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匿名1ゲスト
ふと、ワンピースやいろんなアニメを観て気が付いたんだが
これ時代に依る変化なんじゃないか
本気で面白いと思ってみんなが大好きで熱中していた「前半の海」が
連載および放送されていた時代ってワンピに限らず他の作品もみんな面白くて、
どこか粋だったというか(少なくとも今のワンピやほかのつまらなくなった作品みたいな
倫理観の皆無だったりキャラの著しい乖離や劣化はなかったと思う)
そういう作風が好まれていた「時代」だったんじゃないかなって
で、今の時代(いつからかはよくわからないけどとりあえず2018年あたりと仮定して)だと
そういった感性や作風があまりウケない、記号的な消費を重ねる人がその手の作品を支持する
時代になったんじゃないかな
このブログでも指摘されていることがある
・キャラの安易な記号化、誇張表現、ギャグ
・ぱっと見のわかりやすい派手さ重視
・言葉による説明の多様化
・余韻や間を持たせない、読者に想像の余地を与えない騒音
・わかりやすいお涙頂戴展開
・前後の描写が意味不明なライブ感全開の物語
みたいなノリの方が今の時代の人にはウケていて、
整合性がない、明らかに日本語がおかしい、展開がかみ合っていない
みたいな違和感を違和感だと感じずに読めてしまう・観れてしまう層が多い時代になり、
作品もそれに合わせてしまっているんじゃないだろうか -
匿名ゲスト
昔はそういう欠点に気付かなかった、あるいはそれが普通だと思ってたということはないですか?
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匿名1ゲスト
新世界編以降のワンピースや平成後期〜令和にかけての時代で見た作品や所謂名作のリメイク作品などを
見ていた当時私は子供でしたが、明らかに無視できない違和感はありました。別にそれは他の優秀な作品や優秀だった過去を知っているからではなく、作品単体として見た時でも違和感を感じました(もちろん新世界編以降のワンピースが発表された時代の作品全てが違和感を感じるものや劣化している面白くないという事はありません)
その無視できない違和感の正体をブログ主さんや色んな人が言語化してくれており、概ねそれに同意していました。
色褪せない名作と謳い文句が張られている作品
それを見ていた当時も、そしていつそれを見返しても欠点に気付かない或いは明確に指摘できる欠点が難癖以外に存在しないっていうのが面白い作品の条件だと思っています。
いつ見ても面白いから心に残り、
いつ見ても違和感が少ないから何度も見ちゃうし
該当のシーンを丸暗記できたりする
今のワンピースがそれに該当するかと言われたら難しいと思います。
安っぽい言葉でいうと製作者の魂が込められていない、熱を感じない。
「もうこれで番組や連載が終了になってもいい。
だからありったけを出して面白くする」
という強い意気込みを感じないんですよね。
今のそうした作風で違和感を感じない層が増えたのか、作品に対する見方や楽しみ方が時代の変化と共に根本的に変わったのかは正確なデータも何もないので説得力に欠けるところではありますが、一種の作風の流行のようなものじゃないかと私は思っています。
漫画はこう書くべき!アニメはこう写すべき!というような流行・基盤・テンプレートに沿って作品が量産されて、それに合わせた作品はそれを評価する層がお金を出すからビジネスとして成功し、また次のテンプレが生まれる……みたいな感じです。
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匿名ゲスト
うーん、時代の変化で(ワンピで言うならば)尾田先生があえてそういった層に合わせた作品づくりをするようになったってことですか?
つまり昔のクオリティで書こうと思えば書けると?
