1/7 追記完了しました
更新遅れており申し訳ありません🙇🏻♂️
1134話、色々と触れたいポイントが多いのですが、とりあえず総評としては「残念」という感想でした。
理由は、まず間違いなく「当初構想していたエルバフ編とは、設定から筋書きまで根本的に改変されてしまった(ことが確定した)」からです。
ラストページの謎の人物(おそらく神の騎士団)の魔法陣ワープによる襲来がその決定打ですが、「戦いより他国との交易を」という思想の変化や、コンプラ縛りの言葉狩り描写も、唐突感がすごすぎて(長期連載に伴う現実世界の価値観の変化に合わせて、あるいは影響されて)雑に追加したような薄っぺらい上塗り設定にしか見えず、本来「エルバフ」という島が持っていたはずの(構想していたはずの)個性や歴史を全く感じられません。
「エルバフの戦士が世界を荒らしてたのはもう100年前」の話で、「もうそういう時代じゃない」って…エルバフの神の審判を受けて島に戻るために100年も決闘を続けていたドリブロがバカみたいじゃないですか?
2人の誇りをかけた決闘や戦士としての生き様に感動し、そんな戦士達が住む村に憧れていたのに、いざ村に着いてみたら、すでにそんな価値観は古いものとして、次世代には真逆の教育が施されていましたって…ウソップからすれば肩透かし感ハンパないでしょうし、ドリブロは一体どんなツラしてこの島に居座っているのでしょうか…笑
居心地悪過ぎていたたまれないでしょう。
これ、ニカやら神の騎士団やら後付けした設定の回収と、「エッグヘッド編」の尻拭い(説明不足の部分や矛盾点の回収)のため、大幅改変された本筋の辻褄合わせのために、エルバフ編が取り込まれて、原形を失ってしまったようにしか見えないんですよね。
「エルバフに神の騎士団が襲来する」なんて展開、当初の構想にあったはずがないですから。
ゆえに、私が読みたかった「エルバフ編」ではなく「残念」だな、という感想でした。
ただし、もはや別作品と化してしまった前提で読めば、ラストのシャンクス似の人物の襲来は、その正体や設定含め、気になる引きではありました。
取り急ぎコメント欄のために公開し、以下、随時追記していきます。
以下、追記です。最終チェックできていないため、ミスや確認不足のポイントがあるかもしれない点ご了承ください。(修正点があった場合、動画化の際に対応します)
また1134話を読んだ直後の感想なので、1135話の内容は加味していません。
目次
1134話が残念な理由
場面転換なしの導入はよかった
前回の記事で願った通り、前話のラストから場面転換せずにスタートしてくれたのはよかったです。
アシスタント任せの背景絵でもなく、キャラ絵かつ丁寧な作画だったので、それだけでいつもよりポジティブな入りとなりました。
だからこそ、セリフがスベり散らかしてるのがもったいないですね。。
この場で「仁義を切る」挨拶をする理由付けや文脈が皆無なため違和感しかない上、セリフの中身もカラっぽかつ意味不明なので、普通に「サウロのおっさん!!(ロビンから話は聞いてる)ロビンのこと 守ってくれてありがとう!!!」と力強くストレートにお礼を伝えた方がよかっただろうと思ってしまいます。
「若ェモンが」ってロビンはお前より歳上だし、30歳って別に若くないし、実際一味の中では「アダルトチーム」とされているし、そもそも若いかどうかなどこの場面で全く関係のない情報だし、「おひけェなすってくれ」の後に「どちらさんも…」が続くのも意味わからんし、それも途中で遮られて最後まで口上を言い切れずに終了してしまうシマツのため見るに堪えません。
もちろん、これは前話の「それが仁義だお前!!」というセリフを受けての挨拶であり、恐らくジンベエの“麦わらの一味”加入時の挨拶に影響されたテイなのだと思います。
要するに👇🏻こちらのシーンのジンベエの口上を(曖昧な記憶のまま、使い方もよくわからずに)マネしただけなので、言葉の並びや言い方がおかしくなってしまっている、という「ギャグ」なのでしょう。
ジンベエの口上を聞いた時の👇🏻こちらのルフィの表情を見るに、その挨拶を「かっこいい」「いつか使ってみたい」と思っていた、というのはあり得ると言えますが、
それを回収するならワノ国(ないし、せいぜいその直後のエッグヘッド)で行うべきで、鬼ヶ島上陸後もエッグヘッドでも一切その影響を受けた様子など見られていなかったというのに、エルバフに来て唐突にそのセリフを使い出すのは不自然でしかありません。
何より、ジンベエのセリフは「乗船にあたっての自己紹介挨拶」であり、「仲間がお世話になった恩人へのお礼の挨拶」とは目的と内容が全然違うため、この場でジンベエの挨拶をマネしようという発想になること自体が意味不明です。
「うろ覚えのまま雰囲気でマネしただけなので、おかしな挨拶になっている」というギャグにするのなら、最低限、ジンベエと同様の「自己紹介」の場でマネさせるべきでしょう。
「同じシチュエーションだったからジンベエの挨拶を真似してみた」という心理なら理解できますが、「よく覚えていない挨拶を全く別のシチュエーション(それも恩人へのお礼という重要シーン)で使ってみよう」という発想になるのは意味不明です。
要するに、ジンベエに影響を受けたのなら、同じように「自己紹介の挨拶」としてマネさせるべきだし、「恩人へのお礼のセリフ」を(ルフィっぽくないセリフで)言わせたいなら、ちゃんとそれが描かれたシーンから影響を受けたように描くべきだということです。
で、ジンベエが(任侠モノっぽいセリフで)恩人にお礼の挨拶をしたシーン(かつそれをルフィが目にしたシーン)などないのだから、普通にエースが幼少期にマキノから敬語を教わっていたことに影響を受けたことにして、「ぎこちない敬語」でお礼を言わせた方がずっと味わい深いシーンになったのでは、と思うわけです。
要するにこれは、「ルフィが使ってみたいと思っていたジンベエのセリフをマネしてみた」シーンではなく、「作者が言わせたいセリフを(よくわかってない)ルフィに言わせたらこんな感じだろう、というテイで言わされた」シーンでしかなく、作者の作為しか感じないから、薄ら寒く、スベっているわけですね。
こういうと、「ギャグシーンなんだから別にいいだろ」とか「何をギャグシーンに真面目にツッコミいれてんだ」という輩が現れそうですが、「ギャグシーンが意味不明すぎてボケとして成立しておらずスベってる」わけですから、そこの粗を指摘されるのは当然でしょう。
また、「ルフィにそんな細かいこと考えられるわけないだろう」という人もいるかもしれませんが、いつからルフィってそんな脳みそカラっぽの低脳キャラになってしまったんでしょうか。私は、今のルフィのバカさは「あり得ない」レベルのものばかりなので、作者によって知能を奪われ、過剰に「バカ」にされてるようにしか見えません。
まぁ、このシーンについてはそこまで追及するポイントでもないのですが、結局のところ、キャラが自分の意思で言葉を吐き、動いてるように見えなくなると、作品は味を失い、退屈さを増す一方なので、小さいことのように見えてものすごく重要なポイントなんですよね。
ルフィの言動一つ一つを、もっと精査して、一人の人間として筋の通るように描いて欲しいものです。
ルフィの立場になったつもりで、「仲間がお世話になった相手へのお礼の挨拶」をする場面で、「ジンベエの乗船時の自己紹介挨拶」をマネしてみようという発想になると思いますか?
なるわけないですよ、全然別物の挨拶なんですから。
再会時のロビンのセリフについて
前話の記事で、サウロとの再会時のロビンのセリフは「褒めてほしい」ではなく、「サウロ あなたの言った通りだった(ずっと一人だったけど 私にも私のことを信じてくれる心許せる“仲間”に出会えた)」といった方向性のセリフもあり得たのでは、という指摘をしましたが、今話でその点は回収してくれました。
これがあった分、まだよかったと思えましたが、やはり「褒めてほしい」については(一番重要なセリフでもあるため)今話のセリフの方向性を優先した方がよかったのでは、と思いました。
というのも、ロビンとサウロの過去のやりとりや、その後のロビンの人生を思えば、「大切な仲間に出会えた」「だからこれまで生きて来れた(サウロの言った通りだった)」という点の方が、まず真っ先に頭に浮かび、伝えたくなる重要度の高い情報のはずで、「褒めてほしい」という願望は、ロビンの人生の核心を押さえていない、ものすごく浅くて薄っぺらいセリフに聞こえてしまうからです。
端的にいえば、「ロビンは誰かに褒められたくて生きてたわけじゃないでしょ…」「ロビンが生きられたのは“仲間”との出会いがあったからであり、それを差し置いてまず自分のがんばりを褒めてもらおうとするのは、ロビンの人間性的にあり得ないだろう」というツッコミがまず浮かんでしまうのです。
22年前、サウロがロビンに伝えた最期の言葉は、「どこかの海で…必ず待っとる 仲間に会いに行け!!! ロビン!!!! そいつらと……共に…生きろ!!!」でした。
この言葉を受けて、ロビンは何度も死にたいと思いながらも必死に生き続けてきたわけですが、一方で、「私にはもう生きる目的がない」「死を望む私をあなたは生かした」「私はもう死にたいのよ」とも口にしており、こうした状況を乗り越え、「生きたい」と思えるようになったのは、他でもない、ルフィ達との出会いがあったからこそなわけです。
ルフィ達と出会わなければ、ルフィ達に救われなければ、アラバスタの時点で死んでいた(死を選んでいた)わけですから、ロビンからすれば、今日まで生きてこられ、サウロと再会できたのは「仲間達に出会えたおかげ」という考えが、頭と心に染み付いてるはずなんですよね。
だからこそ、サウロと再会時に出てくる言葉は「仲間と出会えた事」の報告となるはずで、真っ先に出てきた言葉が「褒めてほしい」だったことに違和感を覚えたわけです。
自分が生きているだけで仲間達に迷惑をかけてしまう運命に苦しみ、死を望んでいたロビンが、「生きる」ことを選択するためには、「仲間全員が、全世界を敵に回してでもロビンを守る(ロビンのために死ねる)覚悟」と、その想いをロビンが信じ、受けとめ、仲間に助けを求める覚悟が必要だったわけで、そこにはこの上なく重い決断があったはずです。
エニエスロビーまで迎えに来てくれたルフィを突き放し、
「私はもう…死にたいのよ!!!!」と口にした後の👇🏻この表情が、その運命の重さを物語っています。
「生きたい」「一緒に冒険したい」などと簡単に口にすることは許されず、仲間に本心を伝えることさえできない運命を背負い、苦悶の表情を見せたロビンが──世界とその闇が敵であることを伝えても尚、一切の迷いなく自分を救おうとしてくれる仲間達に心動かされて初めて「生きたい」という本心を口にしたロビンが、
サウロとの再会時に、「生きたこと…褒めてほしい」なんて口にすると思いますか?
