名
匿名
1 年 前

最高の1話に不純物を混ぜられた気分です。
あの時点でウタもベックマン呼びも存在しなかったはずなのに、ねじ込んだせいで色々と齟齬が出てるのが本当に酷いですね。
脚本家はロクにワンピースを読んでないというか、恐らく原案の段階で整合性よりも「ウタをどう見せるか」しか考えていなかったんでしょう。
公式が生誕祭なんていう正にアイドルの気持ち悪い文化をメインキャラ差し置いてやっているし、昨今の”推し・バズり”といったムーブメントにかこつけた浅い考えしか持ってないんだなと感じます。そりゃあ劣化していくわけです。

ビビどころか、アイサのキャラ表現にすら敵わない空っぽのヒロインだと思いました。

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