ホーム › 掲示板一覧 › ワンピースについて語る場 › 打ち切り経験があったほうが物語を綺麗にたためる?
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匿名Pゲスト
数々の記録を打ち立てた尾田っちが唯一できていない
「連載の物語を完結させる」
がここに来て悪さしてるのかな?
ヒロアカの見事な物語のたたみ方を見ると
打ち切り経験って必要なのかなとか思ったり -
匿名ゲスト
終わらせる事にビビってるのはあると思う
おそらく完結させるのは、連載が長いほど難しいし怖いんだろうな
連載中なら後からいくらでもフォローできるけど、終わってしまうとどうしようもないからね
何か描き忘れてないだろうか?最後にキャラには何を言わせればいいんだろうか?終わりだけ違和感あるとかなってないだろうか?初めてなので何も勝手が分からないのに、一発勝負それで終わりだからフォローもできない例えばGANTZなんか、人気作品だったからおそらく完結を急かされたりしてないだろうに、プレッシャーなのか気が抜けたのか大事な事をいくつも描き忘れたまま余韻もなく急ぎ足であっさり終わったのがもったいなかった
尾田栄一郎が現状ここにきてなお新キャラやシルエットを増やしてるのはできるだけ最終話を遠ざけたいんだろうなと思う
「これだけキャラがいれぱまだ最終話を描かずに済む」みたいな気持ち
そんな風に要素を増やして引き伸ばしをしたらそれだけ複雑になってまとめるのが難しくなるというのに
すごく終わりに向かうのを怖がっているのが分かるてか終わり方以前にもうすでにグダグダなので、こののグダグダのまま終わるんだろうなと思うし期待もしてない、笑える
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匿名Pゲスト
書きたいことがありすぎて引き伸ばしているというより
最終話を書かなくてすむように引き伸ばしていると…なるほど…
妙に納得しました笑える(本当に笑ってる人こんな事言わない)
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匿名ゲスト
能力無いと人助けできないの?
機械化できるのにそれを託すのは警察じゃなくデクじゃないと駄目なの?
教師より自分がヒーロになる方が大切なの?
そもそも最高のヒーローの定義とは何?
僕が来なくても婆さんが来たよね?
能力喪失エンドと教育者エンドと科学の力で再起エンドと市民のみんながヒーローエンド
ありがちな展開全部に手を付けて中途半端に投げたヒロアカが綺麗ですかね…?(引き合いにワンピースを擁護する訳では無いですが)
あまり関係ないのではと思います -
匿名Pゲスト
あらーなんかヒロアカを例に出してすいません汗
自分の解釈で恐縮なのですが
Q:能力ないと人助けできないの?
A:できると考えます。「能力によらず誰かが誰かのヒーローになれる」が最終的なテーマだったように思いました。
ヒーローに頼り切る世界(オールマイト全盛期)から、社会の皆がそれぞれ困っている人を助けられる世界へ、がゴールだったのかと。その点を端的に表したのが、おばあちゃんが能力によらず、ヴィランになりかけた子供に手を差し伸べた描写だと感じました。Q:機械化できるのにそれを託すのは警察じゃなくデクじゃないと駄目なの?
A:現時点ではデクが最適かと。いずれ変わるかもしれませんが。
アーマードオールマイトの装備は、オールマイトの財産のかなりを使ったと物語上で語られているので、おいそれと量産できるものではないと考えられます。なので量産を前提とするにはデータを取ってコストカット等を検討しなければなりません。そのデータを取るのに最適な人選がデクです。何故か?複数個性を同時使用経験がある人物(かなり少ない)なので、「スーツの運用方法考案に向いている。また、無個性であるためフラットな身体能力のデータが取れる。」からだと思います。最終話ではクラスメイトがお金を出し合ってスーツを作ってくれましたが、量産化がかのうになればおっしゃるとおり警察の装備になるかもしれませんね。Q:教師より自分がヒーローになる方が大切なの?
A:「教師よりヒーローになる方が大切」って名言してましたっけ?どっちも大事だと思ってるんじゃないでしょうか?最終話でそう感じたのなら意見の相違ですね~。Q:そもそも最高のヒーローの定義とは何?
A:「自分も頑張ろう、困っている人がいたら助けよう」という気持ちにさせるのが最高のヒーローの定義だと感じました。端的なのが、やはりおばあちゃんの描写です。死柄木を見捨てたおばあちゃんが、デクの頑張りを見て、次は見捨てなかったというのが「ヒーローに頼りきりだった世界が変わりつつある」ことを表していると感じました。序盤の「がんばれって感じのデク」が「がんばろうと思える象徴」になる物語だったのかと。「がんばろう、がんばれ」はオールマイト最後の戦いのキーワードでもありますし、「頑張る姿に勇気をもらえた誰かが頑張って、その姿に勇気をもらえた誰かが頑張って…」が連なっていく、その基点が最高のヒーロー「がんばれって感じのデク」なんだと感じました。Q:僕が来なくても婆さんが来たよね?