「生きることを選択できたこと」「今日まで生き続けられたこと」は、何より仲間達の存在があったからであり、仲間達がいなければ、今日の日を迎えられていないことなど、ロビンが一番よくわかっているはずなのに、真っ先に「自分が生きたことを褒めてもらいたい」という子供じみた安直な願望が口から出てくるでしょうか。
端的に言えば、このセリフを吐いた事で「仲間達よりも、自身の承認欲求の方を優先した」ようにしか見えなくなってしまうんですよね。
ゆえに、読み込めば読み込むほど、「いや、お前何度も死のうとしてたやんけ、死にたがってたやんけ、それをせずに済んだのは仲間達と出会えたおかげだというのに、何をそれを差し置いてとりあえず褒めてもらおうとしてんだよ、この承認欲求モンスターが」という感想になってしまうわけです。
たとえば、サウロから言われたセリフが「オハラが守った歴史を継ぐために何としても生き延びろ!!(母達の死を無駄にするな)」といったもので、その言葉を受けて一人生き続け、尚且つアラバスタやエニエスロビーで死を望む描写もなければ、再会時に「褒めてほしい」と言いたくなるのもわかります。
が、「この世に生まれて一人ぼっちなんてことは絶対ない」「どこかの海で必ず待ってる仲間に会いに行って、そいつらと共に生きろ」という言葉を受けて、仲間達との出会いによって、今日の日を迎えられたのであれば、真っ先に出てくるのは「サウロの言った通りだった」の方であり、「褒めてほしい」にはならないだろうと思うわけです。
嫌でしょ、ロビンが「サウロに会ったら生きたこと褒めてもらおう☺️」という考えで頭がいっぱいだったって。その場合、仲間達の存在は二の次になっていたって事なんですから。
要は、表面的には(ロビンが素直な願望を述べて甘えた)味わい深いセリフに見えるものの、ロビンの立場に自分を重ね合わせて、感情移入しようとすればするほど、「そうはならんやろ」という感想となって、ロビンの人間性を正しくとらえたセリフになっていないと感じるわけです。
まぁ、ひたすら頬を赤らめまくって、読者の「ロビンちゃんかわいいィ〜!!」という言葉を集めるためだけに生きている、承認欲求モンスターと化した今のロビンにとっては、ある意味正しいセリフ選びなのかもしれませんが笑
号泣ギャグ描写でまたスベる
それに対して、号泣ギャグ描写を天丼させられる一味も気色悪くて見てられません。
いらねェ…
まじでこれ、面白いと思ってやってるんですかね…
まぁ、おそらくキャラ1人1人の心情や表情を描くのがめんどくさいから、「団体芸」の一律ギャグ描写で処理した(それ以外に処理方法のアイデアが思い浮かばなかった)のでしょうが、この場でこれをやるなら、前話のラストシーンに号泣ギャグ描写など入れるべきではありませんでした。
二話連続はどう考えてもしつこいし、メリハリがなさすぎて作品のつまらなさとネタ切れっぷり、あるいは手抜きっぷりを強調する結果にしかなりません。よく好評よりも酷評の声が多いであろうガンスベり激イタおサムい描写を繰り返そうと思えるなと。
つまらないですよ、スベってますよ、キャラが死んでますよって、編集者は教えてあげられないのでしょうか。。
そもそも鼻、露出狂、非常食の3バカトリオは、ロビンを守れる立場などではなく、お前らは守ってもらう弱者ポジだというのに、何が「一生守る」やねん鬱陶しい、と言いたくなってしまいます。
敵が現れるたびに泣き喚き叫んで人生諦めまくるお前らに、誰が守ってほしい(守ってもらえる)と思えるのか。
お前らみたいな弱者に守ってもらうような雑魚じゃないんだよ、ニコ・ロビンは。
加えて、あごヒゲ逆さまゆげも、ワノ国でロビンに泣きついて助けを求め、守ってもらった立場のくせに、「一生守る」なんてどの口がほざいてんだと思ってしまいます。
どうせロビンの命を奪いに来たのが女キャラだったら、また一切手出しできずにあっさり敗北して他の連中に任せるか、(ロビンの強さを信じて)堂々と敵に差し出して自分が守ってもらう判断をするんだろ?
今後同じ状況に陥った時、迷わず女を蹴り飛ばしてロビンを守ると言い切れるのか?
「一生守る」ってことは、その覚悟を決めたってことになるんだぞ?
一生どころか一度たりとも守れておらず、女相手という理由だけで手出しできずにあっさり敗北して時間をロスし、周囲から「守ってもらった」立場である上、ゾウでは「必ず戻る」と書き置きした約束をあっさり反故にし、エッグヘッドではベガパンクを助けるという約束を守れず、無力を晒したばかりで、何一つ約束を守れない口だけ弱者男と化しているお前が、今更薄っぺらいリアクションしてんじゃねェと思ってしまいます。
何より、ワノ国で「ニコ・ロビンをナメんなよ…」と啖呵切って堂々とロビンに助けを求めたのは、「ロビンは強い女性で、自分達が守ってあげなければならないような弱点や弱みではない」から、ロビンを信じて助けを求めたのではなかったのでしょうか。
それが(ギャグ描写とはいえ)「一生守るーー!!!」なんて言い出したら、お前もニコ・ロビンは自分達が守ってやらなきゃならない、お守りの必要な弱者だと考えていることになり、ニコ・ロビンを舐めてることになるんだが、それでいいのか?
普段は「絶対守る」と考えているけど、自分が都合悪くなった時だけはロビンを「強い女」にして助けを求めるって、クソッタレすぎるでしょう。
キャラの「約束」を安易に破らせ続けた結果、何を言っても説得力がなく、口から出る言葉全てがカラっぽで信用に値しないキャラと化してしまいました。
「ロビンが敵に狙われたら守るのは当然だが、自分達が過保護に守ってやらなければならないような弱い女ではない」というスタンスの場合、こんなリアクションには絶対になりません。
サンジに限らず、全員が小手先の軽口を吐いてるようにしか見えず、まるでその言葉を信用できないんですよね。。
いくらギャグシーンとはいえ、これまで描いてきた重要シーンと齟齬を生むような軽口を言わせるくらいなら、何も言わさずに、みんな笑顔ないし凛々しい顔つきでその様子を見つめる表情を描くに留めたほうが、よほど一味の絆の強さを感じられるいいシーンになったのではないでしょうか。
こういうキャラ描写の齟齬や矛盾、今の読者は気にならないんですかね。。
これまで描かれてきた経験が、きちんとキャラの中に蓄積していかないため、まるで成長していかないどころか、むしろ蓄積してきた過去の財産を積極的に破壊していく描写ばかりなので、もはやキャラの中に何も残っていない焼け野原と化してしまいました。
場面場面の作者のSBSノリだけで、大した考えもなく(過去の描写との整合性や一貫性を考えずに)雑なセリフやリアクションばかりさせるから、キャラが死んでいくのです。
「何度も稽古した」というクソミスリード
前回の記事で、1131話のラストで👇🏻このモブが「大変だ〜〜〜!! サウロ先生が!!! 倒れて動かない!!!」と(ドリブロ達の帰港前に)叫んでいた描写について「あり得ない」と触れましたが、
今話で、実はサウロに雇われたヤラセ要員で、「何度も練習していた」というクソみたいなミスリードであったことが明かされました。
要するに、ロビンを驚かせるためにサウロが倒れて動かないという嘘をついて騙す「練習」をしていただけであり、1131話のラストは「その練習シーンを描いた」ということなのでしょう。
どちらにせよあり得ず、漫画史上最低品質のクソミスリードだなと思います。
なぜなら、キャラの自然な言動を通したミスリードではなく、作者のメタ視点からの作為100%による強引なミスリードにしかなっていないからです。
まず、「練習」のシーンを描くことでミスリードするという発想が茶番でしかなく、何の価値も生んでいない上、そもそもどこに「練習」の必要があるのかがわからないため、尚更作為的で無理のあるミスリードとなっています。
サウロは海辺で死んだフリ(タヌキ寝入り)をしているだけなのでセリフはなく、アンジェという名の奇形モブは、ロビン達が泉に来たら「大変だ〜〜〜!! サウロ先生が!!! 倒れて動かない!!!」と叫びながら登場するだけの役なのですから、ぶっつけ本番でも何一つ失敗しようのないくらい簡単なミッションであり、「練習」の必要性などまるでありません。
なんなら、子供達がうっかり出てこないように目を光らせておく方が、ずっと成功のために重要な役割と言えるでしょう。
練習が必要だとすれば、
- 「サウロが起き上がるタイミングをミスらないこと」
- 「アンジェが叫びながら駆けつける際の演技力」
くらいですが、前者は「誰かが無言でサウロに近づき、その気配を察して起き上がる」練習をすればいいだけですから、アンジェが叫ぶ1131話の「練習シーン」は発生しません。
つまり、以下の描写は「アンジェの演技力」の練習以外に意味をもっておらず、「息切れの演技をしながらセリフを間違えずに大声で叫べるように練習していた」シーンでしかないということです。
それによって読者にサウロの身を心配させ、「ロビンとの再会が叶わなくなるのでは…」と不安にさせようと画策したわけですね。
くだらない。
その描写を入れること、それによってミスリードすることに一体何の意味があるというのか。
何がくだらないって、この引きによって本気でサウロのことを心配し、ロビンとの再会が叶わなくなるのではと不安になった読者など、まず存在しないだろうということです。
大半の読者は「どうせ再会することになるだろうに、また無駄なトラブルを挟んで結果を先延ばしにして、物語を間延びさせるのはやめてくれ」とか、「仮に本当に倒れたのだとしても、死なない限り再会は叶うのだから、何のために倒れた展開を挟む必要があるのかわからない(面白い展開になるはずがない)」「そもそも死んでたはずの人物との再会を描こうとしているのに、そこにまた倒れて動かない(死んでしまったかもしれない)という引きを挟んでどうする」といったツッコミの方が多かったのではないでしょうか。
もっと言えば、「仮にサウロが倒れてそのまま死んでしまい、ロビンとの再会が叶わない(ロビンがサウロの元に着いた時には既に息絶えていた)という結果になったとしても、それはそれで(その展開をきちんと感動的に描いてくれれば)問題なく受け入れられる」(サウロに生きていて欲しいと心から願う読者などいない)のでは、とも思います。
故に、サウロをガチで心配し、ロビンとの再会が叶わなくなることを不安に思った読者など、まず存在しないだろうと思うわけです。
だから不毛なのです。
1131話の引きが意味を生むとしたら、サウロが倒れて死んでしまい、ロビンとの再会は叶わなかった、というオチにする場合のみです。そうはならないと思われている時点で、このミスリードは茶番でしかなく、描く価値がなかったことになります。
普通にロビンがサウロに会いに行こうとしているところ、(ドリブロ達の帰還を知った)アンジェが叫びながらロビン達のもとに現れ、「あなたがロビンね!? 早く一緒に来て!!」のように焦り、つれていく様子を描いて、それはサウロとアンジェの演技だった、というオチにした方が、ずっとサウロのことを素直に心配できる、意味のあるミスリードになったことでしょう。
1131話から(「練習シーンだった」という強引なミスリードを使ってまで)読者を不安にさせるための前振り(実際は不安になる読者などまずいない茶番)を差し込む必要性など全くありません。
きっと1131話の引きが弱いと思って、何とか読者の気を引く要素を入れるために小手先で追加したのでしょうが、コマとページの無駄遣いでしかない。
どれだけ雑で作り込みが甘く、無駄だらけで中身のない作品になってしまったんだと思ってしまいます。
ベガパンクの“複製人間”について
このシーンの描写で、「やっちまってんな」と思うのが、ベガパンクの“複製人間(クローン)”を「持って来た」のをジンベエにしてしまった事と、
それを見たルフィに驚愕させてしまっている事です。
これまで散々、「ベガパンクの死」の意味について説明を端折り、一味の連中に不自然で意味深な言動をさせながら、種明かしを先延ばしにしてきたわけですが、「完全再現型」のステラのクローンがあって、それをエッグヘッドから持ち出して来ていた(それがあればステラを復活させられる)というオチが用意されていたのであれば、今話の描き方次第で辻褄を合わせることが可能でした。
具体的には、1123話でのサンジのセリフ、「腑に落ちねェなベガパンク てめェの言ったあのセリフ──これでしてやったりなのか? なァおい ちゃんと聞けなかったがとんでもねェ事言ってたな」と、
1124話でリリスから「早い話みんな生きておる」と明かされた後にカットされていた(理由説明)シーンです。
前者については、今話でジンベエではなく、サンジがベガパンクのクローンを持ち出してリリスに渡す描写にしていれば、サンジの「とんでもねェ事言ってたな」というセリフはこのことを指していた、という回収にできます。
つまり、サンジがベガパンクから「わしのことは助けんでいい…!! そのままそこで死なせてくれ!! わしには完全再現型のクローンがもう一体いるから、今のわしが死んでも問題ないのじゃ」的なことを言われていたことにすれば、1123話の意味深なセリフを回収できるだけでなく、ベガパンクを死なせてしまったサンジの無能っぷりについても幾分軽減できたはずです。
しかし、これをジンベエにしてしまったことで、サンジは「ベガパンクを守る約束を果たせず、普通に死なせてしまった無能」だったことと、1123話で口にした「とんでもねェ事」とは、(その話の最後に描かれたベガパンクのセリフ)「“ひとつなぎの大秘宝”じゃが…お前達が…手に入れて欲しい!!」を指していたことで(ほぼ)確定しました。