尾田先生自身もワンピースをよく読み返してらっしゃるそうですけど、もしそうなら今の自分の描くキャラの掛け合いとかつての自分のキャラの掛け合いとかにけっこうな差を感じて苦痛に感じそうなものですけど……
そうではなく、先生自身は気にならない(キャラの個性把握や会話のクオリティが劣化してると思ってない)から前半の海を喜んで読み返せるって自分は解釈してますねぇ-
匿名1ゲスト
意図して合わせてるつもりはないと思うんですが、
上手い言い方がわからなくてすみません
その時代特有のフォーマットに段々と少しずつですが侵食され、時間をかけて変化していったと思います。
恐らく前半の海の時代に戻れるか・いつでも描こうと思えば描けるかっていったらもう戻れない、戻るにはあまりにも時間が経ちすぎてしまったが結論だと思います。
なので先生自身が気にならなくなってしまった(それを違和感だと感じる年代は過ぎ去ってしまった)
という解釈で間違ってないです。
現行で連載しているワンピースを例として出したのがちょっと不適切でした。
ワンピース劣化の原因に大きく言われているのが
❶作者が歳をとってからセンスや感覚が劣化してしまった、もしくはここまででいいんだ、ここまででも評価してくれるんだという妥協が生まれ始めた
・チョッパーに可愛いことさせとけばいいんだ、ナミにエロい格好させとけばいいんだ、なんかエモい関係性出しとけばいいんだ
❷編集がうまく機能していない、原稿以外の時間が多いから原稿を推敲する時間が取れない
だと思うので、この劣化に関しては尾田先生が時代に合わせただけではなく単純な劣化でつまらなくなったと言えるでしょうね。
私が言いたかったのは
長い年月かけて連載された作品などは連載期間を通じて作者本人にいろんな情報などが入ってそれを書いていた当時(面白かった時代・面白いものを書いていた時代)から大幅に変化(劣化)していった→その変化や劣化をもたらす要因って時代なんじゃないか、無意識に時代に合う作風に「こういうの好きだよー戦う女の子がウケてて自分もそっちが好きなんじゃないかって思えてきたよー!」みたいな方へ寄っていってしまい連載当初の姿を応援していた本来のファンより、全く新しい時代に生まれてくる新規の方に目を向けたんじゃないか、あるいはそっちの声を採用しているから一見フレッシュに見えて息だけは長く続いているんじゃないか
その根拠っていうのは劣化した作品と同時期の作品からも何となく同じ匂いを感じるからっていうものです。-
匿名ゲスト
それはその通りなんだが、それが発生する根本的な原因が「連載期間の異常な長さ」なんだよ
①も②も長期連載でなければ起きない問題
初期構想で終わりまで行かずに、人気が出たからといって途中でアイデアをポンポン入れ込むやり方をまず変えるべきなんだよ作者も編集も人間なんだから長い連載中に考え方が変わるのは当たり前だと読者側も思わなきゃいけない
長期連載を受け入れるなら、つまらなくなるリスクも受け入れなきゃいけない
長期連載を望みながらつまらなくなるのは望まない、というのは読者のエゴ-
匿名1ゲスト
これは読者側が抱える永遠のジレンマですね。
面白ければ人気になり、そして人気になれば長く続く。けれども長く続けば続くほどつまらなくなる・変化してしまうリスクも肥大化していく…
ファンや読者としては楽しい作品はできるだけ長く続いて欲しい≒すぐ終わって欲しくない
しかし作品のクオリティは著しく落ちてほしくはないという…
そう考えるとやはり長くて200〜300話以内、連載8〜10周年、コミックス35巻付近までが良い塩梅で折り合いがつけられるんでしょうかね。-
匿名ゲスト
冗談抜きでほんとに長期連載が漫画を潰してるからな
例が沢山あるからマジでだから長くても30巻くらいで終わるようなルール作ってほしい
何作も描けるような本当に才能ある人をダラダラ引っ張って作家としてのピークを一作で枯らす風潮は害悪しかないよ暴走族→珍走団、みたいに終われない漫画家にクソみたいなニックネームつけようぜもう
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匿名ゲスト
貴方が珍読者なのに何いってんの?
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匿名ゲスト
じゃあ君は信者あらため珍者やね
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匿名ゲスト
長期連載もそうだけど個人的に終わった作品を掘り返すのも良くないと思ってる。ドラゴンボールやイナズマイレブンなどはそのせいで最新作は駄作だったわけだし
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匿名ゲスト
一旦完結したものはそこまでで評価できるので別の話
だからこそ終わらずにめちゃくちゃしてるワンピースがボロクソ言われてるんだよ -
トットムジカゲスト
オーズの復活のコアメダルがそれにあたりますね
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匿名ゲスト
長期連載(放送)、掘り返し、主人公交代。こいつらは間違いなく作品を汚す所業
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HD特化スカーフヒヒダルマ(いじっぱり)ゲスト
ポケモンシリーズ。アニメ原作問わずつまらなくなってる。
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トットムジカゲスト
ヒューマンバグ大学。ガチでつまんなくなった。
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匿名1ゲスト
↑2つの自分の不満をぶつけたいだけの常習コテハンは自重してください?
このトピックはつまらなくなった作品って何?じゃなくて
つまらなくなった作品にどういう関連性があるのか
議論し合ってみたいがために開いたものです。
脳死でつまらなくなった事実だけを書かれても困ります。それだけ書かれてもただのアンチスレと何ら変わらないです。-
スカーフヒヒダルマHD特化ゲスト
既存ネタを擦りまくっている、という感じでしょうか。
(あの有名な恋するワンピースの作者である伊原先生のしゅごまるとか)
あとはお涙頂戴展開とか、ワンパターンの起承転結とか-
スカーフヒヒダルマHD特化ゲスト
後は、特定キャラに対する露骨な贔屓でしょうか。
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スカーフヒヒダルマHD特化ゲスト
間違えて連投してしまいました。すみません。
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スカーフヒヒダルマHD特化ゲスト
後は、特定キャラに対する露骨な贔屓でしょうか。
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スカーフヒヒダルマHD特化ゲスト
まあそもそも既存ネタに関しては人を選ぶけど
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匿名ゲスト
既に出てるけど、問題は1点だけ
「連載ダメ、ゼッタイ!」これだけなんよ
連載というスタイルがダメ
ほんとこの1点だけそもそも「連載(長期連載)」という形態が「最初から最後まで完成された、ちゃんとした作品」というモノを見せるのではなく「今から面白い作品を作っていくつもりでその経過を見せて稼ぐ」というものだから
まだ完成していない、ちゃんとまともに完結するか分からないモノに金を出させるこの形態がおかしいんだよ
百歩譲って、完成したうえで分割して発表してるというなら分かるけど、まだ描いてないんだから話にならない
映画監督が「最初の導入部分だけできました」で金取るか?ミュージシャンが「イントロだけできました」で金取るか?って話そういう形態だから、「人気が出なくて打ち切り」「人気が出たので引っ張って膨らませる、引き伸ばす」など想定してない事を普通にやれてしまう
そしてトピ主がいうような「時代に合わない」「どの世代に向けてるか分からなくなる」「作者の描きたい事が変化する」なんて問題も発生してしまう最初から27年も連載する気で始めてないよね?