A:そう!そうなんですまさにそれ!
オールマイトだって全ての人を救えたわけではありません。オールマイトは来ないかもしれない。でも眼の前のあなたが勇気を出すこと、頑張ることで
誰かを救うことができるかもしれない。「私が来た!」がオールマイトだけの言葉ではなく、無個性でもおばあちゃんでも困っている人を助けた人の言葉になったということだと思います。無個性でもヒーローになれますか?のアンサーになっています。オールマイトのように一人で全ては救えるヒーローにはなれないかもしれない。でも勇気を出せば誰でも誰かのヒーロになれる。ここはすごく綺麗な落とし所だと私は思いましたが…Q:ありがちな展開全部に手を付けて中途半端に投げたヒロアカが綺麗?
A:すいません僕には上記のようにキレイに畳んだと感じました…まあ意見の相違ですね~長文失礼しました!
推敲してないので読みにくかったらすいません汗
流石にスレチなのでこれにて失礼します -
匿名ゲスト
打ち切りを経験しなくても学ぶことは出来る
世の中には成功してる作品の何千倍、何万倍の数の打ち切り作品があるかは言うまでもない
尾田先生がワンピースを楽しく描いてるのは結構なことだけど、先人や戦友から学べないなら「27周年」だろうが「世界一売れた漫画」だろうが、彼が彼の世界で取った偽物の栄冠に過ぎないと思うだって彼は競ってないし、自分と比べてないし、他人を省みてないからね
だから打ち切りレベルのクオリティに自分で気付けないし、編集の職務放棄ぶりを自分の実力で黙らせている!と勘違いしてるんしゃないかな
先生のコメントの節々、何より作品に独りよがりな所が溢れてる気がする作品だけじゃなく、作者もつまんねーなって思うよ
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匿名aゲスト
イキリ発言だけで打線組めるくらいあるのが人間性でちゃってますね
物語さえ面白かったら別に良かったんですけど今は、、、
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とくめいゲスト
自分がぱっと思いつく限りだと、デビュー作で綺麗に物語を畳めた漫画は鬼滅の刃、進撃の巨人、鋼の錬金術師くらいかな。確かにデビュー作でちゃんと終わらせられる漫画家って希少なのかもしれない。
そもそもちゃんと終わりを描き切るには、打ち切りにならない位の人気、作家のモチベと体力、話を畳みにかかってもブレないくらいの作品の構造の強さ、作品を終わらせられる環境、作品の根幹を見失わないための編集の舵取りなどなどめちゃくちゃ沢山の条件が必要だよね。デビュー作でそれが全て揃うのって奇跡に近いんだろうなあ。
打ち切りでも円満終了でも、自分の作品を終わらせる経験は、漫画家は一度は早めに体験しておいた方がいいのかも。 -
匿名ゲスト
正直、今の支離滅裂ストーリーを上手く完結させるのは尾田じゃなくてもかなり難しい
それに加えてキャラが多過ぎて、完結に向けてそれぞれのキャラや勢力の動きや反応を描写なんかしようとすればそれだけで半年以上かかる事になると思う。終わりに向かってるのに終わらないという異常な事態
さらにその「終わりに向けた描写」の最中にも新キャラや新エピソードを放り込んだりしそうだからなおさら終わらない。なんなら今も半分その状態なんじゃないかと思うなので終わる時は、色々描きたいだろうけど世界の情勢は切り離してまず主人公と周辺の描写に限定してスッパリと終わらせる
その上で、地域や勢力ごとに最終話の時はこんな感じだった、というスピンオフ的な読み切りを描きたいだけ描くようにするほうがいいんじゃないかと思う
終わりを先に描いてたら、思い付きで拡げるにしても後ろが決まってる以上限定されるし丁度いいと思う思い付いたら全部描いちゃう尾田栄一郎の性格だと、そうでもしないと本当に死ぬまで終わらないんじゃないかと思う
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うわ出たよゲスト
うわ出たよかっちゃんの発言で1話切りしたヒロアカアンチ
マジで読んで無いのにアンチスレで情報仕入れながらずっとアンチしてて気持ち悪いなと思ってたけど完結しても続けてんのか・・・なんで1話切りしたってわかったと思う?
「教師より自分がヒーロになる方が大切なの?」なんて読んでないやつにしか出てこない発想だからだよ
ヒーロー科教師が全員ヒーローで教師しながらヒーロー活動してる事すら知らないんだもん
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