もしサンジがこの話をステラから聞いて知っていて、「とんでもねェ事言ってたな」というセリフがクローンのことを指していたのであれば、絶対に今話のシーンでサンジがクローンを持ってきた描写にしたはずだからです。
それがなかったということは、上記サンジのセリフはすでに作者の中で回収済みであると考えるべきでしょう。
また、後者について、1124話の感想記事で👇🏻こちらのコマの「お前たちはちゃんと約束を守ってくれた じゃから悲しむなルフィ!!!」の後、
(ルフィが元気になって甲板に飛び出るまでに)シーン切り替えの「間」があるため、読者には隠した(作者が省略した)詳細説明があったと受け取るのが自然である、と指摘しました。
この「間」で、「ステラには完全再現型のクローンがあって(サンジにそいつを守ってもらい運び出してもらったから)復活させられるのじゃ」という説明がなされていた事にすれば、この「間」でなされた説明の内容と、凹んでいたルフィが元気になった理由付けとして、十分納得できる回収となります。
ステラが死んでしまったこと、約束したのに助けられなかったことで凹んでいたルフィからすれば、ステラにはもう一体クローンがいるから復活可能である、という説明を受けていれば、安心して元気を取り戻すのも理解できるからです。
しかし、今話でルフィに「ベガパンクの“複製人間”!?」と驚かせてしまったことで、1124話のシーンではクローンの話は聞いてなかったことになり、ルフィは(ベガパンクを救えずに死なせてしまったことに凹んでいたくせに)「早い話みんな生きておる」という結論だけで納得して(その理由を詳しく聞くことはなく)元気になって再度宴を始めただけだった、ということになります。
もちろん、「(クローンの話はされなかったけど)ステラも含めてみんな生きていると説明され、ルフィはそれに納得したから元気になった」という解釈は可能ですが、クローンの存在(メタ的に言えば「設定」)があって、それを利用すればステラを復活でき、おそらくジンベエにはその話が伝わっていたのであれば、1124話のシーンで、落ち込むルフィ達にその情報を伝えない理由がありません。
仮に伝えてないことを良しとするにしても、(「みんな生きている」という事実について)ルフィが元気を取り戻すほど納得のいく説明がなされたのであれば、今話でのルフィや一味のリアクションは👇🏻こんなものにはなりません。
ルフィ達が「ベガパンクが生きているという事実(結論)だけは聞いていて、それに納得したから元気になって宴を再開した(その「理由」までは聞いていなかった)」という場合、その「理由」が明かされたら、「ベガパンクのクローン!? だから(あの時)みんな生きてるって言ってたのか!!」とか「ベガパンクが生きてるっていうのはそういう意味だったのか!!」のように、「結論」に紐づけた(1124話とのつながりを感じる)リアクションになるはずであり、「ベガパンクの“複製人間”!?」「ええええええ!?」なんて、クローンの存在にのみ驚くような単発的リアクションになるはずがないからです。
さらに言えば、リリスもクローンの存在を理由に「みんな生きておる」と伝えていたのであれば、今話で「“本体”が何か月も空けては政府に怪しまれるじゃろ?」なんて「過去に誰がエルバフに来ていたのか」の説明などではなく、「そうじゃ だからみんな生きておると言ったじゃろ?」のように、1124話のシーンを回収するセリフになるはずです。
両者ともそうしたセリフやリアクションになっていないため、作者は1124話とのつながりや整合性など頭になく、ただ安易に「とりあえずルフィを驚かせる」ことと、「ベガパンクがエルバフに来たことがある設定について(整合性がとれるよう)リリスに補足説明させる」ことが目的化した結果、こうした描写になってしまったとしか思えないんですよね。
結論、以下のシーンでは、リリスは「早い話みんな生きておる」以上の(なぜ生きているのかの)説明はしておらず、ルフィ達はそれだけで納得して元気になって、ステラの死体を放置したまま宴を始めた、と解釈せざるを得ません。
ひでェ描写だよ全く。。
作者がいかにキャラの立場に入り込まず、自分の立場や都合に合わせてキャラをしゃべらせ、動かし、リアクションさせているだけであるかがよくわかります。
ジンベエに運ばせた事にしたのも、おそらく「ルフィ達を驚かせること」がまず目的化したことで、運ばせ役は「1124話のリリスの説明に驚愕するシーンにいない人物(ゾロ、フランキー、ジンベエ、ロビン)の誰か)」にする必要が出て、一番エッグヘッドでの行動描写が少なくて存在感が薄く、辻褄が合わせやすいジンベエにしようと、逆算して決めたのではないかと想像します。
その場合、1124話時点ではクローンの説明はしていなかった事になるわけですが、前述の通り、キャラの心情や状況的にもメタ的にも、そうする意味が一切ないため、私の中では、ステラのクローンの存在自体が(エッグヘッド編の尻拭いをするための)後付けなのでは、とさえ思っています。
ステラのクローンをサンジが運んだ事にして、ルフィもその存在を知っていたテイで描けば、エッグヘッド編のラストについて最低限の辻褄を合わせられたというのに、せっかくのチャンスを棒に振ってしまい、さらに支離滅裂なエピソードとなってしまいました。(この点はエッグヘッド編の総括記事でまとめます)
尚、1124話のシーンではサンジも驚いてしまっているため、もしステラからクローンの話を聞いていたのであれば、この場面でこんな表情にはならないのでは、と思う方もいるかもしれません。
おっしゃる通りで、このことからも私はクローンの設定は後付けの可能性が高いと思っています。が、一応「ステラはクローンによって復活させられることは知っていたが、サテライト含む“みんな”が生きていることは知らなかったため、それに驚いた表情である」とすれば、強引に辻褄を合わせることは可能かなと思います。
まぁ、いずれにせよ綺麗な辻褄合わせではなく、他にも破綻している描写は多数残っているため、エッグヘッド編もエルバフ編も全然構想を練られていないまま描いてたんだろうな、という感想は変わらないのですが笑
まとめると、
- 1124話の「早い話 みんな生きておる(だから悲しむな)」の時点で、(クローンの存在含む)理由説明がなされていなかったことと、にもかかわらずルフィが元気になって宴を始めたことがまずおかしく、
- その上で、今回クローンの存在を明かされたというのに、「だから(あの時)みんな生きてるって言ってたのか!!」「ベガパンクが生きてるっていうのはそういう意味だったのか!!」といったリアクションにならずに、「ベガパンクの“複製人間”!?」「ええええええ!?」と、クローンの存在にのみ驚くようなリアクションになることもおかしく、
- 今話の描写は、1124話の内容とまるで噛み合わないズレた内容になってしまっている
ということです。
勝手にエルバフに住むと決める勘違い女
何が「わしゃここに住んで新しい研究所を作るつもりじゃ!!」だよ。
他人様の国に許可なく住み着くことや、他人様の土地に研究所を建てることを勝手に決定してんなよ意味わかんねェな。どんだけ勘違い拗らせたらそんな傲慢で厚かましいセリフを口にできるんだよ。
せめて「わしゃしばらくここに住まわせてもらって 新しい研究所を作ろうと思う」とか「わしゃここに新しい研究所を作るために しばらく住まわせてもらおうと思う」くらい、人として最低限の礼儀をわきまえた言い方ができんのか?
そもそも、「悪」の化身のお前が他人様の土地に許可なく住みついて勝手に作り出す研究所なんざ、恐ろしすぎて許可できるわけないだろうが。
自分の設定忘れてんのか?
この点、1135話で「わしは居住許可を取りに行く」というセリフがあったため、許可を取るつもりであったことは補足されましたが、今話のセリフをもっとわきまえたものにすべきという指摘は変わりません。今話の時点で「わしゃしばらくここに住まわせてもらって 新しい研究所を作ろうと思う」と言わせればよかっただけですからね。
くまを「元気に」できるだと?
いや、おま…エッグヘッドの時はっきりと「くまはもう元に戻せない」と言ってボニーから逃げ回り、
「自我を失う=死」という認識があって、
くまの自我を奪った際には膝から崩れ落ちて号泣し、
その後(自爆スイッチの代わりに仕込んでいた)「完全停止スイッチ」を押されたことで、「意志もなく命令すら耳に入らぬ植物状態」になっていることがわかっていて、
「動き出す理由も、エッグヘッドに辿りつける理屈も(科学的に)ない」として、
「“愛”ゆえ」とクソ曖昧で非科学的な理由で無理矢理結論づけようとしたままだったというのに、
何がどうなったら、当然のように「元気にしてやれる」という結論になるのでしょうか。
なんでそんな事実なかったかのように、当然元に戻せるようなこと言い出してんの?
「元気にする」というのがどういう意味かわかりませんが、(破壊された外見を綺麗に修理するだけ、という意味ではなく)少なくとも「完全停止スイッチを押される前の状態に戻して動けるようにする」ってことですよね?
「元気にしてくれる?」に対して「勿論じゃ」と自信満々に答えておいて、「外見直しただけで動きません」だったらボニーブチギレるでしょうからね笑
「思考と自我を失ったロボットであることは変わらないけど、動けるようにする」ってことですかね?
つまり、頂上戦争の頃のくまの状態に戻してあげる、ってことでしょうか。
自我と言葉を失い、他者の命令を聞くだけの意志なき操り人形の状態に戻すことを「元気にする」と言えるのか甚だ疑問ですが、どう処理するつもりなのか。
あるいは、👇🏻こちらのシーンで新たな気づきを得て、「バッカニア族の特性」が本当なのであれば元に戻せる、ということになったのでしょうか。
だとしても、それならエッグヘッドを出て早い段階でそのことをボニーに伝えてやれよ、としか思えず、よくくまの死体を放置したまま「元気にしてあげられること」を伝えずに、ボニーに聞かれてようやく答えるなんて血も涙もない対応ができたなと思ってしまいますね。
このような描き方になっている時点で、これも後付け改変としか思えませんが、まぁ、今の読者はどんな無茶苦茶な展開が描かれようとも、何の説明もなく、支離滅裂で整合性皆無の何でもありの展開が描かれようとも、思考停止で大絶賛すると決め込んでる人ばかりのようですから、別にどうでもいいのか。
前言撤回しようと、これまで描いてきたことと矛盾する展開になろうと、誰も気にしませんもんね😂
奇形ブサイクモブのご登場
いらねェ…なんなんだこの奇形ブサイクだけが取り柄の魅力皆無の無個性モブは。。
美形キャラを描いて欲しいという意味ではなく、最近のワンピースは美形以外のキャラがことごとくただの「奇形ブサイクモブ」でしかなく、生理的に受け付けず、見ていて不快になるようなキャラデザで、個性や魅力を感じないヤツばかりなんですよね。。
前半の海の頃は、どんな奇形でも非・美形でも、魅力的でカッコイイ、可愛い、味がある、と思えるキャラしかいなかったのに、いつから美形キャラ以外の脇役達は奇形ブサイクしか描かなくなってしまったのか。。
それこそ、サウロなど全く美形キャラではありませんし、何なら奇形寄りのキャラだといえますが、それでもカッコいいし、愛らしさもあるし、温かいし、賢いし、個性もあるし、私は大好きなキャラの一人です。
まぁ、主要キャラをブサイクモブにしないでくれている分、まだ読む気になれますが、なんでサウロの側近をこんなバケモンみたいなブサイク奇形モブにする必要があるのか全く理解できません。
エルバフの「英才教育」に興味を持つ鼻
ここも違和感が勝ってしまいました。
まず「図書館と学校がある」と言っただけなのに、「英才教育」と決めつけて喜ぶのが意味不明だし、そもそも鼻がエルバフの教育に食いつくのも不自然でしかなく、作者による「言わされセリフ」にしか見えません。
お前ってエルバフの「教育」に興味があったんか…?
というか、エルバフの戦士達は「教育」によって輩出されてると思ってたのか?
むしろ戦士達の訓練所や決闘場、巨体を生かした労働や村づくり、日々の過ごし方など、もっと豪快で迫力ある戦士達の生活や生き様にこそ興味があったんじゃないのか?
まだそうした「エルバフらしさ」を一つも目にしていないというのに、いきなり屋内で行われている座学教育に満面の笑みで食いつくことに違和感しかありません。
屋内で決闘のイロハや戦士の心得やら誇りやらを学んでいる様子を見て、「これが憧れのエルバフだァ〜!!」ってなると思いますか?
結果的に、英才教育どころか戦士を育てる教育ですらなかったため肩透かしにあった、というシーンなわけですが、そもそも鼻が教育に食いつくこと自体に違和感があるため、前振りから無理があるとしか思えず、何から何まで作者に言わされ、動かされているシーンにしか見えません。
要は「もはやエルバフは戦士を育てる村ではない」という情報を読者に伝えるためだけに、鼻とルフィは利用されたということです。
こういうことをするからキャラがどんどん死んでいくんですよね。。
物語がキャラ主体ではなく、作者主体で描かれていることがよくわかります。
リトルガーデンやエニエスロビーで出会った巨人達を見て、ウソップが「エルバフでは幼少期にどんな学校教育(英才教育)を受けてるのか」に興味を持っていたと思いますか?
というか、その巨人族の誇り高き戦士達が、幼少期からの英才教育を受けて戦士になったものだと考えていたと思いますか?