そんだけ連載してこんなグダグダ展開する予定無かったよね?
終わりまで描き上げてから発表していたらどんだけまとまりの良い素晴らしい作品だったか、考えると泣けてくるわだから結論として、
「長期連載自体がこういう事を生む原因」だから不満ならそのスタイル自体に文句言うべき
長期連載を許容するのならこういう事態も許容しなければならないこれが結論ではないだろうか
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匿の名ゲスト
長期連載が作品に影響(良い悪いは置いといて)を与える可能性があるのは否定できませんが、
完成してから作品を売れという主張(意訳)は同意しかねますね。連載中に話がブレるのは最後まで構成を考えてない、またはオチを変えたのが原因であると思います。
前者であれば見切り発車で作品を描き始めた作者の責任であり、それで作品が面白くなるかどうかは作者の腕次第だと思います。
後者であればオチを変えなければならなくなった要因に責任があり、それを作者が容認するか否かと思います。映画も一本、楽曲も一曲、漫画も一話という単位で制作して売っているという点で、
内容は知らないがその作品に期待してお金を払って鑑賞している同じものであると考えます。-
匿名ゲスト
出した作品にお金を払ってるのは同じだけど言ってるのはそこではなく、その出した作品がその時点で完結してるかどうかの違いの話をしてる
最後まで完結してから発表する事で、少なくともここで言われている「途中からつまらなくなっていく」という事は起きないって話あなたのいうつまらなくなる原因「最後まで考えていない、オチを変える」というのは完結してから発表すれば発生しないんだよ
まあ実際不確定だからこそ逆に予想以上に面白くなったりする事があるのも事実だし、あなたのように期待して付き合う人がいるから成立してるんだけどね
ただ、途中からつまらなくなる大元の原因は「連載というスタイルだから」であり、連載作品は途中からつまらなくなる可能性は常にあるよって話
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アカウントゲスト
ブリーチがめちゃくちゃいい例だろ
アニオリもつまらない
ルチアを助けてから引き延ばしみたいな
ピーチ姫を助けるマリオみたいな展開ばかり
アニメでみようと思ったけど見るのやめた勢です -
匿名ゲスト
ワンピの場合、初期の仲間介入イベントや未知の島でのシナリオが良かった半面、章ボスがショボい魚人島編から一気につまらなくなったからな。おまけに作者が頂上戦争よりも面白いとジャンフェスで煽り、その結果がこの体たらく。長期連載によるネタ切れもそうだけど、作者が余計なことをしたり、考察動画配信者がハードル上げるからますますつまんねえと思う人間が増えた気がする。
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匿名ゲスト
二年後自体がいらない。
この状態のまま立て直すの無理だからいっそのことパラレルワールドだったことにしてニカもなくそうぜ。 -
もう期待してないゲスト
最終章で5年後に終わるとか言って全く終わらせる気配がないようですね
もったい付けるような大した結末でもなくワンピースが引き延ばしている間に
完結した数々のファンタジー作品のどれかと似たような結末になるでしょう -
匿名qゲスト
私は時代劇が好きで昔の作品を見るのですが、60年代頃までの作品と90年代の作品との違いを強く感じます。60年代頃までの作品は、セリフではなく役者のかすかな表情の変化や風景(雨や雪、空を映したり)などで心情を表現していて、そのため「この人物は何を思っているのか」が明確でないものの、だからこそ一層グッとくるというか、言葉にできない感情に共感しますし、多くを語らないことを粋に感じるところがあります。90年代の作品は、役者のアップが多用されて表情の演技も大きくなり、キャラクターの記号化が進み、露骨なお涙頂戴シーンが増えた印象です。
何を面白いとするかの感覚が時代によって変わっていくんでしょうね。ファッションも音楽もそういうところがあります。ちょっと上の世代のやり方を「ダサい」と否定して、そうじゃないものを求めるようになり、その繰り返しでまた似たようなところに回帰していくのでしょう。
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