勇敢なる海の戦士達が、学校の座学教育によって生み出されているなど想像していたはずがなく、むしろそれを知ったら落胆する方が自然ではと思ってしまいます。
こちとらまるでエルバフらしさを感じない描写ばかりで落胆の連続なんですけど、エルバフを楽しみにしてきたルフィ・ウソップとは、期待していたイメージが根本から違っていたようです。
この点、1135話で「さみしいよおれは ウソップ…」「わかるぜ…だが平和になろうとするエルバフに文句なんか言えねェ」というルフィとウソップの会話が描かれましたが、このセリフも不自然すぎて、何のフォローにもなっておらず、そもそも2人がエルバフの「教育」に興味をもつことが違和感しかないため、今話のリアクションを間違えているという結論は変わりませんでした。
“会話”をせず“独り言”を重ねる一味
ここの描写がマジで意味不明なんですよね。
まずこの露出狂女は、媚びたぬきに対してどこへ「行こ!」と提案しているのでしょうか。
直前のコマでサウロがアンジェとゲルズに「好きなところ案内してやってくれ わしゃロビンに図書館を見せたいでよ!!」と伝えていて、
それを受けてたぬきに声をかけているため、普通に考えれば「この2人について行こ!」と誘ってるのだと思われます。
が、まだこの2人はどこに案内するか提案も先導もしていないため、まだ行き先は決まっていないわけですね。
にも関わらず「チョッパー行こ!」と指差しながら動き出そうとするのは不自然でしかありません。
「好きな所案内してやってくれ」と言われてる状況なのですから、まずは「自分達が行きたい所や興味のある所」を伝える、ないし提案を「聞く」のが先でしょう。
それをせず、行き先も決まってないのにいきなり「チョッパー行こ!」と言い出したら、「(こいつらについて行きたくないから)無視して2人で別行動しよ!」と誘ってるようにしか見えません。
そのため「ルフィウソップが先に学校へ向かったので追いかけよう」と誘っているパターンも考えられます。
が、これもアンジェとゲルズが案内しようとしてくれてるのを無視して、目の前で離脱しようとするのは失礼でしかありません。
おそらく、アンジェとゲルズがナミ達からちょっと離れた場所にいるから、「(2人に案内してもらうために、2人の近くに)行こ」と誘ってるということなのでしょうが、シンプルに漫画の描き方下手くそになりすぎじゃないですか?
というか(絵を描くのが面倒だからと)描写を端折りすぎ、雑に描きすぎなんですよね。
そんな露出狂のお誘いに対し、目を向けることさえせず、正面向いたまま「おれ図書館の方が見たい!!」とお断りするたぬき笑
露出狂女さん、たぬきからあっさりフラれてしまいます。
ダセェ…😭
これ以降、露出狂の描写がなく、図書館組の中にも学校組の方にもいないのですが、たぬきにフラれていじけて単独行動でもとってるのでしょうか…
※この点、1135話で、学校組(ルフィ、ウソップ、ゾロ)の方についてきてたことが判明しましたが、これって要するに、アンジェとゲルズのことは無視してルフィ達を追いかけようとたぬきを誘ったところ、断られたから、まゆげと一緒に学校組を追いかけたってことですかね。。
普通に先にたぬきに「おれ図書館行きたい!!」と言わせて、露出狂には「私はルフィがトラブル起こさないか心配だから追いかけるわ」的なことを言わせれば済む話なのに、なんでわざわざたぬきに断られる描写にしたんですかね…😂
それに対し、「ナミさんはおれが守るぜ!!」と、状況も文脈も一切考えずバカの一つ覚えのようにいつものセリフを口にする無精髭まゆげ。
危険な場所に行くわけでもないのになぜ「守る」ことをアピールし出すのか。
一味のセリフがどれもこれもズレていて、まるで会話になっていないため、なんでこんな描き方をするのかマジで理解できません。
骨の「私もガッコー懐かしい〜〜〜」も、奇形海パン男の「おれァこの島の“大樹”が気になってよ」も魚の「でかいのー」も何もかも独り言でしかなく、一味がまるで会話をしようとしません。
海パン男に関しては「大樹」に興味持つの遅ェし。
一番外観がよく見える上陸時に一切リアクションしてなかったくせに、何で大樹の全貌も大きさもわからなくなる上陸後に気にし出してんだよ。
アホづらさげて「でかいのー」とつぶやく魚も意味不明で、どこ見てでかいと言ってるんだよと思ってしまう。お前のその位置から「大樹」が見えるはずないだろうが。
会話しろよ会話を。。
もうお前ら全員バラバラで心ここに在らずのまま独り言口にしてるだけだから、微塵も仲間同士に見えないぞ。。
過剰コンプラによる言葉狩りギャグ描写
ここの描写も見るに堪えません。
端的に言ってつまんねえ…
なんかエルバフの近代化を描くにあたり、現代社会のテーマを強引かつ表面的に紐づけてるだけにしか見えないため、これまで描かれてきたエルバフの設定とまるで歴史がつながってるように見えず、めちゃめちゃ小手先の追加設定に見えてしまうんですよね。
「疑問提示係」と化したチャンバラ侍
もはや常にローテンションで態度の悪い一匹狼と化し、感情を失ったロボットのように冷めた表情しかせず、たまにボソッとリアクションするだけの浮いた存在となってしまったゾロ。
一味のNo.2の存在感は完全に失われ、もう一味辞めたいんか?と思うくらい、ただついて来てるだけで、自身の意思をまるで感じず、ひたすら退屈そうです。
今話で与えられたセリフはこちらの3つ。
「斬るか?」
「本当に戦士の村のガキ共か?」
「あ? 誰だ大人の声…」
1つ目は一応ウソップへの質問になっていますが、その返しに一切反応せずに完全無視して終了しているため「会話」になっておらず、全部独り言のようなつぶやき系疑問文となっている。
こんな短時間で、(レスを求めない)ただのつぶやき疑問を3回も口にするなんて不自然でしかありません。
キャラが(展開を進めるための)情報を吐く道具と化しており、まるで作中世界を生きていません。
こんな真顔かつ同じ表情で、ひたすら一人疑問だけ提示し続けるなんて、普通の人間なら絶対にあり得ず、ただ作者からその役割を担わされているだけのため、ゾロは完全にキャラとしての意思と人格を失ってしまいました。
巨人の体の上に気づかず乗ってしまう茶番
こういうのも冷めるんですよね。。
👇🏻こんな広々と開けた空間で、せいぜい自分の10倍程度の身長しかない巨人が横になってるとして、それが巨人だと気づかずに腹の上、胸の上に登ってしまうなんてことがあり得ると思いますか?
せめて、ルフィ達視点から横たわる巨人を描いて、それが丘に見えたから間違って登ってしまった、と読者側が理解・共感できる描き方がなされていれば受け入れられるのですが、
👇🏻こうやって真っ直ぐに走ってきた上、
ガキの巨人同士が言い合いしてるのを(止まって)振り返って見ておきながら、
実は既に巨人の腹にいたって…あり得なさすぎるというか、描写として雑すぎて全然物語に入り込めません。
たとえばスリラーバークで登場した「敷きグマ」などは、その名前やビジュアルから、きちんと「気づかずに踏んでいてもおかしくない」キャラとして描かれているのはもちろん、
実はナミ達が部屋に入ってきた時点で、ちゃんと床に敷かれていた、という手の込んだ描写となっています。
これなら気づかず上に乗ってしまうのも自然ですし、作者のこだわりや遊び心が感じられて、その世界観を素直に楽しめます。
魚人島でしらほしの上に乗ってしまった際も、真っ暗な部屋だったから気づかなかった、という描写になっており、きちんと読者が納得できる理由付けがなされた上での展開となっています。
が、今話の描写では、「走ってる」描写から急に「巨人の上にいる」描写に飛ぶため、「何がどうなったら、全員気づかずに巨人の体の上に乗ることになるのか」「あり得ない」という感想しか浮かんでこないわけですね。
些細なことのように感じるかもしれませんが、これは明確に作者の(展開や描写アイデア不足、ないし諦めによる)手抜き描写であり、こういう「あり得ない描写」が当然のように描かれることになると、どんどん作者の作為しか感じない「何でもアリの茶番描写」が増えて、読者は物語に入り込めなくなるため、改善すべきだと私は思います。
まぁもう、今更なんですけど。
勝手に独り語りを始めるキモ巨人(2号)
ゲルズに続き、また誰も聞いてないのに勝手に一人語りし出すキモ巨人(2号)が登場。
教師のくせに、自分が伝えたいことを一人語りしているだけで、相手の理解などお構いなし。
誰も聞いてないのに、唐突にハラルド王の言葉を誇らしげに語り出したかと思えば、圧倒的説明不足のまま「ハーイ 歴史の授業終わり〜!!」と勝手に強制終了する身勝手さたるや、キモチワリィの一言です。
こいつの話は、
- 「エルバフの戦士が世界を荒らしてたのはもう100年前だよ 悪口 暴力 略奪 戦争 もうそういう時代じゃないの♡」
- 「名君ハラルド王は言った!! 戦いより他国との交易を!! 伝統を重んじる村々の長老達とぶつかりながら」
だけであり、ハラルドがいつ王となり、いつから改革に取り組んだのかの説明がないため、「100年前から行われた改革」なのか、「(100年前と比べて今は価値観が大きく変わったというだけで)改革自体は最近行われた」のかが読み取れません。
(アンジェが補足しているものの、それも「この国を改革しようとした偉大な国王は 夢半ばで息子に殺されてしまったんです しかし国は息子の即位を許さず 今エルバフに王はいないんです」とこれまた誰も聞いてない的外れな説明に過ぎないため、何の意味もなしていません)
後者の場合、つまり「改革自体は最近行われた」のであれば、せいぜいここ数年〜20年程度の話でしかなく、全然「歴史の授業」と言えるものではないんですよね。(巨人の寿命感覚で言えば尚更です)
にも関わらず、何かを話した気になって「歴史の授業終わり〜!!」と言い出すのが気持ち悪くて仕方ない。何の役にも立たん雑な設定情報を小出しに説明しただけなのに、教師っぽく「教えてやった感」を出してくる痛々しさたるや。。
そして、ロビンの過去編でのサウロのセリフを踏まえると、「100年前から価値観の変化が起こっていた」とは考えづらく、後者の可能性の方が高いんですよね。
「エルバフの戦士が世界を荒らしてたのはもう100年前」なのであれば、22年前の時点ではとっくに「戦いより他国との交易を」の思想が浸透し、世間もエルバフの変化に気づいているはずで、要するに「エルバフの戦士が悪口 暴力 略奪 戦争から卒業し、世界を荒らさなくなって久しい」状況であるはずなのですが、サウロは「エルバフの様な野蛮なのと一緒にすんじゃねェ」「あいつら一番有名」で「巨人はみんなああだと世間に思われて困る」「巨人でも穏やかな一族はいる」と、依然暴力的で野蛮な一族という認識なんですね。
これでは、「野蛮だったのは100年も前の話で、もうとっくにそんな一族ではなくなってる(なくなり始めている)」という説明と矛盾します。
このシーンとの整合性を取るのであれば、「改革が始まったのは22年前以降」ということになり、それも「夢半ばで殺されてしまった」わけですから、「その改革は実現しているとは言えない」と解釈するのが妥当でしょう。
にも関わらずこの教師もどきは、あたかも100年前から改革が始まり、すでにそれが達成されているかのように、「エルバフの戦士が世界を荒らしてたのはもう100年前だよ 悪口 暴力 略奪 戦争 もうそういう時代じゃないの♡」と語っているわけです。
あり得ないでしょう。
サウロがエルバフに行ったことがなかったのであれば、「エルバフの巨人達は野蛮で有名」という認識は、ニュースで知ったとか、自身の海兵としての経験上(実際にエルバフの巨人達と接したことで)知ったと考えるのが自然であり、つまり22年前の時点では、エルバフの巨人達の野蛮さは依然世界に広く認識されていた(当時はそういう設定だった)、と考えるべきです。
それを「エルバフの戦士が世界を荒らしてたのはもう100年前」と遠い昔の古い価値観のように語り出すのは、明らかに矛盾しています。
もちろん、サウロはエルバフ出身ではないため、「エルバフに行ったことがなく、ここ100年のエルバフの変化を把握していなかった」とか、「100年かけて価値観の変化が起きているというだけで、依然旧時代の野蛮な巨人達も存在している(だから矛盾はしていない)」といった説明もできなくはないのですが、漫画の設定ってそういうことじゃないじゃないですか。
一度「エルバフの巨人は誇り高き戦士であり、野蛮という見方をする同族もいる」という設定で描いておいて、実は(トリブロ、オイモカーシー、サウロなど)先に登場した巨人族は、みんな当時の実態を知らなかっただけで、野蛮だったのは100年前に過ぎず、今は争いより交易を重視する国になっているなんて、どんだけ強引な改変なんだと思いませんか。
そもそも、サウロがエルバフに行ったことすらなく、曖昧な情報で勝手に疎ましく思っていただけなのであれば、生きながらえた後にエルバフを目指す展開にも無理が生じてしまいます。この点は後ほど触れます。
「勇敢なる海の戦士達の村」としてのエルバフで繰り広げられる物語と、「そんな価値観はとっくに旧時代のものだったことにされ、今や悪口 暴力 略奪 戦争から卒業した平和を愛する温厚な一族の村(で起こる伝統を重んじる長老達との内部構想に巻き込まれる話)」、どちらのストーリーを期待していたか読者に問えば、100人が100人、前者だと答えるでしょう。
だって、後者の展開に何の脈絡もないどころか、これまでの描写や説明と矛盾している様にしか思えず、表面だけ整えた様な急拵え感がすごいんですもん。
巨人達の中にも温厚な一族はいるという設定だったのだから、温厚なのはエルバフ以外に任せて、エルバフは当初の構想通りかつルフィ・ウソップが期待していたように「勇敢なる海の戦士達が住む村」の設定のまま描いて欲しかったものです。
わざわざ元の設定に泥を塗る展開を選ぶ必要がどこにあるのかと思ってしまう。
それをすることで物語が面白くなるのならまだいいですが、既存の設定や世界観を雑に破壊する展開が面白くなるはずがないんですから。
まぁ、原因はニカを後付けしたことと、新世界の後半で描く構成にしてしまったことでしょうね。
結論、エルバフが「戦いより他国との交易」を重視するよう改革されたという設定は、明らかに当初の構想ではなく、ただの小手先の後付けでしかないということです。
エルバフ編に入ることで、当初の構想や世界設定をより掘り下げて、広げてくれることを期待していた私としては、まるで整合性の取れない、説得力皆無で違和感だらけの薄っぺらい追加設定によって、元々の構想に泥をかけて台無しにし、エルバフの根幹の設定を潰してしまった今の展開を全く面白いと思えません。
ゆえに、「これは私が読みたかったエルバフ編ではない」「こんなエルバフ編になってしまい残念だ」という感想になるわけですね。
会話が成り立たない知能を失った主人公
このセリフが本当に気持ち悪く、これ目にするたびに不快感でいっぱいになるんですよね。。
相手から「船長君 “白い姿”じゃないの? 楽しみにしてたのに!!」と言われて、「あれはおれの“自由な姿”だ」と返すって意味不明すぎません?
答えになってないんだよ。
「自由な姿」なら、今すぐ変身して(自由になって)リクエストに応えてやれよ。自分の意思でいつでも変身できるんだからよ。それをしない(できない)なら、その理由を説明しろよ。
「そうなのか? じゃあ後で見せてやるよ」とか、「あの姿になると疲れてしばらく動けなくなるから いざって時以外は使わないぞ」のように返すのが正しい回答でしょう。
何が「あれはおれの“自由な姿”だ」だよ。
こいつどんだけ会話にならないんだよって思いません?
全く答えになってないどころか、聞かれてもいないことをバカの一つ覚えのように返して、それだけで説明責任を果たしたようなツラして、何でこいつは未だにこの回答で相手の質問に答えられていると思っているのでしょうか。。
もっと言えば、何がどうなったら、ギア5で自分の姿が白くなったことをそのまま受け入れられ、何の疑問を抱くこともなく、それを「自由な姿」だと解釈する結論に至るのでしょうか。
変身後を「自由な姿」と呼ぶのなら、普段のお前は「不自由な姿」なのか?
ワノ国では「おれはずっと自由だ」と言ってたが、自分の言葉が矛盾していることに気づけないのか?
何から何まであり得ず、作者(ないしニカ)に自我と知能を奪われ、読者へのネタバレ回避のためだけに言わされセリフを口にさせられているとしか思えないあり得なさです。
ルフィはニカのこともジョイボーイのことも知らないわけですが、にも関わらずその名が出た際に、一切興味を示すことなくスルーし続け、自分自身の変化について追及することもなく、「自由な姿」という何の答えにもならんクソ曖昧な結論で納得してそれ以上掘り下げようとしない不自然さたるや。
たとえば、「(この姿になってからよくニカとかジョイボーイって名前聞くけど)おれの名前はルフィだ 知らない奴の名前になんて興味ねェ」と一度でも意思表明してくれれば、その存在をスルーするのも理解できるのですが、ひたすら深堀りすることを避けてスルーし続けるなど違和感しかないでしょう。
なんでこんな描き方をしてしまうんですかね…
あれだけ魅力的なキャラだったルフィが、意思と知能を失い、作者が言わせたいセリフだけを口にする、会話にならない操り人形と化してしまうなんて、誰が予想したでしょうか。
「自由な姿」とはどういう意味なのか、なぜその姿に変身できるようになったのか、誰1人理解していないまま、意図的にそこに触れずに物語が進んで行くことに、気持ち悪さしか感じません。
👇🏻こいつ、ルフィに見えますか?
私達の大好きだったルフィが、こんなセリフを口にすると思います?
何の説明にもなってないし、こいつ自身、ギア5の姿やニカのこと、自分の食べた悪魔の実がゴムゴムの実ではなかったことなど何も知らないんですよ?
オハラからエルバフに辿り着ける謎
この説明も無理があるとしか思えません。
「西の海」のオハラから、「新世界」後半のエルバフに「命からがら」辿り着くには、カームベルトを突っ切る他ないはずですが、もうカームベルトは死に設定と化したってことでいいんですかね…?
唯一考えられるのは、「カームベルトを通過できる海軍船を盗んでエルバフに向かった」くらいですが、それでもエターナルポースは必要であり、エルバフの出身ではなく、なんならエルバフの巨人達を疎ましく思っていたサウロが持っていたとは考えづらいですし、都合よく手に入れられるものでもないし、漂流しながら偶然たどり着くこともまずありえません。
そもそも、なぜエルバフを目指そうという思考になるのかも理解できず、凍らされた後、割とすぐに復活できたのであれば、まずロビンの事を気にして情報収集しようと考えるか、その場に残された文献を保護するために動く方がどう考えても自然ではないでしょうか。
なんでオハラの学者達が命懸けで本を遺したことの意味と、遺された書物の重要性を知りながら、水に沈んだまま放置して、出身地でもなく何なら疎ましく思っていたエルバフに向かうことになるのか。
しかも、一度エルバフに着いた後、「またオハラに戻った」というのです。
いつからグランドラインと通常の海はそんなに自由に行き来できるようになったのでしょうか。。
無理がありすぎるどころの騒ぎではなく、何から何まで整合性が取れない説明ばかりです。
まとめると、
- サウロの氷漬けが溶けた後、「ロビンを探す」でも「文献を保護する」でもなく、それらを丸っと放置して、出身地でもなく疎ましく思っていた「エルバフを目指そう」という発想に至るのが謎。
- そもそも「西の海」のオハラから、「新世界後半」のエルバフに辿り着けるのが謎。(エターナルポースとカームベルトの問題)
- エルバフからまたオハラまで簡単に戻れてしまうのも(同じ理由から)謎。
ということです。
これら全てに整合性の取れる説明は可能でしょうか? 私は無理だと判断したため、まず間違いなく改変されたと考えています。
それもめちゃくちゃ雑で、整合性を取る気などサラサラない、小手先の改変です。
まぁ、どんだけ支離滅裂で矛盾だらけで破綻した物語でも、今の読者は全て受け入れてくれるわけですから、がんばって整合性を取ろうという気にならないのも仕方ないかもしれませんね。
たとえば、事件が起きた数日後(できれば翌日)にベガパンクがオハラを訪れ、そこには「大量の文献」と「氷漬けにされたサウロ」「クザン」がいて、クザンはサウロを解凍するために戻ってきたタイミングで、ベガパンクは解凍されたサウロと遭遇し、一緒に本をエッグヘッドへ持ち帰り、その後、エルバフへサウロを送り届ける際に本も一緒に移動させた、といった経緯であれば、およそ無理なく回収できるでしょう。
すぐにロビンを探しに行かなかったのは、クザンから何か条件を出されたことにするか、ロビンの人生に必要なのは自分以外の「仲間」と出会うことであり、自分が保護することではないため、自分にできることはオハラが遺した本を保護して(いつかロビンと再会できる日まで)守ることだと考えた、とすれば説明がつきます。
もしくは、そもそもオハラの本を持ち帰ったのをサウロになどせず(ベガパンクにしておき)、サウロ自身は「アイスタイムカプセル」で冷凍保存されたままにして、2年前、クザンが海軍を辞めたタイミングで(何らかの意図で)解凍された、という方向性も考えられます。
この場合、解凍された場所を「新世界」だったことにすれば、ロビンと別れてから20年も経っていて、既にロビンには仲間ができている(ことを知った)という状況下においては、ロビンを探すことよりも、同族が住むエルバフを目指して匿ってもらおうと考えるのも自然と言えます。
解凍後が「新世界」スタートであれば、2年もかければエターナルポースがなくてもエルバフに辿り着けるでしょうし、その過程でベガパンクに出会い、オハラの文献を保護してくれてることを知って、エルバフに移動させてもらったことにすれば、およそ整合性の取れる説明ができるはずです。
このように、整合性の取れる道は残されているにも関わらず、キャラの行動の動機からグランドラインの設定まで、何もかも「何でもアリ」にして作者都合だけで後付けされたのが、サウロのその後のエピソードです。
図書館なのに本を目立たせない謎作画
これ、アシスタントはどういうつもりで描いてるんですかね…
当然尾田先生が(おそらくラフを描いて)指示を出したのでしょうが、なんで「本の多さ」を伝えて感動を誘うシーンで、こんなにも本が目立たないような図書館にしようと思ったのか理解できません。尾田先生は一体どんな指示やオーダーを出したのでしょうか…
本よりも棚の枠や中央の樹のほうが断然目立っており、何ならどれが本なのかさえ注視しないと判別できないレベルで、視覚的に本の量に圧倒される絵になっていません。
たとえばオハラの「全知の樹」の図書館は👇🏻この通り、
大量の本が壁一面に並べられており、その圧巻の書物の数がオハラに蓄積されている「知識」の量と「歴史」の重みをしっかり感じさせてくれます。
オハラが守ったこれら大量の書物を、湖を埋め尽くすほどの量の本を、「全部持ち帰った」と言っておきながら、まるでその言葉を信じられない量しか並べられていません。
また「あの時の本が全て巨人サイズ!!」と言っているものの、その大きさの違いもまるで感じられません。
遠目に見たら、本だと視認できない作画のため、図書館にさえ見えません。
この作画で、本の量に圧倒されましたか? 感動できましたか?
オハラが守った、湖に沈む文献を「全部持ち帰った」という言葉に説得力が感じられましたか?
何がどうなったらこんな作画にしようと思えるのか、理解不能です。
暗黒女の媚び描写
「一冊たりとも逃さぬ様隈なく探して持ち帰った!! 全部持ち帰った!!!」と力強く言い切るセリフはよかったのですが、その後のロビンの媚び顔がいらんのですよね…
冒頭の描写然り、なぜいちいち頬を赤らめさせる必要があるのか…
頬を赤らめさせる以外に、キャラの感情(の現れ)や魅力を伝える術を失ってしまったのでしょうか。
試しに赤らみを消したパターンを見てみましょう。
頬の赤らみがなくなったことで、絵としての「可愛さ」は薄れるかもしれませんが、入れない方がロビンの瞳や涙の方に目が行くため、サウロが守ってくれた本達を見つめるロビンの心情に想像が向き、ロビンは一体どんな気持ちでこの本を見つめ、どんな感情から涙が込み上げているのだろう、と想像する余地が生まれると思いませんか?
ロビンの表情全体や心情を読み取ろうという気持ちになりませんか?
その「想像」が生まれることで、ロビンの表情の持つ意味や解釈が広がり、表情一つから読み取れる(想像しうる)情報量が増え、その表情に「深み」が生まれます。
感動や感激から自然と頬が赤らむ描写にしたいのなら、👇🏻せめてこれくらいの大きさに抑えるべきでしょう。
これなら「媚び」というほどの雑音にはならないため、ロビンの心情を想像する邪魔にならず、むしろその心情の想像を促しながら、感動・感激の表情であることが読み取りやすくなります。
が、👇🏻ここまでやってしまうと、
もう作者が「絵を可愛く見せるため」に誇張した赤らみにしか見えないため、作為が前面に出たただの媚び描写と化し、ロビンの心情を想像する余白が奪われてしまう。
もちろん、これは私個人の読み方に過ぎないため、元の絵の方がロビンの心情を想像しやすく、感情移入しやすいという読者もいるかもしれません。
ただ、少なくともワンピースという作品は、こういう安易な媚び描写を(作者はむしろ意識的に)避けてきたはずであり、そのポリシーがあったからこそ、漫画史に残る多くの名シーンや感動シーンが生まれ、王道少年漫画としての絶対的な地位を築くことに成功したと私は思っているため、ワンピース内でこういう安易な媚び描写が増えることで、作品の薄っぺらさが増していくとガッカリしてしまうんですよね。
キャラの心情を表すこと以上に、作者の「キャラを可愛く見せたい」という欲と作為が前面に出てしまうと、キャラをキャラとして受け入れられなくなり、感情移入できなくなるからです。
まぁ、このコマに関しては、そこまで噛み付くほどの事でもないのですが、わかりやすかったので取り上げました。
電伝虫は誰が置いた?
ここの描写も違和感しかありません。
ルフィがロキと遭遇した時、こんな位置に電伝虫ありました?
ロキは完全に身動きが取れないわけですから、(ルフィがいなくなってから取り出したわけではなく)ずっとこの位置に設置されていた、と考えるべきかと思いますが、そしたらルフィが気づきそうなものです。
百歩譲って、1131話の時点で描写しなかったことやルフィが気づかなかったことはよいとしても、「じゃあこの電伝虫は誰がどういう意図で設置しているのか?」という話になります。
「ロキがこっそり隠し持っていたものを出した」とか「捕まった後に設置した」という解釈は(ロキが身動きが取れない以上)不可能なわけですから、考えられるのは、
- エルバフの連中がロキと連絡を取るために設置した。
- 「冥界」に住み着いてる人間達に設置させた。
- ルフィに「おれのポケットに電伝虫が入ってるから そいつをそこの岩に置いてくれ」などとお願いし、ルフィが置いてあげた。
あたりかと思います。
「(見た事も会った事もないが)長いことダチである」モサ公と通話できている時点で、①はなさそうなので、②か③ですかね。
①の場合、ロキが所持していた(誰とつながるかわからない)電伝虫を設置したまま放置するのは、エルバフにとってはリスクしかないですし、「エルバフ側が用意した電伝虫」という場合、モサ公と自由に通話できるのもおかしいので。(エルバフ側が用意した電伝虫に、ある日知らない奴から通信が入って、そこからロキとモサ公の関係が始まった、という可能性もありますが、その場合、数年程度の拘束期間の関係性ということになるため、「長いことダチである」とは言えないでしょうし、設定が入り組みすぎてしまうので、さすがにないだろうと思います)
②か③の場合、そんな目立つ位置に置いてしまったら、エルバフの人間が様子を見にきた時にすぐにバレて没収されてしまうでしょうから、常設させているわけではなく、普段は隠し持っているけど、通話するときだけ取り出していると考えるのが自然かと思います。
すぐに出し入れできるようにしているのだとすれば、(ルフィに設置させた場合、使用後の隠し役がいなくなってしまうため)②の可能性が一番高いかなと思いますが、そうした描写もないので、「ロキが自分の電伝虫を自分で近くに置いていた」というつもりで描いてるとしか思えないんですよね。
その場合、「ロキはエルバフの人間に見つかって没収されるリスクは考えておらず、ルフィはそれに気づかず、そもそも拘束されてるのに設置できるおかしさについては見落としている」ということになるのですが、あり得ますかね、そんなこと笑
ま、もはや整合性など取る気なさそうなので、細かな描写の背景設定などどうでもいいのでしょう。
どんだけ穴だらけで、ツッコミどころ満載の描写や設定でも、考察者達が勝手に妄想補完して辻褄合わせてくれますからね…
「優しさ」がバレてブチギレる小物チンピラ
ここの会話、きちんと読むと意味不明すぎて笑けてきます。
モサ公が「今でも思い出すと震えが止まらない」ほどの「恐怖体験」をしたことに対し、「おれももどかしかった」「見た事も会った事もねェけど」「何の因果か…お前とは長ェこと友達(ダチ)」だから「おれがその現場にいたらお前に代わって そこら一帯を廃墟にし!! 皆殺しにしてた!!!」と語るロキ。
「そこまでは望んでません」と言われたら、「一度取り逃したバカは再起不能にしねェと復讐に来る」と、モサ公の身を案じての発言であることまで説明します。
ここまで露骨かつ一貫してモサ公を守るために戦う姿勢を見せておきながら、それについてお礼を言われ「優しさ」について触れられると、「おいィ!! 虫唾が走るぜ極めて心外だ!!!💢」というクソダセェキレ方をし始めます。
「おいィ!!」が特にダセェ😂
何なんだこいつ…笑
たとえば、「バカが!! てめェには利用価値があるから まだ死なれちゃ困るだけだ!! (勝手にいい様に解釈して)勘違いしてんじゃねェ!!」のように、「利害関係があるから味方しているだけである」といったセリフにしないと、「やさしさ」を否定したことにならないため、ひたすら図星をつかれた恥ずかしさから、慌ててキレ散らかして誤魔化してるという、ただの頭の悪い小物チンピラにしかなりません。
結論、このシーン全くいらないんですよね。。
何のために場面転換を挟んでまで、(普通に電伝虫が設置されてるという御都合主義展開をブチ込みながら)こんな意味のない情報を小出しにするのか。
モサ公が今後の展開に関係するのなら、関係するタイミングで描けばよく、何の意味も持たないシーンだけ描いて小出しにする必要性などありません。
種明かしを先延ばしにするだけの細切れ描写の乱発、いい加減やめればいいのに。
最近のワンピースは、こういう細切れシーンのツギハギ描写の連続で、そのサイズ感も、料理名がわからないどころか、味がしないレベルの小ささなので、もっと1つ1つの料理を適正サイズで提供してくれとしか思えません。
魔法陣ワープによる謎の人物の襲来
おそらく「神の騎士団」の2人が襲来しました。
この引き自体は、次回が気になる引きになっているためいいのですが、冒頭で触れた通り、私が読みたかったエルバフ編ではなくなってしまったため、この展開となった事自体、残念という感想でしかありません。
理由は以下の3つです。
- この展開によって、エルバフ編は初期構想から原形を留めていないレベルで大幅改変されていることが確定した。
- そもそも政府側が魔法陣で自由に移動できる設定自体、何でもアリすぎてこれまでのストーリーとの齟齬やツッコミどころが生じる上、ワンピースの世界観を崩壊させる結果となっている。
- シャンクスに似た人物を登場させ、「世界会議編」で「五老星」と謁見した人物もシャンクスとは別人だった事を匂わせる描き方をしたことで、シャンクスというキャラ自体に大いなる雑音が後付けされることが確定した。
すべてにおいて「いらんなぁ…」という感想です。
1点目については前述の通り。
2点目については、「エルバフには政府とつながってる内通者がいて、魔法陣はそいつが設置したものだから、政府側が好きな所に魔法陣を張ってワープできるわけではない」という設定である可能性もありますが、いずれにせよ後付けでしかなく、「五老星」だけの特殊能力ではなく「神の騎士団」までワープ移動できる設定となってしまっては、もっと早く(五老星より先に)現場に出てきとけって話になるため、エッグヘッド以上に何でもアリすぎて、もはや「“ひとつなぎの大秘宝”を巡る海洋冒険ロマン」では全くなくなってしまったな、という感想です。
この点、1135話でワープ後は魔法陣が消えていることに加え、現場に魔法陣を設置したと思われる巨人もおらず、門番の巨人達も何も理解してない様子のため、普通に読めば、政府側が自由に魔法陣を張ってワープできると解釈するしかありません。
3点目については、今話の描写によって「世界会議編」の時点で、👇🏻この人物はシャンクスとは別人(今話で登場したキャラ)として描いていたのか、という論点が発生します。
当時から、左目の傷が見えない構図で描かれていることを理由に、シャンクスとは別人であるとして「双子説」だの「黒幕説」だの「クローン説」だの予想している人がいましたが、私としては、「どんな裏読み&こじつけやねん」(素直に読めよ)と思ってましたし、いずれの場合もシャンクスというキャラに雑音が加わるだけな上、明確に作品をつまらなくするだけの後付けなので、絶対にそんなクソ設定は追加すべきではない(して欲しくない)と思っていましたが、今話の描写によって、907話の人物はシャンクスではなかった可能性が一気に高まってしまいました。
もちろん、まだ考察勢をミスリードするためのエサ撒きでしかなく、907話の方はシャンクス本人で、今話で登場した人物とは別人という可能性や、今話で登場したのがシャンクス本人という可能性もゼロではありませんが、後者は考え難いので、シャンクス似のキャラが追加されたことはほぼ確実でしょう。
いらんなぁ…
個人的には、907話の時点ではシャンクスのつもりで描いていたけど、その後急激な人気低迷に陥ったことで、話題性を取り戻すために考察勢のアイデアに乗っかって絡ませてきた可能性もありそうだなと思っています。
あるいは、(考察勢へのエサ撒きによって)話題にだけなればいいので、完全なるミスリードで(乗っかってきたように見せかけて)907話の描写とは全然関係なかったというオチにする可能性もまだあり得るとは思っています。
これは、今後この人物の正体が明らかになれば、当初から構想していたのかどうか見えてくるでしょうから、どのように処理されるのか楽しみに待とうと思います。
ただ、いずれにせよ、もはや「海賊王を目指す」とか「立派な海賊となって憧れの男に帽子を返しに行く」ストーリーは完全に崩壊してしまったため、ワンピースという作品に対する興味はなくなり、今の関心は、作者がこの崩壊作品をどのようにまとめていくのか、どこを見ながら、誰に向けて漫画を描いて行くのかのみとなってしまいました。
まじでどう終わらせるんでしょうね、この作品。
私の中で「ワンピース」は「史上最も好きな漫画」であり、まだ「前半の海」での評価の貯金が残っているからです。
ワンピースが大好きだったからこそ、この先改善されることを(いつまでも)期待して読み続けてしまっているわけです。その期待や熱量がゼロになったら読まなくなると思います。
実際「エッグヘッド編」以降、つまらなさが許容量を超えてきており、熱量は急速に冷めてきています。コミックスも104巻からついに購入をやめました。
ジャンプは購読して読み続けていますが、これもお金の無駄だと感じるようになったら卒業するかもしれません。
ニーズがあるからです。
上記の通り、最初は「史上最も好きな漫画」であったことから、(この先つまらないワンピースとして残りのエピソードが削られていくことに耐えられず)改善されることを願って批判をしてきましたが、もはや作品は崩壊し切ってしまったため、今は改善を期待しているわけではありません。
ただ、ワンピースという作品は、日本一売れている漫画だからこそ、熱量の高い(高かった)読者も多く、私と同様に「つまらなくなってしまった」と感じ、それを無念に思い、不満や釈然としない気持ちを抱えている読者の数も多いのです。
そういう方達にとっては、自分の気持ちを代弁してくれる記事や、自分の本音の感想をコメントして、同様の感想を抱いている方達と共有できる場には一定の価値があり、そうしたニーズに応えることにもまた一定の価値があると思っているため、運営を継続しています。
ニーズがあるからです。
ブログのようにテキスト情報だけ(それも超長文)だと、文章を読み慣れていない人にはハードルが高かったり、読む気にならなかったりする(実際、そのような声やリクエストがあった)ため、記事を動画化してYouTubeに投稿することにしました。
もっと批判や誹謗中傷コメントで溢れるかと思っていましたが、(ブログ読者の方に限らず、新規の方でも)共感し、更新を楽しみにしてくださっている方が相当数いて、ここにもニーズがあることがわかったため、運営を継続しています。
余計なお世話としか言いようがありません。
自分の人生の時間の使い方は自分で決めます。
あなたこそ、見ず知らずの他人の人生に意見するような無駄な行為に時間を使うのはやめたほうがいいのではないでしょうか?
他人の人生に口を出す前に、どうぞ自分の人生の心配をしてください。
論理が破綻しており、全く筋違いな言い分です。
プロの作家が商業作品として世に販売している時点で、それを購入した側が評価したり、感想を述べたりするのは当然に許された権利です。
私は読者(消費者)であって、漫画家ではありません。漫画を描きたいわけではなく、面白い漫画を読みたいからお金を払って購入している立場であり、購入した作品の内容に不満があるから、批判的な感想を述べているわけです。
あなたはお金を払って観に行った映画が酷い仕上がりでも、「自分に映画は作れないから文句は言えない」と考えて口をつぐむタイプですか?
購入したゲームがクソゲーでも、「自分では作れないから文句を言う資格はない」と考えるタイプですか?
お金を払って観に行った音楽ライブで、アーティストが音を外したり声が出てなかったり歌詞を間違えまくったりして全く感動できないパフォーマンスを披露しても、「自分のほうが歌が下手だから批判すべきじゃない」と思うのでしょうか?
飲食店でマズい料理を出されても、「自分で作れないんだから(店を開いてないんだから)文句を言う権利はない」とか、「文句を言えるように、まずは自分で作れるようになろう(店を出せるようになろう)」と思うのでしょうか?
市場に商品として投下されている時点で、それを購入した消費者からの評価は避けられません。作り手はそれを分かった上で、自らの意志で作り手側(買い手から評価される立場)を選んでいるのです。
一方の消費者は、自分ではできないからこそお金を払って人に任せているのであり、そこで期待したクオリティに達していなかった場合に、低評価を下したり、批判したりするのは当然に許された権利です。
「購入した商品について批判するためには、自分がその商品以上のクオリティのものを作れなければならない(文句を言うなら自分で作れ)」なんてあまりにも本末転倒で筋違いな暴論です。
頭の悪い人だとバレてしまうので、金輪際そうしたコメントはしない方がいいですよ。
尚、私がこのブログで批判しているのは、基本的に尾田先生(漫画家)ではなく、担当編集者です。編集者視点で、「なぜこの部分を直さないのか」「なぜこの内容でOKを出してしまうのか」という批判をしているのです。
その意味でも「文句言うなら、自分で描いてみては?」という主張は的外れですが、もし「文句言うならお前が編集者をしてみろ」と言われ、実際に依頼をしていただけるのであれば、私は喜んでお受けします。
そして、私が編集者になった後のワンピースがつまらなければ、当然批判も受けとめます。
その覚悟を持って(編集者を)批判していることをご理解いただければと思います。
心配しています。
このブログでは、基本的に尾田先生ではなく、担当編集者を批判するスタンスをとっており、尾田先生の健康や多忙を心配するコメントを過去に何度もしています。
なんなら長期休載に入ることや、連載ペースを落とすことを推奨している立場であり、そうした対応をせずに原作以外の仕事を次から次へと振りまくって尾田先生に負担をかけ、作品の劣化を放置し続ける編集者を批判しているのです。
なぜなら、1人の人間が週刊連載で何十年も面白い作品を(世間とのズレを生む事なく)描き続けることなど、そもそも不可能だからです。肉体的に困難なのはもちろん、作者1人の感覚で何百万人という読者の感覚とズレることなく、質の高い作品を描き続けることなどできるはずがないのです。
そのズレを正すのが編集者の役割であり、作品の質を維持するためには編集者の客観的視点が不可欠だというのに、全く機能していないことが露骨に作品に出てしまっており、にもかかわらず原作以外の大量の仕事を振って尾田先生からネームや作画の時間を奪い続け、作品の劣化に歯止めがきかない状況を進行させているため、その点を指摘して批判をしているわけです。
尾田先生の健康面の心配はしていますし、「作品への批判」と「健康面への心配」は両立するものです。
思いません。
「少年漫画」だから大人の観賞に耐え得るクオリティになっていなくて当然(あるいはそれでも問題ない)という考え方は、「少年」の読解力や感性を「(自称)大人」の勝手な思い込みと偏見で侮り、間接的に「少年漫画」を見下していることと変わりません。レッテルに囚われた思考停止人間の典型です。
少年を侮り、少年漫画を見下し、少年漫画のファンとして感想を述べ合う大人達を「異常」だと言ってのける人間のほうが、よっぽど異常だと私は思います。
読者アンケートの順位は相対的なものなので、「1位のままだからワンピースは劣化していない」という論理は成り立ちません。
ワンピースがどれだけつまらなくなっても、他の作品が抱えているファン数がワンピースよりも少なければ、ワンピースは永遠に1位のままです。「アンケート回答するファンの数=作品の絶対的な面白さ」ではありません。
ワンピースは「前半の海」で蓄積した熱狂的ファンがあまりにも多いので、ジャンプのアンケート回答においては、今度もほとんど1位をとり続けるでしょう。
私の中で「信者」の定義は、「何を描かれても無条件に絶賛し、全て肯定的に解釈して作者を持ち上げる読者」を指しています。
そのため「つまらない部分やおかしいと思う部分は多少あれど、普通に面白いし楽しめている」とか、「前半の海よりも面白さが失われたとは思うけど、新世界編も総じて楽しめている」といった読者は、私の言う「信者」には含まれません。
作者にとって有害かどうかは作者が決めることですので、本人に聞いてみてください。
ただ「つまらない」「くだらない」「ゴミ」「読む価値がない」「お金の無駄」「オワコン」「資源の無駄」といった捨て台詞で、作品を貶めるだけの(ほとんど誹謗中傷でしかない)批判は「有害」だと思いますが、きちんと作品を読み込んだ上で、「なぜつまらないのか」「何が問題なのか」を考え、「どうすれば改善されるのか」まで提示した上で行う「論理的な批判」は、(作者個人は求めていないにせよ)私は「有害」とは思いません。
というより、そうした批判を行う権利は誰にでもあるので、それが有害かどうか議論すること自体がナンセンスです。
それこそ「嫌なら読まなければいい」のです。
煽り体制が低いのは事実ですが、勘違いコメントや難癖コメントを放置すると、それを見た方に誤解を与えたり、場が荒れたりしやすく、早々に対処しておく必要があるため、説明なり反論なりをしています。
えてしてそういうコメントをする人ほど、放置するとそれを「肯定」と見做して、さらに誤解を強めて暴走しやすい傾向にあるからです。
たとえば「煽りコメントにだけ返信してねェw 効いてる効いてるww」とか「図星だから反論できねェんだw」とか「何も言い返せないから逃げやがったww 悔しかったら反論してみろやww」のような言い分です。(そうなると対処にさらに時間がかかるので、早めに処理しています)
また、私への直接的な質問系のコメントやうれしいお言葉にも、できるだけ早めに答えるようにしています。
記事への感想や建設的なコメントについては、読者さん同士でコメントやリアクションをしていただけているので、慌てて私がコメントせずにおまかせしている部分もあります。私がコメントするとそこでやりとりが終わってしまい、読者さん同士の会話が生まれづらくなったりもするので。
色々状況を観察しながら、よいコメント欄になるよう運営していきたいと思っています。
初めてサイト拝見しました。
死ぬほど笑いました笑
自分が思ってた事ほとんど言語化されていたのでめちゃくちゃ共感できました。
自分は今のワンピはもう小学館とかから出てる低レベルなギャグ漫画だと思ってるのでSNSとかでよく出てくる考察されてる方とか見るとこっちが恥ずかしくなってきます笑 「いやもうこの漫画そんなこだわって作られてないよ笑」って感じでそもそも裏読みと妄想ってイメージですが….笑
ここまで物語が進むにつれてどんどん面白くなっていって話題も部数も減らしていく漫画って凄いです。ライバルだったNARUTOの岸本斉史先生とか憧れを語る後輩の漫画家さんは今のワンピをどういう風に思ってるのかかなり気になります。
正直ここまで失速するとは思ってなかったので…… 今の作家さんだったら間違いなくジャンプ本誌でもジャンププラスでも連載できないクオリティ。
自分はこの話で小学生から読み続けてきた
ワンピースをついに卒業しました。
理由はシンプルに海賊の冒険話じゃなくなったのとルフィに追加設定が足されまくってもう海賊王なんてどうでもいいやん!ってなった事です笑 主人公と仲間達のドラマが面白かったのにもう何年も皆無で興奮できるシーンもほぼゼロで義務感で何となく読んできたけど、もういいです笑
完全に世間から見放されてる漫画なので。
頑張って運営側がアニメやなんやで盛り上がってる様に見せてるだけで信者しか残ってないし色々な点で後輩の漫画にボッコボッコにされてるかつてのチャンピオンは見るに耐えません
ブスブスの実を出して、ルフィ達をドブスにすればいい。
奇形のブス描きたいなら、自然な展開だよ。
どーせ巨人族がデカイのもイクイクの実の能力の影響受けてるとかそんなんだろうな。巨大化した本が時間をかけてデカくなったのか瞬時にデカくなったのかは知らんが。育成でデカくなる=新芽から木に成長するみたいなニュアンスなんだろ(適当)
>そもそも政府側が魔法陣で自由に移動できる設定自体、何でもアリすぎて
>これまでのストーリーとの齟齬やツッコミどころが生じる上、ワンピースの
>世界観を崩壊させる結果となっている。
確かに魔法陣は五老星しか使えないくらいが良かったなぁ
これまで「海賊と海軍がしのぎを削る海の世界」だったのが
最早「ドラゴンボールの代わりに複製人間が出てきたり、
瞬間移動の代わりに魔法陣が出てくる脳筋バトル漫画」に
成り果ててしまい、今後の展開も心配になってきた
そのうちシャンクスがカイドウと戦っていたのになぜか
赤い土の大陸を超えてマリンフォードに来れたのも実は
シャンクスは元天竜人で、魔法陣は一部の天竜人なら
誰でも使えるという設定が出てきたら、マジで萎える
じゃあ天竜人やシャンクスがわざわざ船で移動する必要性ないだろと
サターン聖も魔法陣使えるなら、なんで海軍の船に乗ってんだよと突っ込まれますよ
本当に後付けが鳥山明先生よりも下手なんだとガッカリした
追記お疲れ様でした。
1134話と1135話ではっきりしたんですけどこれから先この作品が前半の海の面白さを超えることは無いでしょうね。
加齢による作画(描写・速度遅延)、打ち合わせをほぼしていないだろうストーリー展開で基本的に前半の海の劣化コピーでいくでしょう。
思えば2009年(頂上決戦のあたり)で幻獣種が出た時「うわ、なんでもありだな」と思いました。「ドラドラの実のドラゴン人間」も出るだろうなと予想しました(オロチなんかもうほとんどそれですが、彼のためにとってあるんでしょうね)。それに世界政府も相手にしだした(本来は革命軍がその役目のはず)で「風呂敷広げすぎ、たためるのかな」と危惧しました。
結果は16年たってやっとエルバフでワンピース争奪に手をかけてすらいない現状。
連載開始当初は「少年海賊が海賊王の財宝を目指す物語」でワクワクしたのですが今は完結すらまともにするか怪しいレベル、未完の可能性もあると思います。
ブログは楽しく拝見しております。問題点を的確にテキスト化なさる力、漫画読みとして尊敬いたします。が、今後あまりに酷ければスッパリ止めてしまってもいいと思います。
長々と駄文失礼いたしました。
漫画のコマを勝手にいじいじするのはいいのか?
このブログ見るまで「サウロ先生が倒れた」の練習が31話のラストだったって知らんかったけどこれマジだったら尾田先生マジで漫画家としての矜持捨てちゃってるだろ…過去の自分のポリシーに縛られて絵は(同じ構図で)しっかり新しいのを描き直すけどそれ以外はマジでどうでもいいんか。犯人がわざとルフィ達に聞かせたとかならまだしも引きとして完全に読者に伝えるためのコマとして出した情報を「実は練習でしたww」は流石にないだろ。読者舐められすぎだよ。
なべおつさんのブログを読んでいるとワンピを全く読んだことのない自分ですら「つまらん」という感想しか出てきませんでした。
これまでエルバフが戦士の村で、ウソップにとってずっと憧れの村であり読者にとっても「エルバフ=戦士の村」として認知されてきたのが、いざ蓋を開けてみたら戦うことはしません、「お前」「ガキ」は禁句です、戦わない村のくせに悪ガキが存在する(平和とは…?)、というワケの分からない村に変貌しているという有様。
それじゃあドリー、ブロギーの今までの100年は何だったのか、彼らは今後含め存在意義はどこにあるのか、…という気持ちになりました。
エルバフに着いたときは戦いの村だったが、何らかのトラブルを経て平和な国として存続しましょう、エルバフ編完のほうが良いんじゃないかな…
いやもう、マジでドリー、ブロギーの存在価値が無いんですが…
これ、平和な村になったが、そのせいで強敵に目を付けられ全滅の危機を迎える、しかしドリブロが体を張って強敵を追い払うが犠牲に、その勇姿を見て戦う村としてもう一度やり直す、とかいう展開にしていくつもりなんですかね?いや二度手間だしありえないでしょうね。
というか尾田先生、なんで温め続けてきた卵を孵化寸前で自ら叩き壊すんだろう?
せっかくの貯金が台無しだよ。
『女は守られる立場』『女はひたすら泣くか媚びさせとけばいい』…?
もうそういう時代じゃないの♡
ロキになんか既視感あると思ったらこれキッドや
なべおつさん!待ってました!追記ありがとうございます!!
最近はワンピ最新話が公開されるたび暗い気持ちになるので本当になべおつさんの記事が待ち遠しいです(笑)
麦わらの一味は自我を奪われ人形になりルフィのシャンクスの関係にも雑音が混じり、読みたかったワンピースとかけ離れ、一体どこに向かうんでしょうね。。。
これからもなべおつさんの記事は楽しみにしていますのでどうか続けてください。
好きだったキャラが軒並み糞人間にされてるのみると
天竜人思い出すんだよね。
作者の倫理観がもう終わってるし
ヘイト向ける対象が作者の性癖が現れた麦わらの一味になってて
イムがこいつら倒して終わりなんじゃね?とさえおもうようになってる。
なべおつさんも拾われてたけど、マジでゾロが不愉快だわ
ゾロって空島でキャンプファイヤー建てたり、ターザンの真似したり、クールには見えるけど天然で可愛いみたいなキャラだったでしょ
今のゾロってマジでイキってて、クールに見えるように必死になってる痛い奴にしか見えん。好きだったキャラがここまで適当に描かれるのすっげぇ不快だわ
追記お疲れ様です!
今年もなべおつさんの推敲が読めて最高っす!
さすがの推敲力というか、とくに「ベガパンクの“複製人間”について」の項なんて自分は1124話との整合性まで考え及んでなかったっすから、さすがの読み込みだなって感心してしまったんすわ!
ここなべおつさんの追記前に、気がついてた人いなくないすか?
結局ベガパンクが明かすのかよ→楽しみを奪うな馬鹿者め
ドール中将がなんで凄い覇気に耐えられてるの?→次号突然気絶
人死んでんのに宴とかどうかしてるだろ→実は凹んでました!
モブ巨人のセリフ言う場所おかしくね?→実は練習してただけでした!
まさか読者の指摘に合わせて展開を変えてるのでは?杞憂であればいいのですが…
追記お疲れ様です
相変わらずの会話になってない単発セリフ群、エルバフ・サウロ周りの設定崩壊、ベガパンクのクソっぷりとくまの死の茶番化、神の騎士団ワープ等、つまらないを通り越してほはや嫌悪感しか感じません
しかしなべおつさんは相変わらず読み込みが半端ないですね〜
まさか1131話のラストがこんなクソみたいなミスリードを目的とした描写だったとは私は全然気づいてませんでした(笑)
あとは図書館の背景絵とか、絵をじっくり読み込むなべおつさんならではの指摘だと思いました
図書館じゃなくてただの建物として描いてますねこれ
まるで本に主眼が置かれていない
何を表現するための絵だと思ってるんでしょうね
一応いくつか見つけた誤植を書いておきます
・微塵も仲間同士名前ないぞ→微塵も仲間同士に見えないぞ(?)
・争いより交易を重視するくにになっているなんて→争いより交易を重視する国になっているなんて
・ルフィはニカのこともシャイボーイのことも知らないわけですが→ルフィはニカのこともジョイボーイのことも知らないわけですが
・シャンクス似た人物を登場させ→シャンクスに似た人物を登場させ
個人的にエッグヘッドの総括そろそろかな?と期待してますので執筆頑張ってください〜!
一味の会話が全く成り立ってなくてバラバラに喋ってるように見えるコマ改めて見るとシュールなギャグ漫画みたいで笑える
ナルトのコラに見えて実は原作みたいな感覚を思い出した
この漫画の矛盾点はなべおつさんと皆さんがもう絞り汁も出ないくらい挙げてる(しかも的確)ので違った切り口で。
興味を失ってる漫画へここまで濃い記事を書いているなべおつさんには本当に頭が下がる。
しかも盲目信者の相手をしながら。
そうなんだよね。もう純粋につまらないから関心も薄れるよね。俺もそういうフェーズは過ぎてもはや毎週発売日にチェックはしてない。
皆さんもそのうちこんな漫画どうでもいいし、コメントする時間ももったいないからあれやろう、これやろうってなるんじゃないかな。
改めて見るとホントに会話をしてないですね
ふとローグタウン編を見返したんですが、死刑台、食材探し、装備集め、刀探しとお金の貸し借りと町での行動がバラバラでも「会話」によって読者的に分かりやすくなっていて感動しました
マジで
オルガスムス海賊団の船長死亡が確定>>>>>>>>淫夢フクロウ>越えられない壁>>偽シャン>>本は無機物
くらいなのどうすんの。そこら辺のヨゴレ漫画ならこれでも良いけどこれ世界一の漫画だよね?
私はサウロとロビンの再会シーンが全く感動できませんでした。とにかくわざとらしくて、感動するでしょ?という押し付け感がありました。
サンジがゼフから一言小さく声をかけられて土下座しながら泣くシーン。うるせぇいこう!なんて震えるくらい素敵な言葉で仲間になったチョッパーに贈られた桜とバカ息子の一言。はるか上空から地上に届けられる黄金の鐘の音。そしてロビンで言えば、撃ち抜かれた旗とルフィの呼びかけに応えて生きたい!と泣き叫ぶあの場面。
ページをめくった先に、シンプルで、震えるくらいの感動がたくさんあった漫画です。その時の感動と比べると雲泥の差があるように感じます。
ニカ登場で心が折れてしまい、素直に感動できなくなっているのかもしれません。
なべおつさんは1133話を久々に評価されていましたが、1134話も合わせて、サウロとロビンの再会シーンは、前半の海と比べても良いと思えるシーンでしたでしょうか?
追記お疲れ様です。
話題性だけを狙ったシャンクス似の男もイクイクの実の淫夢フクロウやオルガスムス海賊団船長の足下にも及ばない話題性なら出す必要無かった。
褒めてほしい、はそこまで変なセリフでないと思う。出会うまでは仲間紹介する気持ちで一杯やったけど、サウロ目にしたら自分の感情優先しちゃたんやと思う。サウロの前ではどうやっても「子供」のままなんやとおもう。これは現実世界に置き換えても不自然なセリフ回しではないと思います
もうONE PIECEの面白さは逝く逝くだけどな
尾田「イクイクが卑猥?馬鹿な事言ってんじゃねェ。小学生でも相手にしてるつもりか?」
イクイクの実に対するなべおつさんの反応が知りたいわ
トレンド入りして尾田センセーもさぞご満悦だろうな
もはや作品のファンのことなど考えていないのだろう
エルバフが本当に何をするフェーズなのかが分からん。
ビビのメッセージも完全にするーだし、下手したらエフバフのごちゃごちゃが片付いて、さぁ出発ってところで、あ、そういえば。なんて展開もあり得る。
正直ニキュニキュの実時点で尾田のセンスは枯れたと思ってるからまぁもう今更だわ
未だに意味不明だもん、肉球人間もゴロも何もかも
それよりこんな事でしかもう話題に上がらないのがもう末期感ある
どっちに失礼か分からんが、刃牙と全く同じ路線を辿ってる感じがする
本編そっちのけで、勇次郎がゲ○と判明した時にネットが盛り上がってるこの感じ
まだ本編読んでないのでわからないのですが
イクイクの実ってマジなんですか?
ちょうど新年会で酔っ払って「シコシコの実」っていうワードが出て
ワンピースにそんなの絶対出てこないだろうなって笑ってたんですが…w
某紅系同人作家さえギャグっぽいから使わなかったイクイクの実
まさか本家が使うとは恐れ入った
ムラムラの実…村を生やせる村人間
クニクニの実…国を生やせる国人間
マラマラの実…疫病を流行らせるマラリア人間
そもそも初期構想なんてなかった説。
常に行き当たりばったりで描いてたけど前半の海は尾田さんの若さの感性でうまくいってただけなんじゃないかな。
下品なネタを本編まで持ち込むなよ
アホみたいな奴らが沸いてんな
イクイクの実ね…
2025年1発目からコレなんだよな
ワンピースも語録汚染されるのか…
同人作家がギャグみたいと思って使わなかったイクイクの実…
本家が使うとかワンピースはおしまい!
編集も意見出せない原稿受け取り係って話、マジなんだな
イクイクの実!?
やりますねぇ!!
ワンピースはせこい手を使っても人気を得たい、焦ってるってはっきりわかんだね。
読者が信者じゃなくなる良い世、来いよ!!
何が悲しいって昔のような爽快な物語を描ける自分でいるって作者が勘違いしてることですよ。まったく、頭にきますよ!
こんなこと書いてると信者のホモガキから『この作品、ギネス記録持ってる』『お前は漫画描けるのか?』とか言われますけど、え、そんなん関係ないっしょ(ダンガ○ロンパ)
イクイクの実とかマジかよ
ある程度、話題にはなったしある意味成功だけどさぁ
「昏睡レ◯プ!ニカと化したルフィ先輩」
ルフィ先輩「イキスギィ!イクイクイクイク…ンアッー!」
ウソップ「ンアーッ!」
「イクイクの実」ね。
あーね。新年一発目の話題作りとしては良いと思いますよ。
あーーーっ!
はぁ。
個人的にですが、尾田栄一郎のビッグマウスは今に始まったことじゃないけど控えてほしい。
新幹線に乗ってすぐに目的地につくものかと思ったら各駅停車されて凄いモヤモヤしてムカつく。
主人公が食い逃げ犯で海賊を美化し反社を賛美し政府を悪と描くふざけたストーリー
こんなものを持て囃す輩がいるのはまだまだ社会に余裕があるという事で
もう少し余裕のない国になれば皆も正気になるんじゃないですかね
完璧に分かっちゃいました。皆さん、不思議に思いませんでしたか。
あれだけ仲間の大切さを知っていたルフィが、2年後になったら急に仲間を忘れてしまうなんて。
これはですね、作者の巧妙な策略なんです。
2年前までは海洋冒険ファンタジーとして連載し、一定のファンを囲い込み、
2年後以降より、本来やりたかったジャンルに変更したんです。
それが、新ジャンル『ワンピース』。
作者が目指したのは、意味不明、理不尽、不合理、下劣といった物を混ぜ込んだ全く新しいジャンルで、例えば、母を殺された父子がいたとして、その子供から母の仇を取ってくれと頼まれたとする。主人公は、それを快諾し、子供の目の前で父親を殺し、「じゃあ、お前の仇を取ってくるから」と言って出発、それを子供がえぇええええ!と叫ぶという意味不明な展開。
この意味不明さを作者は表現しようとしている訳です。
実は、作中でもこの思想は現れていて、ルフィの夢の果てという表現がありますが、
これは、新ジャンル『ワンピース』が漫画のスタンダードなる事であり、
一つなぎの大秘宝というのは、その夢が実現し、
日本の漫画の神手塚治虫に並ぶ神になる事が、作者の夢であるという事なのです。
そんな訳がないという人もいるでしょうが、それもそのはずで、このような野望を初期の頃から出していたら打ち切り確定。下手をすればバイバイジャンプもありえた訳です。
その為に海洋冒険ファンタジーを偽装していたという訳です。
現在、何人かの読者が作者の洗脳から解けてはいますが、未だに何百万人もこの漫画を読み、
編集者側も、漫画を描くならワンピースみたいな漫画を描け、とアドバイスしている訳です。
これを少しでも積み重ねていけば、30年後には、ジャンプ漫画の全てが『ワンピース』になるのです。これは、漫画家が夢見るジャンルの開拓者になる、という事であり、着々と進行しているのです。
駄文、失礼しました。
今の子供達ってワンピースごっことかするんだろうか
自分が小さい頃は「杓死!」「シャークオンダーツ!」とか友達同士でタックルして戯れあったりしたんだけど…
少なくとも自分の周りでは見たことないな…
最早ワンピースにしかできない、ワンピースだからこそできることはない気がします。
安っぽい演劇のように過去回想でモブキャラ達が苦しんでいる描写(どうしてこんな酷いことができるんだーのような)や、知能の低さを誤魔化すかのように(誤魔化せてませんが)非道な行為を平然とする世界政府側のキャラ(特にサターン聖)、あからさまなリアクションなど。
特徴がそのまま欠点になってしまっているのでは?
考察者の日銭稼ぎのネタのためだけに考察してると思う。まじで考察者は漫画を読んでほしい。あんたらがやってるのは漫画をバラバラにして、情報解析しようとしてるだけ。魔法陣の模様は何々だとか元ネタは何々だとか。たかが一コマの情報を無理やり掘り下げてて浅ましいというか亡者みたいだ。そんなもん漫画の中で情報開示されようがされまいがどうでも良いことに何を騒いでいるんだ。そんだけしっかり読んでるなら、例えば今週の巨人の上にいつの間にか乗ってたとかも予測できるのか?位置関係距離感サイズ感とか全部めちゃくちゃかつ唐突とか気づかない?
ONE PIECEって、27年連載されてるのにONE PIECEにインスパイヤされた作品っていうのを見たことがない。
思うに、ONE PIECEって作者が発明したシステムとか一つもなく、どこかで見たような設定を寄せ集めて描いたような作品にしか見えないんだよね。キャラクターも特段際立っている訳でもなく、他の漫画家が、ONE PIECEのこのキャラを自分の漫画に落とし込みたい、このシステムをアレンジして使いたいと思わせるものがない。ONE PIECEが持て囃されてる理由が、ONE PIECEとは何か、Dの意思とはなにか、と考察要素があるからで、これがなかったら、ジャンプの中堅下位の実力しかないと思う。
作者は、ONE PIECEをライフワークにするのではなく、コンスタントに色々連載していけば、ここまでこじれた漫画を描かなくても良かったと思う。
27年間同じ漫画を描いてきた結果、木村拓也が何を演じても木村拓也になるように、尾田栄一郎は、冒険ファンタジーではなく、ONE PIECEというジャンルの漫画しか描けなくなったのだと思う。
たぶん、ONE PIECEの連載が終ったとしても、ドラゴンボールみたいに続編は描かれず、読者から「そういえば、そんな無駄に長い漫画があったな」で済まされる漫画になってしまうと思う。